「大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日になりしに。しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」
(明治45年=1912年のストックホルム・オリンピックで、レース途中で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱された金栗四三が、目を覚ました翌日に記した7月15日の日記)
(明治45年=1912年のストックホルム・オリンピックで、レース途中で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱された金栗四三が、目を覚ました翌日に記した7月15日の日記)