気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

大問題 ・・・ 精神の荒廃

2010-01-02 21:15:16 | Weblog
近ごろは

なんでも

  即効性を重んじるような風潮があります。


効果があらわれるまでに

  日数が非常にかかるようだと

効きめがないのではないか

  と疑ってみたり、

   さっさとやめてしまったりします。


生活が便利になったために

耐久度ゼロの人間が

  非常な勢いで

    多くなりつつあるのは

・・・ 大問題だ と思います。


インスタントな効果ばかりを

  期待するような傾向が

精神の荒廃を

  ますます生んでいくことは

・・・ 避けられない と思います。





水のような ・・・ 欲しい

2010-01-02 20:45:31 | Weblog
水のようなしなやかさが欲しい。

水のような柔軟心が欲しい。

水のような自在心が欲しい。

水のような清々しさが欲しい。

水のような落ち着き ・・・ 大安心が欲しい。


水があるから響き

水があるから柔軟であり

水があるから積極的であり

水が落ち着くから ・・・ 大安心なのです。












欲におぼれてしまわないために ・・・

2010-01-02 18:40:00 | Weblog
 生まれたばかりの赤ん坊を育てる母親を想像してください。

 無心に乳を吸いながら眠っている赤子を、欲の目で見るお母さんは一人としていません。このような時に育てれば、利益があるというようなことは、考えなどしません。

 もちろん、自己犠牲という観念もありません。
それはまったく「無欲」であり、無償の行為です。自分の子を、ひたすら、無心の目で眺めています。
 男にしても、女にしても、本来備わった人間の欲によって子供を生んだのですが、その子供を欲の目では見ていません。

「ああ かわいい」
と感じるのは、自然の感情ですが、ほとんど無意識のうちに、ひとつの生命の生長を見守ろうとします。

 ところが、子供が大きくなるにつれて、次第に子供を見る目が異なってきます。
「元気に育ってほしい」
「立派な子になってほしい」
と考えるうちはまだいいとしても、

それがさらに、
「金持ちになってほしい」
「いい会社に就職してほしい」
「あの子より、もっと成績がよくなってほしい」
といったぐあいに、どんどん親の欲が出てきます。欲目で見ようとします。

 こうして、さまざまな親の欲目で勝手に子供を見たあげく ・・・ 
しまいには裏切られ、がっくりときて嘆き悲しむ ・・・ こんな姿があまりにも多いではないですか。

 あの無償の行為は、どこへ行ったのでしょうか。

 あの「無欲」は、どうしてしまったのでしょうか。

 われわれ人間が、いろいろさまざまな欲を持っていることを、しっかりしっていることと、その欲におぼれてしまうこととは、まったく違います。

 欲におぼれてしまえば、やがて苦しみが待っているばかりです。
欲というのは、際限がないからです。
これでいいという限界を知らないからです。

 われわれが、欲におぼれてしまわないためには、自分で自分を判断すればよい ・・・ のです。

「ははあ、これが俺の(私の)欲か」

と気づけばよい ・・・ のです。

 そうしているかぎり、欲におぼれて自分を見失う ・・・ ことはありません。






 

一歩一歩 自分をたしかめながら ・・・

2010-01-02 16:30:00 | Weblog
正月なので

  ちょっと落ちついて

    『臨済録』を開く ・・・


その中に

「随処主となれば、立処みな真なり」
 
    という言葉があります。


いつ、

どこでも、

自分のいるところ、

置かれているところで

  精一杯やればいい、

そこから

真の生きがいが

  生まれてくる ・・・ と いうのです。


ひまになったら

  勉強しようとか、

レジャーを楽しんで

  生きがいを得たように思っているのでは、

一生かかっても

  本当の自分にめぐりあえません。


一歩一歩、

自分をたしかめながら、

しかも

自分にとらわれない ・・・

この気概をつらぬいて

  生きていきたい ・・・ と思います。






忙しいフリをする老人は滑稽(こっけい)

