気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

チョムスキー氏語る・9-----ウクライナ侵攻から半年(2022年8月24日)

2022年10月18日 | 国際政治

訳出が遅くて申し訳ありませんが、ウクライナ侵攻からほぼ半年後の状況をめぐる、
チョムスキー氏へのインタビューの文章です。

タイトルは
Chomsky: Six Months Into War, Diplomatic Settlement in Ukraine Is Still Possible
(チョムスキー氏語る: ウクライナ侵攻から半年、外交的解決はなお可能)

インタビューの聞き手は C.J. Polychroniou(C・J・ポリクロニオ)氏。


原文はこちら
https://truthout.org/articles/chomsky-six-months-into-war-diplomatic-settlement-in-ukraine-is-still-possible/


(ネットでの可読性の低さを考慮し、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、
ひんぱんに改行をおこなった)


-----------------------------------------------------------------


Chomsky: Six Months Into War, Diplomatic Settlement in Ukraine Is Still Possible
チョムスキー氏語る: ウクライナ侵攻から半年、外交的解決はなお可能



C・J・ポリクロニオによるインタビュー、『トゥルースアウト』誌

2022年8月24日


(『トゥルースアウト』誌による前文)

ウクライナにおける戦闘は勢いの衰えをいまだ見せない。この悲劇が幕を閉じる気配は
いまだうかがえない。一方、目下の状況がこれからもずっと変わらないままであると
いうこともやはり想像しがたい。この戦争はロシア軍のおどろくべき脆弱さを明らかに
した。また、ウクライナ側の頑強な抵抗は軍事専門家でさえ予想外のことであった。
いずれにしろ、はっきりしているのは、本サイトの独占インタビューでチョムスキー氏が
特に指摘しているように、ウクライナにおいて米国が「代理」戦争を遂行していること
である。そのおかげで、ロシアの軍事作戦策定者は大きな成果をあげることがきわめて
難しくなっている。
侵攻の当初から、チョムスキー氏は、この問題をめぐる発言者の中でもっとも重要な存在
としての地位を築いている。同氏は、ロシアの侵攻を不法な武力攻撃と批判するとともに、
プーチン大統領が隣国への侵攻を決定するにあたっての微妙な政治的、歴史的文脈を解き
ほぐしてみせた。
以下のインタビューで、同氏は、侵攻に対する批判をあらためて口にし、和平交渉を
取りまく状況が「アフガニスタンという罠」をどうしても想起させずにおかないことに
言及するとともに、目下米国で進行中の、一種異様な検閲状況についてもふれた。これは、
ウクライナ戦争に関する歓迎されない意見を組織的に抑圧することでおこなわれている。

チョムスキー氏は、マサチューセッツ工科大学(MIT)の言語学と哲学の名誉教授、
アリゾナ大学の言語学栄誉教授、および同大学の『アグネーゼ・ネルムズ・ハウリー環境
・社会的公正プログラム』のファカルティ・チェアである。
世界で突出して引用されることの多い学者の一人であり、何百万もの人々から米国のみ
ならず世界的な財産と見なされている著名な知識人である同氏は、150余の著作をこれまで
上梓している-----その分野は言語学、政治・社会思想、政治経済学、メディア研究、米外交
政策、国際問題、等々と多岐にわたる。
最近の著作は『言葉の秘密』(アンドレア・モロ氏との共著、マサチューセッツ工科大学
出版局、2022年刊)、『撤退: イラク・リビア・アフガニスタン-----米国の脆弱性』
(ヴィジャイ・プラシャド氏との共著、ザ・ニュー・プレス社、2022年刊)、『危機の
瀬戸際: 新自由主義、パンデミック、社会変革の喫緊の必要性』(C・J・ポリクロニオ氏に
よるインタビュー、ヘイマーケット・ブックス社、2021年刊)など。


