気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

英国のメディア監視サイト-----(BBC批判)

2013年08月06日 | メディア、ジャーナリズム
今回は、英国のメディア批判・監視サイトを紹介しましょう。

ノーム・チョムスキー氏やドキュメンタリー映画監督のジョン・ピルジャー氏、著名なブロガーであるグレン・グリーンウォルド氏などから賛辞を寄せられているサイトです。

Media Lens(メディア・レンズ)
http://www.medialens.org/


今回は、そのサイトに掲載されている文章の中から、主にBBCを批判している文章を訳出してみました。
書き手は David Cromwell(デビッド・クロムウェル)氏。

タイトルは
Down the Barrel of a Gun(銃身を通して)

原文はこちら↓
http://www.medialens.org/index.php/alerts/alert-archive/alerts-2013/723-down-the-barrel-of-a-gun.html

(なお、この文章の掲載期日は3月5日、最終更新日は6月10日でした)


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Down the Barrel of a Gun
銃身を通して


BBCの『ニュース・ナイト』、イラク戦争、民主主義の輸出


By David Cromwell
デビッド・クロムウェル

Source: Medialens
メディア・レンズ

2013年3月5日掲載、最終更新日6月10日


企業に所属する報道人にとっては、自分たちの雇用主たる企業や政府当局が有する固定観念に敬意を払うことが当たり前となっている。結局のところ、彼らが「ニュース」の貴重な源泉であり、「十分な情報に基づく」コメントを発してくれる相手でもあるからだ。これらの報道人は、同時に、自分たちが勇敢な捜査官、民主主義の擁護者、公正でバランスの取れた議論の仲介役として見られることを好む。だが、むろん、一般大衆は、大抵の場合、こういった見えすいたポーズにやすやすとだまされたりはしない。

BBCのニュース・キャスターのヒュー・エドワーズ氏は、ある時、列車内でひとりの「怒り狂った」男性からつめよられた出来事について書いている。

「2008年にアフガニスタンのラシュカルガー[同国南部のヘルマンド州の州都]から帰国してほどない頃、ロンドンに向う列車の中で私はある男性と対峙した。5分に満たないが声高な口論となり、アフガニスタンに関するBBCの報道を根本的に疑問視する言葉が発せられた。それらはすべてBBCと軍隊の関係の性質について多少かかわりがあるものだった」

「相手の男性の憤りの原因は、われわれが『歪んだ』報道をおこなったこと、ヘルマンドにいた間に軍の『捕囚』に甘んじたこと、『真実』の報道を意図的に封印した(と見える)こと-----やれやれ、例の『真実』というやつ-----、等々であった」

(リチャード・ランス・キーブル、ジョン・メア編集 『アフガニスタン、戦争、メディア: 死線と前線』 アリマ・パブリッシング(ベリー・セント・エドマンズ) 2010年刊 ページix)

エドワーズ氏の気軽な、どうでもいいという風の「やれやれ、例の『真実』というやつ」という文言は、書籍の文章の中では収まりがいいかもしれない。しかし、列車内で相手の男性にエドワーズ氏が実際にどう反駁したか、口論がどんな具合に収束したかについては語られないままである。それは、結局のところ、エドワーズ氏の意見を表明することになり、BBCの人間は建前上そうすることを許されていないのだろう。

エドワーズ氏は、代わりに、思慮深げに嘆息し、『真実』なるものはジャーナリストにとってもっとも達成しがたい要求であると読者に諭し、こう言う。

「戦争報道の際には、この達成しがたさははるかに困難なレベルにまでひき上げられる」

エドワーズ氏は正確な報道をあたかも量子重力をめぐる深遠、難解な問題ででもあるかのように語る。「達成しがたい」何かであり、永遠に手が届かないかのごとく。だが、列車で対峙した男性はつくづく正しかった。「BBCのアフガニスタン報道をめぐる根本的な疑義」は確かに存在する。アフガニスタンに限らない。それはイラク、イスラエル・パレスチナ問題、イラン、シリア、貧困、グローバル化した資本主義、せまり来る気候変動、等々に関しても同様だ。エドワーズ氏は『10時のニュース』のキャスターをつとめ、英国王室の重要な行事の報道もまかされた人物である。しかし、同氏はまた、BBCニュースの閉鎖的な幹部グループの一員であり、ニュース・キャスターの役割に関する根本的な疑問を許さない体制的集団思考に陥っている。

