鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

おくのほそ道を書く 日光

2012-04-30 19:32:55 | おくのほそ道を書く(月)



ここで 芭蕉は同行者の曾良を紹介します。


曾良は河合氏で名を惣五郎といいます。
芭蕉庵の近くに住んで 家事や炊事の手伝いをしてくれます。

このたび 松島や象潟の風景を共に見物できるとよろこんで
同行することになった。

出発の日の明け方頭髪を剃り 僧衣に着替え
惣五という名を僧らしく 宗悟と改めた。

こんないきさつがあって 黒髪山の句がうまれたのだ
「衣更」の二字には 旅の覚悟がにじみでて気迫がこもっている。





     剃りすてて黒髪山に衣更


            曾良

一人旅 福島

2012-04-29 10:21:16 | 旅 その他


旅から昨日帰りました。

ひとつの目的は この山と 桜と 仮名の個展を見る 旅でした。

まず 新幹線に乗り 東京の銀座にいきました。










伊勢物語を 色々な形で書かれていた ものです。

草子に 書かれ カルタにされていたりしました。


「名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」

この歌も額にされていました。


その東京から 新幹線のり 一路 郡山に

そこから 白虎隊で ゆうめいな 会津にと向かいます。

この日は 磐梯山は 曇りでみえず です。






会津の鶴ヶ城は 桜満開

どこまでも どこまでも お城の中は花でいっぱいでした。

でも この会津で 悲しい日本人同士のたたかいがあったといいます。

その犠牲者は井戸の中に葬られたとか。

その井戸も みられました。

飯盛山で 無念の元に逝かれた人

かなしい お話と共に 花をめでてきました。






もう一つ 見たかった景色があります。

それは 湯野上温泉駅です。





山間の小さな 何にもないような 駅ですが

どこかで いぜん この写真をみて ぜひともいってみたいところでした。


さくらの花も満開 もう一枚 みていただきます。





ツバメが 巣をつくり せわしなく 行き来していました。

近くには 梅も満開 陸奥の 春です。


以上 三つクリヤーしましたが
もう 一つ おまけの桜があります。




石部の桜

朝食のときに横浜からの ご婦人と相席になり お話をすると

この会津に 石部の桜があり 棚田の中にぽつんとある桜で いいですよ

と おしえてもらい いってみました。

「老桜」 まさに この呼び名にふさわしい 桜です。








帰りの列車の車窓には 磐梯山バッチリでした。


全部 見たいもの みられたたびでしたが

やはり 福島は 遠かった。   おわり





追記

福島では 桜 梅 桃 辛夷 連翹 木蓮

いいだしたら きりがありません 花が一度に咲き始めるのですね。


かえりの 郡山の 駅で民話を聞かせてくださる

おばさんが 教えてくださいました。

梅 桜 桃 と一度に咲き始めるから「三春」なのだそうです。

福島は まさに 春が一度に来た感じがしました。

がばろう 日本 ですね。





おくのほそ道を書く 日光

2012-04-24 20:14:23 | おくのほそ道を書く(月)