C・J・ポリクロニオ:
ロシアがウクライナに侵攻してから半年が経過しました。が、戦争が終結する見込みは
まだうかがえません。プーチン大統領の戦略は大きく裏目に出ました。
首都のキエフ(キーウ)の占拠に失敗しただけでなく、西側諸国の結束をあらためて
強化するとともに、フィンランドとスウェーデンが長年の中立の立場を棄ててNATOに
加盟するという結果をまねきました。加えて、大規模な人道的危機とエネルギー価格の
高騰、そして、ロシアの国際的孤立をももたらしました。
危機の当初から、あなたはこの侵攻を武力攻撃という名の犯罪行為と表現し、それを
米国のイラク侵攻、ヒトラーとスターリンのポーランド侵攻になぞらえていました。
もっとも、ロシアの場合は、NATOの東方拡大に脅威を感じていたわけですが。
今もこのようなお考えに変わりはないと存じます。が、もしプーチン大統領が、自分の
始めたこの軍事的バクチが長期化するとわかっていたら侵攻を思いとどまっていたか
どうか、これについてはいかがお考えでしょうか。

ノーム・チョムスキー:
プーチン大統領の心を読み解く試みは小規模な業界を形成するに至っていますね。その中
には、茶葉占いで、ごく少ない茶葉を判断材料に、自信満々の態度で断言する、そういった
風な人々がいます。私も多少の推測はしますが、こういった人々はほかの人々よりきちんと
した証拠に基づいて発言しているわけではありません。ですから、あまり信を置くことは
できません。

私の推測としては、ロシアの諜報機関の判断は、米国政府の発表した予想と同じであった
ろうというものです。つまり、キエフの占領および傀儡政権の樹立はたやすいという見方
です-----現実に起こったような、大失敗をするという見方ではなく。
これも私の推測ですが、もしプーチン大統領がウクライナ国民の抵抗の意志とその能力、
また、自国軍の能力不足についてもっとましな情報を得ていれば、その作戦計画はちがった
ものになっていたでしょう。
たぶん、その作戦計画は事情通の多くの評論家が予想していたものであり、また、ロシアが
目下、代替案として採用するに至っているらしきもの、つまり、クリミアと自国への経路の
より堅固な支配、およびまた、ドンバス地方の併合です。

プーチン大統領は、おそらくは、もっと良質の情報を得ていれば、賢明な対応、つまり、
マクロン大統領の申し出た構想をもっと真剣に検討していたのではないかと思います。これは
戦争を避けられたであろう、交渉による事態収拾の手立てでした。あるいは、ドゴール大統領
やゴルバチョフ大統領がかつて提唱した線に沿った、欧州とロシアの協調に向けた動きに踏み
出していたかもしれません。
私たちが知っているのはただ、これらの提案が一笑に付され、顧みられなかったこと、その
結果、大きな犠牲が生じたこと、そしてその大きな犠牲はとりわけロシアに生じたことです。
プーチン大統領はこれらの提案の代わりに武力侵攻という残虐行為にうったえました。つまり、
米国のイラク侵攻、ヒトラーとスターリンのポーランド侵攻と並ぶ悪行です。

ロシアがNATOの東方拡大に脅威を感じていること、その東方拡大は当時のゴルバチョフ
大統領への確固、明確たる約束に反したものであったこと、この点は、ロシアとおよそ30年
の間、つまり、プーチン大統領の登場のずっと以前からロシアとつきあってきた米外交当局
の高官のほぼ全員が強調しているところです。
その例にはこと欠きませんが、一つだけ挙げると、2008年に、当時、駐ロシア大使であった
ウィリアム・バーンズ氏(現在はCIA長官)は、ブッシュ第43代大統領が無謀にもウクライナ
にNATO加盟をすすめた際、こう警告しています。
「ウクライナのNATO加盟は、ロシアの支配者層(プーチンだけではなく)にとって、レッド
・ライン(越えてはならない一線)の最たるものである」と。さらには、「NATOに加わった
ウクライナはロシアの国益に対する、まさしく直接的な脅威である、そう考えない人間を私は
一人として知らない」とも述べています。同氏は、より一般的に、こう語っています。NATO
の東欧への拡大は「よく言っても時期尚早、悪く言えば『不必要に挑発的』である」。そして、
拡大がウクライナに達した場合は、「プーチン大統領が強力な反撃に打って出ることはまず
まちがいないであろう」と。

