鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

おくのほそ道を書く 白川の関

2012-05-28 18:52:39 | おくのほそ道を書く(月)






白川の関は 芭蕉が訪れたころには 廃絶されていました。

そんなことは 一向にかまわない 芭蕉一行

古人の風雅とロマンを 味合わせる一句です。


この白川の関は 奥羽三関のひとつで 風雅をあいした文人たちがこころをよせた史跡である
能因法師の歌
「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」を思い出す。
そのときの秋風が耳に聞こえるようだ

この時期には卯の花が真っ白に咲いているうえに 白い茨の花が咲きそろって まるで 雪につつまれて
関を越えるような気分である

その昔 武田太夫国行がこの関を越えるときに 能因の名歌にちなんで冠をきちんと被りなおして
衣服を着替えて通ったという 話がある




      白川の関



      卯の花をかざしに関の晴れ着かな




          そら




   卯の花を髪にさして 晴れ着のかわりして関をこえましょう。





句鑑賞 夕焼ける

2012-05-26 11:51:41 | 句鑑賞 Ⅰ(土)




        智・義・勇の三つの大霊夕焼ける



           柴田由乃


         平成14年 「風土」より





安宅の関の句

揚句の「智・義・勇」のそれぞれは一体なにを指すのか
強いて区分けするとすれば
「智」は義経
「義」は富樫
「勇」は弁慶
と いうことになるだろう

今は失われたかにみえるこれらの三つの徳

逃亡者と追ってという極限の中で
いかにして これらの徳が発揮されたのか

評者は 特に富樫の義を重んずる 勇気をたたえたい。

頼朝の咎めを受ければ
死罪は免れないのに、勇気をもって一行を見逃す。

ここに死を越えた価値を信じたかつての日本人の 典型を見る思いがする。

戦後の日本は 超越的な価値を全否定して唯物主義の世界となった

義も勇も智さえない社会が
どんな社会か

今止め処なく落ちていく日本の社会を
はたして かの三霊はどのように 見ているのであろうか。

今津大天
俳句の対話術 より






今日は 義経に縁のある句を選んでみました。

富樫にとがめられ
泣く泣く 義経を打つ 弁慶

お能では「安宅」
歌舞伎では「勧進帳」として
おなじみの 出し物ですね。

特に 私は「能」の 弁慶が好きです。

そして わかっていながら 義経を逃がす 富樫

「カッコイイー」と思わず 声をかけたくなります。

揚句の 止めのことば
「夕焼ける」 取り合わせに心があって 句も忘れられないものになりました。

卯の花

2012-05-22 19:07:33 | 和歌に親しむ





      卯のもいまだ咲かねば不如帰佐保の山辺に来鳴き響もす





            大伴家持




         万葉集   1477





おくのほそ道を読む 葦野

2012-05-21 19:48:14 | おくのほそ道を書く(月)




      田一枚植えて立ちさる柳かな




その昔西行法師の立ち寄った柳のしたで芭蕉は感慨にふけった。

やがて吾にかえり感無量の思い出その場を立ち去ったのでした。




西行法師が「清水ながるる柳影」と歌にした有名な柳は 芦野の郷にありました。

ここの領主が「この柳をお見せしたい」といっていたので

ようやく 訪れることができたのでした。

芭蕉さんのもっとも敬愛する 西行に まつわる柳を愛で 感無量だったでしょう。
















俳句鑑賞 柴田由乃の句より

2012-05-18 19:18:52 | 句鑑賞 Ⅰ(土)




        山の神地の神いづこ水澄めり




        柴田由乃




「徳山村の思い出」の前書きがある
 

徳山村はダム工事がほぼ完成した。
神社の神様や寺の仏様たちは村人と共に新しい土地に移られたのだろう。
だが村人がいなくなっても「山の神」「地の神」様たちは、今でもきっと奥深い山々に住んでいるにちがいない。
もちろん、今までのように村人をみつめる温かい眼差しはもう神々にはないだろう。

思えば、文明化とはその土地土地の神様を忘れることだったといえるのではないか。

今は文明が全地球化しているが山の神様や土地の神様はいわば地球の神様の一族なのだ。
いつか、揚句のように「山の神地の神いづこ」と地球に向かって叫ぶことがあるとすれば、

それは、地球にとってそして、人間にとってとても悲しい時なのではないだろうか。


今津大天 俳句の対話術より





徳山ダムは 水をなみなみと蓄えて完成しました。

その ダムの 水の中には かつて 山菜を取りに行き 紅葉の美しい村がありました。


もちろん 鎮守様も 鎮座されていました。

たとえ その 鎮守様が 移転されようと 人のいない村を守っていらっしゃるに
違いありません。

人の世のうつりかわりに 神様も たいへんです。

でも きっと大切にしているならば お守りくださることと 信じたいものです。






初夏

2012-05-15 14:47:12 | 短歌に親しむ



    

     初夏の街をかろがろ渡りゆく風と後先なくて歩めり



       石田比呂志




「風と後先なくて歩めり」

もし 風に遅くも早くもなければ 風は感じられないでしよう。

一見矛盾しているかのような 歌ですが

風は後になり先になって 一緒にあるいているのである。

この歌には かろやかな 初夏が感じられます。








おくのほそ道を書く 殺生石

2012-05-14 18:50:12 | おくのほそ道を書く(月)



