気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

無心 ・ 静けさ

2010-01-07 20:43:56 | Weblog
極めては

「 考えない、気にしない、求めない 」 ・・・ ことです。


浮かんできた場面や

雑念のことを追いかけて

  考えない ・・・ ことです。


どんなに

雑念が湧いても

  気にしない ・・・ ことです。


早く

無心の静かな状態になりたいと

  求めない ・・・ ことです。










  

止(とど)まることはできません

2010-01-07 19:29:24 | Weblog
頭は

  止(とど)まることはできません。

頭は

  停止できない ・・・ のです。


この世の物はすべて

  止まっていることはできません。


止めようとするそれさえも

          止まっていません。


したがって

止まらないものを

  押し止めようとすることを

    やめてしまったときの方が

むしろ

  静寂の中にいることができる ・・・ のです。










七日正月(なぬかしょうがつ)には七草粥(ななくさがゆ)

2010-01-07 18:41:15 | Weblog
1月7日は

  七日正月(なぬかしょうがつ) ・・・ です。

この日は

七草粥を食べて

     無病息災 を祈ります。


昔は

米、粟(あわ)、きび、ひえ、みのこ、胡麻(ごま)、小豆(あずき)を

  鉄鍋で炊いた七草粥を食べていたのですが

「ナナ」は「菜菜」に通じるところから

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)

  の 若菜の粥 になりました。


この 七草粥 で

  ビタミン、ミネラル、植物繊維を摂り

正月の疲れた 胃腸 を

           ・・・ 癒す のです。




* ちょっと 薀蓄(うんちく) ・・・









心配のとりこ

2010-01-07 10:03:51 | Weblog
病気や災難に遭った人などに

「私は心配しています」などの

  手紙や

  言葉をかけますが ・・・

私が

  心配しても どうにもならない ・・・ のです。



また

病気の本人が

  「この病気は治るだろうか

            どうなるのだろうか?」 と

心配しても どうにもならない ・・・ のです。


心配したおかげで

  良くなった という話を

          聞いたことがありますか?


かえって

心配は 心配を生み

心配は 広がり

いよいよ手も足も出なくなって

  心配のとりこ になってしまう ・・・ ばかりです。









終わりから始める ・・・ 生まれ変わる

2010-01-07 09:22:40 | Weblog
「明けまして おめでとうございます」という

  新年の挨拶も

      ありがたいことですが

ほんとうは

  どんな年の瀬を経験してきたか

  どんな越年をしてきたか に

新年のおめでたさの意味がある ・・・ のではないでしょうか。


生まれ変わるものとして

私たちは

  感動的に

  敬虔に

    迎えなければならない ・・・ のです。


したがって

生まれ変わる生きざまは

  「新年あけましておめでとう」

              というご挨拶よりも

どんな年のしめ方をしたか

          ということが大切 ・・・ なのです。


<終わりから始める>ことを

           知ることことが

  生まれ変わりを意味する ・・・ のではないでしょうか。









親の自立 ・・・ 祈り

2010-01-07 07:03:16 | Weblog
  親の子どもに対する愛は

  祈りとなって

  はじめていのちとなる


このことを 忘れてはなりません。


子どもが自立できないのは

  親の自立ができていないから ・・・ です。

子どもの心が定まらないのは

親の

  子に対する愛を超えた 祈り が

                欠けているから ・・・ です。










自戒 ・・・ おそれなきを施す

2010-01-07 05:34:12 | Weblog
一、夜道が怖い ・・・ 命が惜しいからです

二、病気がおそろしい ・・・ 幸せすぎるからです

三、家業が心配だ ・・・ 欲が深いからです

四、おせじが言いたい ・・・ よく思われたいからです

五、縁起が思える ・・・ 自分だけが幸せになりたいからです

六、目上の人がおそろしい ・・・ 出世がしたいからです

七、同僚を疑う ・・・ 自己の誠心が足りないからです