KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

オタク研究者たちの共生の技法

2008-03-10 15:36:59 | 研究
先日、日米オタク本の編集会議に出席した。
わたしは「腐女子」についての論考(1章分)の分担執筆者として誘われている。
そんな下っ端が参加しても良いのか、とドキドキしながら会議に出席してはみたが、
来たひとたちが、全員オタクで、自分がこの本の執筆者として誘われた理由を瞬時にして理解できた。

会議には、ヤオイスト=「腐女子」であるkimsitevaの他、鉄道ヲタ、ゲームヲタ、日本のアニメを英語に翻訳して流通させる「ファンサブ」の関係者などが参加していて、
わたしは昔見た『七人のオタク』という映画を思い出した。

わたしが高校時代にものすごくアコガレていた研究者、M先生は、
マイパソコンに初音ミクの動画をストックしているらしく、会議中に動画を流して、会議出席者の全員がミクミクした。
(・・・想像してみてください。)


以前、言われたこともあるが、研究の場で出会ってきたオタクの方々は、すごく不思議である。
別に、特別に進化した新人類とは思わないが、
少なくとも、価値観が多様化した時代において生きる術を誰よりも心得ているように思える。
誰よりも、多文化時代の共生の技法を心得ているように見える。

「オタク」であるというだけで通じ合える。
「オタク」であるというだけで、年齢とか身分とかそんなこと関係なく、対等な立場で話ができる。
アコガレのM先生にも、自分の立場を主張できる。


わたしたちは、自分にとって「善いもの」が、他人にとっての「善いもの」ではないことを知っている。
それを「善いもの」と思うことが、誰かを傷つけたりする可能性があることも。
それを認めた上で、
それでも一緒にいられる技法をずっと磨いてきたし、
これからもその技法を模索しつづけているのだと思う。


会議の出席者の中には、
わたしと同じ、お水仕事の経験者がもう一人いたりして、
そのことにもいろいろと考えさせられた。
オタクでありつつ、でも誰かとつながろうとする人たち。
それが、オタクの研究者なのかもしれない。