原文が掲載されたのは3ヶ月ほど前なのですが、その価値はあると思うので、遅ればせながら訳出してアップします。
例によって、アメリカの著名ブロガー、Glenn Greenwald(グレン・グリーンウォルド)氏の大手メディア批判の文章のひとつです。
タイトルは
Correspondence and collusion between the New York Times and the CIA
(ニューヨーク・タイムズ紙とCIAの意思疎通となれあい)
原文はこちら↓
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/aug/29/correspondence-collusion-new-york-times-cia
(原文の掲載期日は8月29日でした。また、原文サイトにはめ込まれている画像は省略しました)
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Correspondence and collusion between the New York Times and the CIA
ニューヨーク・タイムズ紙とCIAの意思疎通となれあい
マーク・マツェッティ記者がCIAに送った電子メールによって、ジャーナリズムの腐敗があらわに
権力を監視するという大原則をジャーナリズムはなくしてしまった
Glenn Greenwald
グレン・グリーンウォルド
guardian.co.uk, Wednesday 29 August 2012
ガーディアン紙 2012年8月29日(水)
保守系の行政・司法監視団体『ジュディシャル・ウォッチ』が火曜日に公表した文書は、オバマ政権がビン・ラディン強襲をめぐる情報をいかに熱心にハリウッドの映画製作者たちに投げあたえたかをあきらかにした。オバマ政権の高官らの動機は、この「英雄的な」殺人について、政治的に好都合な映画の製作を大統領選挙前に成就させるためであった。ビン・ラディン強襲は機密事項であるから情報の公開は許されないと政権の法律家たちが連邦裁判所や報道機関にしつこく説いていたにもかかわらず、である。
『ジュディシャル・ウォッチ』が情報公開法に基づき入手した情報は以前にも数々公表されているので、今回の情報は特に目新しいというわけではない。この件もまた、オバマ政権がつねづねおこなってきたことである。つまり、情報秘匿の権能を利用し、法廷で説明責任をまぬがれる一方で、大統領を賛美すべく同じ企てに関する情報を随意に漏らすのだ。
しかし、今回の公表で注目に値するのは、ニューヨーク・タイムズ紙の国家安全保障・諜報担当の記者マーク・マツェッティとCIAの広報担当官マリー・ハーフとの間に交わされた電子メールがあきらかになったことだ。オバマ再選の可能性を高めるべくビン・ラディン強襲にまつわる情報を映画製作者に吹き込むにあたりCIAが役割をはたしたことを、ニューヨーク・タイムズ紙の著名コラムニスト、モーリン・ダウドが取り上げようとしていた。ハーフはあきらかにこれを聞きつけており、ダウドがコラムでこの問題をどうあつかうかに懸念を抱いていた。2011年8月5日(金曜の夜)にハーフはマツェッティに「その後何か?」と題するメールを送っている。あきらかにハーフとマツェッティはダウドが書こうとしているコラムについてすでに話題にしており、ハーフは新しい情報を知りたがっている。
ハーフが金曜の夜にこの電子メールを送ったわずか2分後にマツェッティは返信を書き、「公表される前に草稿を見てみる」と約束した。そして、心配するようなことはたぶんあるまいと請けあった。
「たぶんコラムの終わりの方でCIAの官僚主義についてごく軽くふれる程度。しかし、[脚本家のマーク・]ボールもペンタゴンの重要人物たちと接触があったことが書かれる由」
ハーフはふたたびこれに返信し、マツェッティに「随時情報を知らせる」よう求めた上で、「本当に感謝しています」とメールを締めくくった。
それからほとんど時をおかず、マツェッティはダウド女史の発表前のコラムの原文を送った(コラムが同紙のオンライン版に正式に載ったのは翌日の夜。紙版は2日後)。このメールの最初の方でマツェッティはこう書いている。「私からのこのメールはなかったことに……読んだ後は削除をお願いします」。次に、マツェッティは、自分の言葉が間違いではなかったことを誇らしげに語っている。
「どうです、心配すべきことは何もなかったでしょう」
このメールのやりとりは、それ自体すこぶる示唆的である。つまり、体制派ジャーナリストがはたす典型的な役割とその腐敗ぶりが浮き彫りになっている。CIAに関連する情報を担当するニューヨーク・タイムズ紙の記者が、まさしくその広報担当者と連携し、自分の所属する新聞の文章から生じる波紋にそなえて対応を練る、とは!(「心配すべきことは何もなかった」けれども)。これだけではない。きわめて示唆的であるのは、同紙のジャーナリスト-----建前的には、政府機関に透明性をもたらすことに貢献するはずの-----が、こともあろうに! CIAの広報担当官に対して、自分の行為を秘密にし、協力した証拠を消去するよう申し入れたことだ。