卯月ついたち

       日光



       あらたふと青葉若葉の日のひかり




なんととおといことだ
この山の青葉若葉は初夏の陽光ばかりか
日光の威光に浴して 照り輝いている


季語 青葉若葉



四月ついたち 日光山にさんぱいした。

昔はこの山を「二荒山」とかいたが
空海大師がここに寺を建てられたとき「日光」と改名された

千年後の未来の繁栄を予見なさったのだろうか

今やこの日光の威光は国中に輝き
恩恵は国内に未知ふれ
士農工商すべての民はみな 平安な生活を送り
天下は太平である

これ以上書くのはおそれおおいので
筆を 置く

おくの細道より




あらたふという 感嘆句が いいですね。

日光の荘厳な自然が 芭蕉さんに 深い感動をあたえたのでしょう

日光といえば すぐに家康をおもいださせるのに

山岳霊場としての 宗教的感動を 支配したのでしょう。

森羅万象 日光の 神威を 句に されたのですね。





小紅の渡し

2012-04-23 17:39:49 | 旅 岐阜 





先日 21日は弘法様の縁日でした。

岐阜市の長良川のほとりに 岐阜の弘法さんと
慕われている 梅寺があります。

普通は 鏡島の弘法さんといわれています。

その裏には 生活道路としての 「小紅の渡し」が 今も運行されています。

県道の 橋のかわりの 長良川を渡る 生活道路です。

鶯がなき 菜の花がさく 河川敷を 歩き 川の縁にでます。

そこには 小さい舟がまっていてくれます。

生活道路だから 観光としては乗れません。

昨年 日本ラインで事故があってから 厳しくなったようです。


ゆらり ゆらりと 対岸に渡していただき 対岸の景色をながめ

遠くには岐阜のお城 ゆたりとした 長良川を堪能し もどってきました。

長良川は 水底の石がはっきりみえます。

橋の上からも 泳いでいる魚がみえるくらい 水はすんでいます。

なるほどです。

それで 長良川の「鮎」は とくべつなのかも

鶯は 帰りにも 鳴きながら 送ってくれました。


芭蕉の 


行く春や鳥啼き魚の目は泪



この句を思い出させる旅でした。


写真は 笑ってやってください カメラにカード入れ忘れでした。
写真なしです。 ごめんなさい。

おくのほそ道 草加

2012-04-23 17:12:39 | おくのほそ道を書く(月)



おくのほそ道 草加


皆に送られて 芭蕉は深川を 後に旅立ちました。



元禄2年

奥羽地方の長旅を 突然思い立った 遠い長旅

雪が頭に積もって白髪になるような苦労は覚悟の上であった。

それでも 話にはききながらまだいったことのない土地を旅して
無事に帰れたなら 詩人として 最高の仕合せである

そんなことをおもいながら その日は草加の宿にたどりついた。


やせてた肩にかかる 荷物がまず 苦しめる

浴衣 雨具 墨 筆  紙の着物は防寒用
そのどれもが 捨てがたく

歩きの旅はやっかいなものです。



当時の旅は 野宿も覚悟の旅

キャンプ用品を担いで歩くようなものです。

その 重さを 背に 旅にたつのです。

おくのほそ道を書く 千住

2012-04-20 20:52:08 | おくのほそ道を書く(月)





     千住




ゆく春や鳥啼き魚の目は涙



過ぎ行く春をおしんで
人間ならぬ鳥までも啼き
魚の眼は涙でうるむ


これを旅の最初の句として出発したのだが
名残おしさになかなか足が前に進まない

道の途中には並んで
後ろ影が見えなくなるまで 見送っていて
くれる ようだった。



江戸の深川で日常見慣れた生き物に 離別の情を託す

私も悲しいが お前たちも悲しいであろう。

お互いに寂しくなるね

そんな 気持ちがくみとれる 句です。

春に別れ
慣れ親しんだ 深川の家も売り
旅立つ 芭蕉さん

色々の感慨をこの一句に読み込であるのです。

おくのほそ道 旅立ち

2012-04-19 19:46:04 | おくのほそ道を書く(月)




草の戸も住みかわるよぞ雛の家

      はせを


この小家も人が住みかわることになった
新しい家族には女の子がいる
おひなさまを飾るはなやいだ一家にかわるのだ


新しく住む人に 挨拶代わりの句を残して
旅立ちをするのでした。



はせをと書いてばしょうとよみます。

もともと 芭蕉は「桃青」と名のっていました。
住んでいた家に弟子が芭蕉の株を植えたことから
住んでいた庵の名を芭蕉庵としました。

それ以後芭蕉と署名するようになったとのこと


芭蕉は漢字とかなの使い分けにきびしく
「はせを」とかなではかきました。


おくのほそ道 旅立ち

2012-04-18 18:49:16 | おくのほそ道を書く(月)




おくの細道を旅することにしました。
机上で ですが。

いままで 何度も 書きましたが 今度は句を読む立場から書いてみます。

句を読み解くことが 目的の旅です。

最後まで完結できるようがんばってみます。

応援よろしくです。



まずは 冒頭の 言葉です。

文章もいいものと聞いていますが 何度書いても あきません。





月日は百代の過客にして
行きかふ年もまた旅人なり
船の上に生涯を浮かべ
馬の口とらへて老いを迎える者は
日々旅を旅にして 旅を栖とす。




時は永遠の旅人である
すなわち 月日もそして年も
始まりと終わりを繰り返しながら 

時が歩みを刻む人生は旅そのものである

船頭や馬方は 毎日が旅であり 旅のなかにいるようだ

昔の文人のなかにも旅で一生を終えた人がたくさんいる


まだ続くのですが
その旅心を抑えきれずに
旅の神様に招待されたようになって
何も手につかぬようになってしまった。

早速旅したくにかかって 家も売り
旅支度にかかりました。











吉野吟行

2012-04-17 19:57:58 | 今日の汗駄句




このたびの 旅行は 俳句仲間との旅行です。

もちろん 吟行です。

早めに宿にはいり 句会がおこなわれます。

4時から 開始 ぎりぎりまでに どうにか出句できましたが

吟行句は 早く即吟で 季語を調べこともあたふたです。

どうにか できたものは


石舞台かべにしみいる花の雨

曼荼羅の前にぬかずき花馬酔木

納経の経の収まる竹の秋

みよしのの桜蕊降る蔵王堂

暮れかかる奈良の都の揚雲雀


 

