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きりのみやこ

ソプラノ歌手「みやこ」の音楽する日々

記憶の定着

2008年10月16日 | 音楽のこと
おそらく多くの歌手が苦労していることに、「歌詞の暗記」が挙げられる。
京ももちろん、毎回コンサートをする度に苦しんでいる。

ちょっと話は横道にそれるが、もうすぐ子供が出来るので、赤ちゃんの発育に関する本や映像を沢山見ている。
そこに、興味深い情報があった。

赤ちゃんの発育は、グラフにすると、右肩上がりではないらしい。
つまり、最初の一ヶ月でできた事は、2ヶ月目になると出来なくなったりする。
特に、手足の動きは、一ヶ月目はとてもよく動くのに、2ヶ月目になると動きが少なくなる。そして3ヶ月目になると、今度は1ヶ月目よりより複雑な動きが突然出来るようになっているという具合。

これは、歌詞を覚えるときに、思い当たる節がある。
私の場合は、歌詞を書いたり音読したりして覚えることが多いが、「もう覚えた!」と思うと、突然全部忘れてしまったかのように混乱してしまう事がある。
それですっかり落ち込んでしまうことが多かったのだが、意外と、一週間もするとふと定着したりする。

ちょっと記憶のメカニズムがわかった気がして、せっかくなので、この機会にレパートリーの確認をはじめた。
面白いほど歌詞を憶えていない曲も沢山あるので、定着させたいと思っている。

楽器

2008年10月02日 | 音楽のこと
その昔になってしまったが、ピアノを専攻している頃。
一番の悩みは常に「楽器」だった。

まず、ロンドンで家を探すにしても、常に音とスペースの問題がついて回る。
大家さんが楽器をいれることを許可してくれても、実際に生活しはじめてから近所から苦情が来てしまうと、もうどうしようもない。

そしてグランドピアノとアップライトピアノの差。
構造上の違いのために、ある程度のレベルになったら、グランドピアノで練習できなければ練習の意味はほとんどない。

更に演奏するときは、99%自分の楽器を使えない。
これは実に大きな事だ。
なぜならピアノは一つ一つ、余りに色々違う。
大きさ、鍵盤の重さ、響き具合、音質、ペダルの深さ、効き具合などなどなどなど。挙げたらきりがない。’10人十色’ならぬ’10ピアノ十色’だ。

もちろん、それらをすべて乗り越えて、どんなピアノでもすばらしい演奏が出来るのが「プロ」なのだろうけれども。。。(ここではとりあえずそれは置いておく)

そんなピアノを小さい時から習ってきたせいなのだろう。
他の楽器への憧れは、実は結構強い。
そういえば、日本でもピアノ科の学生は副科で他の楽器をさわりたがる人が異様に多いと聞いた事もある。

最近、フルートをよく吹いている。
楽器がない生活は自分の中では考えられないが、ここフィリピンではピアノを持つことを断念した。(どうせ弾く暇もない生活が待っているし、マンションで苦情が出てしまえば終わりだからだ。)
その代わりに、高校生の時に親に買ってもらったフルートを持ってきた。

ロンドンに住んでいるときに、10ヶ月ほど実は習っていた。
声楽は、声が消耗品で限界があり、長時間の練習はできないため、幸いフルートなら楽器を持っているし、呼吸の訓練にも良いと思ってはじめた。

当然、そんなに吹けるわけでもないし、大していい楽器でもなんでもないが、「自分の楽器」を奏でるというのは楽しい。練習を終えて、ぴかぴかに磨き上げるのもうれしい。

素朴な、学生の時の「夢」が、今叶っていると思うと、ちょっと滑稽で笑ってしまう今日この頃の京である。

お薦めのクラッシック音楽専門ラジオ局

2008年09月25日 | 音楽のこと
イギリスで生活している頃、毎日欠かさず聴いていたラジオ局、「Classic FM」。

クラッシック音楽専門のラジオ局だが、広く一般に向けて作られているので、堅苦しさがなく、それでいて非常に質の高い、選りすぐりの演奏による名曲を次から次へと流してくれる。

少し前までは、オンラインで聴くには英国の郵便番号を入力しなくてはいけない、など、いろいろ規制があったりしたのだが、数ヶ月前に久々にアクセスして見たら、ちゃんとLIVE放送が聴けるようになっているではないか!
以来、パソコンを起動するときは、必ず流している。

クラッシックを聴いてみたいとは思うが、何をどこで聞いたら良いかわからない、と言う人から、根っからのクラッシック好きまで、どんな人でも楽しめる番組なので、ここにお薦めしたいと思う。