ニューヨーク・タイムズ紙と合衆国政府の関係は、例によって例のごとく、決して「敵対的な」ものではない。実際のところ、上述のメールのやりとりは、広告代理店の幹部とクライアントが来るべき危機にそなえて対策を話し合っている文面を読むかのようだ。
さらにずっと驚くべきことは、事態発覚に対する同紙の編集主幹ディーン・バケット氏の対応である。政治専門サイト『ポリティコ』のディラン・バイヤーズは次のように報道している。
「ニューヨーク・タイムズ紙の編集主幹ディーン・バケット氏は電話で事情を語ってくれたものの、詳細をあかそうとはしなかった。同氏は、諜報にかかわる事項であるためこの問題に関してはそうすることができないと述べた」
『私は事情を把握している。それに、もし人が事態のすべてを承知していたら、これがから騒ぎにすぎないと誰でもわかるだろう』とバケット氏は語る。『事情は詳細にすることはできない。が、マークと話してみて、これはまったくたいしたことではないと私は確信できた』。
同氏は続けて『事態の様相は見かけとは異なっている。私はマークと話し合った。事情はわかっている。わかったことから判断すれば、これはから騒ぎにすぎない』。
これらの言葉には、「から騒ぎ」どころではなく問題とすべきことがおおいにある。
まず、私がどうしても取り上げずにいられないのは、バケット氏の「事態の様相は見かけとは異なっている」というセリフである。これは、私がしばらくぶりに出会った、もっとも不得要領の発言のひとつだ。これこそ、擁護不可能な事態を擁護しようとして、窮地におちいった会社幹部が口にする、意味不明でおろかな会社言葉である。私はこのセリフをここ24時間で10回以上読み直している。そして、読み直すたびに、いよいよ暗いおかしみを覚えずにはいられない。
次に注目していただきたいのは、ニューヨーク・タイムズ紙がCIAをなぞるさまである。同紙の人間がいかにCIAそっくりのセリフをしゃべることか。バケット氏は「詳細をあかそうとはしなかった。同氏は、諜報にかかわる事項であるためこの問題に関してはそうすることができないと述べた」。一体どんな具合で、マツェッティ記者がCIAと協力したことが「諜報にかかわる事項」に該当し、編集責任者がその経緯を説明できないなどということになるのだろうか。
これはCIAが条件反射的におこなうことだ。すなわち、自分たちが深刻な不法行為をおかしているとされた場合でさえ、それが「諜報にかかわる事項」であるがゆえに、国民(また、法廷でさえも)はCIAの活動について知ることはできないと言い張るのである。そして、今こうして米国民は、自称『事実を報道する新聞』の編集責任者がこれと同じ「機密扱い」好きなセリフをそっくりそのままくり返すのを聞く。まるでニューヨーク・タイムズ紙がある種の諜報機関であり、国家安全保障の観点から内部の仕組みをあかすことができないとでも言うように。それもこれも、自分たちがおかし、現場をおさえられた不法行為について、いかなる類いの公開もさけるためである。われわれはしばしば気づくのだ、メディア界の人間が、自分たちの報道する政府の人間と自分をほとんどダブらせるあまり、彼らの考え方はもちろん、その言いまわしさえ採用するようになる、ということを。
注目すべき第3の点は、バケット氏が、一般人の知らない事実、今後もあかされないであろう事実を自分は知っていると誇らしげに語るさまである。
「私は事情を把握している」。「もし人が事態のすべてを承知していたら、これがから騒ぎにすぎないと誰でもわかるだろう」。
新聞の役割とは一般人に「事態のすべて」を伝えることではなかったのか-----一般人は知らないがこちらは事情を把握していると自慢げに語ることではなく。
これは「から騒ぎ」にすぎないとするバケット氏の主張は、しかし、少なくとも社内の一部の人間にとっては、納得のいくものではないようだ。彼らは、自社の国家安全保障担当記者がコラムの草稿をこっそりCIAの広報官にわたすのを喜んでいないらしい。バケット氏がマツェッティ記者のふるまいを全面的に擁護してからほどなくして、ニューヨーク・タイムズ紙自身の広報担当者が、事態の詳細-----バケット氏は公表できないと主張していたが-----をあきらかにし、マツェッティ記者のふるまいもまた不適切なものであったと宣言した。
