3月16日(土)、東京でのP.A.D.を共に主催しているプロドラマーのアキラさん達と共に被災地である宮城県石巻市復興のお手伝いを兼ねて、ボランティアで石巻の人達や子供たちに楽しく元気になってもらおうとドラムサークル&ライブペインティングをして来ました。
大阪ではチャリティーイベントを数回開催して募金を集めたりしていましたが、本当の意味での「自分が出来る手助け」の実感はありません。阪神淡路大震災の被災者である私ですら、今回の未曾有の天災は現場に行かないと想像がつかないのです。実績ではなく、実感を得る為にも石巻に行かなければと思ったのです。そして、やっと念願が叶いました。
川を挟んで石ノ森萬画館が見える「復興まちなかマルシェ」と言う場所で2回のライブをしました。ライブ後の感想は、色んな意味で被災地復興の為のあらゆる方法が必要だと感じました。アーティストとして出来る最大限の状態で用意と準備をしたもので現地の人に元気になって欲しいと思いました。個人的には現地の人主催で現地のアーティストのアートイベントが開催出来るように、開催の方法を教えてたいと思っています。
石巻の港周辺はほぼ何もありませんでした。マンション建設予定地のような更地が見渡す限りあるのです。勿論、そこには町が賑わっていました。まだ3年しか経っていないので更地が当たり前と言えば当たり前なのですが、実際に現場に立ってみると、何も感じないくらいに何もありません。現在、ほとんどの更地には地震と津波の影響で地盤が不安定な為に、新しい建造物を建てれないそうです。これから石巻に産まれて来る子達は、この戦場跡のような更地が普段の光景になるわけです。なんとかしたいこの現状はまぎれも無い日本なのです。
外壁が2階から黒くくすんだ学校の校舎がありました。校舎の全階の中は酷い状況でした。そして、校舎の両側には震災後に設けられた新しい墓石が沢山ありました。その周囲は何もありません。校舎自体が墓石のようでした。この校舎は震災当時、避難所として指定されていて、周辺の人はここに逃げてきました。津波警報のサイレンが3度ほど鳴ったのですが、2つめまでの警報ではこの校舎まで津波は来ませんでした。校庭にひしめき合っていた車の中では、それに安心していた老人や子供がいました。動ける大人達は事情を聞く為や手伝いの為に校舎に入って行きました。そして、3度目の津波警報。それは容赦なく校舎に襲いかかり、校庭にあった全ての車にいたほとんどの老人や子供は逃げ切れず、そのまま車ごと校舎の壁に叩き付けられてガソリンに火花が引火し、炎上したそうです。言葉は出ません。壮絶な跡でした。
民家や店舗の2階部分に船などの濁流が突っ込んだ跡がある建物が未だにたくさんありました。
車の残骸が沢山積まれた場所がありました。全ての車のドアには赤色のペンキの線らしきものがあります。「生存者無し」の意味の印だそうです。
あるおばあさんが言いました。「私の家の周囲10世帯は全部流されて皆亡くなった。生かされた私は頑張って生きていかないと…。」
石ノ森章太郎先生の石ノ森萬画館近くの商店街(ほぼ誰もいません)には、先生のキャラクターであるサイボーグ009や仮面ライダーなどの銅像が各所に新しく設置されていまいた。モニュメントやオブジェなどは正に象徴なので、ボロボロだったり、半分壊れているのが印象も良く無い上、良い影響はありません。だから、真っ先にカラフルにペイントされたキャラの銅像が設置されたそうです。しかし、その周辺の店舗の90%はまだ復興に追いついていません。
当然の事ですが、放射線量を計るガイガーカウンターは石巻周辺から半端無く上がります。
また、石巻に行きます。被災地以外の地方に住んでいる私は、一生のうちに数回、もしくは数十回しか行けないと思いますが、その「たかだか一生のうちの1回」でも実行してくれる人が沢山増えれば、日本もなんとかなるかもしれません。
★復興まちなかマルシェ http://matinakamarche.blog.fc2.com/
★ボランティア宿泊1000円 氣の修空館道場 石巻 南三陸 女川
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★石ノ森萬画館 http://www.man-bow.com/manga/