放射能なければ軍団つながった、
年内閉園「日光猿軍団」
原発、おれは怒り続ける。 間中敏雄校長
東京新聞より
放射能がなければ軍団はつながった。
おれは怒り続ける。
汚染された地域で子育てしている人、
避難している福島の家族…。
いろんな立場の人に怒り続けてほしい。
でないと、原発はなくならないべ。
東京新聞より 2013年12月11日
…………………………………………
【放射能なければ軍団つながった 年内閉園「日光猿軍団」】
舞台の開演前に調教場で猿たちとスキンシップをとる間中敏雄校長=栃木県日光市で
ニホンザルが集団で芸をするテーマパーク「日光猿軍団」(栃木県日光市)が、今年いっぱいで幕を閉じる。
二十二年間に延べ約一千万人が訪れ人気を博したが、東京電力福島第一原発事故で外国人調教師が帰国するなど先行きの見通しが立たなくなった。
軍団を興した間中(まなか)敏雄校長(65)は「『そんなことは猿でも分かる』と人間はよく言うが、自分たちはそんなに賢いのかねえ」と、事故後も原発を続けるような動きに憤る。 (大野暢子(まさこ))
一九九〇年代後半、間中さんのもとにはアジア各国から「どうやって大勢の猿を操るのか」との問い合わせが相次いだ。指導を求める依頼もあった。
二〇〇六年以降、韓国の大慶(テギョン)大から調教師志望の留学生が多くやってきた。流ちょうな日本語であいさつでき、調教は深夜まで続けた。
「お猿さんが眠そうだべ」と校長が止めるほどの熱意だった。
中でも目を引いたのが、一期生として来日した女子学生キム・アランさん。日光署の交通安全運動に相方の猿と参加するなど活躍した。難しい輪くぐりも習得した。
三年後に帰国した後も母親と遊びに来るなど家族ぐるみの付き合いが続いた。
一一年三月、原発事故が発生すると、軍団にいた大慶大生八人が事務所にやってきた。「家族に帰ってこいと言われた。ごめんなさい」。
間中さんは「自分が親でも同じことを言っただろう」と引き留めなかった。
アランさんにも変化が現れた。今年の正月を間中家で過ごし、三月から軍団で働く覚悟を決めていたが、応援していたはずの母親から待ったが掛かった。
「放射能の問題がある。あなたが子を産む時のことを考えると…。そう母から言われた」。
国際電話で間中さんの妻清子さん(58)に事情を明かしたアランさん。
その後、次第に電話に出なくなった。アランさんが軍団入りしたら、大慶大からの留学が再開するかもしれない。そんな願いも断たれた。
原発事故で、猿たちの暮らしも激変した。猿が好んで口にする木の芽や葉は放射性物質の濃度が高く、野山の散歩ができない。調教師不足で新しい猿を教える余裕がなくなり、ショーはベテランの猿頼み。今夏、高齢の猿が疲労で好物の果物にすら手をつけなくなり、閉園を決めた間中さんは、いま思う。
「放射能がなければ軍団はつながった。おれは怒り続ける。汚染された地域で子育てしている人、避難している福島の家族…。いろんな立場の人に怒り続けてほしい。でないと、原発はなくならないべ」
<日光猿軍団> ニホンザルが集団芸をするテーマパーク。さる年の1992年1月、日光市にオープンした。ひもをつけないニホンザルの集団芸を日本で初めて成功させた。大勢の猿が生徒を演じる「お猿の学校」などのコント芸で人気を博し、テレビでも紹介された。
福島第一原発事故後、外国人調教師が全員帰国し、日本人調教師で営業を続けてきたが、今年8月、年内の閉園を決めた。今月21日に卒業式が行われ、31日まで営業する。
東京新聞より 2013年12月11日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121102000102.html
被爆年間10ミリシーベルトで、がんが増加、国が公表したデータ。英国、20ミリシーベルトで、がんが
原発が基本電源!エネルギー政策『反省ゼロの基本計画』東京新聞社説
年内閉園「日光猿軍団」