社会学者のスチュアート・ホール氏はいみじくもこう語っている。

「メディアは、大多数の国民のために、どんな重要な出来事が起こっているかを示してくれる。しかし、それにとどまらず、これらの出来事を理解するにあたり、説得力を有する解釈をも同時に提供する」

そして、さまざまな出来事や問題を「しかるべく」議論する場合はいつでも敷居が設定される-----既存の体制に対する深刻な異議申立てを排除し、対処可能な範囲におさまるように。これをあざやかに示す例として、歴史学者のマーク・カーティス氏は、BBCの討論番組『クエスチョン・タイム』をあげている。この番組は、やはりこれまた幹部グループの一員であるデビッド・ディンブルビー氏が司会をつとめ(同氏はまた、あの悪名高いブリンドン・クラブのメンバーだった)、国家的問題についてライブであれこれ論じるものだ。カーティス氏はこの番組を「メディアのあり様をみごとなまでに簡潔に示している」と評し、次のように言う。

「批判的思考の持ち主はまず番組に招かれない。たとえ招かれたとしても、その見解はあまりに例外的な存在になるので、他のパネリストたちの「常識的」、「中庸的」な意見と並べられた場合、ひどく場違いな感覚をひき起こしてしまう。『クエスチョン・タイム』のパネリストたちがエリートの暗黙の了解の範囲内でお互いを批判しあうことは問題ない。しかし、この範囲を逸脱して彼ら全員を批判することは許されないのである」
(『Web of Deceit』 ヴィンテージ社 2003年刊 378ページ)

カーティス氏はさらにこう述べる。

「圧倒的に明らかなことは、BBCや商業テレビ局が英国の外交政策をめぐって報道する場合、あたかも国のプロパガンダ機関そのものであるかのようにふるまうことだ。政府から直接指示されたというわけではない。が、その報道の仕方はそう解釈されても文句が言えない。巧妙、隠微なやり方というわけでさえない。BBCやITV、チャンネル5は、英国の外交政策に関して真に批判的なことは何も報じないのである。まれにそういう例外的な報道が見られるのはチャンネル4ぐらいだ。テレビが報じるニュースは、国民の大多数の情報源でありながら、メディアのもっともはなはだしい偏向のさまを明かしている …… 人々の考え方に、新聞や雑誌よりもはるかに大きな影響をおよぼしている」
(前掲書 379ページ)


[巧妙なプロパガンダ]

報道が人々の考え方にどのように影響をおよぼすかの例は、2013年2月26日に放映されたBBCの『ニュースナイト』の「特別」企画である『イラク: 10年後』にはっきりとうかがえる。集まった聴衆の前に姿をあらわしたゲストのひとりはジョン・シンプソン氏だった。「国際問題担当編集者」という大層な肩書きを有するベテランのジャーナリストで、伯父のような慈愛と重々しさをただよわせる人物である。報道に関するBBCの権威と評判を高からしめたあのデビッド・アッテンボロー氏の政治記者版と言ってもいい。しかし、シンプソン氏の発言を当たり前の頭の働き方で冷静にふりかえってみよう。厳粛な口ぶりや形式的な言いまわしをはぎ取ってみるのだ。そうすれば、中身はひどくスカスカであることがわかるだろう。権力に対して深刻な異議申立てとなるような内容はほとんど見当たらない(これについては以前の文章でも取り上げたので参照していただきたい)。それどころか、ときにはあからさまに人をあざむく体のものだ。たとえば、番組の中でシンプソン氏は冗談ではなくこう述べた。