コーヒーやワインを片手に、読書のBGMに、リラックスタイムにおあつらえ向きだと思うのだが。

Classic FM
Listen Live をクリック。

音楽と性格

2008年09月18日 | 音楽のこと
先日、こんなニュースを読んだ。
エジンバラ大学の教授が、好みの音楽のジャンルによって性格が別れる。と、発表。
http://www.barks.jp/news/?id=1000043238

その発表で興味深いと感じたのは、クラッシック音楽のファンは「あまり社交的でない」と言う結果。

私の知る限り、ファンだけでなく、作曲家、演奏家などでも(もちろん例外は沢山いるが)基本的に、「社交的でない」人がとても多い。
これは、実は多くの音楽家の悩みではないかと思う。
自分を売り込まなければいけない職業でありながら、実は人に気楽に話しかけられない。人が多く集まるところは苦手。という人が多いからだ。

私も例外ではない。精一杯努力しているが、やはり人の多い所は苦手である。パーティーではつい一人隅っこでじっとしてしまう。
知っている人とばかり一緒にいて、知らない人に自分から話しかけるなんて事はまずできない。

これが、「もともとこういう性格だから」クラッシック音楽が好きなのか、
あるいは、「クラッシック音楽が好きだから」こういう性格なのか。。。

先日、ポーランドのピアノの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインのショパンのピアノ協奏曲1番を聴いていた。
ここではルービンシュタインについて、あるいはこの演奏についての詳細には触れるまい。(いずれ書こうと思う。)
すばらしい音楽に出会ったとき。
それはもう、表現できない気分に陥る。

感情が先に立つと、表現は出来なくなる。
だから、ここに言葉に表すことが出来ない。

とにかく、「これでいい」と思う。
「何もいらない」と。
この瞬間だけが、すべてだと思える。
そんな感覚。

この感覚こそがおそらく、人を「非社交的」にさせる根源ではないか、と、私は思う。

いずれにせよはっきり言える事は、音楽が人に与える影響力は、おそらく我々が思っているよりも、ずっと大きいものなのだろう、と言うことだ。


復活宣言。

2008年09月14日 | 音楽のこと
あっという間に最後のブログから2ヶ月が経ってしまいました。
8月はじめにフィリピンに渡るにあたって、ネット環境の問題等でパソコンの前にゆっくり座れずにいました。
ここに何か書けるほど、音楽とも向き合っていませんでした。

やっとマニラの生活にも慣れ、視野が広がってきたのを感じています。
思っていた以上にここは、自分の専門とする音楽分野が盛んなところではないようですが、思えば学生の頃から、忙しく音楽生活をこなしてきたので、少しここで立ち止まり、今まで学んだ様々な事を回想し、定着させるのに良い機会かな、とも思っています。

今日、本当に久々に声を出しました。
1ヶ月ほど歌っていなかったので、声帯はとても元気です。
ピアノだったら、一ヶ月も弾かないと大変な事になるのですが、歌は全然大丈夫。
いかに声を出す、と言う事が人間にとって自然なことかという、当たり前の事に感心しています。
新しいイギリス民謡を2曲ほど練習しました。

おなかの赤ちゃんがびっくりしない程度に、のんびりと歌っていこうと思います。
時間が許す限り、翻訳や、楽曲分析をしたり、歴史なども学びたいと思いますので、
また一週間に一度、思う事を色々つづっていきます。

コンサートを終えて

2008年07月16日 | 音楽のこと
人生とは実に不可思議なもので、必ず大きな転機がやってくる。

先月6月22日に、沖縄の歌のコンサートを終えた。
立ち見が出てしまうほどたくさんのお客様に足を運んでいただき、
とてもとても楽しく演奏させていただいた。
妊娠5ヶ月のおなかのせいでドレスが着れず、沖縄古来から伝わる紅型の着物をアレンジしての衣装にも、好評をいただいた。

子供が出来て自分が母になることだけでも十分に大きな出来事だが、
来月の初めには主人の転勤でフィリピンに移り住むことになる。

そしてその移り住む日が、4年前に、12年滞在したロンドンから日本に戻ってきた日。

面白いほどぴったり4年間の間に、たくさんのコンサートのチャンスをいただいた。
とても有意義な日本での生活だった。

フィリピンは「歌の国」とのこと。
また全然違った意味で、実りある音楽生活が送れることを望んでいる。

引越し等で少しまた間が開いてしまったが、このブログに、また違った音楽観や、
価値観を綴っていけたらと思っている。

沖縄一色

2008年05月30日 | 音楽のこと
6月にやる沖縄の歌のコンサートが近づいてきた。
テーマがはっきり決まっているコンサートは、準備がしやすい。

毎日が沖縄漬けである。
民謡のようなものから、楽器だけの音楽やらを聴ける限り聴き、
映像などで沖縄の文化に関するものは見れる限り見る。
観光案内から歴史から、読めるものは何でも読む。

