お久しぶりです。
去年と同様に夏バテでくたばっていました。
今月も1回きりの更新で失礼します。
今回は、米国有数の知識人ノーム・チョムスキー氏がベイルート・アメリカン大学の2013年卒業生に対しておこなった講演の書き起こしの文章です。3ヶ月ほど前のものですが。
チョムスキー氏は、イラク戦争やシリア内戦をはじめとする現代の数々の酸鼻にもかかわらず、西欧のこれまでの歴史を視野に入れて未来に一筋の光明を見出しています。
原文は例によって、オンライン・マガジンの『Znet』(Zネット誌)で見つけました↓
http://www.zcommunications.org/we-must-defend-the-global-commons-against-commercialization-environmental-catastrophe-and-autocratic-rule-by-noam-chomsky.html
(なお、この文章の掲載期日は6月18日でした)
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We Must Defend The Global Commons Against Commercialization, Environmental Catastrophe, And Autocratic Rule
われわれは地球の共有財産を守らなければならない-----商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して
ノーム・チョムスキー
出典: Marcopolis.net
2013年6月18日(火)
ベイルート・アメリカン大学2013年卒業生に対するノーム・チョムスキー氏の基調講演
「われわれは商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して地球の共有財産を守らなければならない」
私がレバノンの土を踏んだのはこれまでも何度かあります。この国に大変な希望が満ちていた時もありましたし、絶望に覆われていたような時もありました。しかし、困難を乗り越え、前進しようとする強い意思はいつもうかがうことができました。初めてレバノンを訪れた-----訪れたというのは正確な表現ではないかもしれませんが-----のは、ちょうど60年前の今頃でした。妻と私はある夕刻、イスラエルの北部ガリラヤでハイキングをしていました。1台のジープが歩いている私たちに近づいて来、車上のひとりが「ひき返せ」とどなりました。私たちは別の国に足を踏み入れていたのです。いつの間にか国境をまたいでいました。当時は国境を示すものがありませんでした。現在はものものしい警備体制が敷かれていると思いますが。
これはちっぽけな出来事ではあります。ですが、私にある認識を強烈にきざみ込んでくれました-----自分が薄々は気づいてはいたものの、はっきりと意識の表面には上らせていなかった認識を。国境の正当性はせいぜい限定的でかりそめのものにすぎないということを。本質的な正当性はそなえていないのです。ほぼすべての国境は強制的な力の行使によって定められ、維持されてきました。ひどく恣意的なものです。レバノンとイスラエルの国境はイギリスとフランスという西欧列強の利益のために策定されました。たまたまそこに居住していた人々には-----また、地形にさえも-----なんの考慮も払われませんでした。まったく理に欠けています。だからこそ、それと知らずいつの間にか国境をまたいでいるということが起こるのです。
今日、世界の深刻な紛争をざっと見渡してみると、そのほとんどすべては帝国主義時代の不法行為の結果であり、西欧列強がみずからの利益のために策定した国境に端を発していることがわかります。数多くの例のうちからひとつを挙げてみますと、パシュトゥーン族の人々は、アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)を認めていません。この境界線は英国によって引かれたものです。歴代のアフガニスタン政府もその正当性を受け入れていません。この境界線を越えるパシュトゥーン人を「テロリスト」と呼ぶのは、現代の帝国主義国家にとって都合がいいからにすぎません。そうすることによってオバマ政権はテロに対する戦いを名目に、彼らの居住地に無人航空機と特殊部隊を使って無慈悲な攻撃をしかけることができるのです。似たような事情は世界のあちこちで見出せます。
今日、きわめて高度なテクノロジーにより厳重に守られ、また、アメリカ国内で熱心な議論の対象となっている国境は、アメリカ・メキシコ間のそれです。両国は良好な外交関係を維持しているにもかかわらず。この国境もまた、例にもれず、非道な侵略によって成立しました。「史上もっとも邪悪な戦争」のおかげです。この表現は、若いころメキシコ戦争に従軍し、後に大統領となったユリシーズ・グラント将軍のものです。メキシコとの国境は1994年まではしごく開放的な状態でした。しかし、その年にクリントン大統領は「ゲートキーパー作戦(入国阻止作戦)」を開始し、警備を大幅に強化しました。以前には、人々は親戚や友人に会うために頻繁に行き来していたのですが。
