きつねゆりセカンドハウス

きつねゆりは「グロリオサ」の和名です。
あの方の復帰を願いながら、
ぶつぶつつぶやいています(o'.'o)

トンイ

2019-07-27 13:32:04 | 韓国ドラマ


トンイの本当の「裏の顔」を暴いてみると?

イ・ビョンフン監督の傑作時代劇『トンイ』で、ハン・ヒョジュが演じたトンイは、
明るくて純粋な女性として描かれていた。
反対に張禧嬪(チャン・ヒビン)は、典型的な悪女になっていた。
しかし、それは史実の通りなのだろうか。

40日後の告発

ドラマ『トンイ』の主役だったトンイは淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏のことだ。
彼女は19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった。
そして、同時期を生きた張禧嬪とは、激しく対立した関係だった。
この張禧嬪は悪女としてあまりに有名だが、
果たして淑嬪・崔氏はドラマのように心が美しい女性だったのか。
歴史的な事実を見てみよう。
粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后は1701年8月に世を去った。
それから40日後に、淑嬪・崔氏が粛宗に
「張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとしていた」という告発を行なっている。
ただ、不思議なのは、仁顕王后が亡くなってから40日後の告発だったことだ。
淑嬪・崔氏がその事実を知っていたのであれば、なぜ、もっと早く言わなかったのだろうか。
実際に、仁顕王后の屋敷の周りから、
呪詛(じゅそ)に使ったと思われる呪いの品物が発見されている。


しかし、それを張禧嬪が埋めたという証拠は1つもない。
たとえば、淑嬪・崔氏が自分で埋めて告発したとも言える。
その準備のために40日もかかったのではないのか。

2人の息子

淑嬪・崔氏には、張禧嬪を陥れなければならない動機があった。
このとき、世子になっていたのは張禧嬪が産んだ息子だった。
淑嬪・崔氏にも粛宗との間に産んだ息子がいたが、
兄(世子)がいるので王にはなれなかった。
しかし、張禧嬪の息子を世子の座から追放できれば、
淑嬪・崔氏の息子が代わりに世子になることも可能だった。
つまり、張禧嬪はそのまま何もしなければ自分の息子が王になれるが、
淑嬪・崔氏の場合は、張禧嬪の息子を排斥しなければ自分の息子が王になれないのだ。
しかも、ずっと病床にあった仁顕王后はもう長くは生きられなかった。
そんな王妃を、張禧嬪が危険を冒して呪詛する必要はまったくないのである。
むしろ、淑嬪・崔氏のほうが張禧嬪に罪をかぶせる必要があったのだ。
実際に「朝鮮王朝実録」を読む限りにおいて、
張禧嬪が悪行をした形跡はない。
しかし、女官から王妃になったことで(後に側室に降格)、
怨まれて様々な悪口を言われてしまった

一方、史実の淑嬪・崔氏は、『トンイ』に出てくる主人公とは印象がかなり違う。
「朝鮮王朝実録」を読んで当時の状況を推察すると、
張禧嬪より淑嬪・崔氏のほうが悪女だった可能性が高い。
淑嬪・崔氏の裏の顔は実は大変に恐ろしかったかも。
『トンイ』の主人公があまりに美化されすぎていることは間違いない。



トンイのドラマの中では、確かにいい人に描かれていましたが・・・・
割と最近見た時代劇ドラマで・・・
余りいい人とは描かれていなかったですね。
史劇と行っても、脚本、監督の描き方によってその人物像が違っていますね。

ヨンジュン・・・の史劇、また見たいなあ~


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tomoko-h7772000)
2019-08-13 20:53:37
トンイが悪女度上な気しますね!
にしても、なぜ画像がヨン様?!^_^
tomoko-h7772000さんへ (きつねゆり)
2019-08-14 14:03:17
tomoko-h7772000さん・・・アンニョン~
コメントありがとう・・・

なぜ画像がヨン様かって・・・・
このブログは、ヨンジュンがメインなんです。
最近は活動がないので、いろいろな韓国情報をアップしてますが・・・
ヨンジュンの顔をいつでも見ていたいので・・・(笑)

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