頭の中はいつも真っ青な空と海に真っ赤な花。

そういう意味では、インターネットはすごい。
上記の資料をすべてお店で揃えようと思ったら大変な事に!
そして、書店やCD店に並ぶものは、しっかりと作られた物であって、
それはそれでもちろん大事な情報だが、「生」の情報ではない。
その点インターネットを使うと、あらゆる方向からの生きている情報を手にいれることが出来る。

昔からこうやって、いつの間にか「勉強させられる」タイプの人間である私・・・。
きっとこれは、「幸運」なのだろう。

これからも、あらゆる音楽に触れて、視野を広げて行けたら良いな、と思う。

世相

2008年05月01日 | 音楽のこと
音楽もそうだが、芸術と言うのは、世相を映す鏡だと思う。

クラッシック音楽のジャンルにおいてだけここでは言及するが、常に音楽は人々の心に影響を与え、また音楽は人々の心に影響されてきた。

先に、近代音楽について少し触れた。
近代音楽は、クラッシック音楽がおそらく、世界的に一番影響力を持っていた時代のものであろうと感じる。
まだポップスやロックなどがなく、いわゆる一般に「音楽」と言えば「クラッシック」を指した時代が、確かにそこにはあった。
だからこそ、世界戦争の時代ではあるが、近代音楽にはある種の勢いと大きさがあり、思想があり、また、夢や希望がある。

そこでふっと思った。
では、クラッシック音楽界において「現代音楽」と、呼ばれているものはどうか。

個人的に、現代音楽が好きかと問われると、答えは「イエス」であり、「ノー」でもある。
「イエス」の理由は、現代音楽には、ものすごい緊張感があり、大きな刺激を得られる。
「ノー」の理由は、暗い。

クラッシック音楽だけで生きていた人々が、他の音楽を求めたのはなぜか。
ポップスや、ロック音楽から得られるものは何か。

毎日のように、人は世界のどこかで銃器を使って殺し合う。
国内でニュースを見ていても、毎日毎日家族を殺し、自殺をする人が絶えない。
挙句の果てに、自然に生きる動物や、人々の心を癒そうと植えられた花まで殺される。

クラッシック音楽は、見事に現在も、世相を反映していると言える。
人々が驚くような「刺激」。平和なようでいて次に何が起こるかわからない「緊張感」。

今の「現代音楽」が「近代音楽」と呼ばれるようになり、新たな明るい、希望に満ちた「現代音楽」が生まれる事を、期待したい。

4つの最後の歌

2008年04月28日 | 音楽のこと
私は比較的、近代音楽好きである。
(近代音楽=ロマン派以後1890年頃から第一次大戦終了までの期間の、印象派や新古典主義などの音楽の総称)

歌曲で言えば、R・シュトラウスやヴォルフが特に好きだ。
まだロシア語なので、挑戦できていないが、ラフマニノフやプロコフィエフも歌ってみたい。

そんな私が特に好きな歌がある。

R・シュトラウスの絶筆(彼に人生において一番最後に作曲された)、
「4つの最後の歌」
である。

1.春
2.9月
3.眠りにつくとき
4.夕映えの中で

の4曲からなる、「死」をテーマにしたソプラノとオーケストラのための曲集である。

何と美しい詩であろう。
自然の美しさと、人生というものへのはかなさ。
そのほか本当に色々な感情や、人間として生きる事、死ぬ事をまた更に越えた何か。。。

そんなものを感じる。

実はこの曲、幼少の頃から家庭でよく流れていた。
その頃はもちろん、シュトラウスの作品だ、と言う事以外には何も知らなかった。
ただ、美しい曲だと思っていた。

そしてこの曲の詩を読み、すっかりとりこになったのがもう5,6年前の事か。
まず、幼い頃から耳に残っていた美しい曲との「再会」
そして、ソプラノ歌手としての私と、この曲の「出会い」である。

テクニック的にも、音楽的にも、非常に難しい曲だ。
当然「まだ早い」と先生に反対される。
ましてや、私のような声の細い歌手の歌う曲ではない。

説得。
若いから、「死」をテーマにした曲を歌えないと言うのは正しくない。
「死」とは「生」に常に相対するものであり、抱き合わせのものだ。
若いときには、若いなりの「死」に対する想いがあって良い。
私は、ライフワークとして、大好きなこの曲に歌手人生をなぞらえていきたい。

