きりのみやこ

ソプラノ歌手「みやこ」の音楽する日々

歌の効能

2008年01月31日 | 音楽のこと
またまたばたばたして、一週間ブログをお休みしてしまいました・・・。


歌を歌うというのは、全身運動である。
背筋と腹筋を特に使うし、水泳並みに息を吸ったりはいたりする。
顔の筋肉もふんだんに使う。

美容にも健康にも良いに違いない。

さらに聞いたところによると、歌うことは、チョコレートを食べるのと同じ効果があるらしい。
ちなみに、人はチョコレートを食べると気持ちが落ち着き、ポジティブになるとか。

確かに、歌った後は、とても気持ちが落ち着いて、頭がすっきりする。

そんな効能があるのに、最近ちっとも楽しく歌っていなかったな、と思い、
反省中。
舞台人のつらいところだが、どんなに好きでも、やはり仕事になるとプレッシャーが勝ってしまう。

でもやはり、こちらが楽しくなかったら聴くほうだって楽しくない。
演奏者の思いは、生演奏ではそのまま伝わるのだから。

皆さんに気持ちよく聴いていただくための修行は、まだまだ続く。

ベートーベンの呪い?

2008年01月17日 | 音楽のこと
今日、長い長いブルックナーの交響曲を聴きながら、ふと「ベートーベンの呪い」を思い出していた。

ベートーベンが交響曲を9曲書いて死んだ。
それ以降、作曲家は交響曲を9曲書くと死ぬ。

というあれである。

マーラーが、それを深く信じ込み、交響曲8番を書いた後、9番を書くことを恐れて、9番目に書いた交響曲をあえて「大地の歌」と名づけ、死ななかったから安心してもう一曲書いて「交響曲第9番」と名づけたらやっぱり死んじゃった。

という、あれである。。。

ちなみに、その呪いにかかったおもたる作曲家は、マーラーとブルックナー。(ほかにもいたかな?)
どちらもベートーベンを崇拝し、ベートーベンのような交響曲を書きたいと思っていた作曲家であり、どちらもベートーベンを超えられなかった作曲家だ。
(お好きな方。申し訳ない。あくまでも私一個人の意見なので気にしないでいただきたい。)

呪いがあるかないかはわからないが、確かに、交響曲においてベートーベンは偉大であり、(私も別の意味で呪いにかかっているのかもしれないが)ベートーベン以降の交響曲で、良いと思う曲はほとんどない。
呪いはしばらく続くのだ。

呪いが解け始めたのは、かなり近代に入ってからだと私は思ってしまう。
1900年を超えてからか?いや、印象派以降と言うべきか。。。
(ドビュッシーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーなどは、交響曲においてベートーベンとは違った魅力を打ち出してきている。)

と、いうことで、「第九」や、「運命」(第5番)「田園」(第6番)などを冒頭や、一部しか聞いたことがない方、ベートーベンの呪いにかかってみてはいかがだろうか。

創造力と想像力

2008年01月10日 | 音楽のこと
年末、年始と2週間、ブログをお休みしました。
その間に2回のコンサートもこなして、今日やっと一息。
今頃になって新年が明けたのだと自覚しはじめた私です。。。

今年も幸多き年となりますように♪


演奏家と言う仕事は、ちょっと不思議な位置だな、と時々思う。
音楽という創造芸術に携わってはいるけれども、演奏家は決して芸術家ではない。

何かを創り上げる人間ではないのである。

「クラッシックは再現芸術だ」なんて皮肉な言葉があるが、
演奏家と言うのは、その「再現」をするのが仕事である事に、間違いはない。

だから私達演奏家には常に「勉強」がついてまわる
私の場合一番手をかけているのは、まず語学。そして歴史。更には発声法。
その他にも、いろいろ勉強しなければいけない事がある。
和声や楽理などなど。

でも、私が一番演奏家にとって大事だと感じているのは「想像力」である。
楽器でも声楽でも、楽曲に対する理解を深め、歴史的背景やテクニック的な事など、その他諸々をクリアするのはまず大事だが、それだけでは、本当にただの「再現」になってしまう。

音楽は、生きていなければならない
クラッシックは「再現芸術」なんて、言わせたくない。演奏家として。

今年の私の目標は、楽曲の理解や、テクニックを超えて、更に高みへ行く事。
演奏家としての価値を、自分の中で見出していきたい。

どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!