気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

スノーデン氏の人権団体に向けた声明

2013年07月26日 | メディア、ジャーナリズム

またもや予定を変更してお届けします。
エドワード・スノーデン氏が7月12日に人権擁護団体に向けておこなった声明の全文です。
この文章の存在自体に気づくのが遅くて、忸怩たる思いですが、遅くても訳があった方がましだろうと考え、アップします。


初出は本家ウィキリークスのサイトですが、私は定期的にチェックしているオンライン・マガジンの『Znet(Zネット誌)』で知りました。そのサイトはこちら↓
http://www.zcommunications.org/statement-by-edward-snowden-to-human-rights-groups-by-edward-snowden

(掲載期日は7月14日でした)


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Statement By Edward Snowden To Human Rights Groups
エドワード・スノーデンの人権擁護団体に向けての声明

By Edward Snowden
エドワード・スノーデン


出典: ウィキリークス

2013年7月14日

エドワード・スノーデンが、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港にて、人権擁護団体に向けて声明を発表

エドワード・ジョセフ・スノーデンは、本日7月12日金曜日、モスクワ時間の午後5時、シェレメーチエヴォ国際空港において、人権擁護を謳う団体および個人に向けて、声明を発表した。会見の時間は45分間であった。臨席した人権擁護団体はアムネスティー・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどで、これらの団体は声明発表後にスノーデン氏に質問する機会も与えられた。その際に、ヒューマン・ライツ・ウォッチの代表者はスノーデン氏にこう語った。自分はこの空港に来る途中、駐ロシア米国大使から電話を受けた。スノーデン氏に伝えてほしいと言う。米国政府は同氏を内部告発者とは認めない、同氏は米国の法に違反している、と。
これによって、米国政府がスノーデン氏を徹底的に追及しようとしていること、したがって、同氏が亡命を求める権利は有効であるべきことがいよいよ明らかになった。声明発表の場では、スノーデン氏の左にサラ・ハリスン女史-----この件に関しウィキリークスから派遣された法律アドバイザー-----が座り、右側には通訳が席を占めた。


エドワード・ジョセフ・スノーデン氏の声明(2013年7月12日金曜日、モスクワ時間午後5時)の書き起こし
(本書き起こし原稿は公式発表用に訂正済み)


はじめまして。エドワード・スノーデンと申します。ほんの一月ほど前までは、私には家族がいて、天国のような家庭生活を送り、満ち足りた毎日を過ごしていました。そのうえ、私には令状などなしに皆さんの電話やメールなどを捜索し、対象を特定し、内容を知る力が与えられていました。いかなる人物であろうと、いつでも、です。これは、人々の運命を変えることのできる力です。

これはまた、法にはなはだしく反するものです。わが米国の憲法の修正第4条と第5条、世界人権宣言の第12条、その他多くの法令と条約が、このような大規模で広範な監視システムを禁じています。合衆国憲法自体がかかるプログラムを違法とみなしているにもかかわらず、現政権は、秘密法廷の決定によって違法行為でも正当化され得ると主張しています。この秘密法廷は国民が覗くことができません。秘密法廷による決定は、司法のもっとも基本的な概念、すなわち、「司法のなすことは見えなければならない」とする考え方をあからさまに腐食するものです。不道徳なおこないは、秘密の裁定を通したからといって道徳的なものに変化することはありません。

私は、1945年にニュルンベルクにおいて宣言された原則を信じています。
「個人は、法令遵守という国民の義務を超越した人類普遍の義務を有している。したがって、個々の市民は、平和と人道に対する犯罪が生じることを防ぐために、ときに国内法にそむく責務を持つ」

そういうわけで、私は自分が正しいと信じることをおこない、この不当な行為を是正しようと試みました。私は自分のふところを豊かにしようとはしませんでした。米国の極秘情報を売ろうとはしませんでした。自分の身の安全を図るために外国政府と手を結んだりはしませんでした。代わりに私がおこなったのは、自分の知っていることを一般市民に知らせることでした-----私たち全員に影響をおよぼす事柄が、明るい光の下で堂々と議論できるように。そして、私は世界の人々に正義がおこなわれることをうったえました。

私の倫理的決断-----私たち全員にかかわりのあるこのスパイ行為を暴露すること-----は、大きな代価をともないました。けれども、それは正しい行為であり、私はなにも後悔していません。