「サダム・フセインが巧妙に武器を前もって破棄していたという報は、ブレアとブッシュにとって心底からの驚きでした」

ブレアとブッシュの頭の中の「心底からの驚き」を知覚できるとは、シンプソン氏はなんたる神秘的な能力の持ち主なのだろうか。フセインが「巧妙に」武器を廃棄したと言う代わりになぜシンプソン氏は事実をそのまま伝えないのか-----イラクが大量破壊兵器を事実上すでに捨てていたことを。こんなことは同氏が10年前に報道してしかるべきだった。

BBC自身のウェブ・サイトには現在でもなおフセインへのインタビューの書き起こしが掲載されており、その中に「イラクは大量破壊兵器などまったく所有していない」という発言がある。トニー・ベン氏が2003年の2月におこなったインタビューである。そして、これに加えて、イラクの兵器関連の責任者であったフセイン・カマルの証言もある。このイラク高官は1995年に亡命した後、CIAや英国の諜報機関、国連の査察官らに対して、湾岸戦争後にイラクはみずから大量破壊兵器を破棄したと供述している。

「兵器は、生物兵器であろうと化学兵器、ミサイル、核兵器であろうと、一切が廃棄された」

これらの事実は、イラク侵攻前の2003年の2月に『ニューズウィーク誌』で明らかにされている。しかし、それは、ブッシュがすでに設定し、ブレアが積極的に加担したイラク侵攻への道筋にはなんら障害とはならなかった。それどころか、米国のメディア監視団体の『FAIR』によれば、これに言及した「米国の大手新聞やテレビ番組」は皆無であった。黙殺されたのである。ジョン・シンプソン氏は-----「巧妙に」かどうかは別として-----『ニュースナイト』で以上の点にまったくふれなかった。

そして、『ニュースナイト』の司会者カースティ・ウォーク女史は、テレビ会議システムを通じて、元国連査察団委員長のハンス・ブリックス氏にこう話しかけている。

「ブリックスさん、あなたは兵器査察の責任者でした。大量破壊兵器の捜索と発見があなたのつとめでした。私たちは今や、イランが大量破壊兵器を所有しようとしていると見られる段階に到達しています」

これは、BBCの著名で「客観的な」ジャーナリストによる、とんでもなくゆがんだ先入見である。そして、それこそカフカの小説を思わせるグロテスクさだ。BBCのお偉いジャーナリストが、プロパガンダの果てのイラクの惨禍を議論する中で、一見まったく無意識に同じでっち上げによる大量破壊兵器の話をイランについてくり返すとは!

イランが大量破壊兵器を開発していること-----これには確たる証拠はまったくない。欧米主要国とイスラエルによる推測と恐怖扇動だけである(これについては、エドワード・ハーマン、デビッド・ピーターソン共著の『カフカ的世界におけるイランの脅威』を参照)。しかし、『ニュースナイト』の「番組進行役」をつとめる間中ずっとウォーク女史の発言にはこの思い込みがついてまわった。
また、ブレア元首相にインタビューした際には、こんな発言さえしている。

「それにしても、ある意味で困ったことではないでしょうか。英国がもはや諜報機関の情報を拠りどころとして戦争を始めることができないというのは」

ウォーク女史が戦争の動機をめぐる現実政治について無知であることは看過できないし、ほとんど説明しがたいことでもある。イラク戦争が「諜報機関の情報を拠りどころとして」始められたなどとはとんでもない。例の破廉恥なダウニング・ストリート・メモが明かしたように、「情報と事実は政策を軸にして組立てられた」のである。そして、その政策とはイラクに対して侵略戦争をしかけることであった。

事実は、フセインが国連と対立するよう合衆国政府と英国政府が手を組んで誘導したのである。こうして狡猾に戦争の口実が整えられた。このサイトですでに2005年に指摘したことだが、「ダウニング・ストリート・メモの重大なポイント」は、ロサンゼルス・タイムズ紙のマイケル・スミス記者が明確に語っている。

