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コジキジゲン

「一言主神」に「役の小角」が告訴される

2025-04-03 19:43:53 | 古事記字源
 前回からのツヅキ
ーー↓↑ーー
「一言主神」に「役の小角」が告訴(誣告・讒訴)される

 『続日本紀』との違いは
 役小角を告訴したのが
 一言主の神となっている
 一言主神が
 後々のいろいろな説話や物語などに登場
 道昭が新羅の国で
 役小角に会う話が初めて出てくる
 『日本霊異記』
 にある説話は
 『続日本紀』
 の記録とともに
 その後の
 「役行者」
 の伝記や説話の根幹になった・・・
 ↓↑

 奥田伝説
 大和
 高田市
 奥田伝説
 「奥田蓮池の
  一つ眼蛙」
 役行者の母
 「刀良女(とらめ)」
 は、奥田の蓮池で病を養っていたが
 ある夏
 捨篠神社へ参ると
 蛙の鳴き声が聞こえ
 光輝く池の蓮の茎が伸び
 2つの白蓮が咲き
 そこには
 金色の蛙が歌っていた
 そこで
 「刀良女」
 は何気なく
 萱を一本抜きとって
 蛙に向かって投げたところ
 蛙の片目に当たってしまい
 射貫かれた蛙はそのまま水中深く潜ってしまった
 その瞬間
 池面をいろどった五色の露も
 一茎二華の白蓮も消え
 蛙は醜い褐色色になって浮かんで来た
 刀良女は自責の念から病が重くなり
 42歳で亡くなる
 母を亡くした役行者は発心して
 修験道を開き
 吉野山に入り
 吉野山
 蔵王権現を崇め
 蛙の追善供養を行い
 母の菩提を弔った
 毎年
 7月7日
 山伏が吉野に来て
 行者堂と
 刀良女塚に香や花を献じ
 蓮池の蓮180本を切り取って
 蔵王堂から
 大峯山までの街道に祀られる祠堂に蓮を献じ
 蛙の供養をした
 伝説では
 役行者の母の没した年齢
 修験道を開いたきっかけが
 母を亡くしたこととして語られている
 ↓↑