この事実を暴露して以来、米国政府とその諜報機関は私を見せしめにしようと図っています。私と同じように今後声を上げるかもしれない人間全員に対して戒めとなるように、です。私はパスポートを無効にされ、無国籍状態におちいっています。政治的な意見を表明したために追及されています。米国政府は私の名前をテロリストと同様に搭乗拒否リストに加えました。また、法の枠組みを逸脱した形で、香港に対して私の引き渡しを要求しました。これは、国際法に属するノン・ルフールマン原則に明確に違反するものです。さらに、米国政府は、私の人権と国連の亡命制度を擁護しようとする国に対し、制裁措置を示唆して脅しました。前代未聞の挙にさえうったえました。私が搭乗していないか確認するために、軍事的同盟関係にある国に命じて、南米の大統領を乗せた航空機を緊急着陸させたのです。これらの手段の強硬化は、南米諸国の独立国家としての地位に対する脅威であるだけでなく、すべての人間、すべての国が共有する基本的な権利に対する脅威です。迫害を逃れ自由に生活する権利、亡命を求め、受け入れられる権利に対する脅威です。

けれども、このような歴史的にも度外れた強硬さに接してさえ、なお世界のさまざまな国が支援と亡命受入れを申し出てくれました。これらの国々-----すなわち、ロシア、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドル-----に対して、私は感謝と敬意を表します。力の弱い国ではなく大国が犯した人権の侵害に対して、まっ先に立ち上がってくれたのですから。これらの国々は、脅しに直面しても自分たちの原則を放棄することを拒んで世界の人々の敬意を勝ち取りました。これらの国々をひとつひとつまわって、その国民と指導者の方々に直接感謝の言葉を伝えたい、そう思っています。

これまで私に差し出された支援あるいは亡命の申し出、そして、今後差し出されるかもしれないそれらについて、私はすべて正式に受け入れることを本日ここにはっきりと表明します。たとえば、ベネズエラのマドゥロ大統領が授けてくださった亡命許可は、私の亡命者としての資格を公式のものにしました。いかなる国であろうと、この亡命を実現する権利を制限または邪魔立てする根拠は持ちあわせていません。けれども、私たちがすでに見てきたように、西欧と北米の一部の国々は、法の枠組み外で行動することにためらわない姿勢を過去に示してきました。そして、今日でもそれは続いています。このような不当な脅威のために、私は、われわれが共有する権利にしたがって、南米におもむき、そこで許された亡命生活を送るという選択肢を実行することができません。

強国によるこのような超法規的なふるまいは、私たちすべてに対する脅威であり、それが成就することを許してはなりません。ですから、私は皆様方の支援をお願いするのです。関係諸国を経由して無事に南米にたどり着くことのできる保証を私は求めています。また、これらの国々が法に従い、私の移動を法的に許可する時までロシアに亡命者として滞在できることを求めています。私は本日、ロシアに対して亡命申請をおこなうつもりです。無事に申請が通ることを願っています。

なにか疑問点がございましたら、できるかぎりお答えします。

本日はありがとうございました。


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[訳注と補足と余談など]

訳出が遅れたのは、この文章の掲載期日の14日前後が仕事が忙しくて、サイトを徘徊する時間が取れず、文章の存在に気づかなかったせいです。
『Znet(Zネット誌)』の過去の掲載分をふり返っていて見つけました。
それにしてもこの『Zネット誌』や『オルターネット誌』などは、めぼしい文章、重大な文章を元のサイトから転載してくれるので本当にありがたい。

■訳文中の「秘密法廷」については、以下のサイトが参考になります。

全人類の個人情報をネットで把握する米軍諜報部
http://tanakanews.com/130617NSA.htm


■訳文中、法律に関係する言葉や文章については、法律の専門家ではないので自信がありません。
誤訳や不適切な表現がありましたらお知らせください。

■訳文中の
「私が搭乗していないか確認するために、軍事的同盟関係にある国に命じて、南米の大統領を乗せた航空機を緊急着陸させたのです」
については、以下のサイトなどが参考になります。

ボリビア大統領がスノーデン事件に関連して空港で足止め~
news.kyokasho.biz/archives/14396?


