きりのみやこ

ソプラノ歌手「みやこ」の音楽する日々

言霊

2009年07月30日 | 音楽のこと
「ことだま」と聞くと、なんだか霊魂の世界でちょっと怖い感じがする。
けれど何百年も昔から、何億、何十億の人々の、色々な感情を表すために使われてきた「言語」に、魂が宿っていたとしても何の不思議はない、と思う。

現に、特に毎日使っている母国語の日本語で歌うときは、言葉が勝手に「歌ってくれる」と感じる事が多々ある。
私が何もしなくても、歌詞がひとり立ちするのだ。

他の言語で歌っているときも、十分に練習を積むと同じ感覚を味わう事ができる。
歌手はあくまでも、伝えるのが役目なんだな、と感じる瞬間でもある。

ジェシー・ノーマンと言うソプラノ歌手がいる。
彼女が超一流だな、と思うのは、ドイツ語やフランス語などで歌っていて、こちらは意味がわからずに聴いていても、おのずと「何か」が伝わってくるところ。
あんな歌手になれたらと切に思う。

言霊の恩恵を受けるには、その「言語」を熟知するより他に方法はあるまい。

京の修行はまだまだまだまだ続く。。。

ヘンデルの楽曲における、ダ・カーポの後の装飾音について♪

2009年07月27日 | 音楽のこと
ヘンデルのオペラやオラトリオのアリアで、ダ・カーポ(最初に戻る)
によって冒頭のメロディーをもう一度歌う、
または演奏するときには、装飾音をつけるのが常識とされる。

この装飾音については諸説あり、最低限にとどめるべきと言う人から、
自由にやるべきと言う人まで色々いる。

現在ヘンデルを勉強中なので、ヘンデルにここでは限って書くが、
実際ヘンデルの時代はどうだったのだろうか?

まず装飾音をつける「目的」は、作曲家ではなく、演奏者の「技術」をみせる事にある。
つまり、装飾は「演奏者」にゆだねられていた。

現に、ヘンデルは、ダ・カーポの後の装飾音に関しては、演奏者に任せていたらしい。
その主たる証拠として、ヘンデルの直筆譜に、装飾音に関する記述は、ないに等しい。

しかし、記述がないと言う事は、当然現在演奏するにあたって、
お手本とするものが一切ないと言うことでもある。

じゃぁ何をしても良いのではないか?
と、言いたいところだが、ここでもまた賛否両論だ。

ヘンデルの時代にありえなかった音形や、ハーモニーが入り混じっている現代。
バロックの様式を、もっと言えばヘンデルの様式の範囲内を越えてはならないという意見。
そして現代の演奏なのだから、現代風になって何が悪いと言う意見。

なかなか難しい問題なのだ。
ヘンデルも、装飾音に関しては、「スタイルを壊さない程度に」と言う、
とてもあいまいな希望を残していたりするから余計だ。

結論、私はどうかと言えば、どちらかと言えばリベラル派だ。
ヘンデルが、現代に生きていたら「いいじゃない!それ!」
と、言ってもらえるような装飾をしたい。

また、あいまいなこと言ってるな。
9月はオペラ「リナルド」の'私を泣かせてください’で、
オリジナルの装飾音をつけて歌う予定だ。

フィリピンでのクラッシックコンサート

2009年07月16日 | 音楽のこと
日本財団などが主催する、日本人演奏家によるコンサートに、マニラで行ってきました。

クラッシックのコンサートは本当に少なくて、久々の生演奏体験。
若い演奏家4人、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、琴のソロ+アンサンブルで、選曲はポピュラーなものから専門的なものまで幅広く、演奏者のレベルも高くて、とてもいい演奏会でした。

残念だったのは、観客のマナーの悪さ。

当たり前のようにずっと声を出して会話をする人。(演奏のボリュームが上がると声も大きくなる・・・)
演奏中にどんどん入ってくる観客・・・。

でも、日本の演奏家がきちっとしたマナーで、英語のMCを入れつつ、プロの演奏をする姿は、とてもよい刺激になりました。