 石鎚山
 大天狗の伝説
 役小角は
 701年
 大阪箕面の
 天上ヶ岳で昇天した後
 若い頃開山した
 石鎚山にやってきて
 「石鎚山法起坊大天狗」
 となって当地を守護し
 前鬼は
 大峰山
 前鬼坊という天狗になり
 吉野方面の守護をした
 神変大菩薩の諡号を贈られるまで
 法起菩薩と呼ばれていた
 ↓↑
 役行者像(金峯山寺)
 役行者信仰の一
 大阪府・奈良県・滋賀県
 京都府・和歌山県・三重県
 に所在する
 36(三十六)寺社を巡礼する
 「役行者霊蹟札所」がある
 「神変大菩薩」
 は
 「役行者」の尊称
 「南無神変大菩薩」
 と記した奉納のぼりなどが見られる
 ↓↑
 肖像の姿
 老人
 岩座に座り
 脛(すね)を露出させ
 頭に頭巾を被り
 一本歯の高下駄を履き
 右手に巻物
 左手に錫杖(シャクジョウ)を持ち
 前鬼・後鬼
 と一緒に描かれている
 手に持つ道具が
 密教法具であることもあり
 頒布している寺院により差異がある
 ↓↑
 真言
 聖護院(本山修験)などでは
 光格天皇
 より与えられた諡号を使い
 下記のように唱える
 ↓↑
 南無神変大菩薩(なむ じんべん だいぼさつ)
 おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか
 ↓↑
 石鎚山法起坊
 おん びらびら けんびら けんのう そわか
 ↓↑
 御嶽信仰
 おん ちょうちょう ころころ
 まんしんだらに こんごうそわか
 ↓↑
 修験道の系譜
 修験
 役行者
  〜
  1.義学(覚)
  2.義元(賢)
  3.義真
  4.寿元(彦山開山)
  5.芳元(五代山伏)
  6.助音・・・・・・・助ける音?
  7.黒珍(羽黒山)
  8.日代
  9.日円(天台 熊野社)
  10.長円(天台 法華行者)十代山伏》
 11.円珍(智証大師 天台寺門派祖)
ーー↓↑ーーー
  翻訳の行写・・・???・・・「エンのオズ」?
 ↓↑
 『オズの魔法使い』
 (The Wonderful Wizard of Oz)
 ライマン・フランク・ボーム
 が著し
 W. W.デンスロウ
 が挿絵を担当した児童文学作品
 1900年5月17日
 アメリカ合衆国
 イリノイ州
 シカゴ
 の
 ジョージ・M・ヒル・カンパニー
 初版出版
 ↓↑
 1902年
 ミュージカル
 『オズの魔法使い』
 (The Wizard of Oz)
 1939年
 映画『オズの魔法使』
 (The Wizard of Oz)
 から
 『The Wizard of Oz 』
 という題名が定着
 ↓↑
 「マザー・グースの物語」
 の童話作家
 ライマン・フランク・ボーム
 1900年5月に出版
 カラー図版の児童書
 ↓↑
 アメリカ合衆国
 カンザス州の農場に暮らす少女
 「ドロシー(Dorothy)」
 が竜巻に家ごと巻き込まれて
 飼い犬の
 「トト(Toto)」
 と共に不思議な
 「オズの国(Land of Oz)」
 へと飛ばされてしまう話
 「竜巻(tornado)」
 を示す説明と共に
 「サイクロン(cyclone)」
 という単語を使用
 ↓↑
 初版
 および
 ブロードウェイ・ミュージカル
 の成功後
 ボームが13冊
 ボームの死後に他の作者等が
 オズ・シリーズ(Oz books)を出版
 ↓↑
 ボームは
 「親愛なる友人で
  同志である
  我が妻(モード・ゲージ・ボーム)
  に捧ぐ」
 と記し
 1901年1月
 ジョージ・M・ヒル・カンパニー
 は初版の1万部を売り切った
 その後300万部を売り上げ
 1956年に
 パブリックドメインとなった
 ↓↑
 ボームの妻
 モードは
 姉ヘレンの娘である姪の
 ドロシー・ルイズ・ゲイジ
 にしばしば会いに行っていた
 この幼子は難病を患い
 1898年11月11日・・・・十一月十一日
            拾うイチ字句拾うイチ似地
 月齢5ヶ月で
 脳充血により亡くなった