バーンズ氏はたんに、1990年代初頭にまでさかのぼり得る、米国政府上層部の人間の共通認識
をあらためて述べているにすぎません。当のブッシュ第43代大統領の下で国防長官をつとめた
ロバート・ゲイツ氏もこう認めています。
「ジョージアとウクライナをNATOに加えようとする試みは明らかに矩をこえている。…
ロシア人が自身の最重要の国益と考えているものを無謀にもいっさい顧みないやり方だ」と。

事情に通じた政府関係者からのこれらの警告は、声高で明確なものでした。しかし、それは
歴代の政権から無視されました。クリントン政権の時代からずっと無視され、今の政権に至る
も同様です。
その事情は、侵攻の背景を精査した、つい先頃のワシントン・ポスト紙の包括的な調査を
伝える記事で確かめることができます。調査を検証したジョージ・ビーブ、アナトール・
リーヴェンの両氏はこう述べています。
「戦争回避をめざすバイデン政権の取り組みはまったく不十分であると見なされています。
ロシアの外相セルゲイ・ラブロフ氏が、侵攻の数週間前に述べたように、ロシアにとって
『すべての鍵は、NATOが東方拡大をしないという保証である』。しかし、このウクライナの
将来のNATO加盟に関し、米国政府が具体的な妥協案の提示を検討したという文言はワシントン
・ポスト紙の記事の中にはまったく見出せません。それどころか、米国務省がすでに認めて
いるように、『米国は、プーチン大統領がたびたび口にする国家安全保障上の重大な懸念の
一つ-----つまり、このウクライナのNATO加盟の可能性-----について、何ら取り組む努力を
しませんでした」。

要するに、さまざまな挑発が最後の最後まで続けられたのです。それは外交交渉を骨抜きに
することにとどまらず、ウクライナをNATOの軍事指揮系統に組み込むという構想のさらなる
推進もともなっていました。それは、米国の軍事専門誌の言葉を借りれば、結局、ウクライナ
を「実質上」NATOの一員にすることです。

おそらくこれまでの事実として挑発行為があまりに明白であるまさにそれゆえに、ロシアの
侵攻は「挑発されたわけではない」・「いわれのない」ものと形容されねばならない暗黙の
ルールが登場するのです。
かかる言い回しは、礼節を心得た社会ではまず使われませんが、今回の場合にかぎっては
必要とされるのです。このような興味深いふるまいは、心理学者にとって造作なく説明できる
はずのものです。

挑発行為は、上述のような警告にもかかわらず、何年にもわたって次から次へと実施された、
意図的な行為でしたが、だからといって、プーチン大統領が武力侵攻という「究極の国際
犯罪」に手を染めたことを正当化できるわけではもちろんありません。挑発的な行為は当該
の犯罪行為の理由を説明する手助けにはなるとしても、その正当化事由にはなり得ません。

ロシアが国際的孤立におちいった、「のけ者国家」となったという言説については、私は
多少の留保が妥当であろうと考えています。
確かにロシアは、欧州やアングロスフィア(英語圏)においては、「のけ者国家」になりつつ
あるのでしょう。それは、古株の「冷戦闘士」さえおどろかせるほどです。
グラハム・フラー氏は、長年、米国諜報界の大立て者の一人と見なされてきた人物ですが、
最近こんなコメントを発しています。
「私はこれまでの人生のうちで、ウクライナをめぐって今現在目にしているような、米国
主流派メディアによる大々的なキャンペーンをほかに知らない。米国は目下、たんに出来事
の『解釈』を押しつけているだけではない。ロシアを国家として、社会として、そしてまた
文化として徹底的に『悪者扱いすること』に専心している。その不当さは常軌を逸している。
冷戦時代に私がロシアにかかわっていた間、今のような状況に至ったことは決してなかった」。

再度、とぼしい茶葉を判断材料にして読み解くならば、こう言ってもいいかもしれません。
ロシアの侵攻を「挑発されたわけではない」・「いわれのない」ものと形容することが必須
である事情と同じく、上記の展開にも、ある種のうしろめたい感情が抑えがたく噴き出して
いるのだ、と。