「モーリン・ダウド女史は今年8月、自身の執筆したコラム中の事実関係の確認をマーク・マツェッティに依頼した。マツェッティは、作業を進め、締め切り直前にコラムの全文をCIAの広報担当者に送った。これにあたってダウド女史の同意は得ていなかった。かかるふるまいは誤りであり、ニューヨーク・タイムズ紙の行動規範に沿わない」。
自社の記者のひとりがCIAにこっそり草稿を送ること、そしてかくふるまったという記録を一切消去するよう頼むこと、これらは、「ニューヨーク・タイムズ紙の行動規範に沿わない」かもしれない。まったくそういう話であってほしいものだ。が、残念ながら、公人に関しての報道という段になると、同紙の一般的ふるまいはそうではない。
政治権力に対する「敵対的な監視役」というよりむしろ「従順な愛玩犬」、「忠実な伝言係」の役目をはたすことが常態なのだ。
この点をもっともはっきり示したのは、戦争をあおるさまざまな嘘を広めてイラク攻撃を正当化するのに同紙が一役買ったことだ。もちろん、当時そうしたのはニューヨーク・タイムズ紙のみにかぎらなかったけれども。つい先月も、同紙は、再選運動にかかわる職員に何を引用として公表してよいかをめぐる拒否権を常時あたえていたと暴露された。これは、この暴露の前もそれ以後も、他の報道機関は禁じていることである(ニューヨーク・タイムズ紙をのぞいて)。
さらに言語道断なことに、同紙は政府の意向を受けて、国民の利害にかかわる重要な情報をしばしば隠匿する。たとえば、2004年半ば、ブッシュ大統領の違法な盗聴計画について情報をつかんだときである。ホワイトハウスの指示を受けて、ブッシュが無事に再選をはたすまで1年以上にわたり口をつぐんだ。あるいはまた、レイモンド・デイビスがパキスタン当局に逮捕された際、この人物がCIAに雇われていたことを政府の指示にしたがって報道しなかった。オバマ大統領は同氏を「パキスタン大使館の職員」と偽りさえしたが、これが事実でないことにニューヨーク・タイムズ紙はふれず、そのとおり伝えただけであった。あるいはまた、ウィキリークスが膨大な文書を暴露したときも同様であった。同紙は-----前編集主幹ビル・ケラー氏が得々と語っているように-----、何を公表し何を伏せるべきかの判断を政府当局にあおいでいた。
これらの事例にくわえて、政府職員を匿名の影にかくれさせることが同紙の常習的ふるまいとなっている。かかる匿名報道が同紙自身の謳っている基本方針と相容れない場合でさえも、である。これによって、政府はプロパガンダを広めることがたやすくなる。そればかりか、政府のふるまいを批判的に報道したという理由で、ジャーナリストを「アルカイダの協力者」と非難、中傷することさえ容易になる。
ニューヨーク・タイムズ紙のこれらのふるまい一切に共通していることは誰の目にもあきらかだ。すなわち、同紙がわが国でもっとも強大な権力を有する人々といかに体制的に連携し、その利益のために働いているか、ということだ。敵対的な監視役としてふるまってはいない。マツェッティ記者がCIAの広報担当者と話をするとき、彼はまるで共同プロジェクトでともに働く親しい同僚と語り合っているかのごとくである。
そのように思えるのは、まさしくそれが実態だからだ。
もちろん、お望みなら、マツェッティ記者がCIAに協力した行為を、ジャーナリストが取材源に取り入るためのありふれた手段にすぎないと醒めた目で解釈することもできよう。それでも、この場合、マツェッティ記者が手を貸した相手はCIAの組織奥深くに籍を置く、得がたい情報漏洩者というわけではない。それどころか、リクツの上では、真のジャーナリストにとって、きわめつきの敵とも言うべき存在なのだ。相手の仕事は、ときに真実を犠牲にしてでも、できるかぎりCIAに好意的なイメージを国民に植えつけることだからである。
そして、より重要な異議申立ては、ある行為がありふれているからといって、その行為自体が腐敗したものでなくなるわけではない、ということだ。政府の権力濫用には総じて当てはまることだが、権力者は、国民が腐敗したふるまいをありふれたものと感じるようやすやすと誘導され、それをなんとも思わなくなることを当てにしている。いったん腐敗したふるまいが日常茶飯事と感ぜられるや、それは国民の心の中で嫌悪すべきものから受け入れ可能なものに変貌してしまう。あろうことか、権力者による悪しきふるまいに無関心を表明することこそ世俗的洗練のあかしである、と少なからぬ人々が信じている。このシニカルな態度-----おめでたいことを言うなよ、こんなことはいつものことだ-----こそ、かかる悪行をのうのうとはびこらせてしまうものだ。
たしかに今回のマツェッティ記者とCIAのメールのやりとりはいささかもショックではなかった。驚きではなかった。しかし、この点こそが問題のキモなのだ。報道界でいくつかの貴重な例外(ニューヨーク・タイムズ紙内部でも他の報道機関でも)はあるにしろ、これらのメールが示しているのは、わが合衆国政府と体制派メディアとの間の常態となっている、強力な協力関係-----実質的な融合-----である。当のメディアはみずからを政府の「監視役」と称しているけれども。
