気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

米国政府後援の南米クーデターを礼賛する『ニューヨーク・タイムズ』紙

2021年07月24日 | メディア、ジャーナリズム

今回は本ブログ恒例の(笑)『ニューヨーク・タイムズ』紙批判です。
(もっとも、同紙は代表例として選ばれただけで、批判はほぼすべての英米大手メディアに
当てはまります)
初出は2年半ほど前の文章ですが、おもしろく読んだので、今回ここに訳出しておく次第
です。


原題は
Your Complete Guide to the N.Y. Times’ Support of U.S.-Backed Coups in Latin America
(米国後援の南米クーデターを支持する『ニューヨーク・タイムズ』紙の完全ガイド)

書き手は Adam Johnson(アダム・ジョンソン)氏。
ニューヨーク在住のジャーナリストで、『FAIR』(米国の著名なメディア監視団体)に
メディア批評をたびたび寄稿している方らしい。
初出の掲載元はオンライン・マガジンの『トゥルースディグ』誌。


原文サイトはこちら↓
https://www.truthdig.com/articles/your-complete-guide-to-the-n-y-times-support-of-u-s-backed-coups-in-latin-america/


(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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2019年1月29日 『トゥルースディグ』論説


Your Complete Guide to the N.Y. Times’ Support of U.S.-Backed Coups in Latin America
米国後援の南米クーデターを支持する『ニューヨーク・タイムズ』紙の完全ガイド




この金曜、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、長年おなじみとなった同紙の伝統-----米国
政府による南米のクーデターを支持するという伝統-----にあらたな一ページを加えた。
その論説で、ベネズエラのマドゥーロ大統領を失脚させるというトランプ大統領の企てに
対して、称賛の言葉を送ったのである。
これは、CIAが約70年前に創設されて以降、同紙の支持したこの種のクーデターで、10番
目の例ということになろう。

『ニューヨーク・タイムズ』紙の過去記事に当たってみると、同紙の編集委員会が、米国
政府の後押しした南米のクーデター12例のうち、10例を支持したことがわかる。
支持していない2つの例の論説は、1983年のグレナダ侵攻と2009年のホンデュラスの
クーデターをあつかったもので、前者については不得要領のおもむきを持ち、後者は渋々
ながらの反対を表明するものであった。
これら過去記事における内訳は以下の通りである。

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[クーデター、クーデターに対するクーデター、未遂クーデター、クーデターに対する未遂
クーデター、および、これらに対する『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説の態度]

・1954年-----グアテマラのクーデター-----支持
・1961年-----キューバのピッグズ湾侵攻-----支持
・1964年-----ブラジルのクーデター-----支持
・1965年-----ドミニカ共和国侵攻-----支持
・1973年-----チリのクーデター-----支持
・1976年-----アルゼンチンのクーデター-----支持
・1983年-----グレナダ侵攻-----不支持もしくは態度が不明確
・1989年-----パナマ侵攻-----支持
・1994年-----ハイチ侵攻-----支持
・2002年-----ベネズエラの未遂クーデター-----支持
・2009年-----ホンデュラスのクーデター(ただし、CIAの関与は不明)-----態度が不明確
・2019年-----ベネズエラの未遂クーデター-----支持

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上記の事象における米国政府の水面下の関与は-----それがCIAの働きであろうとその他の
諜報機関のそれであろうと-----、『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説においては、いっさい
言及されない。
米軍による白昼堂々たる、否定し難い軍事侵攻(ドミニカ共和国、パナマ、グレナダなど
の事例)でないかぎり、南米諸国での争乱はまったくその国自身の問題であるかのよう
であり、外国の勢力については、『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説ではまずふれられ
ない。
これらの事象の直後であれば、たしかに「立証可能」なことはかぎられている(いわゆる
「隠密介入」は、定義上「隠密」、すなわち表にあらわれることはないからである)。
しかし、米国その他の帝国主義国家が水面下で混乱をあおり、反対勢力に資金拠出し、
武器売買にかかわっている等々の可能性については、けっして考察がおよばないのである。

これらの事象をめぐる同紙の論説を読むと、たいていの場合、読者は「暴力の連鎖」と
いう、人種差別的で、父親的温情主義の目線による常套句に逢着することになる。
「やれやれ、南米ではいつもこんな調子だ」というニュアンスである。
読者は、下に引用する同紙の論説の一節を読む際に、当該国の政治指導者を最終的に殺害
するに至った勢力に物資を供与し、資金を拠出したのは米CIAであった事実を頭のスミに
置いていてもらいたい。