ロシアを「究極の悪者」あつかいすることが米国および、大なり小なり、その緊密な同盟国
の姿勢です。ですが、世界の大部分の国は一歩ひいた態度を採っています。
つまり、侵攻は非難するけれども、ロシアとはこれまで通りの関係を維持しています。それは
ちょうど、米国と英国によるイラク侵攻を批判した西側に属する国々が、この(明らかに
「挑発されたわけではない」)武力侵攻をおこなった米英と、それまでの関係を維持したこと
と同じです。
また、米国とその同盟国が人権や民主主義、「国境の不可侵性」などをおごそかに語ることに
対して、あざけりの声が広く上がりました。ほかならぬ、暴力と政権転覆に関して世界有数の
チャンピオンがそれらを説いたからです。いわゆる「グローバル・サウス」(訳注・1)に
属する国々は、このことを豊富すぎるほどの経験から骨身にしみて知っています。

(訳注・1: 南の発展途上国。主に南半球に偏在している発展途上国を指し、南北問題を論じる
ときに用いられる(英辞郎より))

C・J・ポリクロニオ:
米国はウクライナ戦争に直接的に関与しているとロシアは主張しています。米国はウクライナ
において「代理戦争」を戦っているとお考えですか。

ノーム・チョムスキー:
米国がこの戦争に深く関与していること、それも誇らしげにそうしていること、これについて
は疑う余地はありません。そして、「代理戦争」を戦っているという見方は、欧州とアングロ
スフィア(英語圏)以外の世界では広く共有されているものです。
なぜそうなのかは理解に難くありません。米国の公的な方針はあけすけに表明されています。
この戦争は、ロシアが極度に疲弊し、あらたな武力攻撃をしかけられなくなるまで続けられ
なくてはならぬというものです。
この方針を正当化するために高らかにかかげられる標語は、「『民主主義、自由、すべての
善きもの』対『世界征服をめざす究極の悪』との宇宙的な闘争」です。この手の気負った
レトリックはそう目新しいわけではありません。かかるファンタジーのような「語り」は
冷戦時代の代表的な文書「NSC68」(訳注・2)では、コメディの域にまで達していました。
そしてまた、米国以外でもごく普通に見られるものです。

(訳注・2: 「国家安全保障会議文書第68号」。米国の冷戦時の戦略的枠組みを規定した重要な
文書とされる)

文字通りに解せば、この公的な方針は、1919年のヴェルサイユ条約によってドイツに課せられた
よりももっときびしい罰をロシアは受け入れなければならないということを意味します。
対象とされた人々は表明された方針を文字通りに受け取るでしょう。その結果、その人々が
どのような対応にうったえるかは明らかです。

米国が「代理戦争」に力をそそいでいるという見方は、欧米でしばしば交わされている議論
によって裏付けられます。ロシアの武力攻撃にいかにうまく反撃するかについてはさかんに
論じらています。ところが、惨事をいかに終息に導くかに関しては、それにふれた文章を
見つけるのは容易ではありません。その惨事はウクライナのみにとどまらない、きわめて
広範な領域におよぶものであるにもかかわらず、です。
あえてこの後者を論ずる人間は、大抵の場合、非難されることになります。キッシンジャー氏
のように敬意をはらわれている人間でさえそうです。もっとも、おもしろいことに、外交的
解決を呼びかけた文章は、老舗の専門誌に掲載された場合、お決まりの非難を浴びせられる
ことなく、通用しています。

人がどんな言い方を好むにせよ、米国の政策や方針をめぐる基本的な事実は十分にはっきり
しています。「代理戦争」という言葉は、私にはもっともなものだと思えますが、いずれに
せよ、重要なのは政策や方針の方です。

