気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想

2013年05月20日 | 国際政治

米国を代表する知識人のノーム・チョムスキー氏がインタビューに応えて、アメリカの帝国主義的支配とそれを支える思考について語ります。

タイトルは、
Noam Chomsky: The Paranoia of the Superrich and Superpowerful
(ノーム・チョムスキー: 超金持ちと超権力者たちの妄想)


原文の初出は TomDispatch.com(トムディスパッチ・コム)ですが、私は定期的にのぞく AlterNet(オルターネット誌)で読みました。そのサイトはこちら↓
http://www.alternet.org/world/noam-chomsky-paranoia-superrich-and-superpowerful?paging=off

(なお、原文の掲載期日は2月3日でした)


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Noam Chomsky: The Paranoia of the Superrich and Superpowerful
ノーム・チョムスキー: 超金持ちと超権力者たちの妄想

「アメリカは終わったのか?」-----これは、自分たちがすべてを所有すべきだと信じている人々のおきまりの繰り言です

2013年2月3日

[本文章は、ノーム・チョムスキー氏へのインタビューをまとめた新刊
『Power Systems: Conversations on Global Democratic Uprisings and the New Challenges to U.S. Empire』
中の一章である『Uprisings』から抜粋したものである(出版社メトロポリタン・ブックスの好意による)。聞き手はデビッド・バーサミアン]



中東のエネルギー資源に関してですが、アメリカはかつて持っていたのと同様のレベルの支配力を維持しているのでしょうか?


エネルギー資源を豊富にかかえている主要国は依然として欧米が支援する独裁制の下にしっかりと支配されています。ですから、実際のところ、「アラブの春」で実現した前進は大したものではありません。とはいえ、やはり無意味というわけでもありません。欧米が影響力をふるう独裁制は腐食が進行しています。実際、腐食が始まってからそれなりの時間が経過しています。ですから、たとえば、50年前を考えてみてください。エネルギー資源-----それは米国の政策策定者たちの主要な関心事であったわけですが-----は、大部分が国有化されています。これをひっくり返そうとする動きが絶えず見られました。しかし、今のところそれは成功していません。

米国によるイラク侵攻のことを考えてみてください。特定のイデオロギーの熱狂的な信奉者でもないかぎり誰にとっても明らかでしょう、米国がイラクに侵攻したのは民主主義を愛するからではなくて、イラクがおそらく世界で2番目か3番目に石油を大量に秘めている国であり、重要なエネルギー産出地域の中心部に位置しているからである、と。これは、口にしてはならないことだとされています。陰謀論と見なされているのです。

米国はイラクで深刻な打撃をこうむりました。同国のナショナリズムによってです。そして、主に非暴力的な抵抗を通じてです。米軍は武装勢力グループを掃討できるかもしれません。しかし、街頭で抗議の声をあげる数十万の市民を駆逐することはできません。イラクは占領軍の押しつけた種々の条件を一歩一歩着実に取り払っていきました。2007年の11月には、米国のねらいを実現するのがきわめてむずかしいことがいよいよはっきりしてきました。そして、興味深いことに、その時になって初めてそのねらいが明示されたのです。つまり、2007年の11月に、2期目のブッシュ政権は、イラク政府と今後どのような取り決めを結ぶかを公式に宣言しました。それには2つの重要な要求事項がふくまれていました。1つは、米国がなんら制約を受けずにイラクの米軍基地を拠点にして戦闘活動を展開すること(そして、この軍事基地を将来も保持すること)。もう1つは、「イラクに対する海外投資、とりわけ米国のそれ、を促進すること」です。ブッシュ大統領は2008年の1月にこれらの点を『大統領署名声明』の1つではっきりと謳いました。しかし、何ヶ月かすると、イラクの人々の抵抗によって米国はこれらの要求をあきらめざるを得なくなりました。「イラクの支配」は米国の為政者の目の前で崩壊しつつあります。

イラクの件は、昔の支配のしくみと同様のものを軍事力によって再構築しようとする試みでした。しかし、それははね返されました。
私が思うに、概して米国の政策は一貫しており、変化が見られません。第2次世界大戦以来ずっと同じです。ですが、それを遂行する能力は衰えを示しています。


それは米国経済の弱体化が原因ですか?