ゲートキーパー作戦は、おそらくその年の別の出来事が導入の動機となっています。つまり、NAFTA(北アメリカ自由貿易協定)の「押しつけ」です。「自由貿易協定」というのは不適切な名前であり、「押しつけ」と呼ぶのはまちがっていません。参加候補国では大勢の人々が反対していたのですから。クリントン政権ははっきりと理解していました、メキシコの農夫たちがいかに優秀であろうと、多額の補助金を受け取っているアメリカの農企業には太刀打ちできないことを。メキシコの会社がアメリカの多国籍企業の敵ではないことを。これら多国籍企業は「内国民待遇」-----メキシコの企業より不利ではない待遇-----が与えられることが、そもそもNAFTAの規定に含まれていました。こういうわけで、ほとんど必然的に国境を越えて難民が殺到することは容易に予想がつきました。これらの人々のほかにも、1980年代にレーガン大統領が中米でおこなった非道な戦争の荒廃から逃れるためにやってくる人々もいまだに跡を絶っていません。
国境がなし崩しになる、そしてまた、国境の象徴となり国境が原因となっていた深刻な憎悪と紛争が沈静化する徴候が今日いろいろな形で現れています。
そのもっとも目覚ましい例はヨーロッパです。
何世紀もの間、ヨーロッパは世界でもっとも悲惨な地域でした。むごたらしい、破滅的な戦争を幾たびも経験しました。17世紀の「三十年戦争」だけを見てみても、おそらくドイツの人口の3分の1ほどがこの戦争のおかげで失われています。ヨーロッパは、こうした悲惨な時代を経る過程で、科学技術を発達させ、戦争のやり方に習熟しました。これが、後にヨーロッパが世界を制する原動力となったのです。
最終的に形容しがたい蛮性が炸裂した後、この相互の破壊行為は1945年に終息しました。学者によると、これは民主的な平和を望んでの幕引きということになっています。しかし、戦争終結の大きな要因は、自分たちがあまりに強力な戦争技術を身につけるに至ったため、これ以上この相互破壊のゲームを続けると自身の破滅をもたらしてしまうと悟ったことにほかなりません。
戦後からこれまでの欧州統合の歩みは深刻な問題をかかえています。それは今現在、誰の目にもあきらかです。けれども、過去と比べた場合、大きな前進であることはまちがいありません。
同様のことがこの中東で起こっても格別不思議というわけではないでしょう。近年まで国境など実質上存在しなかったのですから。そして、実際にそれは起こりつつあります、むごたらしい形で、ですが。
自殺と同一視されるほどのシリアの悲惨な国内紛争は国全体を無残に引き裂いています。中東地域を担当するベテラン記者のパトリック・コックバーン氏が述べた可能性をわれわれはまじめに受け取らねばなりません。シリアのこの内戦とそれが近隣におよぼす影響の結果、1世紀前にイギリスとフランスによって押しつけられたサイクス・ピコ協定の枠組みが崩壊するかもしれない。そう、同氏は語っています。
シリアの内戦はスンニ派とシーア派の争いを再燃させました。しかし、この争いは、そもそも10年前のアメリカとイギリスによるイラク侵攻のもっともおぞましい帰結のひとつです。それに、われわれが忘れてはならないのは、ニュルンベルク裁判において、侵攻、侵略が「もっとも重大な国際犯罪」とされたことです。それは、付随して生じるあらゆる悪を内包しているがゆえに他の戦争犯罪とは別格とされました。このニュルンベルク裁判における考え方は、現代の国際法の中核を成しています。
イラクのクルド人居住地域と目下のシリアは自治と統合の方向に歩を進めています。
今では、多くの地政学の専門家が、パレスチナ国家の成立より早くクルド人の国が誕生する可能性を指摘しています。
パレスチナは、もし圧倒的な国際的合意による条件等によって独立を勝ち得たとすると、そのイスラエルとの国境は、商業的、文化的交流という平凡な過程を通じて影を薄くするでしょう。これまで比較的平和な時期にそうなりつつあったように。
「イギリス委任統治領パレスチナ」について多少は知っている人間であれば、強制的な分割がいかに恣意的であり、甚大なダメージを与えるものであるかはよくご存知のことと思います。
上で述べたような事態の展開によって、この地域の統合は一層進むでしょう。そしておそらく、イスラエルとレバノンを分けていたガリラヤの人為的な国境はなし崩しになるでしょう。そうして、ハイキングをする人たちその他は、私たち夫婦が60年前にやったことをまたくり返すことになるかもしれません。ここで詳細な分析はひかえますが、以上のような進展は、私には、パレスチナ難民の苦境を幾分かでも解決する方向に向けた、唯一の現実的な希望を差し出すものと感じられます。もっとも、この問題は、イラク侵攻とシリアの自殺的な内戦以来、この地域を悩ましている難民問題のほんの一例にすぎなくなってしまいましたが。
