気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

立派な教育や財産よりも ・・・

2010-01-13 21:26:48 | Weblog
昔は

子どもは

朝起きたら

  「おはようございます」

          と 親に挨拶させられました。

また

寝る時には

  「お休みなさい」

          と いわないと叱られました。


現在の家庭で、

このような基本的なしつけをしている家庭が

           どれくらいあるでしょうか。


家庭の中で

挨拶をきちんとする習慣を

    つけられている子どもは

成人してからも

他人に挨拶することを
        面倒がりません。

また

人から何かをしてもらった場合には

必ず

「ありがとう」

「ご苦労様」

     などの言葉をかけるというのも

                 大切な習慣です。


最近は

こんな簡単な言葉かけも

    できない人たちが

          多くなってきました。


おべっかやお世辞をいうよりも

毎日の生活の中で

    こういう言葉を人にかけるほうが

はるかに信頼を勝ち得る行為になる ・・・ ものです。



親が子どもに

「ありがとう」

    と いっている家庭の子どもは

社会に出ても

「ありがとう」

    と 自然にいえる人間に成長します。


立派な教育や財産よりも

このような

やさしい思いやりを

    感じさせる習慣を

          身につけてやるほうが

どれほど

子どもの将来を

  後押しする力になるかわかりません。






子ども教育の限界

2010-01-13 17:39:42 | Weblog
教育 ということは

  教え育てる ことだと判っている人でも

教える という字の下に

  育てる という語があることを

    忘れているらしい ・・・ です。


教える とうことに一心になり過ぎて

  裡の能力を 育てる ことを考えないと

教えることが判っても

        身につきません。

それのみか

余分な労力を費させない為に

  教える ということを乱用し過ぎると

反って

子ども能力を 伸ばす ということの

  反対の結果を

      招いてしまいます。


無駄なことをさせない

        その心は判りますが ・・・

髭が 剃るほど濃くなり

脚が 使うほど太くなる

  そのことを 忘れてしまってはなりません。

腕でも

考えることでも

   使う ことによってのみ発達します。


それゆえ

子どもの考えが たどたどしくとも

    脚が ふらふらしていても

やっぱり

子どもが

  子どもの頭で考え

  子どもの足で歩くよう ・・・ 導かねばなりません。