先生は理解してくれた。

一度リサイタルで全曲演奏した。
以来、プログラムに入れていなくても、コンサートの前になるとむしょうに歌いたくなって必ず歌っている。

そして私なりの「4つの最後の歌」が生まれた。

5月に久々に「春」をリサイタルで歌うことになった。



もうこれで、歌手を辞めよう、と決心した時、オーケストラと一緒にこの曲を歌いたい。


本質

2008年04月17日 | 音楽のこと
ある現代バレエのダンサーが、こんな事を言った。

「技術や振り付けにこだわりすぎ、ひたすら練習を重ねることと、考えすぎることは、
どちらも表現したい事の本質を損ねてしまうこと。
本当に大切なのは 疑う こと。」

バレエにしても、音楽にしても、常に「技術」がついて回る。
そして更に、芸術と言うものは、常に「考える」要素を持っている。

技術を鍛える事、そして芸術作品について「考える」事は、必要不可欠だ。

それを彼女はあえて、「やりすぎてはいけない」と言う。

音楽でも、バレエでも、舞台芸術は「生き物」である。
そして、「表現したい事」をもとに創り上げられたものである。

そこの本質は、意外と見失いやすい。
「疑うこと」は、「本質を見直す」ことにつながる。

良い勉強をさせてもらった。

バレエは全身を使って表現するもの。
歌もしかり。

彼女は「ダンスは人生だ 人生はダンスだ」という。

私も「歌は人生だ 人生は歌だ」と、言って恥ずかしくない歌手になりたい。
そう思った。

ポーランド語とショパン

2008年03月27日 | 音楽のこと
先週風邪を引き、一週間ブログをお休みしてしまいました。



4月5日の夜、銀座でやるサロン・コンサートで、新しい挑戦をする。
ショパンの歌曲を歌うのだ。
ショパンと言えば、「ピアノの詩人」と呼ばれるポーランドの作曲家で、
数えた事はないが、おそらく作曲された曲の90%はピアノ曲であろう。

そのショパンが、人生において、19曲の歌曲を書いた。
パリでの生活が長い彼が、あえてポーランド語の詩を選び。
そしてそのどれもこれもが、ショパンの豊かな個性にあふれ、宝石のような輝きを持つ。

少し前になるが、先のブログでポーランド人のピアノの先生アンジェイ・エステルハージーについて触れた。
ここでまた、彼の教えの多くが私の中で大活躍している。
マズルカのリズム、彼が事あるごとにしゃべってくれたポーランド語の美しさ。

私自身もポーランドに2週間ほど滞在した事があり、今こうしてポーランド語の発音を勉強してみると、そこで会った人や、空気や、建物が次々と頭の中をよぎる。
音の記憶というものは、すごいものだと感嘆してしまう。

今回一緒に演奏するピアニストも、アンジェイの同門で、一緒にポーランドに行った親友である。さすが、その音色からはポーランドの香りがする。

演奏を予定しているのは2曲だけだが、これから沢山歌ってゆきたいと思っている。

ところで、土曜の銀座は人があまり集まらないらしい・・・
せっかくだったら、沢山の方に聴いていただきたいのに。。。
お時間のある方、小さなポーランド体験はいかがだろうか?
http://www.kirimiyako.com/concert-information.htm
(ショパンの他には、シューベルト、フォーレの歌曲、イギリス、沖縄民謡を予定している)

ディーヴァ

2008年03月13日 | 音楽のこと
先に、グルベローヴァについて書いた。
彼女について書いたなら、もう一人、書かなければならないディーヴァ(歌姫)がいる。

マリア・カラス だ。

永遠の歌姫、オペラ界の鬼才である。

あの声、あの容姿。
そして彼女の波乱に満ちた人生。
まさに、「歌に生き、恋に生き」(プッチーニのオペラ、"トスカ"のアリア。)大輪の花を咲かせた後に、散っていった女性である。
グルベローヴァとは対照的に、短い人生を駆け抜けて行った歌手とも言える。

彼女の輝かしい経歴と、あの私生活の華やかさからして、私の彼女に対する印象は、「激しい、感情的な歌い手」 だった。

しかし最近、彼女の録音を聞けば聞くほど、その裏に隠れた演奏の緻密さが伝わってくる。
正直、「あれ?」と思っていた。

そして先日、マリア・カラスのドキュメンタリーを見た。
内容的には、もちろん彼女の波乱に満ちた人生が主だ。
そしてオペラにおける彼女の卓越した演技力。
彼女はこう話す。
「演技をどうするか困ったときは、音楽を聴くの。
音が演技を導いてくれるから。」