「国連の関与を求めたのは戦争を回避するためだったとブレア、ブッシュ両氏はなお主張しているが、ダウニング・ストリート・メモのある文章によると、それは実際にはフセインの『ヘマをさそう』ことによって戦争の法的正当性を得ることがねらいだった」

「英国の当局者が欲したのは、最終的な申し出の文言がフセインにとってあまりに受け入れがたく、即座に拒絶されるような形を取ることだった。しかし、思惑通りにいくとは確信が持てなかった。それで代替策が用意された …… 。それは、手短に言えば、イラク南部の飛行禁止区域をパトロールする米航空機に爆弾を大量に落とさせることであった。これがひきがねとなり反撃を呼び起こすことができれば、全面的な空爆作戦、空中戦、すなわち、戦争の第一段階へと進む願ったり叶ったりの口実が連合軍側にできるわけである」


スミス記者は簡明にこう結論する。「戦争を正当化するために情報が『組立てられる』のはなんら目新しいことではない」。それよりも

「真に重大なニュースは、イラク侵攻についての不明朗な2002年4月の協議[ブレアがテキサス州クローフォードにブッシュを訪ねた際の話し合い]、口実作りのためのまやかしの国連の利用、議会の承諾なしの極秘で違法の空爆作戦である」

米連邦準備制度理事会の議長を長くつとめたアラン・グリーンスパン氏には、次のような有名な発言がある。

「悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治上、具合が悪いのだ」
(『波乱の時代』 ペンギン出版(ニューヨーク) 2007年刊 463ページ)

また、平和と世界安全保障に関する研究をおこなっており、『資源戦争』の著者でもあるマイケル・クレア教授は、こう述べている。

「イラクを支配することは、石油を燃料としてというよりむしろ影響力として利用することを意味する。ペルシャ湾を制することは欧州、日本、中国を制することだ。蛇口をおさえることになるわけだから。」


[銃身を通して民主主義を輸出する]

しかし、このような現実的認識は理念上受け入れられない、いやおそらくは思い浮かべることさえできないのだろう-----BBCの看板になりたがっているような人間には。それに、あらかじめ決められたBBCの台本から逸脱することは許されていないらしく思われる。

上にふれた『ニュースナイト』の特別番組の収録には、政治評論家の Nafeez Ahmed氏が出席していたが、聴衆のひとりとして意見を述べることが許されたのはほんの数秒だった。番組が放映されたまさにその日、Ahmed氏はBBCの限定的でゆがんだ議論の枠組みを支える、主な「7つの通念」を取り上げ、その嘘を粉砕する文章を発表した。これらの通念には、英米両政府の意思決定が誤った情報によってゆがめられた、ブレア政権がイラク侵攻を決定したのは正当な議会プロセスを経てのことである、等々のいつわりの主張がふくまれている。要するに、と Ahmed氏はしめくくる。

「『ニュースナイト』は、今や文書の上で明らかになっている事実を無視した。イラク戦争が一連の限定的な戦略的目標のために練り上げられたという事実、心底からイラク国民のことを考えてのことではなかったという事実を …… 公表されている文書から広くかつ容易にこれらの事実が確かめられるにもかかわらず、『ニュースナイト』のイラク戦回顧特別番組は、これらの点をきわめてあいまいにした結果、本当に重大な問題点がほとんど素通りされてしまった」

BBCが国のプロパガンダに協力的であるさまをもっともよくあらわす誘導的質問をひとつ例にあげるとすれば、それは、カースティ・ウォーク女史が同僚である外交・防衛問題担当のマーク・アーバン記者に向けて発したものだ。

「銃を突きつけて民主主義を採用させるという考えはもう通用しないと思いますか?」

本サイトの読者であるトニー・シェントン氏は、電子メールで次のようにウォーク女史に問いただした(2013年2月26日)。

「あなたさまにおかれましては、英国は民主主義と自由を輸出するために他の国に侵攻すると強く信じておられる由。お手数ながら、ご教示いただければ幸いです-----なにゆえ、ブレア、キャメロンほかのわが国の首相がサウジアラビアやバハレーンのごとき残虐な独裁政権と友達づきあいを続けているのかを」

