こんばんは。
日本列島、冷え込んでますねぇ。
いきなり晩秋を通り越して、一気に冬に突入した感じです。
以前にも申しましたけれど、寒がりな自分は動けなくなる時期でもある;。
冬生まれのくせして、駄目ですね;。
皆様はどちらがお好きでしょうか。
そんな寒い日の朝は、こんな感じでした。
冬の様相がありありですね。
このところ、続けてゾロ目をよく見かけます。
いいよ、という人もおられますし、気にしなければ特にどうということもないものでもあります。
確かに気にすれば余計にそのような数字を目にした時に意識に残りやすいということもあるでしょうしね。
それでも、ふと目をやったパソコンの隅の時計が44分を指していたり、須磨穂を見るとまたそうなっていたりと、立て続けてみる事が多くなると
何かあるんかいな?とつい考えてしまいますよね。
以前は、今もうしたこの44という数字をやたらと見かけており、ともすればちょうど1時間経った次の44分を見ていたり、とどうして?と
思っていた時もありました。
よくいわれるエンジェルナンバーとかで確かめると、どうやら天使がいますよとかという意味らしいのですけれど。
あるいは4と4で合計8になるので、龍をあらわしているという方もおられますね。
数字で自分達が認識していないことを教えてくれているとも聞きますし、面白いなと感じております。
88とか99とかもこのところ目に付きますけれど、特に金運が上がったということもないので、まぁそんなものかもね、という位に考えておこうか
と思います。(本音では、そりゃ金運上がって欲しいですよ、エヘヘ;;)
そんな金運の話に絡めたわけではないのですけれど、今朝頭に入ってきた事は、まさにその「お金」に関することでした。
皆様はお金に対してどのようなイメージを持っておられるでしょうか。
大事に扱わないといけないとか、或いは全くの物を買う手段であると捉えているか。
大体、女性はお金に対してどこか崇めまつる感覚があるのかな、とも感じます(あくまでも、そう思うだけですよ)
片や男性は、割とお金とは物に対する対価でありそれ以上でもそれ以下でもないと考えておられる方も結構おられるのでは、とも思います。
かく言う自分は、粗末に扱ってはいけないけれど妄信的に奉るようにすることもないのでは、とも感じます。
ただ例えば、お店等で大きなお金を崩した時に、しわくちゃな紙幣とかで戻ってくると少しばかりテンション下がる感じでしょうか;。
決してお金そのものが悪いわけではないのですけれどね;。
そんなお金、殊にどうやら紙幣に纏わる、そのような話を聞かせて頂くことが出来たようでした。
いつものように祝詞奏上の後に座っていると
金色に黒が混ざったような色合いの龍(鯉によくいるような感じ、ほぼ金色)
〝 そなたらの使う 金(かね)というもの
そのものへの思い様で 如何様にもなる
(物を買う)道具として扱うか 崇め奉るようにするのとも 違う
欲望むき出しで付き合うか そうでないかでも違う
その者の持つ波動が そのまま金へ投影される
だからこそ(それまでにその金を持っていた者の)波動が反映されるとも言える
ありがとう という感じの気持ちで使われたものならば
その波動を乗せて 次へと渡って行く
出すのが惜しい 使うのが惜しい などとネガティブな思いでもって使えば
それを乗せて 又 渡って行く
自分が使おうとする時 どちらの方を使いたいか考えれば 自ずとわかるであろう
多くの人間の間を回っておるが せめて自分の処へ来た時には
そのもの自身(お金)に対して 感謝の念を抱くことじゃ
そうすることで その金の持つ波動も その時に上乗せされる
金持ちと言われる人間が使う金が より多く(お金が)回るというのは
そういうことでもある
いわば綺麗に(波動的に)しようとするなら
神といわれるところで 清めること(?)
そのものの持つ波動を 低くしないことでもある 〟
この龍の前後にお金の天秤を持つ女神が浮かぶ?(そんなん、おられましたっけ;?)