 「カカシ(案山子)」は「オズを詐欺師」と呼ぶ
 「傀儡子(くぐつし・くぐつ・かいらいし)
  木偶(木の人形)」
 「鹿驚(かかし・ロクキョウ)」
 「久延毘古(くえびこ)」
 「ヒキガエル(蟾蜍・蟇蛙・蟾・蟇)
   =多邇具久(たにぐく)」
 「谷蟆=谷蟇=ヒキガエル」
 「少名毘古名神」
 「久延毘古=山田之曾富騰 (ヤマダのソホド)」
       サンタの祖父を問う・・・沸騰
       サンタ=「ニコラオ・ニコラス」?
 ↓↑
 与(與)論島(よろんじま)・・・?
        よろんトウ=世論問う?
 「与論」
 は
 琉球方言で
 「ユンヌ」
 と呼ばれていたものが変化した・・・?
 「寄りものが集まる」
 「弓の形」
 「砂」
 などの意味・・・諸説
 ↓↑
 十六世紀
 「与論」
 は
 「與論・由論」
 の文字として固有名詞化
 「ゆんぬ」
 「自己像⇔他者像」
 の次に記された与論イメージ・・・?
 ↓↑
 「ゆんぬ」
 は。なぜ
 「与論」と表記されたのか?
 ↓↑
 「ユ  ン ヌ」
 「ヨロ ン」・・・與(あた)える
          論=言+侖
            ロン
            あげつらう
            とく
            議論する
            意見・見解・主張
            はかる・おしはかる
            考える
            文体の一
            意見・議論を書いたもの
           「論語」の略
            すじみち・条理
            論理・理論
 ↓↑
 との「音=おと・ね・イン・オン」に隔たり・・・
 ↓↑
 「ヤ・イ・ユ・エ        ・ヨ」
 「や・い・ゆ・え        ・よ」
      ↓   ↓       ↓
      ン=ん「ラ・リ・ル・レ・ロ」
      ↓  「ら・り・る・れ・ろ」
      ↓           ↓
 「ナ・ニ・ヌ・ネ・ノ」      ン=ん
 「な・に・ぬ・ね・の」⇔訛り?  ゥム?
 ↓↑
 「野口才蔵」は
 『南島与論島の文化』で
  東恩納寛惇の
 『南島風土記』には
  1614年に
  「方音ユンヌ『與留濃』」
  という記述があるのを紹介」
  「与論」の前段に
  「與留濃」がある・・・漢字分解し意味を採れ?
 16世紀には「與論」
 17世紀には「與留濃」・・・与え留める故意?
          濃=氵+農
            氵+曲+辰
           =浓=氵+农(たがやす)
             农=宀+㇒+㇙+乀+㇒
              =宀+𧘇
              =農・辳・䢉・欁
          濃=ノウ・ジョウ
            こい・こまやか
            色や味が濃い・密度が大
           「美濃の国」の略・・・濃姫?
           淡粧濃抹(タンショウノウマツ)
           血は水よりも濃し
            血縁一族の結束?・・・
            血族近親は背信、反目も多?
 ↓↑
 「與留濃(ヨルノウ)」
      ・・・あたえて・とめる・こさ(こい)?
         珊瑚礁の濃さ(濃尾・能美・妖艶)
 と当てられた
 ↓↑
 「与=丂(コウ=乞)+ー」
  は
 「与那」
 「与那国」
 などと同じ「与」であり
      「那=尹+阝」=ナ・ダ=㑚=人+美しい
         なに・いかんぞ・いかん・なんぞ
         多い・美しい・安らか。
         疑問・反語をあらわす助字
         なに・かの・あの
         美しいのは珊瑚礁・・・
         に違いない?
 「ロン」・・・勝=麻雀の和了(アガリ)
         =栄和(ロンホー)⇔栄倭
 の同音の漢字・・・論調・異論・概論・論理・論談
 「諭・亂・崙=崑崙山」
 「侖=亼(会合)
    +冂(境)
    +卄(ジュウ・にじゅう・20=念)
    リン・ロン・思う
    ついでる・ついずる・順序立てる
   =仑=𠆢+匕」
 ↓↑
 奄美・・・奄=大+电・・・俺=我=私=ム=己=妾
        エン
        おおう・かぶせる。
        たちまち・にわかに・突然
        ふさがる・とぎれる
        久しい
      电(稲妻)・黾(黽・靑蛙)・㫣(黽)
           井戸・井桁の中のカエル
 群島の島
 鹿児島県最南端の島
 最も
 沖縄県に近い位置にあり
 南西約23km沖に
 沖縄本島最北端の
 辺戸岬(へどみさき)
 西方約40km沖に
 伊平屋島
 伊是名島
 周囲は珊瑚礁で囲まれ
 サンゴ(珊瑚)礁の島
 礁の内側は水深2~3mの浅い海が広がる
 隆起作用と造礁作用による
 石灰岩でできた島
 県庁所在地である鹿児島市中心部までは
 直線距離でおよそ540km
 那覇市までは110km離れている
 ↓↑
 アマミク(女神)
 と
 シニグク(男神)
 が漁に出かけ
 舵が浅瀬に引っかかり
 上陸したところ
 サンゴ礁が盛り上がって島が誕生
 「舵引き丘(ハジピキパンタ)」
 ヨロン島誕生の聖地
 ↓↑
 縄文・弥生時代の土器などが多数出土
 ↓↑
 与論城
 1405〜1416年頃
 琉球の
 北山王の三男
 王舅(オーシャン)が築城
 北山王が滅亡し築城が中止され未完成
 天然の三層の断崖
 これを結ぶ
 石垣が500m余にわたり
 北端から南東へ延長200m余の石積みは
 伏龍を形どったもの
 戦後
 アメリカの統治下から
 1953年12月25日
 奄美群島とともに日本本土に復帰
 ↓↑
ー↓↑ーー
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?


