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鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

中仙道を歩く 関が原~醒ヶ井

2012-06-30 19:56:01 | てくてく 歩き旅
中仙道をあるいてきました。

今日のよていは関が原~醒ヶ井まで まずはコンビニでおにぎりとお茶を買い いざ出発です。



関が原合戦のときの犠牲者の首をお祭りしてある横を通り過ぎゆるやかな坂を上っていきます。




ここが不破の関跡です。

その昔から街道の要所として ここに関がもうけられていました。



こんな坂道をひたすらのぼっていきます。



少し開けた田んぼには やぎがはなされていて のんびり草をたべていました。



関が原の西 「中山」の里は 左に新幹線 右にJR その間に国道 一般の道

山と山に囲まれ なるほどここに関をもうければ どこにも逃げ道のないところと実感です。



ここの中山は 昔々 壬申の乱の激戦地

この川が血にそまったという それでこの川が「黒血川」と名がつけられていました。





このお地蔵様は 「義経」の母常盤御前が土地の旅籠の主人に地蔵を立ててくれと言って
この土地でなくなり その主人が立てたという おじぞうさまです。

お花が供えてあり いまも土地のひとが お守りをしていられるのですね。





まだまだ 坂は続いていました。

そのお地蔵様を過ぎてしばらくすると 木のあいだから 今須の宿がみえてきました。


ここは山に囲まれた 小さな盆地ですが 村の中はやはり坂 今日は坂を登りづめです。





長久寺の里にはいると ここが県境 みのと近江の境です。

この溝一本で 滋賀県と岐阜県です。




滋賀県にはいると 大きな楓の 並木になりました。



街道にはこのようなお地蔵様がめだちます。

一体だけおまつりしてあったり 二体だったり いろいろです。




柏原の宿にはいりました。

広重の絵にもかかれている 亀やさん 艾さんです。





柏原の宿をぬけると また山道に入ります。

こんなきれいな 竹林もあります。






ちいさな集落をぬけると 醒ヶ井の入り口にさしかかります。

ここでは枡形とよばれる わざわざ道を直角にしたつくりになってました。





醒ヶ井とよばれる 湧き水が岩のしたからこんこんと湧き出ているところです。

ここから水は地蔵川とよばれ流れていきます。



梅花藻と呼ばれている水中花も はなざかりになってきましたが 今日は水量がおおかったかな

あまりみえなかったような

でも 観光のかた おおかったです。




今日のたびはここまで jrの醒ヶ井より帰りは電車で一っとびに 帰途につきました。









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てくてく 中仙道

2012-06-24 18:38:13 | てくてく 歩き旅



てくてく 歩き旅をこころみて みました。

歩くところは中山道 美濃の赤坂からまずは関が原までです。

出発ちてんは 広重の赤坂の宿のあの 橋からにしてみました。




ここは 赤坂の河港です。

鉄道もない時代は ここから船にのせて 石灰を運びだした 港です。





赤坂の宿の メインストリートです。

ここから 西国の観音めぐりの 最終のお寺 谷汲への道がわかれています。

道は宿場の 枡形 道がわざわざ 曲がっています。



ゆるい坂道をあがると 昼飯にはいります、

道では よく お地蔵様にであいます。

どこも きれいなお花が 備えてありましたが 馬頭観音様のお花はかれていました。

今は 牛や馬が 機械にかわって 飼う家もなくなってしまい お参りする人もまれになったとか



馬頭さんをよこめに過ぎると 青のが原に つきます。

道をそれると「国分寺」がありますが それずに 垂井の宿にと むかいます。



垂井の宿の「亀屋」と言う旅館です、江戸時代からの旅館で今も経営なさっているとか、

その少し手前に 追分がありました。

中仙道と 美濃路 つまり 大垣をとおって 尾張の熱田までの道 東海道につづきます。


この鳥居は 江戸時代からある鳥居 美濃の一宮の 南宮神社にはいっていきます。



その鳥居からすぐのところには 木の根元から湧き出る泉 垂井のもととなった 水量豊かな 井戸があります。

芭蕉が「ねぎ白く洗いあげたる寒さかな」と詠んだところだそうです。



ここも 江戸時代からそのままの旅籠です。

土 日には ボランティアーでお茶の接待をしていてくださいます。

ここを通りすぎると




ここが 広重の描いた 垂井の宿です。

石垣にわずかに 昔の面影が かいまみえます。



日守というところの 一里塚です。 ここにも お茶の接待をしていてくださり 冷たいお茶をいただきました。




ほどなく 野上というところにつきました。

このすぐちかくに 関が原の戦いのときの「家康」さんの 陣跡があります。

壬申の乱でも重要なところですね。



ここからはただひたすらに 坂をのぼっていくばかりです。

とにかく 登り坂 急な坂ではないのですが 足の裏がいたくなって リタイア

関が原から 帰ることに しました。



帰りはあっと言う間に 大垣 でも たのしかったです。

こんどはどこを 歩きましょう また 挑戦してみます。

芭蕉さんの気持ちにちかずけたら いいのですが むりかも。




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