KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

【Workshop】(仕事場・作業場):高校生アートライター編集作業2

2008-03-03 19:59:46 | フィールド日誌
昨日、ついに「高校生アートライター」企画の最終ワークショップが終了した。
最後のワークショップは、「ワークショップ」というよりは、むしろ「仕事」と呼ぶほうがふさわしい作業で、
そういえば、英語で「workshop」とは「仕事場・作業場」を意味するのだったとあらためて思い出した。

編集作業を担当するのは、デザイン系の専門学校に通うりりーさん。
イラストを担当するのは、4月からアート系の専門学校に進学するまなみさんである。
編集の方針もその場にいる参加者たちで話し合って決める。
ギャラリーガイドのタイトルも自分たちで決める。
スタッフのやることと言えば、原稿をファイルに打ち込む手伝いと、
終わりの時間を告げるくらいであった。

まさに「作業場」=ワークショップである。

こうして、
はじめ、「教育プログラム」的な色彩が色濃かったこの企画が、「作業場」へとその色彩を変えるにつれ、
参加者は、少しずつ自分の「居場所」を見出していく。
わたし含め、企画側のスタッフも誰がどのようなことを得意としているのかがわかってくるし、参加者側も自分のできることをアピールしてくれるようになる。
自分がどんなことができて、どういうことがしたいのか、をさまざまなかたちで伝えてくれる。


レイブ&ウェンガーの「正統的周辺参加」論を持ち出さずとも、
「仕事」に関わる意味の大きさが、実感として伝わってくる。
「仕事」の場にかかわることで、人々は自分の役割=アイデンティティを見出していく。
「居場所づくり」とは、このようなプロセスを経て、
参加者が、その場に関わる自分のアイデンティティを見出すことなのではないか、とわたしは思う。

ただ受容的な他者がいるだけでは「居場所」は見出されない。
やはりそこには積極的な意味が必要で、その積極的な意味のためにはやはり「仕事」が必要なのだ。

そんなことを考えさせられたワークショップだった。

「居場所づくり」というテーマ:アートライター編集作業1

2008-03-03 19:52:10 | フィールド日誌
わたしの人生における大きな研究テーマのひとつは、
「居場所づくり」である。


「将来は建築士になる。いや、ならなきゃダメなんだ」と思っていた高校時代。
ある模試の日、なんとなく、
志望学科を「都市計画」と書いたことがあった。
それまで第一希望から第三希望の志望学科欄に「建築」以外の言葉が入ったことはなかったのに。

その模試の結果が出たとき、
当時通っていた精神科のカウンセラーにその模試結果を見せたら、
そのカウンセラーはそのことにいたく感動して、
「「都市計画」って書いたことを、大事に思わなきゃダメよ!」
・・・とわたしに言った。
そのカウンセラーにはめずらしく強い口調で。

当時のわたしはその意味がわからなくて、
気まぐれに違うところを書いてみたことのなにがそんなに大切なんだろう、と訝しく思いながら、家に帰ったのを覚えている。


「都市計画」と書いたとき、わたしの頭の中にあったのは、「公園」だった。
なんとなく「公園がつくりたい」と思った。
誰もがいていい公園。どんな人が来てもいいし公園。
いろいろな人が出会って、関係をつくりだしていく公園。

どんな人にでも「居場所」を提供してくれる公園。

今、考えると、自分の「居場所」づくりに疲れてしまったあの頃。
そんなユートピアを、「公園」という存在に重ねていたのかもしれない、とも思う。


その頃から、
「居場所づくり」は、わたしにとって、泣きたいほど切実なテーマなのである。


・・・「泣きたいほど切実なテーマ」という感覚は、理解してもらえないかもしれない。
研究は、そんなホットな感情でするものではない、と一般に考えられているから。
でも、わたしが向き合ってきたテーマは、常に「泣きたいほど切実なテーマ」だった。
他者との関係を結ぶ「ことば」というテーマも。
わたしたちの「現実」を作りだす「メディア」というテーマも。
どれも、わたしを深く傷つけてきたものだった。だから理解するために必死だった。


学位論文を書き上げることで、とりあえず、これまで自分を傷つけてきたものを整理することができた。
わたしが何に傷つけられてきたのか。
わたしはなぜ、傷つくのか。

これからは、わたしにとってのユートピアに向き合ってみたいと思う。
わたしが喉から手がでるほどほしかった「居場所」。
その「居場所」のつくりかたに、真っ向から向き合ってみたいと思っている。

「高校生アートライター」プログラムは、
わたしにとって「居場所づくり」とは何かを模索するための良い機会になっている。

わたしは、今、あらためて、「居場所」のつくりかたに取り組みたい。