原発、おれは怒り続ける。 間中敏雄校長
東京新聞より
放射能がなければ軍団はつながった。
おれは怒り続ける。
汚染された地域で子育てしている人、
避難している福島の家族…。
いろんな立場の人に怒り続けてほしい。
でないと、原発はなくならないべ。
東京新聞より 2013年12月11日
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【放射能なければ軍団つながった 年内閉園「日光猿軍団」】
舞台の開演前に調教場で猿たちとスキンシップをとる間中敏雄校長=栃木県日光市で
ニホンザルが集団で芸をするテーマパーク「日光猿軍団」(栃木県日光市)が、今年いっぱいで幕を閉じる。
二十二年間に延べ約一千万人が訪れ人気を博したが、東京電力福島第一原発事故で外国人調教師が帰国するなど先行きの見通しが立たなくなった。
軍団を興した間中(まなか)敏雄校長(65)は「『そんなことは猿でも分かる』と人間はよく言うが、自分たちはそんなに賢いのかねえ」と、事故後も原発を続けるような動きに憤る。 (大野暢子(まさこ))
一九九〇年代後半、間中さんのもとにはアジア各国から「どうやって大勢の猿を操るのか」との問い合わせが相次いだ。指導を求める依頼もあった。
二〇〇六年以降、韓国の大慶(テギョン)大から調教師志望の留学生が多くやってきた。流ちょうな日本語であいさつでき、調教は深夜まで続けた。
「お猿さんが眠そうだべ」と校長が止めるほどの熱意だった。
中でも目を引いたのが、一期生として来日した女子学生キム・アランさん。日光署の交通安全運動に相方の猿と参加するなど活躍した。難しい輪くぐりも習得した。
三年後に帰国した後も母親と遊びに来るなど家族ぐるみの付き合いが続いた。
一一年三月、原発事故が発生すると、軍団にいた大慶大生八人が事務所にやってきた。「家族に帰ってこいと言われた。ごめんなさい」。
間中さんは「自分が親でも同じことを言っただろう」と引き留めなかった。
アランさんにも変化が現れた。今年の正月を間中家で過ごし、三月から軍団で働く覚悟を決めていたが、応援していたはずの母親から待ったが掛かった。
「放射能の問題がある。あなたが子を産む時のことを考えると…。そう母から言われた」。
国際電話で間中さんの妻清子さん(58)に事情を明かしたアランさん。
その後、次第に電話に出なくなった。アランさんが軍団入りしたら、大慶大からの留学が再開するかもしれない。そんな願いも断たれた。
原発事故で、猿たちの暮らしも激変した。猿が好んで口にする木の芽や葉は放射性物質の濃度が高く、野山の散歩ができない。調教師不足で新しい猿を教える余裕がなくなり、ショーはベテランの猿頼み。今夏、高齢の猿が疲労で好物の果物にすら手をつけなくなり、閉園を決めた間中さんは、いま思う。
「放射能がなければ軍団はつながった。おれは怒り続ける。汚染された地域で子育てしている人、避難している福島の家族…。いろんな立場の人に怒り続けてほしい。でないと、原発はなくならないべ」
<日光猿軍団> ニホンザルが集団芸をするテーマパーク。さる年の1992年1月、日光市にオープンした。ひもをつけないニホンザルの集団芸を日本で初めて成功させた。大勢の猿が生徒を演じる「お猿の学校」などのコント芸で人気を博し、テレビでも紹介された。
福島第一原発事故後、外国人調教師が全員帰国し、日本人調教師で営業を続けてきたが、今年8月、年内の閉園を決めた。今月21日に卒業式が行われ、31日まで営業する。
東京新聞より 2013年12月11日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121102000102.html
被爆年間10ミリシーベルトで、がんが増加、国が公表したデータ。英国、20ミリシーベルトで、がんが
原発が基本電源!エネルギー政策『反省ゼロの基本計画』東京新聞社説