『印刷に値するすべてのニュースを提供する』という同紙のスローガンと「読んだ後は削除をお願いします」、「諜報にかかわる事項であるため、この問題に関しては詳細をあかすことができない」というセリフに注目していただきたい。ここに、ニューヨーク・タイムズ紙のかかげる看板、ブランドとその実態のギャップがあざやかに示されている。
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追記: ニューヨーク・タイムズ紙の社内オンブズマンが本日、この件について意見をあきらかにした。マツェッティ記者のふるまいに対してはっきり不同意を表している。
「マツェッティ記者の動機がいかなるものであれ、取り扱いに注意を要する文章を、かかる状況下で正式掲載前に外部に提供することは、明らかにのりを越えた行為である。これは、取材源との接し方の物差しである通常の協力関係をはるかに踏み越えた行為であり、記者と取材対象との間の距離を置いた関係が消失したことを示唆する」
マツェッティ記者自身も自分のふるまいについて後悔の念を表明している。「完全な誤ちでした。こんなことは以前おこなったこともないし、今後おこなうことも決してありません」。しかし、一方で、マツェッティとジル・エイブラムソン編集主幹はいずれも、その行為にふらちな意図はなく、単に文章の事実確認をして朋輩(ダウド女史)を助けようとしただけであると言い張る。エイブラムソン氏も、バケット氏と同様、重要な事実について詳細をあかすことを拒む。「コラム全文が送られた理由に関して、これ以上詳細をあきらかにすることはできない」と。
これらの釈明は当然次のような疑問を呼び起こす-----マツェッティ記者がもしそのような素朴で率直な動機によって行動したのなら、どうして自分の送ったメールを削除するよう相手に申し入れたのか。上の釈明は、自分のおかしたことではなく、現場をおさえられたことを悔やむ際の、おなじみのセリフとしか思えない。
それと、もうひとつ。
『ポリティコ』のバイヤーズは、私の問い合わせに対して答えてくれた。
バケット氏は、まさしくバイヤーズが述べたとおりのセリフ-----「he could not go into detail on the issue because it was an intelligence matter(諜報にかかわる事項であるため、この問題に関しては詳細をあかすことができない)」-----を口にした、とのことだ。バケット氏の実際の言葉は it「has to with intel」である。
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[補足と余談など]
全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。
■米国の保守派からは「リベラルだ」、「偏向している」と激しく非難され、世界の知識人からは客観報道の鑑、一流のジャーナリズム機関と見なされているニューヨーク・タイムズ紙も、こんなていたらくです。
同紙のこういった側面については、事情通の間ではすでに常識のようです。以下のような著作が刊行されていました。
『「ニューヨークタイムズ」神話―アメリカをミスリードした“記録の新聞”の50年』
ハワード・フリール、リチャード・フォーク著(三交社)
■もちろん、ニューヨーク・タイムズ紙のすべての記事がこんな調子-----政府迎合、御用ジャーナリズム-----というわけではなく、グリーンウォルド氏も、すぐれた記事についてはブログでときに称賛しています。
また、組織の上層部と現場の人間(記者)との間で意見が激しく対立することも世の常です。ニューヨーク・タイムズ紙の内部でも意見の相違があることはここに書かれてあるとおり。マツェッティ記者を苦々しく思っている記者も当然いるでしょう。
しかし、いずれにせよ、現代アメリカの大手メディアに全幅の信頼を寄せることはできません。
(もっとも、記者クラブ制度などがある日本の大手メディアは、ハナからお話にならないという感じがしますが)
■グリーンウォルド氏のニューヨーク・タイムズ紙批判の文章は以前にも訳出しました。
気まぐれ翻訳帖・ジャーナリズムについて
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7e56.html
また、米国の大手メディア一般の腐敗、劣化については、前々回の「米国のアフガニスタン駐留の真のねらい」の訳注部分でまとめています。ぜひ参照してください。
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