C・J・ポリクロニオ:
予想できたことですが、侵攻後、関係国すべてにおいてプロパガンダ合戦がずっと続いて
います。これについては、先頃、こうおっしゃっていましたね。ロシアの国営メディア
であるRT(ロシア・トゥデイ)をふくむロシアのメディアの報道を禁止したことで、米国民
は1970年代のソビエトよりも敵対国に関する情報を制限されている、と。この点について、
もう少しお聞かせください。とりわけ、国内の検閲をめぐるあなたの発言がはなはだしく
歪曲されている状況ですので。読者は、あなたの発言の意味するところは、目下のアメリカの
検閲状況が共産主義時代のロシアのそれよりももっとひどいということだと考えるに至って
います。

ノーム・チョムスキー:
ロシアについて言えば、同国内のプロパガンダはすさまじいものです。一方、米国はと言えば、
確かに公には検閲はおこなわれていませんが、上でふれたグラハム・フラー氏の見方を退ける
ことは容易ではありません。

直接的な検閲は米国や他の西側諸国ではまず見られません。けれども、ジョージ・オーウェル
が1945年に『動物農場』の(当時は紹介されなかった)序文で書いているように、自由社会
の「たちの悪い事実」は、検閲が「おおむね自発的なものであることです。公に命じなくても、
不人気な考え方は封印されたり、具合の悪い事実は公表されなかったりする」。これは、
思想統制のやり方としては、総じてあからさまな強制より効果的です。

オーウェルが言及しているのは英国のことでした。けれども、そういった慣習は英国にかぎらず、
広くおこなわれています-----実に興味深いやり方で。
ごく最近の例をあげると、中東に関する高名な学者のアラン・グレシュ氏は、フランスの
テレビ局による検閲を経験しました(訳注・3)。イスラエルが占領するパレスチナのガザ地区
における最近のテロ行為について、批判的なコメントを呈したからです。

(訳注・3: 同氏のインタビュー記事がネットに掲載されず、また、予定していた2度目の
インタビューがキャンセルになったという事実を指す)

同氏はこう述べています。「こういった形の検閲は異例です。パレスチナ問題に関して、検閲が
これほどあからさまなやり方でおこなわれることはめったにありません」。もっと効率的な検閲
はコメンテーターを慎重に選ぶことで実施されます。コメンテーターとして選ばれるには、と
グレシュ氏は説明します。「当該の暴力行為を悔いる」一方で、イスラエルが「自身を守る
権利」を有することに言及しつつ、「双方の側の過激主義者と闘う」必要性を強調することが
求められます。しかし、「イスラエルの占領とアパルトヘイト(人種隔離政策)を強く批判する
人々が選ばれる余地はそもそも存在しないようです」。

不人気な考え方を封じ込めたり、具合の悪い事実を公表せずにおくという手口は、米国では
精密技術の域にまで達しています。突出して自由な社会では当然予想されることですが。
今では、このような事例を精細に分析した文章が文字通り何千ページも書かれています。
メディア批判を展開しているアメリカの『FAIR』、イギリスの『メディア・レンズ』などの
卓抜な組織が、これについて定期的、精力的に論じています。

この欧米流の洗脳が、全体主義国家の粗野であからさまなやり方よりすぐれていることも、
活字媒体でさかんに論じられています。さまざまな教義は、自由社会のより洗練された手口に
よって、押しつけではなく前提条件としてすり込まれるのです。グレシュ氏が述べている例に
うかがえるように。
そのルールは決して口にされることはありません。ただ、暗黙のうちに受け入れられるだけ
です。議論は許されます。推奨されさえします。ですが、ある境界内に制限されています。
その境界が明示されることはありませんし、それはきわめて厳格なものです。そして、人の
心に深く浸透しています。
オーウェルが述べているように、この精妙な洗脳-----高等な教育などもこれに属します-----を
受けた人々は、自分の心の中で了解するようになります、ある種のことは「言ってはならない」、
あるいは、考えてさえもならないということを。

洗脳のやり方は意識するにはおよびません。それをおこなう人はすでにある種のことは
「言ってはならない」もしくは考えてさえもならないということを了解事項として内面化して
いるからです。

このようなしくみは、きわめて他と隔絶した文化-----たとえば米国のそれのような-----に
おいては、とりわけ効果的です。外国の情報源にあたってみようなどとはほとんど誰も思い
ません。非難の対象となっている国のそれについてはなおさらです。無制限の自由があるかの
ような外見をそなえている文化では、既存の枠組みを突破しようという意欲がわかないのです。