国境をぼやかし、国家の正当性に懐疑的な目を向けてみると、浮び上がってくるのは「誰が地球を所有しているのか」というかりそめならぬ問いです。地球の大気は誰の持ち物でしょうか。この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、「長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し」、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。また、誰が地球を守るのでしょうか。こう問いを発したのは、世界各地に居住する当該地域固有の民族に属する人々です。自然の権利を擁護するのは誰でしょうか。誰が人々の共有財産について管理係の役目を引き受けるのでしょうか。
深刻化しつつある環境破壊に端を発する災厄から地球を救う道が喫緊の課題であること-----これは、教育を受けた正気の人間であればわかりきったことであるはずです。ところが、現代の歴史においてもっとも注目すべき特徴は、この危機に関するくいちがった対応です。自然を守ろうとする最前線にいるのは「原始的な文明」に属するとされる人々です。土着の人々、部族の人々、カナダの「ファースト・ネーション」またオーストラリアの「アボリジニ」と呼ばれる人々、そして一般に帝国主義国家の侵略をどうにか生き延びた人々の子孫です。一方、自然に対する攻撃の最前線にいる人々は、自分たち自身を「もっとも文明の発達した」、「もっとも豊かで、もっとも強大な」国に属すると称する人々です。
人類の共有財産を守ろうとする動きはさまざまな形で現れます。小さな形では、まさしく今、タクシム広場で起こっています。勇気のある人々がイスタンブールに残る人類の共有財産を守ろうとしています-----商業化、地域の再開発とそれにともなう地域社会の崩壊、強圧的統治に抗して。これらが、古くからの貴重な宝をだいなしにしようとしています。主流派メディアがようやく認識し始めたことですが、これらの人々の声は「自分たちの声を聞いてもらいたい人々の叫び、統治のスタイルについて発言権を欲する人々の叫び」です。タクシム広場の衝突は「支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂」です。
トルコの地位の重みを考慮すると、タクシム広場の闘いの帰結は中東の他の国々にもかならずや大きな影響をもたらすでしょう。けれども、それにとどまらぬはるかに重大な意味を有しています。今タクシム広場で闘っている人々は、上に述べた商業化、地域の再開発、強圧的統治などから人類の共有財産を守る世界的な闘いの最前線にいるのです。この闘いは、私たち全員が情熱と堅い意思を持って参画すべき闘いです-----もし、国境のない世界、私たちの共有財産であるこの地球で人間らしい生活を送ることを望むのであれば。この地球を守るのか、それとも破滅の道を歩むのか、ふたつにひとつです。
-----------------------------------------------------------------
[訳注と補足と余談など]
この講演にうかがえるように、チョムスキー氏は、現在の世界各地の悲惨な紛争その他にもかかわらず、人類の平和的共存の可能性をなお信じています。
自分の個人的な思い出話を起点とし、国境の不合理性、過去から現在までの帝国主義的国家の非道から環境問題、統治のスタイルまで話が展開しますが、これらが有機的につながり、単なる抽象的なご高説に終わっていません。氏の個人的な確信に裏打ちされています。そういう意味で、非常に印象的な語りとなっています。
チョムスキー氏の文章は以前にも訳出しました。こちらもぜひ一読を。
チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/a554e4c629f391e59807ee8286fed27f
■訳注
・文中の、
「この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、『長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し』、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。」
の部分は、おそらく、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事に言及したものと思われます。
Heat-Trapping Gas Passes Milestone, Raising Fears
http://www.nytimes.com/2013/05/11/science/earth/carbon-dioxide-level-passes-long-feared-milestone.html?pagewanted=all&_r=0
