こんばんは。
日々、暑いの連続ですけれど、今日はムシムシ感はかなり軽減され、その分これまでよりも過ごしやすく思われました。
もっとも、暑いことには変わりなくやはり夏、ではあります。
そんな朝は此方。
薄雲はありましたが、しばらくぶりで青空が広がっておりました。
昨夜夜遅くまで、ある本を読んでおりました。
気づくと一時半を過ぎており、おっとこれはいけない、と頭元のスタンドの灯りを消したのですけれど。
市販されておる物ではなく、おそらくごく限られた方々へのものかと思うのですが。
この本は、信者さんのご主人が此方の小学校へ通われていたことから、そのような方々へ配布されたものなのではと思うのですけれど、詳しくは
存じません、申し訳ございません。
いつぞや、此方のお宅に御祓いに参らせて頂いたおりの事、いつも奥様とお話させて頂くのですけれど、その時どこであったか、部屋の一隅に置かれて
あったその本に目がいき、手に取りパラパラとめくっておりますと
「宜しかったら、お持ちください。実在のお子さんのことではないですけれど、皆さんの当時の話を元に書かれたらしいですよ」
とおっしゃり、何冊か積まれてあった本の中から一冊を頂戴して帰ったのでした。
それは広島市の本川小学校に通う、ある女の子の視点から書かれた原爆の記憶の本です。
「48色の夢のクレヨン」と題されたその本は、当時6歳であった花子という女の子が主人公で原爆投下の一日前、日常の何気ない風景の中で
自分の敬愛する姉と楽しい会話をしているところから物語が始まります。
何も変わらないごく普通の生活、とはいえ戦中のこととて、花子は次の日から広島から遠く離れた地へ疎開に行くのですが、その前日に自宅の
庭に咲いた蓮の花を愛でたり、トンボが卵を産み付けるところを偶然発見したりしながら束の間を楽しむ光景が描かれています。
そんな、ともすれば平和ともいえる原風景は、次の日の広島への新型爆弾投下により一瞬にして破壊されてしまいます。
遠くの疎開先からでさえ、きのこ雲といわれたあの忌まわしい黒く毒々しい雲は見え、まるで地震が起こったかのような地響きまでしたといいます。
その後、まもなくしてそのような広島の地から逃げ延びてきた人々が、まるで幽霊のような姿であったり、その人々の放つ異臭にも花子は尋常なら
ざるものを、その目に焼き着付けることになります。
自分たちの家族は無事でいるのか、そんな心配を胸に父の妹であるおばと共に数日後に市内へ入るのですが、そこでは自分の知っていた広島の町とは
到底思えない凄まじいばかりの光景が広がっているのでした。
景色はおろか、そこへ居る人は今この瞬間、声を発していたと思うと、一口水を口に含んでそのまま息絶えることも少なくないような状況でした。
花子を通してみたそれらの光景は、とても自分の思っていた場所などではなく、黒こげになった馬や木や、焦げたような変な臭いの漂う黒一色の
世界だったようです。
結局は、彼女の父は少し前に疎開先に近い病院まで戻れたものの、酷い火傷により人相も変わるほどになっており、最後は書かれておりませんが
おそらく長い命ではなかったのでしょう。
その父が連れて帰ったという母は、白い箱の中に焼けてグニャリと曲がった眼鏡が入っているきりだったのでした。
それでも、どうしてもあきらめきれない花子は、先のようにおばと二人市内へ入り、この世のものとは思えない光景を目の当たりにしたのです。
二人で広島まで戻り、結果的には花子の家があった場所にはなにもなくなっており、おば自身もその当時身重であったため、一度田舎へ戻り、
なんとか出産はしたものの、赤ん坊は生まれてしばらくして肺炎に罹り、あっけなく死んでしまいます。
おば自身も、それまでに出征した息子を二人とも亡くしてしまい、自分の夫も入市後、わからなくなったのか、身内が互いに居なくなってしまった
花子とおばは今一度広島へ戻り、二人で暮らすことになります。
戦後は、誰しもそうであったように、原爆で焼けて何も無くなった広島の街では親も居ない子もおり、そのような子らは孤児院へ送られたり、それ
までの幸せな生活とは一変してしまう人生を歩む者も少なくなかったのでした。
花子自身は、二人きりの生活の中で、自分の身内を亡くしたことにより、朗らかで明るかった性格も笑顔さえ出ないほど変わってしまったおばに