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なんで(焉)・・・「役 小角(をづ)」・・・?

2025-04-03 03:00:47 | 古事記字源
 闇(やみ)・・・闇社会・闇市
 裏(うら)・・・裏社会・浦市
 ↓↑

 参考参照原文はゼぇ~ンブ
 フリー百科事典
 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 デス
 ↓↑
 役 小角
 舒明天皇六年(634年)伝
 ~
 大寶元年(701年)六月七日伝

 幼名 小角・金杵麿(コンジョまろ)
 諡号 神變大菩薩
 尊称 役行者、役優婆塞(えん の うばそく)
 生地 大和國
    葛城上郡
    茅原郷
   (奈良県 御所市 茅原)
 没地 天上ヶ岳(箕面市)
 宗派 修験道
 寺院 役行者霊蹟札所など
 ↓↑
 弟子 韓国広足
 ↓↑
 役 小角(えんの おづぬ・・・役=やく・エキ=易
      えんの おづの・・・やく=譯=と=訳く
      えんの をつの)・・えん=怨=怨恨=うらみ
     エンの「おつ」+「な・に・ぬ・ね・の」
     円=圓・縁・艶・燕・宛
       役=彳+殳・・・殳=シュ
                 ほこ
                 兵車から
                人を追い払う
                 兵器
         彳+几(つくえ・キ)
           +又(また・ユウ・ウ
              ふたたび・また
              さらに・そのうえ
              みぎ・右の手
              ゆるす=宥
              日本語
              または・あるいは・もしくは)
       役藍泉(えん の らんせん・えき らんせん)
       江戸時代中期の儒学者
       徳山藩の鳴鳳館の第2代教授
       本名 島田浄観
       徳山の修験宗教学院の住職で
       宗祖の役小角から「役」の字を取って
      「役藍泉・役観」と称す
       孫 島田蕃根=江戸時代の修験者・儒学者
 ↓↑    ↓↑
       役(えん・ヤク)
            「約・≒(nearly equal)」
         ヤク・エキ・エン
         いくさ
         つとめ・仕事
         与えられた職務
         いくさ・戦い・戦争
         人に仕事をさせる
         人をこき使う
         召し使い
         人民に義務として課す労働
         課役
         公用のために課せられる労働、訓練
         懲役・兵役
         課役・夫役(えだち)・役調(えつき)
         役丁(えよぼろ)
         調(つき)が物品による税で
         役(え)は労力によるもの
         異体字
         「伇 𠈧 𠈿」
         日本語
         役=やく・芝居での俳優の受け持ち
         担当する仕事
         