・文中の
「タクシム広場の衝突は『支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂』です。」
の引用部分は、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事が出典と思われます。
In Istanbul’s Heart, Leader’s Obsession, Perhaps Achilles’ Heel
http://www.nytimes.com/2013/06/08/world/europe/in-istanbuls-taksim-square-an-achilles-heel.html?pagewanted=all
■内容についてもう少し掘り下げたい方のために参考となるサイトなどを紹介しておきます。
・文中の「アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)」とパシュトゥーン民族については、以下のサイトが参考になります。
パシュトゥーニスタン問題についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/sc_skipjack/20091019/p1
・文中で、グラント将軍がメキシコ戦争を「史上もっとも邪悪な戦争」と形容したことについては、日本文学の翻訳家で親日家であるドナルド・キーン氏の著書『明治天皇』(上巻の第31章「グラント将軍、日本の休日」、角地幸男訳、新潮社)に次のように出ているそうです。
メキシコ戦争中、私は良心と戦っていた。私は、戦争に参加した自分を決して完全には許していない。私はこの問題について、大変はっきりした意見を持っていた。合衆国がメキシコに仕掛けた戦争ほど邪悪な戦争はない、と私は考えている。若かった当時も、そう考えていた。しかし、辞める道徳的勇気がなかった。
私は、これを以下のサイトで知りました。
大統領のトリビア(1)
http://homepage3.nifty.com/ap1967/trivia01.html
・文中の、ニュルンベルク裁判における考え方に関連しては、以下のサイトが参考になります。
戦争責任とは何か
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/historyeducation/Sensousekininn.htm
去年と同様に夏バテでくたばっていました。
今月も1回きりの更新で失礼します。
今回は、米国有数の知識人ノーム・チョムスキー氏がベイルート・アメリカン大学の2013年卒業生に対しておこなった講演の書き起こしの文章です。3ヶ月ほど前のものですが。
チョムスキー氏は、イラク戦争やシリア内戦をはじめとする現代の数々の酸鼻にもかかわらず、西欧のこれまでの歴史を視野に入れて未来に一筋の光明を見出しています。
原文は例によって、オンライン・マガジンの『Znet』(Zネット誌)で見つけました↓
http://www.zcommunications.org/we-must-defend-the-global-commons-against-commercialization-environmental-catastrophe-and-autocratic-rule-by-noam-chomsky.html
(なお、この文章の掲載期日は6月18日でした)
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We Must Defend The Global Commons Against Commercialization, Environmental Catastrophe, And Autocratic Rule
われわれは地球の共有財産を守らなければならない-----商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して
ノーム・チョムスキー
出典: Marcopolis.net
2013年6月18日(火)
ベイルート・アメリカン大学2013年卒業生に対するノーム・チョムスキー氏の基調講演
「われわれは商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して地球の共有財産を守らなければならない」
私がレバノンの土を踏んだのはこれまでも何度かあります。この国に大変な希望が満ちていた時もありましたし、絶望に覆われていたような時もありました。しかし、困難を乗り越え、前進しようとする強い意思はいつもうかがうことができました。初めてレバノンを訪れた-----訪れたというのは正確な表現ではないかもしれませんが-----のは、ちょうど60年前の今頃でした。妻と私はある夕刻、イスラエルの北部ガリラヤでハイキングをしていました。1台のジープが歩いている私たちに近づいて来、車上のひとりが「ひき返せ」とどなりました。私たちは別の国に足を踏み入れていたのです。いつの間にか国境をまたいでいました。当時は国境を示すものがありませんでした。現在はものものしい警備体制が敷かれていると思いますが。