原因の一部は、単に世界がより多様になったためです。今ではさまざまな対抗勢力が登場しています。第2次世界大戦が終わった時、アメリカはまちがいなくその力の頂点にありました。世界の富のおよそ半分を手にしていました。ライバル国はことごとく深刻な痛手を負うか壊滅状態でした。前代未聞の安泰な地位を手に入れ、アメリカは実質的に世界を思い通りに動かす計画を追求しました。当時はそれがかならずしも非現実的というわけではなかった。


いわゆる「重要地域計画」ですか? (訳注1)


そうです。第2次世界大戦が終わるやいなや、国務省の政策策定チームの長であるジョージ・ケナンやその他の人々がその計画の詳細をつめました。そして、その後実現にむけて活動が開始されました。現在中東や北アフリカで起こっていることは多かれ少なかれ、また、南米で起こっていることは実質上すべてが、その1940年代後半に端を発しています。アメリカの覇権に抵抗した最初のめざましい成功例は、1949年のことでした。その年、ある事態が起こり、興味深いことに、それは「中国の喪失(中国を失った)」と呼ばれました。まことに奇妙な言いまわしです。しかし、それに異議をとなえる者は誰もいませんでした。この「中国の喪失」は誰の責任であるのか、喧々諤々の議論が巻き起こりました。大きな国内問題となりました。それにしても、まことに奇妙な表現です。われわれが何かを「喪失」できるのは、まずそれを「所有」していることが前提です。つまり、自明のことだったわけです、われわれが中国を「所有」していることが。そして、もし中国の人々が民族自立にむけて動き始めたとしたら、その時、われわれは中国を「喪失」するわけです。「中国の喪失」以降も「中南米の喪失」、「中東の喪失」、某地域の「喪失」などをめぐる懸念が浮上しました。これらすべての土台となっている考え方は、アメリカが世界を支配しており、その支配をゆるがすものはすべてアメリカにとって「喪失」であり、それをいかにして回復するかを検討しなければならぬ、というものです。

今日でも、皆さんがたとえば外交政策をあつかう雑誌を読んだり、あるいは、滑稽と言えるほどの形では、共和党議員の主張に耳を傾けてごらんなさい。彼らはこう問いを発しています、「われわれはいかにしてこれ以上の喪失を食い止められるのか」、と。

しかし、支配を維持する力は急激に衰えています。1970年代になると、世界は経済的にいわゆる3極に分かれてしまいます。米国を核とする北アメリカ、それと規模をほぼ同じくするドイツを核とする欧州、そして、日本を核とする東アジアです。最後の東アジアは、当時、世界でもっともダイナミックな成長を示していました。そして1970年代以降、世界の経済秩序はいよいよ多様なおもむきを呈しています。そういう次第で、米国の政策を実現することはより困難になっています。ところが、その土台となっている思考はほとんど変化していません。

たとえば、クリントン・ドクトリンを思い出してください。これは、「重要な市場、エネルギー供給、戦略的な資源への自在なアクセス」を確保するために米国は単独で力にうったえることができるとするものです。ブッシュ大統領のいかなる宣言もここまで大胆ではありませんでした。しかし、クリントン大統領の言い方はおだやかであり、傲岸不遜なところもとげとげしいところもなかった。それで、大論争に発展することもありませんでした。クリントン・ドクトリンの考え方は現在まで脈々と続いています。それは、知識人の常識の一部ともなっています。