 ↓↑
   ・・・譯=言+睪=訳=言+尺
        ・・・釈・杓・酌・癪・借・勺
      =言+罒+幸
        やく・と=訳
  ヤク・エキ
  わけ・・・和気・腋・脇
  と(く)=解・讀・梳
          渡来・列・得・徳
  やくす・・訳す・譯す・扼す
        やく・・・翻訳・翻譯
  あることばを
  他のことばに変えて
  意味を伝える・そのことば
  とく・ときあかす・解釈する
  日本語
  わけ・理由・事情
 ↓↑   ↓↑
      α+睪+β
      睪=エキ・うかがい見る
      睾=睾丸・コウ・きんたま
        男性の生殖器官
        さわ・水辺の低地
        高いさま・広いさま
      凙=氷柱(つらら)
      澤=沢
      懌擇墿
      嬕=セキ・シャク
        女性の字(あざな)
      嶧㘁
      䕉圛斁歝曎檡殬燡䐾襗
      礋=西方有獸・長短如人・羊頭猴尾・名礋,健行
      䁺䆁繹蠌
      釋=釋儀・解釋
      醳
      鐸=銅鐸
      䦴
      䭞驛
      鸅=タク・ジャク
       「鴮鸅=ぺりかん」
       「鸅鸆=ごいさぎ」・・・語彙詐偽?
 ↓↑
 舒明天皇六年〈634年〉伝
 ~
 大宝元年六月七日〈701年7月16日〉伝
 飛鳥時代の呪術者
 役行者(えん の ギョウジャ)
 役優婆塞(えん の うばそく)
 姓 君

 生没年不詳
 前鬼
 と
 後鬼
 を弟子にした
 天河
 大弁財天社
 大峯山
 龍泉寺
 修験道の霊場でも
 役小角・役行者
 を開祖とした
 修行の地とした伝承

 出自
 役氏(えんうじ)
 役君(えん の きみ)
 三輪系氏族に属する
 地祇系氏族
 葛城流
 賀茂氏の出自氏族
 加茂役君
 賀茂役君
 (かも の えん の きみ)
 とも呼ばれ
 役民を管掌した一族で
 「役」の字をもって氏とした
 大和国・河内国
 に多く分布

 舒明天皇六年(634年)
 大和国
 葛上郡
 茅原郷(奈良県御所市茅原)
 で誕生

 父
 出雲から入り婿した
 大角

 母
 白専女(伝説では刀良女)
 渡都岐比売(とときひめ)
 白専女(しらとうめ)
  ・・・ハクセンジョ・・・「白癬・白泉」+如 
 都良売・刀自女(とらめ)
  ・・・土耳古(とるこ・トルコ・トジコ)・・・
     土=十+一
 独鈷(とっこ・ドッコ)を飲む夢を見て受胎

 生誕地には
 吉祥草寺が建立

 白雉元年(650年)
 16歳
 山背国(山城国)に
 志明院を創建
 翌年17歳
 元興寺で
 「孔雀明王」の呪法を学んだ
 後
 葛城山(金剛山・大和葛城山)
 で山岳修行を行い
 熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね
 吉野の金峯山で
 金剛蔵王大権現を感得
 修験道の基礎を築く
 20代の頃
 「藤原鎌足」
 の病気を治癒させた伝説
 呪術に優れ、神仏調和を唱えた
 命令に従わないときには呪で鬼神を縛った
 人々は小角が鬼神を使役して
 水を汲み
 薪を採らせていると噂
 高弟に国家の
 医療・呪禁を司る
 典薬寮の長官
 典薬頭に任ぜられた
 「韓国広足」
  ・・・・韓の国の広(廣)の足(たり)
 がいる

 文武天皇三年五月二十四日
 (ユリウス暦699年6月26日)
 人々を言葉で惑わしていると讒言され
 伊豆島に流罪

 2年後
 大宝元年(701年)一月に大赦で茅原に帰る
 同年六月七日
 大阪府箕面市
 箕面山
 瀧安寺の奥の院
 天上ヶ岳
 (標高499m
  北緯34度51分47.503秒
  東経135度28分5.485秒)
 にて入寂
 享年68
 山頂に
 元禄十二年(1699年)
 千年御遠忌に建てられた
 「地・水・火・風・空」
 を意味する
 梵字
 「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」
 が刻まれた石碑
 昭和30年代に設けられた
 役行者像及び護摩壇
 平成26年(2014年)
 に建てられた
 「役行者御昇天所」
 の石碑
 石鎚山の山中で亡くなったとも
 石鎚山では云われている

