山の神地の神いづこ水澄めり
柴田由乃
「徳山村の思い出」の前書きがある
徳山村はダム工事がほぼ完成した。
神社の神様や寺の仏様たちは村人と共に新しい土地に移られたのだろう。
だが村人がいなくなっても「山の神」「地の神」様たちは、今でもきっと奥深い山々に住んでいるにちがいない。
もちろん、今までのように村人をみつめる温かい眼差しはもう神々にはないだろう。
思えば、文明化とはその土地土地の神様を忘れることだったといえるのではないか。
今は文明が全地球化しているが山の神様や土地の神様はいわば地球の神様の一族なのだ。
いつか、揚句のように「山の神地の神いづこ」と地球に向かって叫ぶことがあるとすれば、
それは、地球にとってそして、人間にとってとても悲しい時なのではないだろうか。
今津大天 俳句の対話術より
徳山ダムは 水をなみなみと蓄えて完成しました。
その ダムの 水の中には かつて 山菜を取りに行き 紅葉の美しい村がありました。
もちろん 鎮守様も 鎮座されていました。
たとえ その 鎮守様が 移転されようと 人のいない村を守っていらっしゃるに
違いありません。
人の世のうつりかわりに 神様も たいへんです。
でも きっと大切にしているならば お守りくださることと 信じたいものです。
ご無沙汰しています。
今日はコメント頂き感謝です。
>山の神地の神いづこ水澄めり 柴田由乃
「いづこ」という言葉が効いたいい句ですね。
「水澄めり」の向こう側に浄土が拓けているような
気がします。
コメントありがとです。
柴田先生の句 いいでしょう。
それに とし坊さんのコメント感謝します。
このようないい句はいつ読めるようになるのかわかりませんが 由乃先生の句を大事にして句作り励んで生きたいとおもいます。
それに 大天先生の句の鑑賞のしかた見習いたいとおもいます。
良い先生にめぐりあえて感謝の日々を送ってます。
早く自分の句を載せられるようにしていきたいと思ってます。
時々みにきてくださいね。
なんとなく存じ上げてます。^±^
ダムに消えた、山の奥の村ですよね。
揖斐川の上流でしたよね。^±^ノ
ダムを作ると、村全体が消えることが多いですよね。+±+
そうです、大きなダム湖が水をたたえています。秋は紅葉もきれいです。
いくつかの集落が水の中となったところです。
神様も集団移転でご一緒に新しいところにすまわれています。
人間の都合で神様も引越しです。
最後の 水澄めり に 涙しました
神様 どちらにお引越しされたのでしょうか
窮屈な暮らしはしてないでしょうか 気になります
お写真 野の花でしょうか
句を読みながら 湖の傍に咲いているのを想像しました
この句 いい句でしょ、特に鑑賞文を読むとますます素敵になります。
突堤が完成して水が村にたまっていく様子を時々みにいっていました。
学校がみえなくなり、橋も沈み 寂しいものでした。そうなんです、茨の株は残りましたよ。
去年の秋にいったけれど 新緑の徳山もいいところ また行ってみますね。
麦の穂はだいぶ黄金になってきています。
風が吹くと きれいです。
また これも 刈り取られるころに写真とってきますね。
とてもいい俳句を紹介していただきました
直ぐに暗記でしるほど、スーっと心に
響き、そして入ってきました
私の家の前の山の中にも、山の神様が祀られていて、
この辺の人は代々お参りしてきましたが
我が家も二人息子が家を出ていき・・・
受け継ぐものがだんだん居なくなるのでしょう
山の神様は、それでもじっとそこで
この集落を山の上から見守ってくれるのでしょう・・・
私たちの ほうも 村の鎮守様あるのですが お祭りをまもっているのは年寄りばかりです。
そのお祭りもだんだん簡素化されていっています。神様や仏様をあがめる心だけはうしなってもらいたくないですね。