これはちっぽけな出来事ではあります。ですが、私にある認識を強烈にきざみ込んでくれました-----自分が薄々は気づいてはいたものの、はっきりと意識の表面には上らせていなかった認識を。国境の正当性はせいぜい限定的でかりそめのものにすぎないということを。本質的な正当性はそなえていないのです。ほぼすべての国境は強制的な力の行使によって定められ、維持されてきました。ひどく恣意的なものです。レバノンとイスラエルの国境はイギリスとフランスという西欧列強の利益のために策定されました。たまたまそこに居住していた人々には-----また、地形にさえも-----なんの考慮も払われませんでした。まったく理に欠けています。だからこそ、それと知らずいつの間にか国境をまたいでいるということが起こるのです。
今日、世界の深刻な紛争をざっと見渡してみると、そのほとんどすべては帝国主義時代の不法行為の結果であり、西欧列強がみずからの利益のために策定した国境に端を発していることがわかります。数多くの例のうちからひとつを挙げてみますと、パシュトゥーン族の人々は、アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)を認めていません。この境界線は英国によって引かれたものです。歴代のアフガニスタン政府もその正当性を受け入れていません。この境界線を越えるパシュトゥーン人を「テロリスト」と呼ぶのは、現代の帝国主義国家にとって都合がいいからにすぎません。そうすることによってオバマ政権はテロに対する戦いを名目に、彼らの居住地に無人航空機と特殊部隊を使って無慈悲な攻撃をしかけることができるのです。似たような事情は世界のあちこちで見出せます。
今日、きわめて高度なテクノロジーにより厳重に守られ、また、アメリカ国内で熱心な議論の対象となっている国境は、アメリカ・メキシコ間のそれです。両国は良好な外交関係を維持しているにもかかわらず。この国境もまた、例にもれず、非道な侵略によって成立しました。「史上もっとも邪悪な戦争」のおかげです。この表現は、若いころメキシコ戦争に従軍し、後に大統領となったユリシーズ・グラント将軍のものです。メキシコとの国境は1994年まではしごく開放的な状態でした。しかし、その年にクリントン大統領は「ゲートキーパー作戦(入国阻止作戦)」を開始し、警備を大幅に強化しました。以前には、人々は親戚や友人に会うために頻繁に行き来していたのですが。
ゲートキーパー作戦は、おそらくその年の別の出来事が導入の動機となっています。つまり、NAFTA(北アメリカ自由貿易協定)の「押しつけ」です。「自由貿易協定」というのは不適切な名前であり、「押しつけ」と呼ぶのはまちがっていません。参加候補国では大勢の人々が反対していたのですから。クリントン政権ははっきりと理解していました、メキシコの農夫たちがいかに優秀であろうと、多額の補助金を受け取っているアメリカの農企業には太刀打ちできないことを。メキシコの会社がアメリカの多国籍企業の敵ではないことを。これら多国籍企業は「内国民待遇」-----メキシコの企業より不利ではない待遇-----が与えられることが、そもそもNAFTAの規定に含まれていました。こういうわけで、ほとんど必然的に国境を越えて難民が殺到することは容易に予想がつきました。これらの人々のほかにも、1980年代にレーガン大統領が中米でおこなった非道な戦争の荒廃から逃れるためにやってくる人々もいまだに跡を絶っていません。
国境がなし崩しになる、そしてまた、国境の象徴となり国境が原因となっていた深刻な憎悪と紛争が沈静化する徴候が今日いろいろな形で現れています。
そのもっとも目覚ましい例はヨーロッパです。
何世紀もの間、ヨーロッパは世界でもっとも悲惨な地域でした。むごたらしい、破滅的な戦争を幾たびも経験しました。17世紀の「三十年戦争」だけを見てみても、おそらくドイツの人口の3分の1ほどがこの戦争のおかげで失われています。ヨーロッパは、こうした悲惨な時代を経る過程で、科学技術を発達させ、戦争のやり方に習熟しました。これが、後にヨーロッパが世界を制する原動力となったのです。
最終的に形容しがたい蛮性が炸裂した後、この相互の破壊行為は1945年に終息しました。学者によると、これは民主的な平和を望んでの幕引きということになっています。しかし、戦争終結の大きな要因は、自分たちがあまりに強力な戦争技術を身につけるに至ったため、これ以上この相互破壊のゲームを続けると自身の破滅をもたらしてしまうと悟ったことにほかなりません。
戦後からこれまでの欧州統合の歩みは深刻な問題をかかえています。それは今現在、誰の目にもあきらかです。けれども、過去と比べた場合、大きな前進であることはまちがいありません。