 中世、室町時代
 金峰山、熊野山などの諸山では
 役行者の伝承を含んだ縁起や教義書が成立
 金峰山、熊野山の縁起を合わせて作られた
 『両峰問答秘鈔』
 『修験指南鈔』
 などがあり
 『続日本紀』
 の記述より桁違いに詳細な
 『役行者本記』という小角の伝記まで現れた
 併せて種々の
 絵巻や
 役行者を象った彫像や画像も制作

 寛政十一年(1799年)
 聖護院宮
 盈仁法親王
 が
 光格天皇へ
 「役行者御遠忌(没後)1100年」
 を迎えることを上表
 同年、正月二十五日
 光格天皇は
 烏丸大納言を勅使として
 聖護院に遣わして
 神変大菩薩(ジンベンダイボサツ)の諡を
 贈った
 勅書は全文
 光格天皇の宸筆
 聖護院に寺宝として残されている

 葛飾北斎
 『北斎漫画』・・・「記多の斎=差異=歳」?
 前鬼・後鬼を従えた役小角の絵(糸+会)
          譯吝付  意図+会合
 役行者・・・譯行の者
         (土ノ曰=十の一のイワク)
          渡捌意話句
              拾う比訳通意話句?
 鬼神を
 使役できるほどの法力を持って
 左右に
 前鬼・・・前(選・膳)の記(紀)?
 と
 後鬼・・・後(語・誤)の記(紀)?
 を従えた図像

 ある時
 葛木山と金峯山の間に
 石橋を架けようと思い立ち
 諸国の神々を動員して
 実現しようとしたが
 葛木山にいる
 「神一言主」
 は
 自らの醜悪な姿を気にして
 夜間しか働かなかった
 役行者は
 一言主を
 神であるにもかかわらず
 折檻して責め立て
 それに耐えかねた一言主は
 天皇に役行者が
 謀叛を企んでいると讒訴し
 役行者は
 彼の母親を人質にした
 朝廷によって
 捕縛され
 伊豆大島へと流刑
 架橋は沙汰やみになった

 役行者は、流刑先の
 伊豆大島から
 毎晩
 海上を歩いて
 富士山へと登っていった
 富士山麓の
 御殿場市の
 青龍寺は
 役行者の建立
 同様に島を抜け出して
 熱海市の東部にあたる伊豆山で修行し
 伊豆山温泉の源泉の
 走り湯を発見した・・・

 ある時
 日本から中国へ留学した
 「道昭」
 が、行く途中の
 新羅の山中で・・・・新羅(文)書の「纂中」
 五百の虎を相手に・・語釈の寅(とら・イン=音)
 法華経の
 講義を行っていると
 聴衆の中に
 役行者がいて・・・・訳行(譯業)写?
 道昭に質問した・・・同章?

