KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

研究者として謙虚であること

2007-06-20 16:59:28 | 研究室
「社会学の人って…けっこうああいう強気な人が多いんですか?」

昨日の教育社会学ゼミの打ち上げのあとに、
一緒に帰ることになった教育社会学研究室OGの方にわたしがした質問です。
そのかたは、終始、飲み会の席上でかわされる議論から距離を置いて、
クールにその場の議論を見られていた方だったので、
嫌味でもなんでもなく素朴にそんな質問をしてしまいました。

なんというか
日曜日にT大学で行われた関東社会学会での、
上野千鶴子氏らの講演をめぐっていろいろな議論バトルが交わされたわけですが、
なんというかね。
…うーん、なんか…
…なんというか…
昔の自分を見ているようで、
なんだかとってもとっても、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。

嫌味でもなんでもなく、
「若いっていいなぁ」と思ったり。

「コスモポリタン」な正しさを追及することは正しいけれど、
「コスモポリタン」な正しさは、とってもステキな机上の「ユートピア」を出すことはできても、
現実を変革するような力にはなかなかならないんだよね。

でも、わたしの場合は、まったく逆のジレンマから研究をスタートさせなければならかったので、「コスモポリタン」な正しさや永遠の「ユートピア」を追及しつづけることは許されなかったわけですが。
わたしの目の前に広がるのは、現実であり、
わたしが自分の研究を届ける先も、他ならぬ現実である以上、
現実から乖離したところで幻想の世界で遊ぶわけにはいかなかった。
ただ、それだけです。

でも、現実に縛られるということは一種のウィークポイントにもなりえる。
(そういう「コスモポリタン」な人たちから見れば、当然の話でしょう)
なぜなら、現実に縛られる限り、自分の理論構築とは別のところで、現実の足枷をはめなければならないから。
それが「理論としての不十分さ」として指摘されることも、当然なことでしょう。


壮大な夢を描きながら、
泥沼のような現実を生きることはとってもつらいことだ。
誰にもわかってもらえないし、報われない。
あげくの果てに、そういう人たちから非難される。

自分が今、そういう立場にあるんだということをあらためて実感した場でした。

でも気づいてほしい。
そういう「コスモポリタン」だと自分を規定するあなたたちも日本人であり、男性であり、自分自身の生きてきたその価値観の中でしかモノを見られないということ。
自分の他者について語るということの、その権力性からは逃れられないということ。

そういうことまでも、あまりにも楽観的に「そんなことない!」と語ってしまうのは、あまりにも傲慢なのではないかなぁ…とわたしなんかは思ってしまう。

自分自身の視界の限界に気づかないことは罪だと思うよ。
それこそ、自分の女性への偏見に気づかないセクハラ予備軍の男性と同じくらいには。

清水義範『清水義範の作文教室』

2007-06-20 16:40:50 | 
日本のいわゆる「国語科」教育の中で、
わたしに唯一興味のある内容は、「書くこと」の教育です。
自分自身も小論文やらレポートの書き方を専門学校生に教えていることもあり、
作文教育には一定のポリシーがあります。
でもなかなか、そんなポリシーを認めてくれるような作文の本はありません。

わたしが作文教育…「書くこと」の教育でもっとも大切だと思っていること。
それは、学生たちの中にある、内なる「作文の規範」なるものを打ち破ること。
「何を書いてもいいんだ」って思ってくれることです。
できれば、それが「書くこと」の楽しさの発見につながってくれればな、と思います。

そんな中、
この前、たまたまパートナーが発見してくれた本がこれでした。
生徒たちの実際の作文が掲載してあることもあり、とてもおもしろい本です。
わたしにとって、
もっとも興味深いもの、おもしろいものは、人間が成長していく姿ですが、この本にはまさにそれがあるのです。
そういう意味で、下手な小説よりすごくドラマティックだし、毎日読んでいても飽きません。

裏表紙や前文において、
この作文教室のポリシーは「ほめほめ作文教室」と紹介をされているようですが、それはこの作文教室の一部でしかないような気がしてなりません。
ただ「ほめる」だけなら誰でもできますが、
それぞれの作文の良いところを見つける…その視点を先生が持っているってことがものすごいことなんじゃないかなぁって思います。

この本を読んでみればわかりますが、
ヘビが出るか蛇が出るかわからないような子どもの作文ひとつひとつに、「もっともだ」と思えるような、ほめるべき要素をみつけるのってひとつの才能ですよ。
教師の側がかなり、ほとばしるような頭の良さを持ってなきゃできないと思いますね。
そういう意味で脱帽!

わたしも、そんな作文教師でいたいなぁ。
少なくとも、今のところは、学生たちにそういう変な頼りがいのある存在としては見られているようですが。