「ノーム・チョムスキー氏は言いました。英国とアメリカは、もっとも残虐な国でさえ、それが欧米先進国の権力者に従順であるかぎりは支持するだろう、と。この言は正しからずや?」

これに対する返事はこうである(2013年2月27日)。

「お便りをありがとうございます。どなた様もご自分のご意見を表明する権利はございます。けれども、どのようにして私の考えていることがわかるとお考えになるのでしょう。こちらはただ単に問いを投げかけたにすぎませんのに」

シェントン氏はこう返信した(2013年2月28日)。

「あなたさまもご承知かと存じますが、人が議論をどのように進行させるかは、その人の有する信念について多くのことを明かしてくれます」

欧米が「民主主義を輸出する」という、ウォーク女史の信念的な含みを持つ質問について思いをめぐらすと、かつてわがメディア・レンズに送られてきた珍妙な電子メールのことが思い出されてくる。送り主は当時BBCニュースのディレクターであったヘレン・ボーデン女史である。彼女はなんと、イラク侵攻に関するブッシュとブレアの善意の意図を証明すると思われる発言を6ページにわたって引用し、メールに添付してきたのだ。


[BBCニュースの役割とは?-----権力の既成の枠組みの維持]

ニック・ロビンソン氏は、BBCの政治部の編集者として働いた経験を著書の『ライブ・フロム・ダウニング・ストリート』の中で簡潔に描いている。

「私の仕事は権力の座にある人々の考えと行動について、そして、議会で彼らに責任を問おうとする人々について、事実を報じることです」
(バンタム・ブックス 2012年刊 序文)

公共放送についてのこういう考え方は、BBCの創設期からあり、それは1920年代までさかのぼることができる。商業放送局もこれにならった。BBCのテレビ番組編成局長であったスチュアート・フッド氏は、BBCと商業局の双方にからんで、かつて次のように述べている。
彼らにとって、

「中立性とは、議会の合意を形成する考え方を受け入れることだった。この合意をはずれる見解はほとんど報道されなかった」
(ジェームズ カラン、ジーン・シートン著 『Power Without Responsibility: The press and broadcasting in Britain』第5版 ラウトレッジ(ロンドン) 1997年刊 170ページ)

また、『The Return of the Public』の著者ダン・ハインド氏はいみじくもこう指摘している。社会がすでに企業の利害の強い影響下にあるとき、企業メディアの「バランスと中立性」を謳う報道は、強大な力の持ち主にひどく好意的にかたむく-----「しかも、この偏向を自然で公正なものと思わせるやり方で」、と。(『The Return of the Public』 ヴァーソ出版 2007年刊 56ページ)

ハインド氏はさらに言う。

「BBCの幹部連は確信している、一般市民が何を知る必要があるかは自分たちが判別できる、と。また、政治や経済をめぐる議論をバランスの取れた、公正な報道に収束できる、と。公共放送であるという性格は、自分を高邁な精神を有する職業人であると彼らが思い込むのに手を貸す。一般大衆に知らせる事柄を決定できると彼らが思い込めるのは、これまでの技術的な熟練や経験、彼らの奉じるきわめて特殊な信念のためである」
(前掲書 56ページ)

この「特殊な信念」とは、われわれがすでに複数の書籍とこのサイトの「アラート」コーナーでたびたび明らかにしたように、「自国」政府は善意から行動する(たとえ他国の人々に人道上の惨事をもたらす場合でも)という想定、および、企業が先導する資本主義は自然な、あるいは少なくとも疑問の余地のない枠組みであるという想定-----いずれも誤った想定-----である。