同様のことがこの中東で起こっても格別不思議というわけではないでしょう。近年まで国境など実質上存在しなかったのですから。そして、実際にそれは起こりつつあります、むごたらしい形で、ですが。
自殺と同一視されるほどのシリアの悲惨な国内紛争は国全体を無残に引き裂いています。中東地域を担当するベテラン記者のパトリック・コックバーン氏が述べた可能性をわれわれはまじめに受け取らねばなりません。シリアのこの内戦とそれが近隣におよぼす影響の結果、1世紀前にイギリスとフランスによって押しつけられたサイクス・ピコ協定の枠組みが崩壊するかもしれない。そう、同氏は語っています。
シリアの内戦はスンニ派とシーア派の争いを再燃させました。しかし、この争いは、そもそも10年前のアメリカとイギリスによるイラク侵攻のもっともおぞましい帰結のひとつです。それに、われわれが忘れてはならないのは、ニュルンベルク裁判において、侵攻、侵略が「もっとも重大な国際犯罪」とされたことです。それは、付随して生じるあらゆる悪を内包しているがゆえに他の戦争犯罪とは別格とされました。このニュルンベルク裁判における考え方は、現代の国際法の中核を成しています。
イラクのクルド人居住地域と目下のシリアは自治と統合の方向に歩を進めています。
今では、多くの地政学の専門家が、パレスチナ国家の成立より早くクルド人の国が誕生する可能性を指摘しています。
パレスチナは、もし圧倒的な国際的合意による条件等によって独立を勝ち得たとすると、そのイスラエルとの国境は、商業的、文化的交流という平凡な過程を通じて影を薄くするでしょう。これまで比較的平和な時期にそうなりつつあったように。
「イギリス委任統治領パレスチナ」について多少は知っている人間であれば、強制的な分割がいかに恣意的であり、甚大なダメージを与えるものであるかはよくご存知のことと思います。
上で述べたような事態の展開によって、この地域の統合は一層進むでしょう。そしておそらく、イスラエルとレバノンを分けていたガリラヤの人為的な国境はなし崩しになるでしょう。そうして、ハイキングをする人たちその他は、私たち夫婦が60年前にやったことをまたくり返すことになるかもしれません。ここで詳細な分析はひかえますが、以上のような進展は、私には、パレスチナ難民の苦境を幾分かでも解決する方向に向けた、唯一の現実的な希望を差し出すものと感じられます。もっとも、この問題は、イラク侵攻とシリアの自殺的な内戦以来、この地域を悩ましている難民問題のほんの一例にすぎなくなってしまいましたが。
国境をぼやかし、国家の正当性に懐疑的な目を向けてみると、浮び上がってくるのは「誰が地球を所有しているのか」というかりそめならぬ問いです。地球の大気は誰の持ち物でしょうか。この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、「長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し」、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。また、誰が地球を守るのでしょうか。こう問いを発したのは、世界各地に居住する当該地域固有の民族に属する人々です。自然の権利を擁護するのは誰でしょうか。誰が人々の共有財産について管理係の役目を引き受けるのでしょうか。
深刻化しつつある環境破壊に端を発する災厄から地球を救う道が喫緊の課題であること-----これは、教育を受けた正気の人間であればわかりきったことであるはずです。ところが、現代の歴史においてもっとも注目すべき特徴は、この危機に関するくいちがった対応です。自然を守ろうとする最前線にいるのは「原始的な文明」に属するとされる人々です。土着の人々、部族の人々、カナダの「ファースト・ネーション」またオーストラリアの「アボリジニ」と呼ばれる人々、そして一般に帝国主義国家の侵略をどうにか生き延びた人々の子孫です。一方、自然に対する攻撃の最前線にいる人々は、自分たち自身を「もっとも文明の発達した」、「もっとも豊かで、もっとも強大な」国に属すると称する人々です。
人類の共有財産を守ろうとする動きはさまざまな形で現れます。小さな形では、まさしく今、タクシム広場で起こっています。勇気のある人々がイスタンブールに残る人類の共有財産を守ろうとしています-----商業化、地域の再開発とそれにともなう地域社会の崩壊、強圧的統治に抗して。これらが、古くからの貴重な宝をだいなしにしようとしています。主流派メディアがようやく認識し始めたことですが、これらの人々の声は「自分たちの声を聞いてもらいたい人々の叫び、統治のスタイルについて発言権を欲する人々の叫び」です。タクシム広場の衝突は「支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂」です。