“ まだしばらくは 人間はこの貨幣と付き合わねばならない時が続きます
お金に対する考え方次第で 如何様にも なります
マイナスのイメージで 捉えないで下さい ”
また先ほどの龍
〝 金にせよ 物にせよ そのものに対して 自分が それに対する気持ちで
そのものの持つ 波動が変わる
昔より行われている中古の物の やり取りも一緒
良い波動を持つ者から 自分のところへ来たものは そのようになる
全ては 波動 良いことを思うことだ 〟
まぁ、話の内容としては、これまた至極当然のような話ではありますよね。
お金に対してどのように捉えているか、それによりお金そのものの持つ波動も変わるというのには、言われてみれば確かにそうだな、と今回妙に
納得した気がしました。
新札、いわゆるピン札と呼ばれる新しい紙幣はそういった多くの人々のしがらみのような波動というのかエネルギーというのか、そのようなもの
がまだ付いていないからこそ、余計気持ちが良いのかもしれないと感じました。
これはいわずもがな、ですよね。
龍が話す事は、非常に説得力のあることなのでは、と今回感じました。
続いてというか、途中で西洋の女神像のようなものが頭に浮かんだのですけれど、これはアバンダンシアという豊穣を司る女神の姿ではなく
自分が思い描いたのは、どうやら裁判所等で審判をするのに出てくる、天秤を持った女神像のようでした。
なんで審判なんよ;?と自分でも疑問に思えたのですが、どうもお金というものに対する考え方を表していたのかな、と感じたりもしました。
要するにお金の持つイメージに対しての各人のジャッジということを表現していたのかと考えます。
お金は要るものだけれど、本当は悪なんだと無意識に感じている人と、いやそうではなくてお金は自分達を豊かにしてくれるものなんだと考える
側の人達とのせめぎ合いということなのかな、ともその映像を頭で思い浮かべながら感じておりました。
実際、考え方により、どのようにも受け止められるものなのでは、と感じます。
ただ、このお金というもの、生き物ではないはずですけれど、それが多く集まれば集まるほどその力も増してきますね。
水に例えられるように、少ない時にはそれほどの力はありませんが総量が大きくなるにつれ飛躍的にその力も増していくようです。
これも当たり前じゃないか、と言われそうですけれど、どうして元々物と物とを交換するその手段としての役割しか与えられていなかったのに、
いつ頃からこのように「お金」という無機質なものがあたかも生命を得たかのように、或いはエネルギーをもった一種の生き物のように感じられ
るようになったのか不思議な思いもするところです。
お金というものに対する考え方は、それこそ十人十色、様々にあることかと思います。
それでもやはりネガティブに捉えることなく、上手な付き合い方をしていきたいものだと思います。
お金を神様のところで清めよ、というのは自分の場合は仕事で入ってきた玉串料は当然、まずは神様へ一度お供えして感謝を申し上げた後に財布へ
入れるなり使わせて頂くなり致します。
今は各家庭に神棚もないのかもしれませんので、そのようにお供えするということも難しいかと思われますけれど、まずは一度は入ってきたお金に
有難うという感謝の念を持つことが大事なのではと思いました。
また、最後に龍の述べておりますこと、物にしても持っていた者の波動は大いに受けるというのも頷ける思いが致します。
以前の持ち主の思いがその物にもついてくるのかもしれませんけれど、これも分かる気が致しますね。
何でも一様にそうなのかもしれませんけれどね。
ただし、物が持っている波動、これについては様々にありますし、どうかなと感じられる時にはそれこそ何らかの方法で清めること、これを考えて
みられればと思います。(このことはまたいずれ触れたいと思います。こんなのばっかりですけれど;)
何を持つにしても、まずは感謝ということでしょうか。
そのように今回は感じられました。
お金について考えると、これもまた相当な事が考えられるかと思います。
いずれ改めて、今一度考えてみたいと思います。
先日お知らせ致しましたこの二十七日からの神迎祭、続いての神在祭等、此方へ龍蛇神講という講の講員として参列なさりたいと思われる方が
御座いましたらば、下記よりご連絡下さいませ。
また、ご縁を頂かれたいとお考えの方も「縁結大祭」という、縁を結んで頂く御祈願を致しておりますので、併せて御覧頂ければと存じます。
詳しくは当ブログの三日の「神在祭等について」に詳しくご紹介させて頂いております。