オサマ・ビン・ラディンの殺害後、歓呼と賞賛の声が圧倒的な中で、この行為の適法性を疑問視するつぶやきが少数ながら聞かれました。大昔には、無罪推定と呼ばれるものがあったのです。容疑者をとらえたとしても、罪が立証されなければなりませんでした。法廷で裁かれなければなりませんでした。これはアメリカの法の中核を形成するものです。それはマグナ・カルタにまでさかのぼることができます。それで、少数のつぶやきが聞かれたわけです-----われわれは英米法の土台を放り捨てるべきではない、と。
ところが、これらの声に対しては、たくさんの怒りと憤りが寄せられました。中でももっとも興味深いものは、いつものことですが、左派リベラル系の人々の反応でした。マシュー・イグレシアス氏は人々から高い評価を受けている左派リベラル系の著名コメンテーターですが、ある文章で、こういったつぶやきの声をあざけっています。彼らは「驚くほど無邪気」でうつけた人間だ、とイグレシアス氏は言います。そして、その理由を説明します。イグレシアス氏によれば、「世界の体制的秩序がはたす主な役目のひとつは、まさしく、欧米諸国による破壊的な軍事力の行使を正当化すること」だからです。もちろん、このとき、同氏の念頭にあるのはノルウェーではありません。アメリカです。つまり、国際的な秩序が土台としている原理は、アメリカが思うままにその力を行使できるということなのです。アメリカが国際法その他に違反しているかどうかを問題にするのは、「驚くほど無邪気」で、まったく間の抜けた話というわけです。
ちなみに、イグレシアス氏がこれらの言葉を投げつけた対象は私自身でした。しかし、私は、自分が「無邪気」で、うつけた人間であることに不満はありません。マグナ・カルタと国際法には多少の関心をはらう価値がある、まさしくそう私は考えているのですから。

以上のことにふれたのは、ただ単にはっきりさせたかっただけです-----知識人たちの世界では、たとえ政治的指向の点で左派リベラルと呼ばれる人々であっても、核となる考え方はほとんど変わっていないということを。しかし、これを実現する能力はいちじるしく衰えています。だからこそ、アメリカの衰退についてこれほどあれこれ論じられるわけです。たとえば、著名な外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』の年末号をご覧になってください。表紙には太字で黒々と『アメリカの終焉?』と疑問が呈されています。これは、自分がすべてを所有して当然と考えている人々のおきまりの繰り言です。自分が一切を所有して当然と信じていて、自分の手から何かが少しでも離れるとなったら、それは悲劇であり、世界が崩壊しつつあるということなのです。それで「アメリカの終焉」が問われるわけです。かなり前にわれわれは「中国を失った」。東南アジアも失った。南米も失った。おそらくは将来中東と北アフリカ諸国も失うことになるだろう。アメリカはもう終わったのか?-----これは妄想と呼んでもよいものです。超金持ちと超権力者たちの妄想です。もし自分が一切を所有できなかったら世の終わりなのです。


ニューヨーク・タイムズ紙にはこんな文章が載りました。
「『アラブの春』をめぐる喫緊の政策課題:
民主的な変革への支援、安定性の追求、有力な政治勢力となったイスラム派に対する警戒などを含む米国の鼎立し難い欲求をどのように調和させるか」。
タイムズ紙はこのように米国の3つの目標を浮き彫りにしています。これについてはどのようにお考えですか?


そのうちの2つについてはまさしくその通りですね。アメリカは安定を好んでいます。ただし、安定の意味することを素通りしてはなりません。安定とは米国の指図にしたがうことなのです。ですから、たとえば、外交政策上の大きな脅威とされているイラン、このイランに対する非難のひとつは、同国がイラクやアフガニスタンを「不安定化」させているというものです。どうやってかというと、自国の影響力を近隣諸国に波及させようとすることによって、です。一方、われわれ米国は諸国を「安定化」します-----その国に侵攻し、破壊することによって。

この点については、それを表現するお気に入りの言葉を私は何度か引用してきました。著名で、率直な、外交政策のすぐれた専門家であるジェームズ・チェイス氏の言葉で、同氏は『フォーリン・アフェアーズ』の元編集者でもありました。1973年にチリのサルバドール・アジェンデ政権が打倒され、アウグスト・ピノチェト将軍の独裁政治が始まったことにからんで、チェイス氏はこう述べています。われわれは「安定化」のためにチリを「不安定化する」必要があった、と。これは矛盾というふうには受け取られていません。まさしくその通りなのです。われわれは安定を手に入れるために-----つまり、彼らがわれわれ米国の言うとおりに行動するということですが-----チリの議会制度を破壊しなければならなかった。そういう次第で、確かにわれわれは安定を好んでいます、このような限定的な意味において。