BBCの幹部や編集責任者、記者等々はこの誤った想定を骨の髄まで浸透させているので、政府のプロパガンダや嘘の情報に接した場合、しかるべく問いただしたり真実を追求したりすることができない。民主主義におけるこのようなぶざまな不能ぶりが、「終わりのない戦争」や暴走する企業資本主義、気候変動の脅威に対する政府の実質上無策の対応などにつながっている。であるならば、そろそろ潮時ではなかろうか、ガンジーにならって非暴力的な抵抗運動を起こすことが-----企業メディア、とりわけBBCに対して。


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[訳注と補足と余談など]

■今回取り上げたこの『メディア・レンズ』は、たぶん英国でも一部の人にしか知られていないでしょう。
日本語では、グーグルで検索してみてもたった3件しかヒットしません。

ひとつだけ、ある文章全体が益岡賢氏の訳によって紹介されています。今から10年前、イラク戦が話題になっていた2003年のものです。

ブレアの誠実さとメディア
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Tqk3bVU_XW0J:www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/blair0303.html+%22%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%22%E3%81%AF&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

この文章が書かれてから10年が経っても、大手メディアの「政府の御用機関化・プロパガンダ機関化」はほとんど改まっていないようです。


■固有名詞については、できるだけカタカナ表記にするのが自分の方針ですが、ネットで調べても日本語表記が見つからないもの、書籍のタイトルなどで内容を知らなければ正確に訳しにくいもの、等については、しかたなく原語のままにしました。


■タイトルの Down the Barrel of a Gun は、「銃身を通して」と訳しましたが、これは「銃を突きつけて」と同じ意味と解されます。要するに「武力・軍事力で(強制的に)~」の比喩です。


■「ダウニング・ストリート・メモ」については下記のサイトなどが参考になります。
英米だけでなく日本の大手メディアも、このメモについては大々的に取り上げようとはしていないようです。

・ダウニングストリートメモ暴露から1ヶ月、米国内の反応は・・・: ニュースへ ...
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2005/06/1_ebb7.html

・dunpoo @Wiki - ダウニング・ストリート・メモ解説・全訳
http://www1.atwiki.jp/dunpoo/pages/64.html

・The Downing Street Memo (3) - WAVEtheFLAG - エキサイトブログ
http://wtfbl2.exblog.jp/126533/


■イラク戦争については、このブログの以前の回もぜひご一読を(とりあえず、直近の2つ)。

・イラク戦争から10年-----勝者はビッグ・オイル(巨大石油企業)

・チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想


■筆者は、最後の段落の
「企業メディア、とりわけBBCに対して」
と書いてあることからもわかるように、BBCを「企業メディア」に属する存在として捉えています。
BBCは公共放送なので、企業という言葉とはなじまないのでは?と感じた方もおられると思います。私もそうです (^^;)
また、ネットで検索すると、「BBCは国営」という表現が頻出します。
しかし、この表現には多少問題があるようですね。
以下のサイトが参考になります。

BBCは「国営」にあらず
http://hirobuchi.com/archives/2008/11/post_290.html

つまり、「公共放送=国営」ではないらしい。
そして、BBCは国営でもなく民間放送局(商業放送局)でもない特殊な存在らしい。

ウィキペディアによると、
「公共放送とは公共企業体によって運営される放送局による放送のことである」
ということですので、BBCは「公共企業体」にあたり、したがって、「企業メディア」という範疇でくくれるというわけです。


■今回のBBCを批判する文章
「さまざまな出来事や問題を「しかるべく」議論する場合はいつでも敷居が設定される-----既存の体制に対する深刻な異議申立てを排除し、対処可能な範囲におさまるように。」

「批判的思考の持ち主はまず番組に招かれない。たとえ招かれたとしても、その見解はあまりに例外的な存在になるので、他のパネリストたちの「常識的」、「中庸的」な意見と並べられた場合、ひどく場違いな感覚をひき起こしてしまう。」

「~外交政策に関して真に批判的なことは何も報じない~」

等々は、すべて日本の大手テレビ局にも当てはまるようですね。(^^;)