日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

この頃の あれこれ

2017-12-05 20:31:35 | ものの見方 考え方
こんばんは。
いよいよ冬将軍到来でしょうか、今しがた歩いて来ましたら、最初は ちらり   ほらり  と一片(ひとひら)の雪かしらどうかしらと
いう感じで落ちてきていたものが帰りにはかなり降って来ておりました。
奥を見ると山の上は既に白く被われ始めております。
今夜は冷えるかもしれません。
そういえば日中は雪起こしと思えるような風がごうっとと音を立てて吹いておりましたしね。
朝はやはり寒い空気が張り詰めておりました。




                               




                               




                               



最近、うちの前の道路を日に何台かダンプが往復しております。
これは夏頃話しておりました、この近くにある砂防ダムに溜まった土砂を掻き出しダンプに載せて別の場所へ運搬するのに、このように頻繁に
往来しているということです。
道自体が6メートル以下でかなり見通しの悪い場所もある為、そのような箇所にはガードマンさんが立って逐一無線で連絡を取り合いながらダン
プを通しておられます。
季節の良い時期ならともかく、暑かったりこうも寒く風の吹くはさぞ大変であられるだろうと家の中で居る自分は頭の下がる思いです。
以前も申したように、それが仕事だからといわれれば確かにそうですけれど、このような方がおられるからこそ自分達の生活の安全が守られて
いるとも感じております。
そんなオジサン達と話すと、寒いは寒いけど慣れもあるよ、とのこと。
さすがプロだなぁ。
風邪引かずに頑張って下さいねぇと毎回話しております。



                              
                               



こんな感じの千切れ雲が多く飛んで行く風の強い日、案外とそんな空行く雲を眺めているのが面白いのですけれど、年々寒さに勝てなくなって
来ております;。
さっきのオジサン達、見習わんといけませんな;。



日課となっております祝詞奏上の後の瞑想、いつもそれほど長い時間座っているわけではありません。
長くてせいぜい20分程かと思います。
1時間も座れば良いのかもしれませんけれど、座っております神殿が殆ど火の気がない処でもあり、瞑想しておりますとそのような事も忘れて
しまうのですけれど、それでもだんだんと寒さが募って参ります。
片方で次元の違う場所へ居りつつも、もう片方は案外と寒さを感じておりますようで;修行が足りんぞと言われそうですけれど、そんな感じで
致しております。
また始める前に何度か深い腹式呼吸をして、意識的に息を大きく吸ったり吐いたりして気持ちを整えて行きます。
準備としてはこのように割と間単に始めて行きますね。
そんな今日の瞑想で感じたのが此方です。




 祝詞奏上後、目を閉じて静かに座る

 おーーーーーの大神の声?

    〝   まずは良し (これで良し?)

        在ること 在るがまま 

        (何も)無いのではない (全て) 在る

        気がつかないだけ

        (全て)此処に 在る   〟

 
 見晴るかす 高い山々
 雲間から 金色の光が差し込む
 その光に向かい 飛んで行く


      
    〝   思うところへ 参れ
   
        動け

        留まるな   〟
 
 
これまで様々に出てこられている数多の存在とは少し違い、以前よりずっと付き合いの長い(という言い方も変ですけれどね;)大国主大神は時
として自分でその言葉を下ろしてくる、いわばみくじを下ろす際、まれにこのように最初におーーーーというまるで警蹕(けいひつ)のような声
が出ることがあります。
これは確かに大神のしるしであると、自分では感じております。
大国主大神というだけあって、その存在感は大らかでありながらも威厳のあるどっしりとした感じを受けます。
有無を言わさぬと言う表現がありますけれど、そこまで強くはありませんが確(しか)とした思いを受け取る感じです。
どの存在でもそうではありますけれど、殊大神に関してはその感覚が強いですね。
みくじを下ろした後は、不思議と感情も高揚しているようにも思えます。
これまでで一番慣れ親しんだ、そんな存在であるからかもしれません。