・1964年のブラジルのクーデターについて。
「ブラジル国民は、建国以来ずっと、優秀な指導者の不在に苦しんできた」。

・1973年のチリのクーデターについて。
「チリのいかなる党もしくは派閥も、同国の悲惨な状況に関して、何らかの責任を追及
されずにはすまない。しかし、大きな責任はあわれなアジェンデ大統領自身に帰せられ
なければならない」。

・1976年のアルゼンチンのクーデターについて。
「多くのアルゼンチン国民が自国政治に抱く不信感を考慮すれば、ブエノス・アイレスの
住民の大半が、軍部によるイサベル・ペロン大統領の追放劇よりも火曜の夜に放映される
サッカー試合に関心があるらしく思われるのは、いかにもの話であった。クーデターは
かなり前から予想されていたから、出来事の展開におどろく要素はなかった」。

(この論説は「ほら、たいした問題じゃなかったんですよ!」といわんばかり。
ちなみに、次の事実は言い添えておく価値があろう。米CIAの工作によるクーデターの
おかげで権力を掌握したこの軍事政権は、1976年から1983年にかけて、1万~3万人の
アルゼンチン市民を殺害したのである)

おどろく要素のない出来事の展開とは、次のようなものだ。
米CIAおよびそのパートナーである米国企業が登場する、経済戦争をしかける、現行政権
の反対勢力に資金や武器を提供する、作戦の標的たる人物やグループを激しく非難する
...... という具合である。
もちろん、当該国に対する『ニューヨーク・タイムズ』紙の批判のいくつかに妥当性が
まったくないなどと言うつもりはない-----1973年のチリについても、あるいは、2019年の
ベネズエラについても。
しかし、それは問題の急所ではない。
CIA、米国防総省、そして、そのパートナーである民間企業群がこれまで南米のさまざまな
政府を標的にしてきた理由は、これらの政府が資本や戦略の点で米国の利益と対立的で
あったからである。反民主主義的であったからではない。
であるから、これら政府の反リベラル的な行状をめぐる『ニューヨーク・タイムズ』紙の
数々の申し立ては、ときに真実をついているとしても、現に起こっていることの実態を
解きほぐしてみると、たいがいは無理のある論ということに落ち着くのである。

はたしてアジェンデ大統領は、『ニューヨーク・タイムズ』紙が1973年に同大統領の暴力
的な排除を支持した際に述べたように、「チリ国民の信任」なしに「広範囲にわたる社会
主義計画をかたくなに推し進めた」のであろうか。
アジェンデ大統領は、はたして同紙が主張したように、「この目的を達せんがために、
いかがわしい手段-----議会と裁判所の双方を迂回する工作など-----に訴えた」だろうか。
そうかもしれない。
しかし、同大統領のいわゆる「独裁体制」は、米CIAがその打倒を画策した理由ではない。
同大統領による再分配の政策を追求するそのやり口が、CIAとそのパートナーである米民間
企業の意向に反したからではない。
再分配をめぐる政策そのものが問題であったのだ。

アジェンデ大統領の政策遂行時の反民主的な性格について嘆き、その際に、反対勢力を
活気づけているのは大統領の手法ではなく政策そのものであることにふれないのは、権力
者層が実際にかわしている議論の領域からはずれることになる。
『ニューヨーク・タイムズ』紙はいったいどうして米国が介入する際のリベラル的な理由
づけを毎度毎度あっさり受け入れるのであろうか-----ほかにもっと現実的な要因が働いて
いる可能性を深く検討することなしに。

その答えは、愚劣なイデオロギーが大前提としてしっかり根をすえているからだ。
米国が人権と民主主義に突き動かされているという考え方は、『ニューヨーク・タイムズ』
紙の論説委員にとって当たり前のことであり、同紙の創業当初から一貫してそうであった。
このような信念のおかげで、非常に骨の折れる仕事をやり遂げることができるのだ。その
結果、大多数の人間は-----南米をめぐる米国の思惑に漠然と不信感を抱いているリベラル派
の人間でさえ-----、巧妙な工作がおこなわれていることに気づかないのである。
「ここ数十年の間」、と2017年の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ロシアを叱責する
論説で切り出す。「軍事力を行使した米大統領を動かしたものは、自由と民主主義を推進
するという意欲であった。そして、それは、時にめざましい成果を上げた」。
いやはや、まったくそれならけっこうな話である。

