鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

おくのほそ道を書く  平泉

2012-10-11 14:45:08 | おくのほそ道を書く(月)




          卯の花に兼房見ゆる白毛かな




              曾良


増尾十郎兼房は義経の最後を見届けた後 館に火をかけ 火中に身をとうじたという
 

曾良は目の前の卯の花に白髪をふりみだして 奮闘する兼房の幻をみている。

兼房を供養する 一句でしょう。
















おくのほそ道を書く  平泉

2012-10-02 21:14:20 | おくのほそ道を書く(月)




 奥州藤原氏が 三代にわたって 築いた 栄華も 一眠りする間の夢のように はかなく消えた

今は 戦場の後は 草むらと化している

杜甫の詩にある「国破けて山河あり 城春にして草青みたり」という句のとおりだと

笠をしいて 腰をおろし 時のたつのも忘れて 涙にくれた。




        夏草や兵どもが夢の跡




           芭蕉





おくのほそ道を書く 松島

2012-08-26 21:15:34 | おくのほそ道を書く(月)



松島の海岸にもどって 宿をとると 松島の夜景をみることができた。

絶妙なる心地がする




        松島や鶴に身を借れほととぎす




              そら


曾良はこんな句をよんだが 私はできなかった。

あきらめて 眠ろうとしたが眠られず

頭陀袋から 素堂らがくれた漢詩などをとりだして読んだ。



芭蕉さんも 松島では その風景にみせられて 読めないこともあったのですね。

素良は ほととぎすよ この松島には鶴がふさわしいから鶴になって鳴いておくれと 句を詠んでいます。

いづれにしても 素晴らしい 風景が目に浮かびます。











おくのほそ道を書く 仙台

2012-08-09 21:42:26 | おくのほそ道を書く(月)





   あやめ草足に結ばん草鞋の緒     



            仙台




仙台にはいりました。

ちょうど端午の節句で軒にあやめをさす日でした。

仙台には画家で加右ェ門と言う人がいて

名所を案内してくれたうえ  紺色の布で緒をつけた草鞋を二足まで贈ってくれた。



菖蒲を連想させるような あやめ草のように邪気をはらい 旅をまもってくれるような

紺色の草鞋を贈ってくれるなど 心にくいばかりです。



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おくのほそ道を書く 岩沼

2012-07-30 16:04:50 | おくのほそ道を書く(月)





この岩沼に古歌で有名な武隈の松がある

幹の根本から二またに分かれ昔の姿をたもっていた。

樹齢千年にふさわしい姿である



   武隈の松見せ申せ遅桜   


陸奥の遅桜よ芭蕉翁がつくころには桜は終わっているだろうから
ぜひ武隈の松をお見せしなさい。


と 挙白(芭蕉の弟子)が句を贈ってくれたので
返礼の挨拶句を詠んだ



         桜より松は二木を三月ごし



桜の頃から 見る日を待ちごれていた それが三月経ってようやく逢うことができた。











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おくのほそ道を書く 笠島

2012-07-17 09:33:30 | おくのほそ道を書く(月)






笠島の里にはいりました。

中将 藤原実方の墓はどのあたりかと 土地の人にたずねると

「ここからはるか右手 山の麓 そこには 道祖神のやしろ 実方のかたみの薄が今も残っている」
とおしえられる


しかし おりからの 五月雨で 道がぬかるんで 歩きづらい。

遠くからながめるだけで 素通りした。




        笠島はいづこ五月のぬかり道





実方は平安時代の歌人 小倉百人一首にもとられている。

天皇のご機嫌を損じて 陸奥の守になりましたが 任地にて客死しました。










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おくのほそ道を書く 佐藤氏の遺跡

2012-07-10 09:22:34 | おくのほそ道を書く(月)







           佐藤庄司の旧跡




            笈も太刀も五月に飾れ紙幟





もじずりの石をみたあと 瀬の上という宿場に出ました。

人に尋ねながら 佐藤氏の居城丸山城跡にでた。

また近くに佐藤氏の菩提寺があって 佐藤一家の石碑が残っている。


寺に入ってお茶をいただいた。

ここには 義経の太刀や弁慶の笈が保管してあって寺宝としてあった。



芭蕉は せめて笈や太刀を紙幟といっしょに 飾ってほしいと この句を詠ったとか

実際芭蕉が目にしたのは 義経の笈と弁慶の書写したお経だったとか。

芭蕉の思いの感じられる句です。





先日関が原を歩いたとき 義経の母常盤御前が建てたというお地蔵さまにであいました。
いづれ この道を義経が通るだろう ここから守ってやりたいと建てたお地蔵様でした。

義経と弁慶が奥州にのがれていく それにまつわる 秘話 良いお話がありますね。










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おくのほそ道を書く しのぶの里

2012-06-25 21:32:25 | おくのほそ道を書く(月)



明けくればしのぶもぢ摺りの石を尋ねて 信夫の里に行く

遥か山陰の小里に 石半ば土に埋もれてあり 里のわらべの来たりて教へける

「昔はこの山の上にはべりしを往来の人の麦草を荒らしてこの石を試みはべるを憎みて
この谷に突き落とせば 石の面 下ざまに伏したり」 といふ

さもあるべきことにや




    早苗とる手もとや昔しのぶ摺り



今 稲の苗取りをしている娘たちの手つきをみていると昔

衣にしのぶ摺りをしたときの手つきがしのばれて

なんともなつかしい   季語 早苗とり





しのぶのもじ摺り石をみにきたのに その石は半分土にうもれていた。

土地の子供のいうには

この石は 山の上にあったのだけれど 通るひとが 麦をあらすので
谷に落として しまったという

石の表面が下向きになって しまったのだという。

そんなことが あるのだろうか?