黒羽から 殺生石にでかけました。

城代家老が馬を出してくれました。

その馬を引く 人が 短冊をくださいと望んだので

一句 したためました。




     野をよこに馬引きむけよほととぎす




殺生石は美女に化けた狐が射殺されて 石になったという 伝説の溶岩石です。

周囲から有毒ガスだし ちかずくものを 殺したという。

石の毒が いまだにでて

蜂や蝶が重なりあって 死んでいる



その 様を見た 芭蕉さん 書き残しているくらいだから その美女の面影 いかばかり。













おくのほそ道を書く 雲巌寺

2012-05-07 12:46:49 | おくのほそ道を書く(月)





雲巌寺


   きつつきも庵は破らず夏木立


        と とりあへぬ
        一句を柱に残しはべりし



しずかな 夏の林の中で 啄木鳥の木をつつく音がきこえる
その 啄木鳥も 仏頂和尚の庵には 敬意をはらって つつき破らないと みえて
もとの形をたもっている   季語 夏木立



この下野の国 雲巌寺の奥に 私の禅の師である 仏頂和尚の山篭りした あとがあった。

山は奥深い雰囲気が漂い 谷沿いの道がはるかに続き 松や杉が 生い茂っている

初夏の空も寒々と感じられた。

さて あの 仏頂和尚の あの 山篭りの跡はどのあたりかと 寺の裏山によじのぼると

岩の上に小屋が洞窟に寄せ掛けて造ってあった


その場の気分を一句にしたてて 庵の柱にかけておいた。














おくのほそ道 黒羽

2012-05-04 15:15:49 | おくのほそ道を書く(月)






黒羽

夏山に足駄を拝むかどで哉






黒羽には二週間ほど滞在した

黒羽城の家老の屋敷をおとずれて俳諧をたのしんだ

芭蕉一行を大歓迎して厚くもてなした。

芭蕉も大満足である。

光明寺というところの行者堂に招かれて おまいりをしました。

行者堂に祭る役の小角は修験道の開祖なのだから
芭蕉が敬意を表するのはあたりまえであった。




2012-05-03 16:40:18 | 短歌に親しむ




藤の花が咲いてきました。

藤棚のしたは 良い匂いがいっぱいです。





匂いに誘われて 蜂さんも やってきます。

藤の房は風にゆれて 時折花びらも 肩にかかります。







     瓶にさす藤の花ぶさ短かければ畳のうへにとどかざりけり




            正岡子規











おくのほそ道を書く 那須

2012-05-03 10:16:30 | おくのほそ道を書く(月)



黒羽というところに知人がいるので
日光から那須野をよこぎってまっすぐ近道をいこうとしました。
はるか遠くに村が見えたのでそこを目指して歩くうちに
雨もふりだし 日も落ちてしまった

農家に一夜の宿をかりて 夜があけると ふたたび野原を歩きだした。

道の途中 放し飼いの馬にであった。
そのそばで 草を刈っていた男に
野道がわからず こまっていると相談したところ

男は 案内している暇はないが かといってこの那須野は
道が縦横に分かれていて 道にまよってしまうから
お気の毒だから この馬をかしてあげましょうと 言ってくれた。
子供が二人馬の後について走ってきた。

一人は少女で名前をきくと「かさね」と答えた。

田舎には珍しい優雅な響きの名前だったので曾良が一句ひねった。



      かさねとは八重なでしこの名なるべし


      曾良



まもなく人家のある村についたので
馬をかりた代金を鞍にむすびつけて 馬をかえしてやりました。





おくのほそ道 うらみの滝

2012-05-02 12:33:11 | おくのほそ道を書く(月)




しばらくは滝にこもるや夏の初め


芭蕉





しばらくはこの洞窟に婿もって 清冽な木をびていると夏篭り(僧の夏の修行)の

初めのように 身も心も引きしまるのを感じる


神社から200メートルあまり 山を登ると 滝がある
滝をみるには 岩の洞穴に身をかがめるようにしてはいり
滝の裏側から見るので
裏見の滝というようになった。


滝に篭る二人の姿は まるで 禊をしているかのようです。
飛瀑にって心身の穢れをはらったのです。


俳句鑑賞 新茶の香

2012-05-01 19:41:59 | 句鑑賞 Ⅰ(土)



   逝く人を羨みてをり新茶の香


            柴田由乃




死んでしまえば死ぬ心配も、死の恐怖もない。
生きる苦労もないという意味で
「逝く人」の境遇を羨ましく思うということだろう。

また、死後の世界には悩みがない
食べる心配がない

それだけでなく
もっとすばらしい浄土に住まうことが出来るとなれば
だれだって死者を羨むだろ。

とはいえ 大抵そのような確信がもてないからこそ
今を不安に生きているのだ
未来は何も死後とは限らない
明日のことすら わからない
わからないから 不安なのだ

しかし
未来より現在を大切にするという考えもある

揚句は「逝く人を羨む」 いう願望が
下五の 「新茶の香」という目の前の現実の幸せ
誰もが簡単に得ることが出来る幸せに
席を譲って行く様が描かれていると考えると
含蓄が深い


今津大天
俳句の対話術より







今日は 八十八夜です。
野山は 黄緑になってきました。

お茶の葉も 伸びてきました。
新茶の季節にはいりました。

今年も新茶をおいしくいただける

これが 幸せというものなのでしょう