そもそも米国の軍とその秘密機関による他国への不当な介入について論じられるべき
であるのに、それがすみやかに当該国の道徳的性向について是非を問うものに移行して
しまう。
理屈の上では、それはのぞましい議論である(そしてまた、当該国の一般市民の間や当局
において、まちがいなくかわされている議論である)。
しかし、当初の公理-----米国のニュース番組解説者と政府の国家安全保障当局が他国の
善悪を決定する生得的な権利を有しているという理屈-----の根拠について議論することが
なければ、道徳性うんぬんの話は実際的な目的のためには国内でほとんど意味をなさない。
見せかけのポーズということでなければ。
そして、しばしば、現実問題としては、この道徳性うんぬんの話は、介入自体を正当化
する、より広範な言説を強化する方向に働くのである。

米国とその同盟国は、ベネズエラの今後の政治を決定する道徳的もしくは倫理的な権利を
有しているだろうか。
この問いはただちに黙殺され、次の問いに移行してしまう。つまり、上記の、米国とその
同盟国にとっての自明の権利がいかにうまく行使できるか、という問いに。
これが、『ニューヨーク・タイムズ』紙、それどころか、実質上、米国メディアのすべて
でおこなわれる議論の中身である。
「厳正な人間が外交政策を厳正に議論する」というカード・ゲームにおいて、人は賭け金
をつり上げるべく、「米国政府認定の悪玉国家に対する公然たる非難」という記録を計上
しなければならない。
これはすべての人間が心得ていることであるから、米国のレジーム・チェインジ(体制
転換・政権転覆)の核となる諸前提は、うのみにされてしまう。レジーム・チェインジが
反対されるのは、実際的もしくは法的な観点からであるにすぎない。
このカード・ゲームはおもしろみのない、しんどい営みであって、その意図するところは、
議論の軸を、米国政府による恣意的で暴力的な他国政府の打倒の歴史からそらし、米国が
当該の「米国政府認定の悪玉国家」にいかに適切に対抗するかの争論に移すことである。
米国のリベラル知識人たちは、これら「米国政府認定の悪玉国家」に関する成績通知表を
作成し、随時更新することになっている。
そして、これらの国が、反民主主義的なふるまいや人権問題等のあいまいな観点から、
たとえば「60点」を下回った場合、「不適法」と認定され、したがって、「擁護に値
しない」ことになるのである。

南米の話ではもちろんないが、イランのモハマド・モサデク大統領に対する、米CIAが
支援した1953年のクーデターを『ニューヨーク・タイムズ』紙が礼賛した事実も、ここ
でふれておく価値があろう。
モサデク大統領失脚の2日後に掲載された論説では、同紙のお家芸とも言える、被害者
たたきと「おやおや、これはどうしたことか」的長広舌の組み合わせを披露していた。

・「先に失脚したモサデク大統領はロシアに取り入ろうとしていた。議会下院の解散を
求めて、ツデー党(イラン共産党)の力を借り、インチキな直接投票に勝利した」。

・「モサデクは退場し、今は裁判待ちの囚人である。
この獰猛で利己主義的なナショナリストが、一文の値打ちもないような命の持ち主で
ある時に、その身の安全を守られていたとしたら、それはシャー(訳注: イラン国王の
尊称)のおかげであり、ザヘディ首相のおかげである(モサデクはシャーに対して
きわめて不忠であったが)」。

・「シャーは ... この危機において称賛に値する。 ... シャーは自国の議会制度につねに
忠実であった。モサデク政権時代のナショナリストたちが示したすさまじい狂信的
ふるまいのさなかにあって、緩和的な影響力を発揮していた。社会的な面では進歩派
であった」。

例によって例のごとく、CIAの関与についてはいっさい言及がない(今ではCIA自身が関与
を認めているが)。たしかに当時、『ニューヨーク・タイムズ』紙はそれに関して情報を
得ることはできなかったかもしれない(それは隠密の軍事作戦の要諦である)。
結局のところ、モサデク大統領はさらりと悪者あつかいされ、米国民は、自国政府が
どれだけモサデク政権の打倒にかかわっていたかを、何十年も経ってようやく知ること
になる。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、のみならず、イランの人々を「東洋人」のカテゴリー
にくくるような描写を挿入する。それによって、強権的なシャーの存在が必要である
ゆえんを暗示するのである。