そのような大神からの言葉、神でありながらまるで禅問答ともいえるような言葉ではありますけれど、これを別の言葉で置き換えるとしたならば
最近よく言われている『ワンネス』という言葉にも近いのでは、と感じます。
物事全てはひとつである、宇宙は全てを包含しておるということ、宇宙空間には何も無いように感じられるけれど、そこにはありとあらゆるものが
在るのだ、ということではと思います。
自分が説明すると、言葉そのまんまで全くわからん、説明になってないわ;と言われそうですけれどね。
瞑想をして、あの空間に身を委ねると言われているとこの言葉の意味がよく理解出来る気がします。
何にも無いところで静かに一人座っているだけですけれど、その自分の周りはこうも豊かで明るいところなのか、と感じられてきます。
これが〝 全て 此処に 在る 〟と言われている所以なのではと実感されます。
この感覚はしかし、やはりご自分で感じ取らないとどのように言葉を尽くして説明しても一番分り難いことなのかも、とも思います。

思うところへ参れというのは、自分自身いつまでもグズグズしておりますので、これは思う処、或いは人々と繋がり新しい関係を結びなさいと
いうことなのではと考えております。

実はこのブログを始めてからも、自分自身、この何年間か自分の致しております仕事、神主の仕事に誇りを持ちながらも、こんな自分で果たして
皆様に対して良いのだろうか、こんな自分なんて大したこと無い、とずっと心のどこかで燻る思いがありました。
え、そんな風に全然感じないし、むしろふてぶてしいくらい、あんたふんぞり返っておりますぜ、と感じられておられたかもしれません。
そうだとしましたら、大変申し訳ございませんでした。
けれど、常に自分の中で、これは本当の自分では無く、どこかもっとしゃっきりとした自分であらねばと焦燥感に似た思いを抱いていたようにも
感じます。
それが此の度の神迎祭に何年ぶりかで参らせて頂いたからなのか、何か自分の中でグジグジくすぶる思いであったものが、急に氷解するように
溶けてきた、そのように感じております。
それを感じたのは、何でもないごく普通に乗っていた昨日のバスの中でのことでした。
いつものように所用で出掛け、帰りにバスに乗り込み途中ほんの少しウトウトした後で目を開けて何とはなしにこれから先の自分の姿を思い浮か
べておりました。
そこには嬉々として、皆さんを前にして話をさせて頂いておる自分を頭に描いておりました。
これまでにも当然仕事上でそのように多くの方と接しさせて頂いておりますけれど、これまでとはまた少し違った自分でまた新たな方々との関係
性を取り持てておるような、そんな姿でした。
デジャブというのとも違いますけれど、自分がこうありたいというある意味一種の理想の自分の姿だったのかもしれません。
そのような姿を頭に思い描いた時、あ、これ自分、もっと自信持っていいんじゃない、と感じられたのでした。 

聞かれる側の皆様にしてみれば、何それ?という感じかもしれませんけれど。
しかしながら、自分の中では小さいけれど、何か大きな一歩を踏み出させて頂けたのでは、と感じておるところです。
とはいえ、肝心なのは当然此処からなのですけれど。




                                   



話は全く変わりまして、うちの息子のことでございます;。
卑近な話題ですみません(あ、上の話もそうですけれどね;)
連絡してきたのですけれど、どうやら昨夜から熱が出て目眩は治ったけれど、お腹下すのが収まらないとか;。
公休日は毎週、火、水曜ですので身体を休めるのには問題ないのでしょうけれど、なんせ一人暮らし。
近くのコンビニは歩くと15分ほどであるにはありますが、そんな身体では出るのも億劫でしょうしね;。
同じアパートに住む同僚の方にスポーツ飲料買って来てもらえば?とは言ったのですけれど。
あまり酷いようなら行ってみてやろうかと思いながら外を見ると、なあんと雪、ですがな;。
まぁ、それほど積もるまでは行かないでしょうけれどね。
後ほどまた連絡して、どんな様子か聞いてみたいと思います。
甘い母ちゃんと言われそうですけれど、やはり心配ではあります;。
自分も若い頃一人暮らしは10年ほどしましたけれど、病気の時が一番心細かったですね、今思い返してみても。
気をつける以外にはありませんね。

このお腹下して熱出して、はどうも流行している節があります。
皆様もどうぞお気をつけ下さいね。




 
                                     



本日もこの拙いブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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