きりのみやこ

ソプラノ歌手「みやこ」の音楽する日々

2007年11月29日 | 音楽のこと
人が何かを美しいと感じるには、そこには衝撃がなければいけないと聞いた事がある。
つまり、何か非凡な驚くべき事がなければ人は「美」を感じない。

秋になって今、それを実感している。

季節の移り変わりは美しいのはなぜか
それはきっと「変化」なのだろう。

緑の葉っぱのついた木々が、突然赤や黄色に変わる。
いつもの青い山が、突然雪で真っ白になる。
枯れ木のような木から、突然美しい花が開く。

非凡な、驚くべき物事は、古来からずっと存在したのだと言う、あまりに当たり前の事が、今のテクノロジーの発達した世の中では、忘れ去られがちなのかもしれない。

音楽も、やはり「美」の世界
「美しい」と感じるものを創るのは、我々の役目。

自然から学ぶ事は、ありがたくもあり、厳しくもある。


すべての音楽は言語に通ずる

2007年11月22日 | 音楽のこと
その昔教わっていたピアノの教師は、ポーランド人で、その名もエステルハージー。歴史的にも有名なエステルハージー候の分家の末裔である。。。
と言うとなんだか宮殿にでも住んでいそうだが、「豊かな暮らし」とは真逆の生活をしていた変わり者である。

寒くて暗くて汚い、猫が5~6匹うろうろする地下室で、ぎょろっとした灰色の目をした大男がレッスンをする。
今考えれば、まるで彼はフランケンシュタインだ。

それにえらく口が悪い。
セクハラなんて言葉があるが、彼に適応したら牢屋に毎回いれなければ。
(ちなみに、彼は女には興味がない。とだけ書いておく。)

さらに一回レッスン室に入ったら、レッスンは2時間にも3時間にも及ぶ。

彼から学んだことがいかに多いかは、こうやって書いてみると自分でも良くわかる。

前置きがえらく長くなってしまったが、その彼から学び、一番自分が大事にしている事がある。
それが、言語と音楽のつながり

私が彼からショパンを教わった時
フレーズを弾くたびに、彼がポーランド語の美しいフレーズをしゃべってくれる
ショパンの、あの考えられないほど優美な音楽が生まれたのは、奇跡でも偶然でもなんでもない。彼は音を使って私達に語りかけているだけなのだ。と、体で感じる事ができる。
今でも、ショパンのピアノ曲を聴くと、アンジェイ・エステルハージーの美しいポーランド語の響きが耳にこだまする。

現在私は3日後に控えたフランス語ばっかりのコンサートに出演予定。
毎日フランス語を聞く日々である。

食料

2007年11月16日 | 社会のこと
最近食料の事がずいぶん沢山ニュースになっていますね。
私が特に気になるのは、輸入食材の問題

これに関してはもちろん、沢山色んな形で報道されているので、ここには書きませんが・・

単純に言って、人間の営みにおいて、「自分の食料は自分で調達する」のが当たり前だと思うのです。
だから、基本的な生命の源である食材を得る場所は、近ければ近いほど良いのかなと
だって、家族が作った野菜に毒が入っているわけないでしょう?
いつも通りかかる近所の畑で、変な化学薬品を使うわけがないでしょう??

他にも理由は色々あるけれど、単純に、それが一番自然だと思うわけです。

ましてや日本は豊かな国で、気候風土に恵まれた住みやすい土地。
北は北海道、南は沖縄まで、実にさまざまな食料の生産が可能な国。
なぜ何ゆえに、食料をわざわざ外国から、多量の資源を使って(原油とか・・・)調達しなければならないのか?
別に私はこの問題に関して、中国がどうの、アメリカがどうのと言うつもりはまったくありません。
それぞれ人は皆、生きるために必死なのだし、またそれが人間のあるべき姿だと思うから。

でも・・・。
牛肉がなければ死んでしまうわけでもなし。
うなぎを食べなければ精力足らずで仕事が出来ないわけでもないのだから、自分達の食べるものは、せめて国規模で、自分達で作ろうよと。国内でとれるものだけを食べて生きる事に、何の問題もないでしょうと、言いたいのです。

そうかと言って、実際に私に何が出来るか、と考えました。
別に今日から、自給自足の生活が出来るわけでもないし、突然何の知識もなく農業始めるのも現実的でない。
でも、我々が意識をして、外国からの食材を買わなければ、自然に国内需要も増え、輸入食材も減るのでは?と、考えます。

食べよう、日本の食材。応援しよう、日本の農家!

ほんのちょっと高くたって、日本製の食材を買う勇気を持とうではありませんか!!

音について

2007年11月15日 | 音楽のこと
ふっと気付くと、秋も深まって、家の周りの木々も色づいている。
紅葉狩りに今年こそはと思いつつ、またきっと、行けないのだろう。。。

くるくると動き回る生活の中で「気付く」という事が少なくなったと感じる。

思えばイギリスにいた頃は、毎日空を見上げた。
人に会ったら、まずお天気の話をしなくちゃいけないから。(笑)

あたたかい日差しが顔に当たる日は、何ともしあわせだった。
きーんと張った冷たい空気が、心地よかった。
バスを待つ間に、飛行機雲がどんどん伸びて行った。
自分の足の周りで、落ち葉ががさがさとおどり歌っていた。

そう、そこでやっと気付く。「音」である。

思えば私の人生、生まれてからずっと音に接してきた。
音は多分、私にとっては空気とご飯の次に大事なものだと思う。

そのくせ私は、耳が弱い。
音の専門家でありながら、自分はすごく人に比べて耳が悪いと感じる。
3年前日本に戻り、池袋で働きはじめた頃、駅に降り立った瞬間から聞こえて来る車の音、人の声、お店のアナウンス、その他、色々いろいろな音が、全部いっぺんに襲ってきていた。
その頃、私の耳には、ただひたすら「が~~~っ」と聞こえた。
何が何の音なのかわからない。頭が毎日くらくらした。

そしてもっと恐ろしいのは、私の耳は現在、それに違和感を感じない
そればかりか、車の音と、人の声の区別が出来る!!(笑)

そして私の耳はとても疲れている。


大学時代、だいっ嫌いだった教授が一言だけ、良い事を言った。
この言葉だけでも、私にとって彼はきっと教授なのだろう。(詳しくはいずれ書きたい)

「無音は音楽のキャンバスである」

真っ白なキャンバスが欲しい。
そこに美しい音だけを描いてみたい。