■それにしても、「秘密法廷」に関してや「ニュルンベルク原則」、今回のアメリカ政府の行為がそもそも憲法その他の法に違反している可能性の高さ、等について、大手メディアの言及が少ないように感じます。ネットを検索してもあまりひっかかりません。
これは、アメリカ政府に遠慮して報道自粛しているのでしょうか。
英米大手メディアの報道自粛や偏向報道にはうんざりです。

前回ブログに関する補足

2013年07月23日 | 連絡事項

前回のブログの
「グーグル会長シュミット氏の新刊をアサンジ氏が酷評」
の訳注欄で、補足したい点があります。

訳注欄では、アサンジ氏の書評のタイトルの
「The Banality of ‘Don’t Be Evil’」
について次のように説明しました。


「タイトルに含まれている表現の Don’t Be Evil(邪悪なまねはするな)は、もちろんグーグル社のスローガン。

The Banality of ‘Don’t Be Evil’
(「邪悪なまねはするな」の陳腐さ)
というタイトルの趣旨は、
「『邪悪なまねはするな』という斬新なスローガンを掲げるグーグルだが、その会長の執筆したこの書籍には斬新な点はまったく見当たらない」ぐらいの意でしょう。」



しかし、ネットでアサンジ、シュミット関連の話題を検索しているうちに、あるサイトを見つけたのですが、サイト主によると、このタイトルの元になっている表現は、ドイツ生まれの米国の思想家ハンナ・アーレント女史のある著書に基づいているとのこと。

私はまったく気がつきませんでした。

ハンナ・アーレント女史のその著書とは、

『Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil』

邦訳は

『イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』
(大久保和郎訳、みすず書房、1969年、新装版1994年)

となっています。

副題に the Banality of Evil(悪の陳腐さ)が使われているのですね。

アサンジ氏の書評のタイトルは、このアーレント女史の表現 the Banality of Evil と、グーグル社のスローガン Don’t Be Evil を組み合わせたものというわけです。

もっとも、私の最初の説明が完全にまちがっているというわけではありません。その通りに通用すると思うのですが、もともとアーレント女史の言葉をもじったものであることに気づかなかったのはお恥ずかしいかぎり。


この点に気づかせてくれたあるサイトとは↓

Uncharted Territory
http://unchartedterritory.blog.fc2.com/blog-entry-234.html



グーグル会長シュミット氏の新刊をアサンジ氏が酷評

2013年07月12日 | メディア、ジャーナリズム
グーグルの会長エリック・シュミット氏とグーグル・アイデアズの責任者ジャレド・コーエン氏の2人の手になる新刊本『THE New Digital Age(新デジタル時代)』を、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジ氏が酷評しています。
アサンジ氏による、この書評はニューヨーク・タイムズ紙に掲載されました。

おもしろい人物の取り合わせなので、予定していたものを急遽変更して、こちらを先にアップします。

書評のタイトルは、
The Banality of ‘Don’t Be Evil’
(「邪悪なまねはするな」の陳腐さ)

原文はこちら↓
http://www.nytimes.com/2013/06/02/opinion/sunday/the-banality-of-googles-dont-be-evil.html?pagewanted=all&_r=0

(なお、原文の掲載期日は6月1日でした)


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June 1, 2013
2013年6月1日

The Banality of ‘Don’t Be Evil’
「邪悪なまねはするな」の陳腐さ

By JULIAN ASSANGE
ジュリアン・アサンジ


『新デジタル時代』は、技術者主導の帝国主義への驚くほど明確で挑発的な青写真である。著者は現代を代表するテクノロジーの魔術師の2人、エリック・シュミット氏とジャレド・コーエン氏。両氏は21世紀における超大国アメリカのための新しい語法を創出した。この語法は、米国務省とシリコンバレーとのいよいよ緊密な結びつきを反映するものだ。そして、それを象徴するのがグーグルの会長を務めるシュミット氏とグーグル・アイデアズの責任者であるコーエン氏という著者である。コーエン氏は国務長官のコンドリーザ・ライスとヒラリー・クリントンのアドバイザーを務めていた人物である。

著者の2人は、この本の構想が練られていた2009年に、米軍の占領するバグダッドで話し合いを持った。瓦礫の中を歩きまわりながら、2人は話に夢中になった。米軍の攻撃でぺしゃんこになったが、イラクは消費者向けのテクノロジーによって生まれ変わりつつある。そして、テクノロジー産業は米国外交の強力なツールになり得るというのが2人の結論だった。