私がRT(ロシア・トゥデイ)などのロシアの情報源の報道禁止-----グレシュ氏の言葉を
借りれば「異例」なことです-----について言及したのは、このような広い文脈においてです。
他の話題もあつかう長いインタビューでは、少ない言葉数でていねいな説明をする時間は
ありませんでした。が、このような直接的な禁止は、約30年前に私がふれた興味深い事実を
思い起こさせます。
自分の他の多くの論述と同じく、その文章においても私は、不人気な考え方を封印したり
歓迎されない事実を抑圧したりする自由社会のいつものやり方に関して、たくさんの事例を
検証しました。そしてまた、官学共同のある研究についても言及しました。1970年代、
すなわち、ソビエト連邦の後期であり、ゴルバチョフの登場以前の時代におけるロシア人が
ニュースをどこから得ていたかを考究したものです。
結果が示したのは、きびしい検閲にもかかわらず、ロシア人がかなり高い割合でBBCなど
から、さらには非合法な地下メディアからさえも情報を得ていて、ひょっとしたら米国民
よりも事情に通じていたかもしれないということでした。

当時、私はこの点を確かめようとして、ロシアからの移住者に話を聞きました。この強圧的な、
しかし、たいして効果のない検閲をかいくぐった経験を持つ人々です。
彼らは上の研究結果をほぼうべないました。ただし、そのかなり高い割合の数字は高すぎると
感じていました。おそらく調査対象がレニングラードやモスクワに偏っていたからでしょう。

敵国側の報道を直接的に禁止することは不当であるだけでなく、有害なことです。つまり、
米国民は知っているべきだったのです-----侵攻の直前に、ロシアの外相が「すべての鍵は、
NATOが東方拡大をしないという保証である」と強調していたことを。東方拡大とは、この
場合、ウクライナの加盟であり、それは何十年にもわたって越えてはならぬ明確な一線でした。
おぞましい犯罪行為を避けようとする意向、よりよい世界をのぞむ意向がもし本当であったの
ならば、この東方不拡大の保証は追求すべき足がかりだったのですが。

侵攻が実際に始まってからも、ロシア政府の声明には追求すべき足がかりがありました。
たとえば、5月の29日にロシア外相のラブロフ氏はこう言っていました。

「われわれの目標は以下の通りである。まず、ウクライナの非軍事化(ロシアの領土を
おびやかす兵器が配備されてはならない)。次に、ウクライナ憲法と慣習に沿った、同国内の
ロシア人の各種権利の回復(現ウクライナ政府は反ロシア的法律を採用することで憲法に違反
している。また、慣習はウクライナを越えて広く及んでいる)。そして、ウクライナの非ナチ化
である。ウクライナの日常生活にはナチとネオナチの言説と活動が深く浸透し、それは法律
にも成文化されるに至っている」。

これらの言葉を、米国民がテレビのスウィッチ一つで知ることができれば有益でしょう-----
少なくとも、破滅的な戦争に飛び込むよりも、この惨事を終わらせることに多少でも関心が
ある米国民にとっては。別の米国民は、この破滅的な戦争を茶葉占いから導き出し、暴れ狂う
熊がわれわれ全員を平らげる前に檻に入れることを主張していますが。

C・J・ポリクロニオ:
ロシア・ウクライナ政府間の和平交渉は春の初め辺りから停滞しています。当然のことながら、
ロシアは自国に有利な形で和平を押しつけたい。一方、ウクライナは、戦場でのロシアの
見通しが悪くなるまで交渉に応じないという方針のようです。
この紛争は近いうちに収束するとお考えですか。和平交渉は宥和政策にすぎないのでしょうか。
それに反対している人々はそう主張していますが。