イスラム政治勢力に対する懸念は独立を求める動きについての懸念とちょうど同じようなものです。自分たちから独立した存在はどんなものであろうと、懸念の対象にならざるを得ません。こちらの力を弱体化するおそれがあるからです。実際、少々皮肉な話です。というのも、アメリカとイギリスは大体においてこれまでずっとイスラム政治勢力ではなく過激なイスラム原理主義の方を強く支持してきました。宗教と結びついていないナショナリズムを抑制する勢力として、です。本当におそれていたのは世俗的ナショナリズムの方だったのです。
それで、たとえば、サウジアラビアという国があります。同国は世界でもっとも強く原理主義を奉じている国、過激なイスラム教国です。宣教師的な情熱を持ち、過激な原理主義をパキスタンに広め、テロリストの資金源となっています。しかし、同国は同時にアメリカとイギリスの政策の橋頭堡でもあります。両国は一貫してサウジアラビアを支持してきました-----ガマル・アブダル・ナセルのエジプトやアブドルカリーム・カーシムのイラクを初めとする国々の世俗的なナショナリズムの脅威に対抗するために。アメリカとイギリスはイスラム政治勢力を好みません。自分たちから自立するおそれがあるからです。

上述の3つのポイントの1番目、つまり、われわれが民主主義を希求していること。これは、ヨシフ・スターリンが世界の自由と民主主義に対するロシアの取組みを話題にするのとほとんど同じレベルにあります。旧ソ連の人民委員かイランの宗教指導者の口からそれを聞いたら笑ってしまうような類いの話です。ところが、同じことを欧米の同等の立場の人間から聞くと、人はていねいにうなづくのです。おそらくは深い畏敬の念を持ってうなづきさえするのです。

これまでの行状を見てみれば、民主主義への傾倒などはたちの悪い冗談にすぎません。このことは一流の学者によっても認められています。彼らはこんな言い方はしませんが。
いわゆる「民主化促進」に関して主だった学者のひとりにトマス・キャロサース氏がいます。かなりの保守派で、高い敬意を払われている学者です。新レーガン主義者であって、熱狂的なリベラル派などではありません。同氏はレーガン政権下の国務省で働いていました。民主化の進展を検証する書籍を数点世に問うています。この民主化の進展について同氏はきわめてまじめに考えています。
そのキャロサース氏が言うには、確かに民主主義は米国の深奥に根をはる理念ではあるものの、歴史をふり返ればおかしなふるまいが見られる。これまでのあらゆる政権は「精神分裂」気味であった。彼らが民主主義を支持するのは、それがある戦略的、経済的国益に沿っている場合だけである、と。キャロサース氏はこれをふしぎな病理として描写しています。まるで米国が精神科の治療か何かを必要とする患者であるかのように。もちろん、これには別の解釈もあり得ます。けれども、それは、高い教育を受け、しかるべきふるまいをする知識人には決して頭に浮かんでこないはずの解釈なのです。


エジプトのホスニ・ムバラク元大統領は、政権が打倒されて数ヶ月経つ今、勾留され、刑事責任を追及されています。一方、イラクその他の罪状に関して、米国の指導者が責任を問われるなどということは想像できません。こういう状況が近い将来変化する可能性はあるでしょうか。


それは基本的にイグレシアス氏の言う原理の問題ですね。国際的な秩序を構築している土台そのものが、米国が意のままに暴力をふるう権利を持っていることだ、というわけなんです。だとしたら、どうやって罪を問うことができるでしょう。


そして、その権利は米国以外のどの国も持っていない、と。


その通りです。いや、おそらくは米国の「クライアント」は持っているかもしれません。たとえば、イスラエルがレバノンに侵攻し、1000人の人々を殺害し、国の半分を破壊する。よろしい。なんら問題はない。これは興味深いことです。
オバマ大統領は大統領になる前は上院議員をつとめていました。議員の当時はたいした働きはしていません。しかし、オバマ氏自身が特に誇りとするものをふくめ、いくつかの仕事ははたしています。大統領予備選以前のオバマ上院議員のウェブサイトをふり返ってみてください。オバマ議員は、2006年にイスラエルがレバノンに侵攻した際、自分が上院決議案の共同提案者であることを誇らしげに強調しています。この決議案は、イスラエルがその目的を達成するまで同国の軍事行動を阻害するいかなる挙にも出ないことを求めるものでした。また、イスラエルによるレバノン南部の破壊に抵抗する勢力をイランとシリアが支援しているとして両国を非難しました。ちなみに、イスラエルによるレバノンの攻撃は直近の四半世紀のうち、この時が5度目でした。
というわけで、イスラエルは上に述べた権利をひき継いでいます。他の「クライアント」国も同様です。