最初はとまどいなからも、少しずつ自分を思ってくれていることに気づき、花子自身が明るくあろうとしていくようになります。
些細なことで笑い合える友達と再開された学校で出会い、辛い日常を子供なりの明るさで過ごしていくようになります。
綺麗なズックも買ってもらえないけれど、それより様々な境遇の子供たちと過ごすうちに、自分の方がまだましだと思ったり、戦争前と変わらぬ
家族と過ごせている友達のことを羨ましく考えたり、子供なりの感性で心の内に落とし込んでいくようでした。
そんな学校生活の中で、先生方は子供らに物がないなりに必死で勉強を教えてくれたり、近くの中学校からオルガンを肩に担いで借りてきたりして
出来る限りの授業をしてくれようと取り組んでいます。
窓にはガラスなどなく、打ち付ける風にはトタンを張って凌いでいたりしますが、やがて大人たちがお金を出し合って買ってくれたガラスを窓に
取り付け、久しぶりのその風景を楽しんだりするのでした。
物語の題名になっている48色のクレヨンは、この後出てくるわけですが、すみません、今日は此処までとさせて下さい。
このお話と共に、自分自身が祖母に聞いた事や、知り合いの方にうかがった話などを交えてまた書かせて頂ければと思います。
恥ずかしながら、最近、すっと立ち上がるとクラッとして立ちくらみを起こします;;。
どうやら貧血みたいなのですけれど;。
つい先だっては太極拳しまーす、なんぞと威勢のいいことを申しておったのですが、ここ二、三日少し歩くだけでやけに疲れるなぁ、と感じて
おると、立ちくらみを覚えるようになり、う~む、イカンぞこれは;、と思っておるところです。
貧血になる要素は、はっきり言って更年期の今、排除されているようなものなのですけれど;。
あと考えられるのは、単なる栄養失調;くらいですかね。
息子がいなくなり、自分だけとなると、どうやらこのオバサン、手抜きを覚えたらしく(自分のことでっせ;)あまりまともな食生活をしておら
ないのかも、と自分に思ったりしております。
なんにせよ、一度病院行った方がよさそうですね。
中途半端に終わってしまいましたけれど、続きはしっかり書かせて頂きたく思います。
このようなブログへのお付き合い、本日も有難うございました。
日々、暑いの連続ですけれど、今日はムシムシ感はかなり軽減され、その分これまでよりも過ごしやすく思われました。
もっとも、暑いことには変わりなくやはり夏、ではあります。
そんな朝は此方。
薄雲はありましたが、しばらくぶりで青空が広がっておりました。
昨夜夜遅くまで、ある本を読んでおりました。
気づくと一時半を過ぎており、おっとこれはいけない、と頭元のスタンドの灯りを消したのですけれど。
市販されておる物ではなく、おそらくごく限られた方々へのものかと思うのですが。
この本は、信者さんのご主人が此方の小学校へ通われていたことから、そのような方々へ配布されたものなのではと思うのですけれど、詳しくは
存じません、申し訳ございません。
いつぞや、此方のお宅に御祓いに参らせて頂いたおりの事、いつも奥様とお話させて頂くのですけれど、その時どこであったか、部屋の一隅に置かれて
あったその本に目がいき、手に取りパラパラとめくっておりますと
「宜しかったら、お持ちください。実在のお子さんのことではないですけれど、皆さんの当時の話を元に書かれたらしいですよ」
とおっしゃり、何冊か積まれてあった本の中から一冊を頂戴して帰ったのでした。
それは広島市の本川小学校に通う、ある女の子の視点から書かれた原爆の記憶の本です。
「48色の夢のクレヨン」と題されたその本は、当時6歳であった花子という女の子が主人公で原爆投下の一日前、日常の何気ない風景の中で
自分の敬愛する姉と楽しい会話をしているところから物語が始まります。
何も変わらないごく普通の生活、とはいえ戦中のこととて、花子は次の日から広島から遠く離れた地へ疎開に行くのですが、その前日に自宅の
庭に咲いた蓮の花を愛でたり、トンボが卵を産み付けるところを偶然発見したりしながら束の間を楽しむ光景が描かれています。
そんな、ともすれば平和ともいえる原風景は、次の日の広島への新型爆弾投下により一瞬にして破壊されてしまいます。
遠くの疎開先からでさえ、きのこ雲といわれたあの忌まわしい黒く毒々しい雲は見え、まるで地震が起こったかのような地響きまでしたといいます。