宜しくお願い申し上げます。
メールアドレスは
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
尚、16日のブログの緊急告知の方も合わせてお読みいただけますと幸いに存じます。
まだ、もし考えておられる方が御座いましたら、どうぞ上記のアドレスまでお伝え下さいませ。
本日もこのぶろぐへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
日本列島、冷え込んでますねぇ。
いきなり晩秋を通り越して、一気に冬に突入した感じです。
以前にも申しましたけれど、寒がりな自分は動けなくなる時期でもある;。
冬生まれのくせして、駄目ですね;。
皆様はどちらがお好きでしょうか。
そんな寒い日の朝は、こんな感じでした。
冬の様相がありありですね。
このところ、続けてゾロ目をよく見かけます。
いいよ、という人もおられますし、気にしなければ特にどうということもないものでもあります。
確かに気にすれば余計にそのような数字を目にした時に意識に残りやすいということもあるでしょうしね。
それでも、ふと目をやったパソコンの隅の時計が44分を指していたり、須磨穂を見るとまたそうなっていたりと、立て続けてみる事が多くなると
何かあるんかいな?とつい考えてしまいますよね。
以前は、今もうしたこの44という数字をやたらと見かけており、ともすればちょうど1時間経った次の44分を見ていたり、とどうして?と
思っていた時もありました。
よくいわれるエンジェルナンバーとかで確かめると、どうやら天使がいますよとかという意味らしいのですけれど。
あるいは4と4で合計8になるので、龍をあらわしているという方もおられますね。
数字で自分達が認識していないことを教えてくれているとも聞きますし、面白いなと感じております。
88とか99とかもこのところ目に付きますけれど、特に金運が上がったということもないので、まぁそんなものかもね、という位に考えておこうか
と思います。(本音では、そりゃ金運上がって欲しいですよ、エヘヘ;;)
そんな金運の話に絡めたわけではないのですけれど、今朝頭に入ってきた事は、まさにその「お金」に関することでした。
皆様はお金に対してどのようなイメージを持っておられるでしょうか。
大事に扱わないといけないとか、或いは全くの物を買う手段であると捉えているか。
大体、女性はお金に対してどこか崇めまつる感覚があるのかな、とも感じます(あくまでも、そう思うだけですよ)
片や男性は、割とお金とは物に対する対価でありそれ以上でもそれ以下でもないと考えておられる方も結構おられるのでは、とも思います。
かく言う自分は、粗末に扱ってはいけないけれど妄信的に奉るようにすることもないのでは、とも感じます。
ただ例えば、お店等で大きなお金を崩した時に、しわくちゃな紙幣とかで戻ってくると少しばかりテンション下がる感じでしょうか;。
決してお金そのものが悪いわけではないのですけれどね;。
そんなお金、殊にどうやら紙幣に纏わる、そのような話を聞かせて頂くことが出来たようでした。
いつものように祝詞奏上の後に座っていると
金色に黒が混ざったような色合いの龍(鯉によくいるような感じ、ほぼ金色)
〝 そなたらの使う 金(かね)というもの
そのものへの思い様で 如何様にもなる
(物を買う)道具として扱うか 崇め奉るようにするのとも 違う
欲望むき出しで付き合うか そうでないかでも違う
その者の持つ波動が そのまま金へ投影される
だからこそ(それまでにその金を持っていた者の)波動が反映されるとも言える
ありがとう という感じの気持ちで使われたものならば
その波動を乗せて 次へと渡って行く
出すのが惜しい 使うのが惜しい などとネガティブな思いでもって使えば
それを乗せて 又 渡って行く
自分が使おうとする時 どちらの方を使いたいか考えれば 自ずとわかるであろう
多くの人間の間を回っておるが せめて自分の処へ来た時には
そのもの自身(お金)に対して 感謝の念を抱くことじゃ
そうすることで その金の持つ波動も その時に上乗せされる
金持ちと言われる人間が使う金が より多く(お金が)回るというのは
そういうことでもある
いわば綺麗に(波動的に)しようとするなら
神といわれるところで 清めること(?)
そのものの持つ波動を 低くしないことでもある 〟
この龍の前後にお金の天秤を持つ女神が浮かぶ?(そんなん、おられましたっけ;?)
