みんなのマンション

輪番制で、マンション管理組合の理事になった一素人(現在理事長)が、あれこれ考えた事、見た事、調べた事。その他諸々。

「上野の森の蝸牛のように」

2006年10月25日 | マンション・住宅・家
何週も前の週刊誌の話で恐縮ですが、「アエラ」10月9日号で、「上野の森の蝸牛(かたつむり)のように」と題した、とても興味深い記事がありました。

写真家の橋本聡子さんという方の写真と文によるもので、上野公園に棲む、さまざまなホームレスの人たちのテントの中を撮った写真が8枚ほど掲載されていました。
その写真は、人の姿はなく、それぞれのテントの中だけを写したものです。

橋本さんは、2年半上野公園に通い、実際に上野公園のテントに棲んでみたようです。
写真は、おそらくはその過程の中で、撮っていったものなのでしょう。
とにもかくにも、これは、実際にホームレスの人たちの中に飛び込んで行った人にしか撮れないものです。

私は昔、映像製作の学校に通っていた時期が少しだけありましたが、同じクラスの女性が撮った、ホームレスの人を題材にしたドキュメンタリービデオがあったのを思い出しました。
そのビデオの中のホームレスのおじさんは、とても生き生きした顔をしていて、これは実際にコミュニケーションを重ねていった人にしか撮れない表情だなぁと、その時思いました。(実はホームレスの人を映像の題材にしようとする人は意外に多いようなのですが、生半可ではない覚悟や意志や、それ以前の礼儀やら常識やら感性やら、そうしたものがしっかりしていなければ、まずモノにはならないと言っても良いでしょう。)
見ず知らずの人の懐に飛び込んで行く事は、かなり勇気が要ると思いますが、そうした事ができてしまう力というのは、すごいものだと思います。
まず、自分には絶対にない能力ですからね。
そんな粘り強い努力の結晶であろう8枚の写真は、何とも言えない迫力というか、空気というか、不思議な存在感をもって、迫ってきます。

それぞれの写真には、一言ずつコメントがついているのですが、狭いテントという空間の中で展開される、それぞれの人たちの世界。
そこにあるのは、布団と、最低限の衣服や日用品とか、あとは猫だったり、お人形さんだったり。
そして、テントの外からの淡い光が、独特の濃密な空間を形作り、いったいここに住んでいる人たちとは、どんな人なんだろう? という興味を、嫌でもかき立てられます。

もし、自分がホームレスになったとしたら、テントの中をどんな感じにするだろうか?
そんな事も考えてしまいましたが、正直どんな風になるかが、全く想像がつきませんでした。
こうした狭いテントの中というのが、その人の、人となりというものが、最も色濃く表れる場なのかもしれないと感じました。

それにしても、公園の中のテントが立ち並ぶ姿は、何度も見た事のある風景でしたが、その内部空間というものは、外から見た時の想像とは、かなり違う物だなと、写真を見て思いました。
本当に、そこにはさまざまな「個」が存在しているのだな、と思いました。
さまざまな個の内部が、テントの中を通して見えてくるような気がして、これは究極の家とも呼べるのかもしれないなどと考えてしまいました。