「[一般のイラン国民は]うしなうものがない。
彼らは永遠の忍耐、突出した魅力と厚情の持ち主である。が、一方で、彼らはまた、
われわれがこれまで見てきたように、気まぐれな気質の持ち主でもあり、ひどく感情に
動かされやすく、相応の刺激を受けた場合、暴力的にもなる人々でもある」。

上述のさまざまな事象には、言うまでもないことながら、大きな相違点がある。つまり、
モサデク、アジェンデ、チャベス、マドゥーロは、それぞれ、かなりことなった時期に
活躍し、ことなった政策を推し進めた。程度のさまざまなリベラル的政策と腐敗を
示していた。
しかし、彼らには、共通点が一つあった。すなわち、彼らが「取り除かれる必要がある」
と米国政府-----そして、政府に恭順的なメディア-----が断を下し、この目的を達成すべく
あらゆる手を使った、ということである。
根本的な傲慢さを秘めた、かかる裁断は、当然米国メディアで議論されてしかるべき問題
であると誰でも思うであろう(たとえば米国メディアの亀鑑とされる『ニューヨーク・
タイムズ』紙の論説欄で)。
ところがどっこい、例によって例のごとし。このような判断は当然のことと見なされるか、
あるいは、うるさそうに手をふって見向きもされないか、のどちらかである。
そうして、われわれは別の論題に移行する-----いかにして、また、いつ、われわれは当該
の悪玉国家をもっともうまく打倒することができるか、という問いに。

ベネズエラの民主的制度をなし崩しにするマドゥーロ大統領のふるまいをひどく心配
している人々がいる(同大統領は批判者を獄につなぎ、陪審員の選定を自分に都合よく
おこない、見せかけの選挙を開いた、等々のかどで非難されている)。しかし、彼らに
対しては、次のことを指摘しておく方がいいであろう。
同国で自由民主主義的な性格が際立っていた2002年においてさえも(同国は当時、世界
各国から経済制裁を受けており、米NGOのカーター・センターが長年にわたって同国の
国内状況を注視していた。それに、チャベス大統領の統治が違法であると見なす人間は
誰もいなかった)、米CIAは依然としてチャベス大統領に対する軍事クーデターを
うべなったし、『ニューヨーク・タイムズ』紙もやはりクーデターに賛辞の言葉を
惜しまなかったのである。
同紙は当時、次のように書いていた。

「チャベス大統領の昨日の退位をもって、ベネズエラの民主制は、もはや未来の独裁者に
おびやかされる心配はなくなった。
破壊的な扇動家であるチャベス氏は、軍部の介入後、大統領を辞し、権力の座を、著名な
経済人のペドロ・カルモナ氏にゆずった」。

同氏の排除に抗議するため、何百万もの人々が街頭にくり出したおかげで、チャベス大統領
はほどなく政権に復帰することができた。だが、疑問は解かれずにそのまま残っている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙が2002年にベネズエラ国民の正真正銘の意思を進んで無視
したのであれば、いったいどうして同紙が2019年にそれをおおいに気にかけていると人に
信じさせることができようか。
もう一度言うが、ホワイトハウス、米国務省、そしてその帝国主義的な官僚たちが異議を
となえるのは、再分配政策そのものであり、米国の意向にさからうことである。その際の
やり方などではない。
たぶん『ニューヨーク・タイムズ』紙やその他の米国メディア-----この帝国主義アメリカの
中核に腰をすえ、おそらくはまた、それに影響力をふるってもいる彼ら-----は、かかる現実
にしっかり焦点を置いてみてもいいのではないか-----帝国主義アメリカの暴力的で不法な
気まぐれに左右される国々の道徳的性向について、毎度毎度、裁定を下すのではなく。


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[補足など]


あらためて言うまでもないことながら、結局、『ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめと
する英米の大手メディアは、米国の帝国主義的支配を肯定している-----言い換えれば、結局
のところ、推進している-----わけです。

大手メディア批判は、このブログでは毎度のことですが、今回のテーマと特に密接に関係
している文章は、以下のものです。こちらもぜひ一読を。

・圧政者を好む米国とそれを擁護する大手メディア
https://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/09ad622ccda3d811d3e9047f9dae4b5d

・圧政者を好む米国とそれを擁護する大手メディア(続き)
https://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/44d89eaa822e801ee92cba27a77f398c