この書は、世界の人々と国を超大国アメリカのミニチュア版へと変貌させる際にテクノロジーがはたす役割を顕揚するものだ-----これらの人々や国がそれを欲するか否かは別として。文章は簡潔で、論じ方は自信満々、ただし、洞察はこれといって目覚ましいものはない。しかし、そもそもこの本は読まれることをあてにしていないのだ。同盟関係を高らかに宣言することで、その関係の促進を図った書なのである。

『新デジタル時代』は、まず何をおいても、グーグルが米国の地政学上の予見者としてみずからを位置づけようとする試みである。グーグルは、「アメリカは今後どこに向うべきか」という問題に答えを出す会社であろうとする。こういう次第であるから、驚くにはあたるまい-----欧米のテクノロジー産業の魅力にお墨つきをあたえるべく、世界的に著名な戦争肯定者たちがうやうやしく駆り出されるのは。本の謝辞では、ヘンリー・キッシンジャー氏にとりわけ麗々しく感謝の言葉が捧げられている。そして、キッシンジャー氏とともにこの著書に賞賛の言葉を寄せているのは、ブレア元首相や元CIA長官のマイケル・ヘイデン氏である。

この著書では、筆者は喜んで「白人のオタクの責務」をはたしている。本の随所で、都合のいい、想像上の有色人種の逸材が登場する。コンゴの漁師の娘、ボツワナのグラフィック・デザイナー、サンサルバドルの反汚職運動家、タンザニアのセレンゲティで牛を放牧する文盲のマサイ族、等々等々。これらの人々が読者の前におごそかに召喚されて、白人帝国の情報サプライチェーンに接続された、グーグル社の先端的な携帯電話を誇らしげにかかげる。

著者は、将来の世界について、専門家らしく無味乾燥な像を描いてみせる。今後何十年かの機器は、われわれが今日手にしているものとほとんど大差がないとの予測である-----より洗練されたものになるだけで。アメリカの消費者向けテクノロジーが地球の表面を容赦なく覆うことで「進歩」が促進される。すでに、グーグル社ブランドの携帯型機器は日ごとに百万台近くの規模で増え続けている。グーグル-----そしてグーグルを通じてアメリカ政府-----は、あらゆる人間のコミュニケーションに割って入ることになる-----中国を除いて(あの聞きわけのない中国!)。製品はいよいよ高度で驚異的なものになる。都会の若きエリートたちは今よりもずっと快適に眠り、仕事をし、買い物に精を出す。つまり、民主主義は監視技術によってひそかに侵食され、支配は大手をふって「参加」という言葉で言い換えられる。そして、組織的な支配、威嚇、抑圧という目下の世界の枠組みは変わることなく続く-----話題にされず、苦悩の種ともならず、多少懸念とされるだけで。

著者の2人は、2011年のエジプト国民の勝利については渋い顔をする。同国の若者たちをほとんど評価せず、「若者に見られる改革運動と傲慢の結びつきは万国共通の現象だ」と言い放つ。デジタル機器によって背中を押された群衆についてふり返り、革命は今後「始めるのは容易」でも「成就するのは難しい」だろうと言う。キッシンジャー氏が著者に語るところによれば、強力な指導者がいないために結局は連立政権に落ちつかざるを得ないだろう、そして、やがては独裁制に陥ってしまう、とのことだ。「もうアラブの春はくり返されない」だろう(中国はダウン寸前であるが …… )と著者は語る。

著者はまた、「資金の潤沢な」革新的グループの未来についてバラ色の夢を描いている。新しい「コンサルタントの一群」が登場して、政治家を世に送り出したり政治家本人のイメージをきめ細かく修正したりするのにデータを活用することになるだろうと言う。

「彼の」スピーチ(未来も今とたいして変わらないようだ)と文章は、一般に供される前に「高度な特徴抽出ソフトや傾向分析ソフト」を適用される。また、「当該政治家の政治能力のウィークポイントを探る」ために「脳活動の解析」やその他の「高度な診断法」が用いられる。

この著書は、米国務省の体制的タブーや強迫観念をそのまま映すものとなっている。イスラエルやサウジアラビアについての実質的な批判は見当たらない。また、まったく驚くべきことに、南米の主権回復運動などはそもそも存在しなかったかのようである。それは、これまで30年間で、アメリカが支援してきた富裕者支配と独裁制から多くの国を解き放ったにもかかわらず。代わりにこの地域の「高齢の指導者」に言及し、キューバのように政権移行がスムーズにいくとは考えない。そして、言うまでもないことながら、アメリカ政府にとって都合のいい悪玉-----北朝鮮とイラン-----については、おおいに不満を訴えている。

