気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

主婦の方々へ

2010-01-01 23:40:06 | Weblog
 「夫(つま)のため土用丑の日野に摘(つ)みし 薬草は炭火の土瓶にたぎる」

 ああ、この作者は”教養”があるなア! 
 「昔の女」はこういう知識を、豊かに持っていた。”民間療法”のいろいろを知っていた。そして、夫や子が(また、自分自身が)病気になったときには、まず、「自分の手で」治そうとした。力及ばないときのみ、医者に頼ったものでした。自分の手におえるものであるか、どうかは、母として、妻として、本能的に分かるものです。

 子どもがおかしい、それ医者へ、薬局へ ・・・ それしか能のない女性は、ダメです。どうせ料理もヘタでしょう。 ・・・ 女として「深く」ないのです。

 ・・・ 西洋医学と東洋医術のどちらを、より高級と思っていますか?
自然の調和という、農耕民族の姿勢が生んだ医療のほうが「自然で深い」のは当然なのですよ。 ・・・ そのへんのところが分かるのが、教養、見識というものです。
 前者は、自然を征服する態度を基本においた、不自然、強引なやり方で、だから私は、非常手段、最後の手段としてしか、肯定しないのです。無機物質を有機物(生命)に入れることは、反自然、自然破壊の行為であるからです。

 女性が主婦として知るべきこと、やるべきことは、限りなくあります。
・・・ どうぞ、惜しみなく、励んでください。




☆☆










女らしい女

2010-01-01 23:30:07 | Weblog
 才能をフルに開花させている女性は、私の見るところ、だいたい例外なく、「女らしい女」なのです。

 女の<根>としての務めを、けっしておろそかにしていないのです。

 女になり切っているからこそ、持てる才能が自然に湧き出て、世からも認められことになるのです。


 ・・・ それにしても、 なんと「女らしい女」の少ないことよ ・・・ 。




☆☆




男は<幹>、女は<根>

2010-01-01 23:20:40 | Weblog
 男は<幹>、

 女は<根>

     ・・・ 私はそう考えております。


 双方とも必要なのですが ・・・

 本末をあえていうならば、

   <根>が本で、

   <幹>が末、

      ・・・ 文句なしに根のほうが重要でしょ ?


 幹を切っても根は生きていて、

  新しい芽を出す力さえ持っていますが、

 根を奪われた幹は、

  立つことさえできません。

 ・・・ もはや、生命ではありえず、枯れるほかはないのです。




☆☆










唯一の禁煙法

2010-01-01 23:10:49 | Weblog
 タバコは吸わない方がいい、にきまっています。

 それを承知で吸っている人が多いです。
 中には、止めよう止めようと思いながら止められないでいる人もいます。
そういう人を見て他人は「彼は意志が弱いのだ」と評するが、その評は間違いです。その証拠に、どんなに意志を強くしてもその禁煙は三日ともつものではありません。ただやめるかやめないか、の違いに過ぎないのです。
意志の強弱が問題なのか、と誤解して頑張ればやめられるかと思っては結局駄目なのです。

 では意志の強弱の問題ではない、ということになったら一体何が問題なのでしょう。


 ただ「やめるか、やめないか」が問題なのではありません。

「吸わなければいい」 ・・・ それだけが唯一の正解なのです。




☆☆

















いったい何が幸福 ?

2010-01-01 23:00:25 | Weblog
 馬と猫と

   「いったい何が幸福であろうか」と相談し合いましたが、

     話がまとまらなかったといいます。


 八卦見の言うように、

   人生どうあったらいい、

   どうあったら悪いと、

          ・・・ キマッテいるものではありません。




☆☆





カッとなってもいいんです ・・・

2010-01-01 22:50:09 | Weblog
 いまの若い親が子育てに自信がもてないという不安を抱えているのは、ある程度理解できるところがあります。
しかし ・・・ みんな少し神経質になりすぎていないでしょうか。

 たとえば叱るときでも、子どもの態度や行動が生活していく上で常識(感覚)をあまりにはずれていると思ったら、感情的にカッとなってもかまわない ・・・ と思います。

 問題は、常識(感覚)の幅がどれくらいかということですが ・・・ 

 まあ、ふつうに生きていて、「こんなことは許せない」とか、親自身の人生にとっても、「こういうことはどうしても不愉快だ」と感じたら、カッとなるのは当たり前ですし、そういう対応でいいんじゃないでしょうか。
 叱ると子どもの自主性の芽を摘んでしまうのではないか、といった考えに極端に支配される必要はないと思います。

 良心的な親ほど、自分のやっていることに自信を失い、不安に駆られ ・・・ 叱ることを躊躇(ちゅうちょ)しているのではないでしょうか。


 親としてどんなかかわり方をするかは、子どもの年齢によるところが大きいと思います。
思春期以降になってもべたべたしているのは問題ですが ・・・
 ごく小さいときには、親密にかかわることがとても大切だ ・・・ と思います。
ある年齢に達するまでは子どもとよくつきあって、よく遊ぶ。
 そうした時間の共有を通して、人間の世界はこんなに奥深いんだということを実感させたり、ルールというものがこの世界にはあるんだということを体でわからせたりすることが大事だ ・・・ と思います。


 また子どもの小さい間は、一方では思う存分自由にのびのびさせる時間があってもいいと思うんですが ・・・
もちろん、この「自由にのびのび」の理念が、無原則になっていて、だらだら、ぐだぐだになってはいけない ・・・ と思います。

 深夜十時過ぎたファミレスやコンビニに二歳児ぐらいの子どもを平気で連れてきている若い親をよく見かけますが ・・・ 嘆かわしい限り、ふつうではなく、「オロカ」というしかありません ・・・ 。




☆☆




 

孤児・・・共稼ぎの子ども

2010-01-01 22:30:08 | Weblog
 ある共稼ぎの夫婦のところのはなしです。

 奥さんはマイカーでご出勤。出がけに一児を保育園にあずけ、帰宅の途中、かれを「拾って」帰る。今の世には、珍しくもない例でしょう。


 ある日のこと、家の近くにきたとき、子どもが母親にいったそうです。
「ぼくをここで降ろして。おかあさん、先に帰って」
「どうしてそんなことするの?」
「ぼくがお玄関をあけて、”ただいま”っていうからね。そしたら、”おかえり”って、いってほしいの」


 この子も”孤児”なのです ・・・ 。










むかし、こどもに ・・・

2010-01-01 22:20:44 | Weblog
 むかし、こどもに「あそび」がありました。

 むかし、こどもに「かせぎ」がありました。

 むかし、こどもに「用」がありました。

 そして、
 むかし、こどもに「かざり」がありました。
     ・・・ 自分で作った自然の花かざりなど ・・・

 
 むかし、むかし、とくりかえすのは、

     ・・・ いまに不満と不安を感ずるからです。




☆☆





島リス・ドロ亀・沢のタヌキ・ボッチャン鳩 ・・・ 近況▲

2010-01-01 22:15:12 | Weblog
閣僚近況 ・・・ 


メスの島リスは

  背伸びしいしい

    小さなからだで チョロ チョロ チョロ ・・・


古池のドロ亀は

  首を振り 振り

    大物ぶって ・・・


沢のタヌキは

  枯葉を頭にのせて

    「さて どう化かそうか」 ・・・


なぜかしら

ボッチャン鳩の

  クルクル目玉も

    近頃 チョット 濁り気味 ・・・ です。