天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號(昭和十年一月一日発行) ― 修験道座談会 ―

2012年07月05日 08時13分37秒 | 修験道座談会

十二月五日聖護院門跡に於いて

修験から派生した新信仰

草分

 天理教も最初は聖護院に関係があつたのです。といふのは天理教々祖の縁者に本山派の信徒がありまして、今でも大和に天輪組といふ講社があり神変教会の支部になつております。

藤井

天理教も最初は天輪王の命といつたさうで、現に天輪組では自分の方が教祖の正統だと主張してゐるさうです。 

藤田

金光教も、大本教も元は修験じやないでせうか。

中村

大本教は吉田神道から出たのです。

藤井

金光教は修験に反対して起こつたものですが、御嶽教や扶桑教は確かに修験から出たものです。

岩井

役小角の時代には山岳信仰はあつてもまだ修験信仰といつたやうなものは無かつたのでせうが、その修験道が大成されたのは何時の頃でせう、平安朝末前説の熊野信仰勃興のあたりからでせうか。

宮城

験者といふ名前は随分古くからありますが修験道として大成されたのは恐らく御説の平安朝末期の頃ではないかと思はれます。

魚澄

神仏習合以前から修験道はあつたのでせう。

中村

もちろんそうでせう。(つづく)