しかし、その権利の大元の所有者はアメリカ政府です。世界を所有するとはつまりそういうことです。それは人が呼吸する空気のようなもので、それに疑問を感じたりはしません。現代の「国際関係論」を構築した中心人物といえば、ハンス・モーゲンソー氏をあげることができますが、同氏はしごくまっとうな、分別のある人間でした。戦略的観点からではなく倫理的観点からベトナム戦争を批判するという実にまれなおこないをした、ごく少数の政治学者や国際問題の専門家たちのひとりでした。そのモーゲンソー氏の著作に『アメリカ政治の目的』と題するものがあります。どんな内容か容易に想像がつくでしょう。アメリカ以外の国は目的など持っていません。ところがアメリカは目的を有しており、それは「超越的」なもの、つまり、世界に自由と正義をもたらすことなのです。しかし、モーゲンソー氏はまっとうな学者でした、キャロサース氏と同様に。それで同氏は過去を入念に検証しました。そして、こう言います。歴史を精査してみると、アメリカがその超越的な目的に沿って行動しているとは思えない、と。ところが、同氏は続けてこう書いています。われわれの超越的な目的に異議をとなえることは「無神論の誤ちにはまり込むことだ。無神論は同じような論法によって宗教の価値を否定してしまう」。これはまことに適切なたとえです。アメリカが世界に自由と正義をもたらすという目的を有していること、これは心の奥深くに根ざした宗教的な信念です-----あまりに深く根ざしているので、それだけをひっぱり上げることはむずかしい類いの。そして、もし誰かがこの点に疑問を呈した場合は、たちまちヒステリックと呼べるような反応が返ってき、しばしば「反米主義」だとか「自国憎悪」だとかの非難が浴びせられるのです。こういう見方は興味深いものですが、民主的な社会においてはあり得ません。全体主義的な社会だけ、そして、アメリカだけに存在するのです。アメリカではこれが常識となっているのです。


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[訳注、補足、余談など]

■チョムスキー氏については以前から関心がありました。しかし、ネットには同氏の文章はけっこう翻訳されています。なので、自分が出る幕はないと思っていました。
ところが、だんだんわかってきたのですが、翻訳は10年前のイラク戦争の前後に集中しています。イラク戦争には日本の自衛隊の参加が問題となったので、そうなるのも当然です。
ですが、チョムスキー氏はイラク戦争後もずっと文章を発表し続け、インタビューに答えたりもしているわけで、最近の文章が翻訳されないのはもったいない、誰もやらないなら自分が、ということで今回訳出してみました。


■訳注1
「重要地域計画」については、以下のサイトが非常に参考になります。
http://www.ne.jp/asahi/institute/association/old/older_200610/paper/paper02.htm

とりあえず重要な部分を一部下に引用します。

戦後の米対外政策を決定づけてきた思考枠組みは、戦時中に作られたある計画書に基づいている。それは国務省と対外関係委員会が6年間かけて検討・作成した「戦争と平和研究プログラム」である。彼らは、1941年、42年頃には、米が戦争に勝ち、その後巨大なグローバル・パワーになることを知っていた。問題は、「世界をどのように組織するか」であった。
 彼らは「重要地域計画」(Grand Area Planning)と称する概念を練った。重要地域とは、彼らの言葉で説明すると、「世界管理のために戦略的に必要な」地域である。どの地域を「オープン化」―投資に関してオープン、利益の本国還元に関してオープン、つまり米国の支配に対してオープン―するかを、地政学的分析によって検討した。
 彼らは、米経済を、内部変革なしに(これはプログラム研究会のすべての議論の大前提であった)、所得配分や権力構造の変革とか政治体制の修正なしに、繁栄させるためには、最低限西半球、解体中の大英帝国圏、そして中東の支配が必要である、と結論を出した。もちろんそれは最低限であって、最大限は世界全土の支配である。
 この最低限と最大限の中間あたりに「重要地域」があった―そしてそこを金融制度や事業計画の視点から組織化する仕事があった。これが戦後世界を通じて働いた枠組みである。
 欧州植民地の解放、太平洋での日本の野望が敗れたことで、米資本はそれまでできなかった市場への参加ができるようになった。ブレトンウッズ体制で帝国主義の新たな経済的枠組みを組み立てるかたわら、直接・間接的な軍事力行使を世界的規模で展開した―朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン政権転覆、チリ政権転覆、キューバ政権転覆未遂、中央アメリカやアフリカでの数限りない内戦介入等々。
 「重要地域」中、特に重要なのは中東で、経済的・軍事的・政治的グローバル支配にとって不可欠な地域―特に世界第一の原油埋蔵地域でもあった。同地域への米の介入は1950年代から始まり、そのうち最大のものは、1953年民主主義選挙で選ばれ、外国石油会社を国有化したイランのモサデク政権を転覆させたことだった。