“ まだしばらくは 人間はこの貨幣と付き合わねばならない時が続きます
お金に対する考え方次第で 如何様にも なります
マイナスのイメージで 捉えないで下さい ”
また先ほどの龍
〝 金にせよ 物にせよ そのものに対して 自分が それに対する気持ちで
そのものの持つ 波動が変わる
昔より行われている中古の物の やり取りも一緒
良い波動を持つ者から 自分のところへ来たものは そのようになる
全ては 波動 良いことを思うことだ 〟
まぁ、話の内容としては、これまた至極当然のような話ではありますよね。
お金に対してどのように捉えているか、それによりお金そのものの持つ波動も変わるというのには、言われてみれば確かにそうだな、と今回妙に
納得した気がしました。
新札、いわゆるピン札と呼ばれる新しい紙幣はそういった多くの人々のしがらみのような波動というのかエネルギーというのか、そのようなもの
がまだ付いていないからこそ、余計気持ちが良いのかもしれないと感じました。
これはいわずもがな、ですよね。
龍が話す事は、非常に説得力のあることなのでは、と今回感じました。
続いてというか、途中で西洋の女神像のようなものが頭に浮かんだのですけれど、これはアバンダンシアという豊穣を司る女神の姿ではなく
自分が思い描いたのは、どうやら裁判所等で審判をするのに出てくる、天秤を持った女神像のようでした。
なんで審判なんよ;?と自分でも疑問に思えたのですが、どうもお金というものに対する考え方を表していたのかな、と感じたりもしました。
要するにお金の持つイメージに対しての各人のジャッジということを表現していたのかと考えます。
お金は要るものだけれど、本当は悪なんだと無意識に感じている人と、いやそうではなくてお金は自分達を豊かにしてくれるものなんだと考える
側の人達とのせめぎ合いということなのかな、ともその映像を頭で思い浮かべながら感じておりました。
実際、考え方により、どのようにも受け止められるものなのでは、と感じます。
ただ、このお金というもの、生き物ではないはずですけれど、それが多く集まれば集まるほどその力も増してきますね。
水に例えられるように、少ない時にはそれほどの力はありませんが総量が大きくなるにつれ飛躍的にその力も増していくようです。
これも当たり前じゃないか、と言われそうですけれど、どうして元々物と物とを交換するその手段としての役割しか与えられていなかったのに、
いつ頃からこのように「お金」という無機質なものがあたかも生命を得たかのように、或いはエネルギーをもった一種の生き物のように感じられ
るようになったのか不思議な思いもするところです。
お金というものに対する考え方は、それこそ十人十色、様々にあることかと思います。
それでもやはりネガティブに捉えることなく、上手な付き合い方をしていきたいものだと思います。
お金を神様のところで清めよ、というのは自分の場合は仕事で入ってきた玉串料は当然、まずは神様へ一度お供えして感謝を申し上げた後に財布へ
入れるなり使わせて頂くなり致します。
今は各家庭に神棚もないのかもしれませんので、そのようにお供えするということも難しいかと思われますけれど、まずは一度は入ってきたお金に
有難うという感謝の念を持つことが大事なのではと思いました。
また、最後に龍の述べておりますこと、物にしても持っていた者の波動は大いに受けるというのも頷ける思いが致します。
以前の持ち主の思いがその物にもついてくるのかもしれませんけれど、これも分かる気が致しますね。
何でも一様にそうなのかもしれませんけれどね。
ただし、物が持っている波動、これについては様々にありますし、どうかなと感じられる時にはそれこそ何らかの方法で清めること、これを考えて
みられればと思います。(このことはまたいずれ触れたいと思います。こんなのばっかりですけれど;)
何を持つにしても、まずは感謝ということでしょうか。
そのように今回は感じられました。
お金について考えると、これもまた相当な事が考えられるかと思います。
いずれ改めて、今一度考えてみたいと思います。
先日お知らせ致しましたこの二十七日からの神迎祭、続いての神在祭等、此方へ龍蛇神講という講の講員として参列なさりたいと思われる方が
御座いましたらば、下記よりご連絡下さいませ。
また、ご縁を頂かれたいとお考えの方も「縁結大祭」という、縁を結んで頂く御祈願を致しておりますので、併せて御覧頂ければと存じます。
詳しくは当ブログの三日の「神在祭等について」に詳しくご紹介させて頂いております。
宜しくお願い申し上げます。
メールアドレスは
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
尚、16日のブログの緊急告知の方も合わせてお読みいただけますと幸いに存じます。
まだ、もし考えておられる方が御座いましたら、どうぞ上記のアドレスまでお伝え下さいませ。
本日もこのぶろぐへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。