 『続日本紀』
 巻第一
 文武天皇
 三年五月
 丁丑条・・・帳(調)中(註・注)の状?
 の記述
 ↓↑
 丁丑。
 役君 小角 流于 伊豆島。
 初 小角 住 於葛木山。
 以咒術稱。
 外從五位下
 韓國連 廣足 師 焉。
 後 害其能。讒以妖惑。
 故配遠處。世相傳云。
 小角 能役 使鬼神。
 汲水採薪。
 若不用命。
 即以咒縛之。
 ↓↑
 文武天皇三年五月二十四日
 役君小角を伊豆大島に配流した
 そもそも
 小角は葛城山に住み
 呪術で称賛されていた
 のちに
 外従五位下の
 韓国連広足が師と仰いでいた
 その後、ある人が彼の能力を妬み
 妖惑のかどで讒言され
 彼を遠方に配流
 世間は相伝えて
 「小角は鬼神を使役することができ
  水を汲ませたり
  薪を採らせたりした
 もし鬼神が彼の命令に従わなければ
 彼らを呪縛した」
 ↓↑
 解釈
 句末を示す
 助字の
 ↓↑
 「焉」・・・
  焉=正+与(灬)+一+止+灬
      與=「舁(𠀉+ヨ+廾)+㇉+ー+六」
        『説文解字』
     𠀉+ヨ=臼・・・丘・兵
     彑⇔噛み合う口顎(くちあご)の形象?
     彑⇔塵芥を摘(つ)まむ、挟む、咬み合う
     「L字」と「ユ字」の合体形象
     「彑=L(ㄥ・∠・⍃・ㄑ・<)+ユ」
     「ㄢㄣ㇉㇆㇞ㄥ」
      元々「与=牙」の異体・・?・・・顎
  焉=エン
    いずくんぞ
    ここに・これ
   「いずくんぞ」
   「どうして・・・か?」
   「これ・ここに」
    と読み、場所や物事を指し示す
    文末につけて
    語調をととのえる助字
 ↓↑
 焉
 を抜かして文を繋げ
 「外従五位下」・・・解重語意化(解)?
 の
 「韓国広足」
 は
 「小角」
 を師としていたが
 「その後
  師の能力を妬んで
  讒言(ザンゲン)した」・・・讒
 ↓↑
 とする説・・・
 「韓国広(廣)足」
    広=广(まだれ=眞誰)+ム(よこしま)
     廣=广(まだれ=眞誰)+黄(きいろ・コウ)
    ひろい=拾意?
 が
 正六位上
 から
 外従五位下
 に昇進したのは
 「役小角」
 が没したとされる時期から
 約30年後
 天平三年(731年)で
 「韓国広(廣)足」の氏が
 韓国であることからか
 誤解される事が多いが
 韓国氏は
 物部氏の支族・・・帰化人?
 ・・・元々は戦国時代の七国
    秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓
    戦国の七雄の「韓国」
    韓=龺+韋=韩=㙔
      十+日+口+㐄
    韩=龺+韦
    㙔=土+韋=煒=火+韋
      カン
      いげた
      から
      井桁(いげた)=井戸の囲(かこ)い
      戦国時代の七雄の一
      から=朝鮮半島南部に存在した
         馬韓・辰韓・弁韓=三韓
         日本語
        「大韓民国」の略    
    韓雲孟竜(カンウンモウリョウ)
    韓海蘇潮(カンカイソチョウ)
    韓信匍匐(カンシンホフク)
    韓文之疵(カンブンのシ)
    韓雲孟竜(カンウンモウリュウ)
     男の同性愛
     韓愈と孟郊
     二人は
     互い親友としての契りを交わしていたが
     同性愛と噂された
    「雲・竜」は互いに必要とし合っていること
    韓海蘇潮(カンカイソチョウ)
     中国の唐の詩人の韓愈
       北宋の詩人の蘇軾の文体
     韓愈が書いた文章は海のように広々とし
     蘇軾の書いた文章は海水の満ち引きのように
        力強い起伏があるという
        二人の文体を批評した言葉
    韓信匍匐(カンシンホフク)
     将来的な目的を果たすために
     恥辱や苦労を耐えることのたとえ
    「韓信」は背が高く、大きな剣を持っていたが
    「立派な剣を持っているが臆病者だ
     やれるものなら剣で突いてみろ
     出来なければ股の下をくぐれ」
     と挑発され、羞じに耐えて股の下をくぐった
    「韓信の股くぐり」
     後に漢の劉邦に仕え