ノーム・チョムスキー:
交渉が停滞しているかどうかははっきりとはわかりません。報道自体がかぎられているから
です。
けれども、「戦争終結に向けての協議がふたたび議題にのぼっている」らしくはあります。
すなわち、「ウクライナ、トルコ、国連間の話し合いからは、ウクライナ政府がモスクワとの
協議を前向きに検討している空気が感じられる」、と。そして、「ロシア軍の進撃が続いて
いることを考慮すれば」、ウクライナ政府の「戦争終結に向けた外交的解決への抵抗感は
薄れている」かもしれません。
そういうことであれば、プーチン大統領の「表明した、和平交渉への熱意が実際には嘘である」
か、それとも、内実をともなったものなのか、それを決定することはプーチン大統領自身に
かかっています。

現在起こっていることは模糊たる霧の中です。それは、以前論じたことのある「アフガニスタン
という罠」を想起させます。
あの時、アメリカはロシアとの代理戦争を「アフガン人の最後の一人に至るまで」戦おうとして
いました。この表現は、コルドベス氏とハリソン氏の2人がその決定版的な共著の中でもちいた
もので、その共著では、外交的解決を阻止しようとするアメリカの試みにもかかわらず、国連が
どうにかソビエト軍の撤退をお膳立てしたその経緯を詳述しています(訳注・4)。
当時、カーター大統領の下で国家安全保障問題担当大統領補佐官であったズビグニュー・
ブレジンスキー氏は、ソビエトの侵攻をそそのかしたことを自分の功績に帰し、「激した
イスラム人」という代価をもたらしたものの、その結果に拍手を送りました。

(訳注・4: この共著とはおそらく Out of Afghanistan: The Inside Story of the Soviet Withdrawal
(『アウト・オブ・アフガニスタン-----ソビエト撤退の内幕』)、オクスフォード大学出版局、
1995年刊)を指す)

今日、私たちはこれと似たような事態を目撃しているのでしょうか。たぶん、そうなのでしょう。

もちろんロシアは自国に有利な形で和平を押しつけたいと思っています。交渉による外交的解決
とは、自分自身の要求のいくつかは断念しつつ、双方が承認するものです。交渉に関して、
ロシアが本気かどうかを確かめる術は一つしかありません。やってみることです。うしなうもの
は何もありません。

戦闘の展開予想については、軍事専門家が自信たっぷりに、しかし、際立って相反する意見を
述べています。私はその種のことについて語る力はありません。ただ、遠くから見ていて、
いわゆる「戦場の霧」はまだ晴れてはいないと言うのが妥当であろうと思っています。
目下の米国の姿勢ははっきりしています。あるいは、少なくともはっきりしていました-----4月に
ラムシュタイン空軍基地で開かれた、NATO加盟国と米国が組織したその他の国の軍事指導者
たちによる会合では。すなわち、「ウクライナ政府は自国の勝利を断じてうたがっていないし、
この会合に参加している者全員もまた同様」、です。
その時実際にそう信じられていたかどうか、あるいは、今でもそう信じられているかどうか、
それは私にはわかりません。そしてまた、それを確かめる手立ても持ち合わせていません。

一応言わせていただくと、私は個人的には英労働党の党首であったジェレミー・コービン氏の
言葉に敬意をはらっています。ラムシュタイン空軍基地での会合が開かれたその日のうちに
発表されたものです。それは、同氏の労働党からの事実上の追放に一役買うことになりました。
「ウクライナについては、ただちに停戦しなければならない。そして、それに引き続き、
ロシア軍の撤退、および、今後の安全保障体制に関するロシア・ウクライナ間の協定が必須
である。すべての戦争は何らかの形の交渉に終わる。であるから、今それを試みたらどう
であろう」、と。


-----------------------------------------------------------------


[補足など]

■元サイトに掲載されている写真その他やインタビュアーのC・J・ポリクロニオ氏に関する
詳細な紹介文は割愛させていただきました。


■ここで述べられている、アメリカを代表とする欧米諸国での静かな形での検閲、思想統制、
洗脳、プロパガンダなどについては、これまでも何度か言及したように、チョムスキー氏が
エドワード・ハーマン氏との共著の形で上梓した

『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』

(邦訳は、
『マニュファクチャリング・コンセント-----マスメディアの政治経済学 1・2 』(2巻本、
トランスビュー社、中野真紀子訳)

で詳細に分析されています。

コメントを投稿