    鮎



吉野山の桜

2012-04-16 20:08:27 | 旅 その他



旅の2日目は 吉野です。

宿に無理をいって 早めの出発 するすると バスは下千本の駐車場に着き

まずはラッキーな吟行日和となりました。


空は花曇 うらうらと 春の日差しが快い 日となりました。



西行が 花のもとにて春しなんと こよなく愛した 花

この吉野の桜をみたら うなずけます。

どこまでもどこまでも 花 花 花




山桜もきれい 枝垂桜もきれい うぐいすの声も聞け この世の極楽です。




この 金峯山寺の蔵王堂で 秘仏がこうされていました。

青いお顔をされた 大きなお体の権現様です。

足を開いて 牙をみせ どんな邪気もはらっていただけるようです。



遠くからの 蔵王堂です、ひときわ立派なたてもの 何の道具のなかった時代に すごいです。



吉水神社からの さくら  そこでは 拉致被害者の横田さん御夫妻におあいしました。

署名活動です、随分年をめされました、はやく はやく 解決を願いたいものです。



帰りは早めに山をおりましたが 道の上下は このとうりです。

桜の花 人を何故こんなにも 人を引き付けるのでしょう。



明日香路を旅してきました。

2012-04-15 20:25:20 | 旅 その他



雨に煙る 明日香にいきました。

おりからの 雨は しとしと雨にかわり

霞のかかる大和路です。





甘樫丘からの 眺めです。

雨があがろうとして 雲がじょじょに そらにのぼっていきます。




おりからの さくらは 絨毯のごく降り積もり 

デーブルも桜色にそまります。





その目と鼻のさきにある「飛鳥寺」

そのおてらのさくらも 花の雨がしきりに ふけそそぎました。




この寺のだいぶつさまは 日本で一番お年をめしていらっしゃいます。

つまり 一番古く この仏様を 時の天皇様が拝み

聖徳太子さまなども おとずれたのかとおもうと

感慨ぶかいものがあります。





つぎにおとずれたのは

蘇我馬子の墓といわれている 石舞台に行きました。

ここも 散る花でいっぱいです。

大和は 桜の苑です。



      吉野葛軒で買い足す花の雨


         廣瀬一朗



明日は 吉野山のさくらです。







苗代桜

2012-04-13 20:10:30 | 句鑑賞 Ⅰ(土)




下呂市 佐和  苗代桜
ホームページより おかりしました。




      水張田のさかさ桜に魂とらる



        平成17年  柴田由乃






下呂市の苗代桜の句である
この桜の花の咲くのを見て苗代の準備始めたことから 苗代桜という。

山際の水田の奥にたつ 二本の姉妹桜で 樹齢約400年
樹高は 大きいほうが30メートル
小さいほうが25メートルの大木である

毎年満開ころになると 夜ライトアップがされ
二本の桜が幻想的な姿を となりの水田に映し出す
桜は上をむいて見るものと思っているとここの桜は違う
農道から水田の中を覗きこむのである。

昼間の水張田と異なり
夜ライトアップされた水田の水は 鏡のように反射する
そうすると天空の真っ暗闇の中に淡い桜の姿がいっそうの深みをまして
逆さに映しだされるのである。

「息を呑むような」
という言葉があるが まさにぴったりの形容である

この句はそれを「魂を取られる」と表現しているのである


俳句の対話術より
今津大天













写真は この桜とはちがいますが

水に映った桜もきれいです。

今日の大垣の桜は散り始めました。

花吹雪と 

花筏の

春の風景画でした。






明日から また桜です。

吉野の桜を見にでかけてきます。


ドクターイエローに曹禺

2012-04-13 08:54:48 | 雑記



昨日の夕方 ドクターイエローと 曹禺しました。

岐阜県の大垣付近通過は 5時20分ごろ
上りの ドクターでした。

この電車を見るといいことがあるとか。

ラッキーです。


この黄色い新幹線は 時刻表にものってません。

新幹線の 点検車両だそうですね。






つけている車両も少なくあっという間に通りすぎました。

新幹線を撮ろうとまちかまえていたので

やっとうつせました。