     王朝を建国するときに
     大きな功績を上げ
     三傑と称されるまでになった
    韓文之疵(カンブンのきず)
     主張や発言の辻褄が合わないこと
    「韓文=中国の名文家の韓愈の書いた文章」
    「疵=きず」
    「送孟東野序」の中で
     韓愈が述べていることに
     矛盾があるということから
    ↓↑
   「大韓」名称
    第26代王
    高宗(コジョン)が
    朝鮮半島の一つの国の独立
    という願いを込めて決定・・・?
    大韓民國(ウリナラ)・・・
   「日清戦争(1894年~1895年)」
    での日本勝利
    講和条約で朝鮮王朝は
    宗主国・清からの独立が認められた
    ↓↑
    その後
    朝鮮王朝は
   「乙未事変(王妃殺害事件・1895年)」
    高宗のロシア公館亡命
    (露館播遷・1896年)
    事件などの後
    高宗はロシアの後ろ盾のもとで
    1897年
   「大韓帝国」
    を成立させた
   「韓=古代朝鮮半島の南部にあった国
      三韓(馬韓・辰韓・弁韓)」
    の名称に由来
    三国時代(前1世紀~7世紀頃)後期
   「三韓=高句麗、百済、新羅の三国」
    を意味
    朝鮮半島を「三韓の地」とし
    統一した朝鮮半島全体を意味する
   「韓」に「大」を付けて
   「大韓」を国号とした
   「大韓帝国(1897年~1910年)」
    ・・・
    ↓↑
    1919年
    李承晩
    金九
    ら独立運動の活動家により結成された
   「大韓民国臨時政府」
    として既に使用・・・
    1948年5月10日の総選挙で制憲国会が構成
    同年6月23日に国号の採決
    独促国民会が推す
   「大韓民国」が国号に決定
    1948年8月13日
   「李承晩」
    が
   「大韓民国政府樹立」
    を宣言
    日本語の伝統的な異称
   「高麗(こま・狛」
   「こまひと(高麗人)」=朝鮮半島の人々の異称
 ↓↑
 「役小角」
 に関する記録は
 正史に書かれたのは
 わずかこれだけ
    ↓↑
 『日本霊異記』
 『日本現報善悪霊異記』に採録
 後世に広まった
 役小角像の原型
 『日本霊異記』が書かれたのは
 弘仁年間(810年~824年)
 説話自体は
 神護景雲二年(768年)以降につくられた・・・
『日本霊異記』
 で
 「役小角」
 は、仏法を厚くうやまった
 優婆塞(在家信者)
 上巻の28にある
 「孔雀王の呪法を修持し
  不思議な威力を得て
  現に仙人となりて
  天に飛ぶ縁」の話
    ↓↑
 「役の優婆塞」・・・優れた波の女のトリデ
              名視・音名・採り出?
 大和国
 葛木上郡
 茅原村
 の人
 賀茂
 役公の民の出
 若くして雲に乗って仙人と遊び
 孔雀王呪経の呪法を修め
 鬼神を自在に操った
 鬼神に命じて
 大和国
 金峯山と葛木山の間に
 橋をかけようとしたところ
 葛木山の神
 「一言主」
 が人に乗り移って
 文武天皇に
 「役の優婆塞の謀反」
 を讒言
 優婆塞は天皇の使いには捕らえられなかったが
 母を人質にとられので
 捕らえられ
 伊豆大島に流されたが
 昼だけ伊豆におり
 夜には富士山に行って修行
 大宝元年(701年)正月
 赦されて帰り
 仙人になって
 天に飛び去った
 「道昭」法師
 が新羅の国で
 五百の虎の請いを受けて
 法華経の講義をした時に
 虎集の中に一人の人がいて日本語で質問してきた
 法師は
 「誰ですか」と問うと
 「役の優婆塞」であると答えた
 法師は高座から降りて探したがすでに居なかった
 「一言主」
 は、役の優婆塞の呪法で縛られて
 今(『日本霊異記』執筆の時点)
 になっても解けないでいる
  ↓↑
 (The Wonderful Wizard of Oz)・・・「オズの魔法使い」
 ・・・ツヅク・・・
ー↓↑ーー
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?


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