日々徒然なるままに

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お店はどうがいい?

2017-06-11 23:37:44 | ものの見方 考え方
こんばんは。
梅雨に入ったとはいえ、なかなか雨も降らないといっておりましたが、今日は多少のお湿りはあったようです。
晴れている方が気持ちはよいですが、やはり水が無ければ作物は育ちませんね。
とはいえ、そんな気候も近年少しづつ変化してきているようです、この時期も過ぎてみなければどうであるのかわからないようです。
そんな今朝は、こんなお天気、どんよりとした曇りで始まりました。
けれど、夜に入ると星も見えてきております、明日はまた晴れなのかもしれません。
               
                              

そんな今日でしたが、夕方また散歩に出てみました。
歩くのは、うちから坂を上っていく住宅団地の辺りです。
此処は、元々山であったところを造成して作った団地で、広島市内にはそれこそ似たような団地がこれまでにも多くあることと思います。
その中でも、ここはかなり上らねばならず、言い方がおかしいのですが、ふもとというのか団地に入る道路から、その団地までは約3キロ
あると当の団地に住む弟夫婦に聞いたことがあります。
当然、此処へ住まう皆さんは車は必需品でもあり、運転出来なければ何事につけ不便であろうな、と感じます。

この団地には小さなコンビニが一軒あるだけで、あとは他にこれといったお店は無く、買い物や他の所用となると、やはり車で往復するのが
一番便利だと思いますし、ほとんどの方がそうしておられるでしょう。
バスも日に何十本と通っておりますが、通勤や通学に乗られる方々はこれもまた多くおられますが、大概の方は自家用車であれこれと用を
済ましておられるのではと思います。
でも、とつい考えてしまいます。
今の時点では皆さん、車も運転出来ますし、下まで行けばいくらでもスーパーもあり、買い物には不自由しない生活だと思います。
これから技術が進めば、車自体もより使い易くなってきているでしょうし、自動運転等が本格化すれば、一々に自分達で煩わしい運転
操作に気を使うことなく安全安心して、車に乗ることも出来るようになるかもしれません。
また仮に車に乗れなくなったとしてもバスがありますので、多少不便でもそれを利用すれば少々のことには大丈夫だろうとも思います。
ですが、此処へ徒歩で行ける範囲にお店があれば、どんなに便利だろうなとも僭越ながら考えます。
散歩に行くようして、ゆるゆると歩いて行ける場所にあるお店、歳を取ったとしても、それこそ運動がてら一石二鳥かもしれません。
                             

話は変わりますが、最近はネットでよく海外のドラマ等を見ています。
今はまっているのは、ニューヨークを舞台にした弁護士事務所のドラマです。
自分の頭の中で考えているアメリカというものを表現したような背景、或いはそのドラマの中での人々の着ているもの、食べ物、はたまた
その住まいであるとか、街の様子であるとか、そのようなことにも目を向けてみると結構面白いものだなと感じております。
ドラマの中でのその事務所は、ニューヨークといわれる場所の中でも、かなり大規模というのかいわゆるアッパークラスの人たちや会社を
顧客に持つ大手のところのようです。
そのようなこととは対照的に、主人公の一人として描かれている若手の新米弁護士の住まいは、自分にはそこがどこであるのかわかりませんが
同じそのニューヨークの中でも少し住む地域が違っているようで、これもまた観ているとその比較が面白く映ります。

それは何もこのニューヨークに限ったことではないのでしょうけれども。

そんなニューヨークのドラマを見ているからというのではありませんが、これもまた、たまたまネットでそのニューヨークの各街の紹介をして
いるようなサイトがあり、これもまた面白く、ついついあれこれとそれらの街について観ておりました。
ブロックというのか、ストリートというのか、区画が変わるとその街の雰囲気もガラリと変わり、住む人の層も全く異なるようにも見受けられ
ます。
先ほど書いたように、アッパーともいえるような人々の居る街や、それとは全く様相の違う場所もあったり千差万別です。
ですけれど、そこには常に暮らしがあり、暮らしがあればまずは食べるものを売る店があり、レストランがあり、或いは様々に暮らしに必要な
物を取り扱う店がそこ此処にあり、活気づいています。
ニューヨークを代表するような大きなデパートやブティックもありますが、それはごく一部の限られた場所であり、人々の住まう所にはそこに
根付いた、暮らしに必要な店が必ずあります。
だからこそ、人々はその街に住み、日々の生活を営んでいるといえるのでしょう。
また、その街にもよりますが、人々のそばには緑があり公園も多く在るようです。

                              

日本でも同じように都会であっても一歩中に入ると、途端に街の様相も変わることは同様かと思います。
それはどこでも似たようなものかもしれません。

ですけれど、地方といわれる場所はだんだんそのような光景も変わってきているのではとも感じます。
以前あった小さなお店は数が減ってきています。
その代わりに、同じような形態の商業施設、いわゆるショッピングモール等があちこちに進出し、その分だけ元からあったお店は立ち行かなく
なり、辞めざるをえないのかもしれません。
消費者としての自分達からすると、車さえあればそのようなところへ出かけて行けば、一度で多くの店へ立ち寄ることが出来、ウィンドウ
ショッピングも兼ねて楽しく過ごすことが出来便利だとも言えます。

しかしながら、そのような商業施設はそれこそ日本全国同じような物を同じように販売するだけで、どこへ行っても代わり映えはしないのでは
とも思います。
同じだから安心出来るといわれるかもしれませんが、面白みは無いのではとも思います。

小さなお店は、今の時代では経営という面からすると難しいところも多々あるのでしょう。
ですが、小さい分だけ、個性的に出来るというメリットもあるのではとも考えます。
お客さんの好みを知ってくれて、その人にはこれが良いと取り置きしてくれていたり、あるいは仕入れてくれていたり、融通が利くところも
大いにあるのではとも思います。

そんな風に考えると、先に書いたようにニューヨークのように、そこ此処で個性的な顔をした街が寄り集い、一つの都市を形成しているのと
いうのはとても大きな魅力だというのがよくわかる気がします。
そこでしか味わえない食べ物や、そこでしか買えない物等。
これもまた述べたように、ニューヨークに限らず世界中の素敵と言われている街では、同様のことがいえるのだろうと思います。

人々の生活が、暮らしがある場所。
集うところがある場所、徒歩で買い物に行けるお店がある場所、歳を取ってもそこへ行けば、誰かしらがいて、顔馴染みの誰彼と話が出来る
場所。

それが出来る場所、可能な場所が、今段々と少なくなってきているように思います。
その役目が、先ほど申したような大きな商業施設に取って替わられているのかもしれません、画一規格のようなショッピングモールに。
悪いばかりでは無いと思います。
雇用もそこで生まれるでしょうし、今では必要不可欠な場所になっているのかもしれません。
けれども、一日中車がひっきりなしに出入りし、夜は遅くまで煌々と明るく照らし出される巨大な豪華客船のような施設は要らないのでは、
とも考えてしまいます。
                                                           

散歩しながら、ついそんなことを考えた今日でした。
取りとめのない、一人よがりのオバサンな文章となってしましました、すみません。
そんな本日のブログへのお付き合い、有難うございました。
                             


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