そして、ドキュメンタリーの最後の方に、このコメント。
“彼女の演奏は、いつも楽譜に忠実で、楽譜を見ながら聴いているとその正確さに驚く”

脳天をつかれたような衝撃を受けた。

才能だけでディーヴァと呼ばれる事など、決してないのだな、と改めて思う。
彼女の華やかな舞台の裏に、いったいどれだけの努力があったことだろう。

沖縄の歌

2008年03月06日 | 音楽のこと
6月に、沖縄の歌のコンサートに出演する事になっている。
今楽譜をあさり、詩を読み、メロディーをピアノで叩いて勉強中である。

しかし沖縄の歌の、何と魅力的なことか。
音の一つ一つから、太陽が零れ落ちる。
メロディーから波の音が聞こえる。

同じ日本でありながら、あまりに違う文化を持ち、まったく違う言葉を持つ。

まさに国内にあって、新しい文化体験だ。

日本は小さく見えて、本当に広いな、と思う。

しかし、誰か、沖縄語の辞書を作ってはくれはしないだろうか・・・?

オペラの欠点

2008年02月29日 | 音楽のこと
最近良くオペラを映像で観ている。
観るたびに、どうしても思ってしまうことがある。

長い。。。

時間の問題ではないのだ。おそらく。
なぜなら、時間にしたら、3時間弱。物によっては2時間半。
映画をちょっと長くしたくらいのものである。
もちろん例外もあるが(ワーグナーのオペラとか。。。。。。。。)

もちろん私はオペラに出演したこともあるし、何より歌を聴くことは楽しいし、専門知識が一応あるからいろいろ考えながら見ているとまぁ、楽しい。

でもしかし。。。
一般の人からしたらどうだろうか。
お客さんが心から楽しめなければ、上演する意味はない。
芸術であると同時に、エンターテイメントでもあるのだから。

難しいな。と思う。
時代の流れは、この200年で本当に大きく変化した。
人間の「時間」に対する考え方は、200年前の人間のそれとは、あまりにかけ離れていることは容易に想像できる。

「僕はこんなに君を愛しているのに、どうして君は僕を愛してくれないんだ」
と言う内容の歌詞を、5分以上同じ曲で歌い続けると、現代人は、途中で寝てしまう。
その間に、ストーリーなんて、すっかり忘れてしまう。

問題だ。。。
特に日本のように、異様に時間の流れが速いところでは、まずオペラはもてはやされないだろう。

逆に、昔の貴族は、本当にのんびりとした毎日を送っていたのだろう。
1日というのは、さぞ長いものだったに違いない。

「時間」を使う芸術に携わる人間は今、考え直さなければいけないことが沢山あるのではないか。
いや、「時間」の思い方を、現代人が考え直すべきなのか。

私には、答えが出せない。

グルベローヴァのノルマ

2008年02月21日 | 音楽のこと
もともとすごい人だとは思っていた。
エディタ・グルベローヴァは、スロバキア生まれのソプラノ歌手である。

コロラトゥーラだが、非常に深い、幅の広い声を持ち、ものすごい高音にも丸みがあり、そしてまた、ものすごい難しいフレーズも軽々と歌いこなす。

あのテクニックは、いったいどこで、どのようにして得たものなのか?

そして今回、2006年に収録されたベッリーニ作曲のオペラ「ノルマ」を観た。

「圧巻」である。
こういうののことを、神業、というのだ。
何かがとりついているとしか思えない!!

何がすごいって、彼女はまず、もう60歳を超えている。(1946年生まれ)
もともと、高声の歌手は、寿命が短い。
50を超えると、次第に高音を出すための筋肉が衰えるといわれているくらいだ。
のどは、消耗品のはず、である。
彼女のような売れっ子オペラ歌手は、当然多くの公演をこなしてきている。

なのに彼女の声には、まったく疲れが感じられない。
2時間半を超えるグランドオペラの、ほぼ出ずっぱりの役を難なくこなす。

これは、彼女の技術がいかに卓越しているかの証明である。
つまり、まったく無理なく歌っているのだ。
必要な筋肉をしっかり鍛え、脱力すべきところはしっかりと力が抜けている。

「ノルマ」の公演の、ドキュメンタリーも観た。
以下が彼女の言葉である。

『結局人は孤独
どうやってその暗闇を克服するか。それが人間の格を作るのよ』

天才と呼ばれることへの代償を
努力と苦労で支払って、
歌手として、何より人間として、成長し続けてきたのだろうと思うと、
彼女の言葉がとても重かった。