トルコの地位の重みを考慮すると、タクシム広場の闘いの帰結は中東の他の国々にもかならずや大きな影響をもたらすでしょう。けれども、それにとどまらぬはるかに重大な意味を有しています。今タクシム広場で闘っている人々は、上に述べた商業化、地域の再開発、強圧的統治などから人類の共有財産を守る世界的な闘いの最前線にいるのです。この闘いは、私たち全員が情熱と堅い意思を持って参画すべき闘いです-----もし、国境のない世界、私たちの共有財産であるこの地球で人間らしい生活を送ることを望むのであれば。この地球を守るのか、それとも破滅の道を歩むのか、ふたつにひとつです。
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[訳注と補足と余談など]
この講演にうかがえるように、チョムスキー氏は、現在の世界各地の悲惨な紛争その他にもかかわらず、人類の平和的共存の可能性をなお信じています。
自分の個人的な思い出話を起点とし、国境の不合理性、過去から現在までの帝国主義的国家の非道から環境問題、統治のスタイルまで話が展開しますが、これらが有機的につながり、単なる抽象的なご高説に終わっていません。氏の個人的な確信に裏打ちされています。そういう意味で、非常に印象的な語りとなっています。
チョムスキー氏の文章は以前にも訳出しました。こちらもぜひ一読を。
チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/a554e4c629f391e59807ee8286fed27f
■訳注
・文中の、
「この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、『長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し』、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。」
の部分は、おそらく、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事に言及したものと思われます。
Heat-Trapping Gas Passes Milestone, Raising Fears
http://www.nytimes.com/2013/05/11/science/earth/carbon-dioxide-level-passes-long-feared-milestone.html?pagewanted=all&_r=0
・文中の
「タクシム広場の衝突は『支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂』です。」
の引用部分は、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事が出典と思われます。
In Istanbul’s Heart, Leader’s Obsession, Perhaps Achilles’ Heel
http://www.nytimes.com/2013/06/08/world/europe/in-istanbuls-taksim-square-an-achilles-heel.html?pagewanted=all
■内容についてもう少し掘り下げたい方のために参考となるサイトなどを紹介しておきます。
・文中の「アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)」とパシュトゥーン民族については、以下のサイトが参考になります。
パシュトゥーニスタン問題についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/sc_skipjack/20091019/p1
・文中で、グラント将軍がメキシコ戦争を「史上もっとも邪悪な戦争」と形容したことについては、日本文学の翻訳家で親日家であるドナルド・キーン氏の著書『明治天皇』(上巻の第31章「グラント将軍、日本の休日」、角地幸男訳、新潮社)に次のように出ているそうです。
メキシコ戦争中、私は良心と戦っていた。私は、戦争に参加した自分を決して完全には許していない。私はこの問題について、大変はっきりした意見を持っていた。合衆国がメキシコに仕掛けた戦争ほど邪悪な戦争はない、と私は考えている。若かった当時も、そう考えていた。しかし、辞める道徳的勇気がなかった。
私は、これを以下のサイトで知りました。
大統領のトリビア(1)
http://homepage3.nifty.com/ap1967/trivia01.html
・文中の、ニュルンベルク裁判における考え方に関連しては、以下のサイトが参考になります。
戦争責任とは何か
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/historyeducation/Sensousekininn.htm
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