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山の神地の神いづこ水澄めり
柴田由乃
「徳山村の思い出」の前書きがある
徳山村はダム工事がほぼ完成した。
神社の神様や寺の仏様たちは村人と共に新しい土地に移られたのだろう。
だが村人がいなくなっても「山の神」「地の神」様たちは、今でもきっと奥深い山々に住んでいるにちがいない。
もちろん、今までのように村人をみつめる温かい眼差しはもう神々にはないだろう。
思えば、文明化とはその土地土地の神様を忘れることだったといえるのではないか。
今は文明が全地球化しているが山の神様や土地の神様はいわば地球の神様の一族なのだ。
いつか、揚句のように「山の神地の神いづこ」と地球に向かって叫ぶことがあるとすれば、
それは、地球にとってそして、人間にとってとても悲しい時なのではないだろうか。
今津大天 俳句の対話術より
徳山ダムは 水をなみなみと蓄えて完成しました。
その ダムの 水の中には かつて 山菜を取りに行き 紅葉の美しい村がありました。
もちろん 鎮守様も 鎮座されていました。
たとえ その 鎮守様が 移転されようと 人のいない村を守っていらっしゃるに
違いありません。
人の世のうつりかわりに 神様も たいへんです。
でも きっと大切にしているならば お守りくださることと 信じたいものです。