2010-01-02 16:00:00 | Weblog
「 忙 」という字は 面白い。

「 心が亡(な)い 」のです。

心がなければ

  すぐ忘れてしまうのは 当然です。


心が亡くなる状態を現している字に

  「 忙 」があります。


「 ああ忙しい、困った困った 」

  と言っているようなときは、

心がどこかへ 行ってしまったときです。


忙しさにとらわれて

  自分を失っている ・・・ のです。


最近とくに

「 忙しい 忙しい 」 と

  忙しいフリをするお年寄りが増えたのは

滑稽 でもあり

悲しく も ・・・ あります。









健康な状態

2010-01-02 13:30:03 | Weblog
朝の目覚めがよく

体に痛みや違和感もなく

食事をおいしく摂ることができ

排泄もスムーズで

仕事や勉学への意欲があって

不自由なく活動ができ

人に思いやりを持つことができ

そして

夜には穏やかに眠りにつける ・・・


かならずしも

  完全無比ではありません。

  完璧な不動の状態を指す ・・・ のでもありません。










薬剤連用で懸念されること

2010-01-02 13:00:43 | Weblog
薬剤すべてに言えることですが ・・・


薬剤の連用で

  一番懸念されるのは

自己治癒力を低下させる ・・・ ことです。


つまり

具体的に述べますと

リンパ球の機能低下をもたらす ・・・ ということです。


そうなれば

がんが発生しやすくなる ・・・ ということは

             容易に推測するところ ・・ です。









やはり薬剤は薬剤、連用は ・・・

2010-01-02 12:35:07 | Weblog
さきほど

一ヶ月ぶりに訪ねてこられたAさんをみて

薬のせいだったのだ ・・・

  会った瞬間の顔の輝きで

           確信を持ちました。


活気がなくなり

意欲もなくなり

歩くこともままならなくなり

・・・呂律もまわらなくなり

尿失禁まで出現して ・・・

このような状況下に

  家人から相談があったのが 一ヶ月前でした。



まずは

「○○が極めて怪しい、

  ちょっと服用を休んでみましょうか」

               と 提案しました。


 
さきほどは

しっかりとしゃべるようになっていました。

正月前には

  一人で近くの温泉にでかけたそうです。



今は安易に

  抗不安剤

  睡眠剤

  抗うつ剤 が処方されています。


非常に由々しきこと ・・・ だと思います。



短い期間に限って

うまく処方するのであれば

  さほど問題にならないかもしれませんが ・・・

それは

処方する医者が

  責任を持ってホローする

           という前提のもとでの話です。


薬を処方するということは

すなわち

毒を盛る ・・・ ということです。

したがって

非情な決断が要求されますし

ふつうは

身の引き締まる思いを持つものでしょう。


うがった見方になるかもしれませんが ・・・

ゆっくりと患者さんと向き合って

  言葉を交わす時間を割愛するために

睡眠剤や抗不安剤で

  お茶を濁しているような

         そんな印象を強く受ける ・・・ のですが ・・・


確かに

使いようによっては

  有用な薬剤ですが

やはり

薬剤は薬剤

   連用は避けるのが自然 ・・・ だと思います ね。











付和雷同と甘え

2010-01-02 08:30:23 | Weblog
子供の教育

従業員の指導

上司や親への反発

政治家への批判

  ・・・すべてが

自分以外の

  よそさまの改善を要求するばかりで ・・・

かんじんの自分は

  いまだに周囲の景色に

    心をひきずりこまれ ・・・

ちょっとした事件にも

  取り越し苦労をし

    キョロキョロと ・・・ おびえています。

これが

心の中にまで

    巣くってしまった ・・・ のではないだろうか。


そうしたことを考えるとき

自分はいま

  付和雷同 と 甘え の体質を

    すっかりすてて

みずからが

りっぱに立ち上がり

    自力をかみしめ

    味わい直す

  絶好のベストチャンス ・・・ である と痛感します。


心を鍛え直す

  またとないチャンス ・・・ である と痛感します。










日々これ好日なり

2010-01-02 07:30:40 | Weblog
明日ありと思う心のあだ桜

  夜半(やわ)に嵐の吹かぬものかは


親鸞聖人のつくった道歌です。


西洋のことわざにも

  「今日のことを明日にのばすな」

               というのがあります。


古今東西

人間の想いは

  同じ ・・・ なのでしょうね。



「 日々これ好日なり 」


  雲門和尚の一句です。


このことばは

よく掛け軸などにも書かれて

  床の間に飾ってある家庭もあります。

ふつう

これは

  毎日が平穏無事

  快適に過ぎていく ・・・ といった意味で使われていますが

私は違った見方をしています ・・・


いったい

お前たちは

  なにをウロウロと

    毎日を無駄に過ごしているのだ。

つまらんことに

来る日も来る日も

  こだわっていてなんになる。

時は

  お前たちを待ってはくれぬぞ。

今日一日

  この一瞬がすべてなのだ。

今日一日

  全身全霊をこめて頑張らずに

             いつ頑張るというのだ。


・・・ そんなふうに

雲門和尚の一喝が

      聞こえてきます。


自分の未熟さを

  この短いことばによって

      一喝された思いです。










「 虎視牛歩 」 (こしぎゅうほ)

2010-01-02 07:00:45 | Weblog
二本の足で立って歩くことは

  人間が行動するための基本。


意気のあふれる

最も理にかなった

 正しい生活をするのはどうするか。


立って歩くという基本こそ

  大事にしなくてはいけないはず ・・・


「虎視牛歩」(こしぎゅうほ) ・・・

あたかも虎のように

  鋭い目をかっと見開き、

まるで牛のように

  のっそのっそと歩く。

禅僧の

  歩き方をこのように形容します。


その上にまた

「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)ともいいます。

一歩一歩あゆむことそれ自体に

  求めようとする道がある ・・・ のです。


人は

歩むことによって初めて

  目指す目的に

    近づくことができます。

自分の目を

   耳を

   手を

その現場へ

しっかり運んでこそ

  はっきりした行動結果 ・・・ も約束されます。


たしかな足どりで

自分のペースを守りながら

  一歩ずつあゆむ目や耳

  手や足

  鼻や口が大切 ・・・ なのではないでしょうか。


吐く息

吸う息

失敗や成功。

これが合わさってこそ

  素晴らしい一日

       一年

       人生 ・・・ です。


この一年が

  そうありたい ・・・ と願っています。









国会・大根役者の乞食芝居▲

2010-01-02 05:00:18 | Weblog
 代議士さんたち、

   ひょっとウッカリすると、

     芝居になってしまいます。


 しかもたいがいは

   大根役者の乞食芝居 ・・・ です。


 ・・・ 昔は芸のうまい千両役者もおりましたが、

     今はめったに千両役者もおりません。


 たとえ千両役者でも、

   役者は役者 ・・・ です。




☆☆