その後、まもなくしてそのような広島の地から逃げ延びてきた人々が、まるで幽霊のような姿であったり、その人々の放つ異臭にも花子は尋常なら
ざるものを、その目に焼き着付けることになります。
自分たちの家族は無事でいるのか、そんな心配を胸に父の妹であるおばと共に数日後に市内へ入るのですが、そこでは自分の知っていた広島の町とは
到底思えない凄まじいばかりの光景が広がっているのでした。
景色はおろか、そこへ居る人は今この瞬間、声を発していたと思うと、一口水を口に含んでそのまま息絶えることも少なくないような状況でした。
花子を通してみたそれらの光景は、とても自分の思っていた場所などではなく、黒こげになった馬や木や、焦げたような変な臭いの漂う黒一色の
世界だったようです。
結局は、彼女の父は少し前に疎開先に近い病院まで戻れたものの、酷い火傷により人相も変わるほどになっており、最後は書かれておりませんが
おそらく長い命ではなかったのでしょう。
その父が連れて帰ったという母は、白い箱の中に焼けてグニャリと曲がった眼鏡が入っているきりだったのでした。
それでも、どうしてもあきらめきれない花子は、先のようにおばと二人市内へ入り、この世のものとは思えない光景を目の当たりにしたのです。
二人で広島まで戻り、結果的には花子の家があった場所にはなにもなくなっており、おば自身もその当時身重であったため、一度田舎へ戻り、
なんとか出産はしたものの、赤ん坊は生まれてしばらくして肺炎に罹り、あっけなく死んでしまいます。
おば自身も、それまでに出征した息子を二人とも亡くしてしまい、自分の夫も入市後、わからなくなったのか、身内が互いに居なくなってしまった
花子とおばは今一度広島へ戻り、二人で暮らすことになります。
戦後は、誰しもそうであったように、原爆で焼けて何も無くなった広島の街では親も居ない子もおり、そのような子らは孤児院へ送られたり、それ
までの幸せな生活とは一変してしまう人生を歩む者も少なくなかったのでした。
花子自身は、二人きりの生活の中で、自分の身内を亡くしたことにより、朗らかで明るかった性格も笑顔さえ出ないほど変わってしまったおばに
最初はとまどいなからも、少しずつ自分を思ってくれていることに気づき、花子自身が明るくあろうとしていくようになります。
些細なことで笑い合える友達と再開された学校で出会い、辛い日常を子供なりの明るさで過ごしていくようになります。
綺麗なズックも買ってもらえないけれど、それより様々な境遇の子供たちと過ごすうちに、自分の方がまだましだと思ったり、戦争前と変わらぬ
家族と過ごせている友達のことを羨ましく考えたり、子供なりの感性で心の内に落とし込んでいくようでした。
そんな学校生活の中で、先生方は子供らに物がないなりに必死で勉強を教えてくれたり、近くの中学校からオルガンを肩に担いで借りてきたりして
出来る限りの授業をしてくれようと取り組んでいます。
窓にはガラスなどなく、打ち付ける風にはトタンを張って凌いでいたりしますが、やがて大人たちがお金を出し合って買ってくれたガラスを窓に
取り付け、久しぶりのその風景を楽しんだりするのでした。
物語の題名になっている48色のクレヨンは、この後出てくるわけですが、すみません、今日は此処までとさせて下さい。
このお話と共に、自分自身が祖母に聞いた事や、知り合いの方にうかがった話などを交えてまた書かせて頂ければと思います。
恥ずかしながら、最近、すっと立ち上がるとクラッとして立ちくらみを起こします;;。
どうやら貧血みたいなのですけれど;。
つい先だっては太極拳しまーす、なんぞと威勢のいいことを申しておったのですが、ここ二、三日少し歩くだけでやけに疲れるなぁ、と感じて
おると、立ちくらみを覚えるようになり、う~む、イカンぞこれは;、と思っておるところです。
貧血になる要素は、はっきり言って更年期の今、排除されているようなものなのですけれど;。
あと考えられるのは、単なる栄養失調;くらいですかね。
息子がいなくなり、自分だけとなると、どうやらこのオバサン、手抜きを覚えたらしく(自分のことでっせ;)あまりまともな食生活をしておら
ないのかも、と自分に思ったりしております。
なんにせよ、一度病院行った方がよさそうですね。
中途半端に終わってしまいましたけれど、続きはしっかり書かせて頂きたく思います。
このようなブログへのお付き合い、本日も有難うございました。