日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

クラウドな情報

2017-06-12 22:15:02 | ものの見方 考え方
こんばんは。
例年の梅雨時といえば、じめじめとしてその上にムシムシと鬱陶しい季節ですが、今年はこの辺りはなんとなく気温が低く、朝夕は
ひんやりと感じるくらいです。

                              

そんな今日は、ハロ、日暈(にちうん、ひがさ)が見られました。
このハロが見えると雨になるとよく効きますが必ずしもそうとは限らないようですね。

                              

真ん丸く写したいのですが、さすがに太陽を見ながらは写せませんので、携帯を上に向けて撮るとこんな感じになってしましました。
そんな虹色が空に見えている日でした。
                               



ところで、時たま突拍子もなく頭の中に、どうしてこんなことを覚えているんだろうというような事が浮かんで来る事はありませんか?
何の前触れも無く、というのか取り立てて大事なことでもなく、ましてやその事を覚えているということすら、忘れているような事とか。

これが勉強などでかつて自分が学んで知識として頭の中に記憶させようとしていたことなら、まだわかります。
忘れているようでも、頭のどこかに仕舞っていたのかも、と思えるからです。

でも、そのような事でもなく、ふいにごく日常の中の一こまとかが、まるで今目の前で繰り広げられている出来事のように鮮やかに蘇る
感じで思い出したりします。

自分ひとりだけのことかもしれませんし、誰にでもある普遍性のあるものではないとも思います。
ですけれど、どうしてそのようなことがあるのかな、とそんな古い記憶が頭をよぎった時に、いつも感じてしまいます。

                              

これまで何十年と生きてきて、その中で覚えたことはそれこそ忘れていることも含めれば、相当な量になるのではと思います。
それこそ自分が仕事をしたり生活をしたりする中で、頻繁にその知識なりを用いての作業等でしたら、日々のことですし覚えていても
当然ですよね。
ですけれど、普段全く覚えてもいないような事柄についてでも、瞬間閃いたように頭の中に浮かんできて、お!これだ!と感じる時が
あったりします。
申したようにその事について自分自身がかつて学習していたからこそ、普段はその事について考えもしなくとも、頭の記憶のどこかに
入っていて、考えたその時に、その記憶に自分がアクセスするのかもしれません。

でも、本当にそうなのかな、とか思ってしまいます。
歳を取ると、新しいことは覚えにくくなるというのは、自分自身身にしみて感じております。
ですけれど、古い記憶は不思議とよく思い出すというのか覚えていたります。
これも今申したように、新しいことを覚えられない分、古い記憶にアクセスしやすくなるからでしょうか。

                              

先になんでもないことを不意に思い出したりすると書きました。
それとは別に、これもまた何の脈絡もなく、これまで会ったこともないような人の顔が浮かんできたり、或いは行ったことの無い場所が
浮かんできたりします。
それは自分が忘れていたことが、今書いていたように思い出しただけではないのか、と言われるかもしれません。
確かにそうかもしれませんね。
ですけれど、その浮かんでくる顔なり場所なりは、自分がよく知る日本人としての顔ではなく、全く見知らぬどこかの国の人の顔だったり
或いは、見知らぬ異国の何処かだったりします。
自慢ではありませんが、これまで海外に出たことなど無く、見知った外国の方は全くおらず、異国の地も全く知りません。
記憶の彼方から呼び起こそうにも、その元の記憶自体が無い状態です。
一体どこから、そのような見知らぬ人やら場所やらが浮かんでくるのか皆目見当もつきません。

                              

今こうして此処へあれこれと書かせて頂いておりますが、よくわからないことがあれば、即座にネットからその情報なりを拾い出して
来て確認したりして、そこからの知識を利用させていただいたりもします。
よくいわれているクラウドサービスというものだと思います(この辺り、詳しくはないのでこれこそ曖昧かもしれません、すみません)
よくわからぬなりに使っている者がいうことではないのかもしれませんが、大元には膨大な情報が何処かにある状態なのでは、と自分の
勝手な想像ですが考えています。
その膨大な情報があるからこそ、どのようなことも即座にわかるのかな、とも思います。

これを先に書いたように自分の頭に置き換えてみたら、と考えてみました。
つまりは、一人の頭の中にある記憶だけではなく、それこそ様々な人々の頭の中に仕舞いこまれている記憶がこのクラウドのように
何処かへ膨大な量として存在しており、自分が何かを考えると即座にそこの場所へアクセスし、そこから瞬時に答えとしての情報が
返ってくるのではないのかな、と。
これは自分が勝手に考えた空想にしか過ぎません。
ですけれど、これもまた書いたように、不意に何の脈絡もなく頭の中に思いもかけない事柄が浮かんできたとき、それは自分が呼び起こそう
とした記憶や答えではなく、全く別の人がアクセスしてその情報を得ようとしていたものが、勝手に自分の頭の中に飛び込んできたものなの
ではないのかな、と。
よく息子がパソコンやらスマホを使っていて、フリーズしたりする時など「バグってる」とか言っておりましたけれど、そのような状態が
自分達にも起こっているのではないのかな、と思ったりします。
別の人が考えていたことが、どこかの不具合?でその人に答えが下りて行かず、全く別の人のこところへその情報が下りていったりする状態。
そうなると、その情報が下りてきた人自身は、自分が感じたように、見てもいない人やら場所が勝手に頭の中へ浮かんでしまったのかな、とか
思ったりします。
あくまで自分が考えたことでしかありませんけれど。

それでも、自分達が考える共通のことというのは、述べたように何処かへ膨大な情報が存在しており、皆がそこへアクセスすることにより取り
出している事柄なのではないのかな、とも考えます。

                                 

今日こうして書いたことこそ、まるで雲を掴むような曖昧模糊とした、まさに漠然とした空想、妄想にしか過ぎません。
それでも、漫画に描かれているように、何人かの人が物事を考えていて、その頭の上には吹き出しが描かれており、その中にポワ~ンという
感じで共通の答えが描かれているような、そんな場面、そんなことが実際にあるのなら、これもまた面白いことなのではないのかな、とも
感じます。

                            
なんだか本当にもわもわとした話ばかりに終始してしまいましたね。
こんな話、情報ももしかしたら、そんなクラウドの中から引っ張り出してきたのかも?



今日もブログへのお付き合い有難うございました。

   



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