■イラク侵攻の目的のひとつが石油であったことについては、前回のブログ
「イラク戦争から10年-----勝者はビッグ・オイル(巨大石油企業)」
でもふれています。

確認のためもう一度、連邦準備制度理事会の元議長アラン・グリーンスパン氏の回顧録の一節を引用すると、

I am saddened that it is politically inconvenient to acknowledge what everyone knows: the Iraq war is largely about oil.
(悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治上、具合が悪いのだ)

この what everyone knows という表現から、イラク戦争の主要な目的のひとつが石油であることは政府高官や一部の識者の間では暗黙の了解事項であったことがわかります。


■チョムスキー氏の表現にはときにわかりにくい箇所があります。
それは、皮肉なユーモアをまじえるせいもあります(これがチョムスキー氏の文章の魅力でもあるのですが)。
ある人物をどこまで本気でほめているのか判断しにくかったり。

文中の
Centuries ago, there used to be something called presumption of innocence.
(大昔には、無罪推定と呼ばれるものがあったのです)

も、もちろん、皮肉です。


ほかにも、すぐにはわかりにくい文章があります。

中ほどの文章
Of course, there’s another interpretation, but one that can’t come to mind if you’re a well-educated, properly behaved intellectual.
(もちろん、これには別の解釈もあり得ます。けれども、それは、高い教育を受け、しかるべきふるまいをする知識人には決して頭に浮かんでこないはずの解釈なのです)

この another interpretation(もうひとつの解釈)とは、どのようなものか。
一応、チョムスキー氏の言わんとするところをストレートに表現してみると、以下のようになるのではないでしょうか。

米国の為政者にとって「民主主義」や「自由」は大義名分、口実、プロパガンダであるにすぎない。単に国益を追求しているだけである。
しかし、キャロサース氏のような、学者ではあるが政権内部で働いた経験を有し、「常識人」でもある人間は、あからさまにそう口にすることはできない。
そこで、米国政権は「分裂気味」だ、ふしぎな病理をかかえている、などと苦しい説明をしなくてはならない。
「民主主義や自由はタテマエにすぎない」などという考えはそもそも思い浮かべてはならないことになっているのだ。

いかがでしょうか。まちがっていたらごめんなさい (^^;)


■終わりの方で言及されているイスラエルのレバノン侵攻については、以下のサイトが簡略でわかりやすい説明をかかげています。

イスラエルのレバノン攻撃 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E6%94%BB%E6%92%83


■若い頃は、「アメリカ帝国主義」などという言葉はおおげさだなあと思っていました。「○○戦争の目的は石油である」という主張も陰謀論に近く感じられて、そういった文章はあまり読もうとしませんでした。私は甘かった(笑)。

「重要地域計画」についても今回初めて知りました。


■「アラブの春」と米国の外交政策については、以前のブログでもふれています↓

「米国の外交政策の欺瞞」
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e760.html


2 コメント

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Unknown (めぐみ)
2013-05-25 22:37:42
はじめまして!めぐみっていいます、他人のブログにいきなりコメントするの始めてで緊張していまっす(≡ ̄ー ̄≡)ニヤドラ。ちょくちょく見にきてるのでまたコメントしにきますね(。・・。)ポッ
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ありがとうございます (吉田秀)
2013-06-07 17:31:32
返事が遅くなって申し訳ありません。
読んでいただいてありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。
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