KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

君と僕とは 別の人間(いきもの)だから

2006-04-07 17:06:43 | エンターテイメント
「君と僕とは 別の人間(いきもの)だから
好みが違う 歩く速さも 想いの伝え方も」
(GARNET CROW「Mysterious Eyes」より)

この曲がわたしの車で流れだしたとたん…、

「名探偵コナンか!」

…と言って苦笑するのはやめてください(笑)
けっ!ただ単にGARNET CROWが好きで何が悪いっっ!

わたしは曲を聴くときに、それほど歌詞のよさに固執するわけではない方だと思うのですが(もともと洋楽派です。歌詞わからずに聴いてました(笑))、最近は曲全体のオーラとそこに流れるコトバ(=歌詞)とが重なりあうことによて生じる、知的に美しい瞬間に魅力を感じることが多いようです。

一時期はまっていた、The Brillian Greenは「Bye Bye Mr.Mug」を歌っているときが一番好きでした。全員日本人のグループが英語で歌いきることの意味。そこで生じる軋轢とブリティッシュ・ロックのキリキリした雰囲気とが妙に合っていて、その軋轢の中から吐き出されるような「何か」を感じてましたね。なつかしい。
てなわけで、「長いためいきのように」以後はあまり好きではありません。

そんなわけで、戸川純っていいよね。
彼女だけで、そんな軋轢が曲全体に生じてしまうのが不思議です。…あれは本当に不思議。

で、今回。GARNET CROWです。
GARNET CROWは曲全体の淡々としたオーラと、歌詞全体に流れる人間に対するある種冷淡なまなざしが重なりあっているところがすき。
淡々としたオーラの中で、あまりにも冷淡でさめたまなざしが強調される一方で、それを極めたところに生じる、「やさしさ」というか「あたたかさ」というか…それがなんだか正体不明なんだけど、すごくわたしには心地よいのです。

冒頭で述べた歌詞でもそうですが、AZUKI 七の歌詞では、「人間」を「いきもの」、「生命」を「ゆめ」、「命」を「まぼろし」とルビをつけたりしているのですが、わたしには、このルビのつけかたがすごく共感できる。

人間はいきものに過ぎず、
生命なんてゆめに過ぎない。
命なんてまぼろし。

…そんなこと、わたしは毎日毎日繰り返し、唱えているような気がします。

「君と僕とは別の人間(いきもの)だから
好みが違う 歩く速さも 想いの伝え方も」

こんなさりげない一節にも、とてつもなく重いリアリティを感じるのです。
どんなに愛していても、結局は別々の人間=いきもの。
どんなに愛されたい、理解されたいと願っても、結局は理解しあうことなんて不可能。
だって、わたしたちは別の個体をもついきものなのだから。

それが「歩く速さ」や「想いの伝え方」として捉えられているところも、すごくわかる気がするんです。
歩く速さが違うとき、想いの伝え方ですれ違うときに、わたしたちは別の個体であると意識せざるを得なくて…そのことで深く傷つくから。

それでもなお、傷つけあってもなお、離さないこと。
それが大切なことだとわたしも思う。
傷つけられたその悲しみを憎しみにかえて、相手との関係を断絶することにいったいなにが生まれるというのだろうか?

「もう二度と 迷わないように
その腕を 離さないで
傷つけあう そのときも」

わたしたちは別のいきもの。
生命は一瞬のゆめに過ぎない。
それに、結局わたしたちは傷つけあう運命にあるのかもしれない。

だけど、それでもなお、一緒に生きていくこと。
そこから生まれる何かを信じること。

わたしたちにできることって、それだけなんじゃないかな、とわたしは思う。