グーグルの誕生は、独立心に富むカリフォルニアの大学院生の気風を土台としていた。寛大、善良で、遊び心にあふれた気風である。しかし、巨大で邪悪な世界と接触を続ける過程で、グーグルは、ワシントンの既存の権力諸機関-----国務省から国家安全保障局に至るまで-----にみずからの運命を密接にからませるようになった。

世界の暴力的な死亡事例のうち、限りなくわずかの割合しか占めないにもかかわらず、テロリズムは米国の政策策定者たちのお気に入りの題目である。これだけテロリズムに執着しているからには、著書の中でぜひとも取り上げねばならない。そういう次第で、「テロリズムの将来」なる一章が特に設けられている。それによれば、テロリズムの将来はサイバーテロにあり、とのご託宣である。そして、人を不安に追いやるシナリオが得々と語られる。その中には、息を呑むパニック映画さながらのものさえある。サイバー・テロリストが米国の管制システムを乗っ取り、航空機をビルに突っ込ませる、送電網を機能停止に追い込む、核兵器のシステムを誤動作させ発射させる、等々等々。著者はさらにネットで抗議活動を展開する人々をテロリストと同じくくりにしてしまう。

私は著者とはかなり異なった考え方を持っている。グーグルに代表される情報産業の進化は、大多数の人々にとってプライバシーの死を先触れし、世界を独裁政治の方向に近づけるものだ。この点は、私の著書『サイファーパンクス』でも中核的なテーマとして論じた。シュミット、コーエンの両氏は、そうしたプライバシーの死が「抑圧的な独裁政権」が「国民を標的にする」ことに役立つ点は認めている。が、一方で、彼らは、「開かれた」民主主義政権であれば、それを「国民や消費者の関心により適切に対応する」ことを可能にする「賜物(絶好の機会)」ととらえることができると言う。しかし、現実には、欧米における個人のプライバシーの腐食とそれにともなう権力の集中は、権力の濫用を不可避にし、「よき」社会を「悪しき」社会へと近づけているのである。

著書の中の「抑圧的な独裁政権」をめぐる節では、抑圧的な種々の監視措置が非難がましく紹介されている。一般市民へのスパイ行為を可能にする「裏口」をソフトウェアに組み込ませる立法、ソーシャル・ネットワークの監視、国民全員を対象とした情報の収集などである。ところが、これらのすべてはアメリカですでに幅広く実施されている。それどころか、これらの措置の一部はグーグル自身が急先鋒となって進めていた。たとえば、ソーシャル・ネットワークの人物情報をすべて実名と結びつけさせる動きなど。

不吉な前兆はすでにうかがえる。が、著者2人の視野にはそれは入ってこない。彼らはウィリアム・ドブソン氏の見解を拝借する。メディアは、独裁制の下でも、「反対派メディアを許容する-----体制批判側が暗黙の境界をわきまえている限り」。しかし、上で述べた潮流-----個人のプライバシーの腐食とそれにともなう権力の集中-----は、アメリカで勢いを増しつつある。AP通信やフォックス・ニュースのジェームズ・ローゼン記者への捜査がもたらす萎縮的な影響については誰も否定するまい。だが、ローゼン記者の召喚にからんでグーグルがはたした役割についてはほとんど明らかになっていない。これらの潮流には私自身も個人的にかかわりを持っている。

米司法省は今年3月、ウィキリークスに対する犯罪捜査が3年目に入ったことを認めた。法廷の証言によれば、対象は「ウィキリークスの創設者、所有者、運営者」などである。また、ブラッドリー・マニング氏は明日から12週間にわたる審理を受ける予定で、検察側の証人24人が非公開で証言するとある筋は伝えている。

この著書は、大きな可能性を蔵したままに終わった作品で、著者のいずれも自分たちが構築しつつある、集権化された巨大な悪を描写することはもちろん、それに気がついていることを示す言葉さえ見当たらない。彼らは言う。「20世紀にロッキード・マーティンが占めた役割は、21世紀には、技術系企業とサイバーセキュリティ企業が担うことになるだろう」。自分のしていることを自覚さえせずに、彼らはジョージ・オーウェルの予言を最新式に更新し、なんら違和感を覚えさせずに実施している。もし読者が将来の姿をかいま見たいのならば、アメリカ政府が後押しするグーグル・グラスが人々のうつろな顔にずっと装着されたままの図を思い描いてみるといい。この著書の中には、消費者向けテクノロジーを崇拝、鑽仰する人間がインスピレーションを得られるような点はほとんどないだろう。なくてもちっとも気にしないだろうが。しかし、この書は、よりよき未来を構築するための闘いにかかわっている人々にとっては必読の書である-----ひとつの単純な原則、つまり、「汝(なんじ)の敵を知れ」という意味において。