古今集の しのぶの歌を書きとめておきます、 こんなんがあります。



       みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに乱れむと思ふ我ならなくに


         
           古今和歌集  恋4



           源 融






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おくのほそ道を書く 

2012-06-19 18:24:16 | おくのほそ道を書く(月)






        世の人のみつけぬ花や軒の栗




    世をいとふ 僧がいました。

    俳人の栗斎です。

    芭蕉は 栗斎に 共感しています。

    この一は 深山にはいっているのて゜はない 栗の木蔭に庵を結んで

     自適の生活をしている

    こうした暮らしを芭蕉は愛したのでした。




    





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おくのほそ道を書く 栗の花

2012-06-11 20:50:10 | おくのほそ道を書く(月)






大きな栗の木蔭を利用して庵を作り 世避けて暮らす僧がいた。

山の暮らしもこうだったかと 思われて

静寂をあじわいながら こんな言葉を 書き留めた。



        栗といふ文字は 西の木と書きて 西方浄土に

        たよりありと 行基菩薩の 一生杖にも 柱にも

        この木をもちゐたまふとかや










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おくのほそ道を書く 須賀川

2012-06-04 19:11:56 | おくのほそ道を書く(月)



こうして 古歌の名所である白川をこえて阿武隈川を渡りました。

右には 三春があり 磐梯山もみえて 山々が連なっている

須賀川という宿場にはいり 宿場の長をつとめる 等躬をたずねて 4・5日世話になることとなる。

「句はできましたか」ときいてきたので みごとな景色に気をとられて できなかったと 言う


      




          風流のはじめや奥の田植え歌



奥州にはいって まず 耳にしたのが 「田植え歌」

これが 陸奥で 初めてであう 風流である  こう 詠んだ芭蕉は


一句もよまずに 関こえをするのも なんですから 一句ひねってみましたと 言うと

これを 発句にして たちまち 3巻もの連句が出来上がって しまったという。








こちらと 今ちょうど季節があってます、田が水張田になり 植田に 毎日様子がかわってます。

昔は 田植え歌を歌い 一株ずつ 田植えをしたのでしょう、そんな景色はみられなくなってしまいました。

朝 水がつけられつつつつある田が 夕方には 青田になってます。

人の世の 移り変わり 早く流れる時間 もっと のんびり 過ごしたいものですね。












おくのほそ道を書く 白川の関

2012-05-28 18:52:39 | おくのほそ道を書く(月)






白川の関は 芭蕉が訪れたころには 廃絶されていました。

そんなことは 一向にかまわない 芭蕉一行

古人の風雅とロマンを 味合わせる一句です。


この白川の関は 奥羽三関のひとつで 風雅をあいした文人たちがこころをよせた史跡である
能因法師の歌
「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」を思い出す。
そのときの秋風が耳に聞こえるようだ

この時期には卯の花が真っ白に咲いているうえに 白い茨の花が咲きそろって まるで 雪につつまれて
関を越えるような気分である

その昔 武田太夫国行がこの関を越えるときに 能因の名歌にちなんで冠をきちんと被りなおして
衣服を着替えて通ったという 話がある




      白川の関



      卯の花をかざしに関の晴れ着かな




          そら




   卯の花を髪にさして 晴れ着のかわりして関をこえましょう。





おくのほそ道を読む 葦野

2012-05-21 19:48:14 | おくのほそ道を書く(月)




      田一枚植えて立ちさる柳かな




その昔西行法師の立ち寄った柳のしたで芭蕉は感慨にふけった。

やがて吾にかえり感無量の思い出その場を立ち去ったのでした。




西行法師が「清水ながるる柳影」と歌にした有名な柳は 芦野の郷にありました。

ここの領主が「この柳をお見せしたい」といっていたので

ようやく 訪れることができたのでした。

芭蕉さんのもっとも敬愛する 西行に まつわる柳を愛で 感無量だったでしょう。
















おくのほそ道を書く 殺生石

2012-05-14 18:50:12 | おくのほそ道を書く(月)



黒羽から 殺生石にでかけました。

城代家老が馬を出してくれました。

その馬を引く 人が 短冊をくださいと望んだので

一句 したためました。




     野をよこに馬引きむけよほととぎす




殺生石は美女に化けた狐が射殺されて 石になったという 伝説の溶岩石です。

周囲から有毒ガスだし ちかずくものを 殺したという。

石の毒が いまだにでて

蜂や蝶が重なりあって 死んでいる



その 様を見た 芭蕉さん 書き残しているくらいだから その美女の面影 いかばかり。













おくのほそ道を書く 雲巌寺

2012-05-07 12:46:49 | おくのほそ道を書く(月)





雲巌寺


   きつつきも庵は破らず夏木立


        と とりあへぬ
        一句を柱に残しはべりし



しずかな 夏の林の中で 啄木鳥の木をつつく音がきこえる
その 啄木鳥も 仏頂和尚の庵には 敬意をはらって つつき破らないと みえて
もとの形をたもっている   季語 夏木立



この下野の国 雲巌寺の奥に 私の禅の師である 仏頂和尚の山篭りした あとがあった。

山は奥深い雰囲気が漂い 谷沿いの道がはるかに続き 松や杉が 生い茂っている

初夏の空も寒々と感じられた。

さて あの 仏頂和尚の あの 山篭りの跡はどのあたりかと 寺の裏山によじのぼると

岩の上に小屋が洞窟に寄せ掛けて造ってあった


その場の気分を一句にしたてて 庵の柱にかけておいた。