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[訳注と解題と余談など]

■いつものことですが、アサンジ氏の文章はところどころわかりにくい箇所があります。それで、適宜、言葉を補って訳出しています。
誤訳、不適切な訳、原文の英語に関する質問、等々がありましたら、コメント欄からお伝え下さい。


■タイトルに含まれている表現の Don’t Be Evil(邪悪なまねはするな)は、もちろんグーグル社のスローガン。

The Banality of ‘Don’t Be Evil’
(「邪悪なまねはするな」の陳腐さ)
というタイトルの趣旨は、
「『邪悪なまねはするな』という斬新なスローガンを掲げるグーグルだが、その会長の執筆したこの書籍には斬新な点はまったく見当たらない」ぐらいの意でしょう。


■前半の原文の
In the book the authors happily take up the white geek’s burden.
(この著書では、筆者は喜んで「白人のオタクの責務」をはたしている)
の中の white geek’s burden(白人のオタクの責務)は、white man's burden(白人の責務)という定型表現のもじりです。
White man's burden(白人の責務)とは、「白人は劣等の有色人種を文明化する責務・使命を有する」とする、帝国主義の正当化に用いられたリクツのひとつ。
上の一節の意味は、「技術に精通している白人の著者が、有色人種にもメリットがあることを大いに喧伝している」ぐらいの意と解します。


■その他、細かい点を解説し始めるとキリがないので、気になる方はコメント欄から質問してください。


■今回の文章と関連する「米国のインターネット支配の野望」については、以前のブログを参照してください↓

「サイバー攻撃の脅威」のプロパガンダ性(および、脅かされるインターネットの自由)
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/80c971fc1ecc2762c8ceb95b49585768

ちなみに、こちらの文章の書き手は、現在スノーデン事件で日本でも多少知名度のあがったグレン・グリーンウォルド氏です。


■さらに詳しく追求したい方のために。

・訳文中のアサンジ氏の著作(共著)『サイファーパンクス』その他については、例によって、「デモクラシー・ナウ」さんのサイトが参考になります↓

サイファーパンクス ジュリアン・アサンジが語るネットの自由と未来 
http://democracynow.jp/video/20121129-1


・後半の文中の
「フォックス・ニュースのジェームズ・ローゼン記者への捜査」
については、以下のサイトが参考になります↓

新聞紙学的
http://kaztaira.wordpress.com/2013/05/26/%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%80%81%E5%85%A5%E9%80%80%E5%87%BA%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%80%81%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E5%85%B1/


・訳文中の「権力の集中」や「集権化」は、民間企業のグーグルやマイクロソフトなどの独占企業の力の増大と、政府(行政府)への権力の集中の2つの要素を含んでいると思われます。
後者は、世界的な現象であるらしい「行政府の権力の肥大化」の問題と重なりますが、これについては下記のサイトが参考になります↓

行政権の肥大に対抗するアメリカ市民
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/790.html


また、米国の行政権の肥大は、「米国司法権の形骸化」の問題と表裏一体ですが、これについては以前にも取り上げました↓

米国司法の後退
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html

こちらも、筆者はグレン・グリーンウォルド氏。


■最後の段落の文章について。
What Lockheed Martin was to the 20th century,” they tell us, “technology and cybersecurity companies will be to the 21st.”
(彼らは言う。「20世紀にロッキード・マーティンが占めた役割は、21世紀には、技術系企業とサイバーセキュリティ企業が担うことになるだろう」)

これは、20世紀の、いわゆる「軍産複合体」(軍と産業界の協力体制(癒着構造))では、ロッキード・マーティン社などの兵器メーカーが産業界側の代表的存在だったのが、21世紀には、グーグルなどのIT企業がそれに取って代わるということですね。


■シュミット会長は最近、「邪悪なまねはするな」というスローガンは馬鹿げていると発言したそうです。
このスローガンを掲げ続けるのはさすがに難しくなったので軌道修正を図ったのでしょうか(笑)