気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

米国のアフガニスタン駐留の真のねらい

2012年10月22日 | 国際政治

アメリカがアフガニスタンに侵攻し、現在もなお駐留を続ける本当の動機は、同国の鉱物資源ではないか-----そう、疑問を提示する一文。

オンライン・マガジンの Alternet(オルターネット誌)に掲載された Russ Baker(ラス・ベイカー)氏の文章です。


タイトルは
Treasure Trove of Mineral Wealth: The Real Reason for the Afghan War?
(鉱物の宝の山がアフガン戦争の真の動機?)

原文はこちら↓
http://www.alternet.org/world/treasure-trove-mineral-wealth-real-reason-afghan-war

(なお、原文の掲載期日は9月10日です)


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Treasure Trove of Mineral Wealth: The Real Reason for the Afghan War?
鉱物の宝の山がアフガン戦争の真の動機?


2012年9月10日


米国はオサマ・ビン・ラディンをとらえるためにアフガニスタン侵攻を決め、当初の目的は達せられなかったが、依然「迷惑な滞在客」として同国にとどまり続けた。その際、米国は、世界でもっとも豊かな鉱物資源がそこに眠っていることを承知していたのだろうか。

われわれは、この話題を以前にも取り上げたことがある。その時は、ニューヨーク・タイムズ紙による2010年のうさんくさい文章に注目した。「アフガニスタンにおける大量の鉱物資源が[最近]米国防総省職員と米国の地質学者の小チームによって発見された」。そう、同紙は報じた。その他の証拠と論理は示唆している、欧米の一般大衆以外は誰であろうと全員が、アフガニスタンが宝の山であることをかなり昔から、そしてまた、2001年の侵攻の前から、知っていたということを。

というわけで、ニューヨーク・タイムズ紙の最近の記事には興味を惹かれる。それは、またもやこれら鉱物資源の豊かさについて言及しているが、重要な疑問をつきつけはしない。つまり、アフガン侵攻の真の動機は本当にオサマ・ビン・ラディンだったのか、それとも、鉱物資源という宝だったのかという問いである。

この疑問を提示しないのはゆゆしき問題だ。「最近の発見」という体裁はアフガニスタン駐留の正当化にしか有効ではない。米軍はすでに同地に侵攻しているのだから。帝国主義的な資源獲得競争が、世界中で実際どれほど外交政策や戦争を推し進めているかについては不問に付している。

この問題を避けて通るかぎり、われわれは財政的な窮境、人の命にかかわる窮境から今後も抜け出せないだろう。誰が真の勝者であり誰が真の敗者であるかを総体で明らかにしないかぎり、われわれは何が起こっているかを理解できないだろう。

この種の洞察に関してもっとも発言しそうにない人物の何人かが起ち上がって声をあげている。たとえば、アラン・グリーンスパンは次のように語っている。「悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治的に具合が悪いのだ」。アフガニスタンとその鉱物資源をめぐって同じことを誰が口にするだろうか。ウェズリー・クラーク元陸軍大将は、あの同時多発テロの頃に合衆国政府が7つの国(イラクとアフガニスタンを含む)に侵攻する計画を準備していたと聞かされた。この証言をわれわれが信ずるならば、より大きな構図が見えてくる。

ここで、われわれは、わが WhoWhatWhy.com の独占記事をもう一度ふり返らざるを得ない。それは、あの同時多発テロのハイジャック犯を米国の主要同盟国サウジアラビアの王室一族と結びつけたものだ。サウジ王家は中東地域一帯で絶え間ない戦争、紛争を必要としている。自分たちの独裁制と途方もない腐敗に自国民が注目しないように、また、これらの戦争や紛争で自国が欧米にとって絶対欠かせない同盟国としての地位を保ち続けられるように、である。この終わりのない資源獲得戦争の表向きの理由を創り出したのは、サウジとつながりの深い同時多発テロのハイジャック犯たちと彼らを支援するオサマ・ビン・ラディンの活動であった。そういう次第で、ハイジャック犯たち自身がサウジ王室の一派から資金提供を受けていた、もしくは指示を受けていたという可能性を思い浮かべることはきわめて重大な意味を持つ。

にもかかわらず、ニューヨーク・タイムズ紙は、われわれ国民をピントのずれた方向にみちびくのに小さからぬ役割をはたす。


アフガニスタンにかりにハッピーエンドに至る道筋があり得るとすれば、その道筋の大部分は地中を通っているかもしれない-----原油、金、鉄鉱石、銅、リチウム等々の、莫大な金額に相当する天然資源の形で。それは、より自立可能な国という希望を垣間見させてくれる。これらの富が血に染まった大地からもし平和裡に採掘することさえできれば。


なるほど、世界でもっとも影響力があり、世論形成に大きな役割をはたす報道機関によれば、アフガニスタンの鉱物資源の豊かさは、米国とその同盟国が同国に駐留を続けたがる理由-----同時に、他国がそれを望まない理由-----とは一切関係がないのだ。いやいや、違うのですよとタイムズ紙は言う。それはただただ、アフガニスタン国民自身にとっての恩恵であり、同国の「自立」を可能にする思いがけない「発見」なのです、もし採掘することさえできたら……。

むろん、この主張の続きはこうだ。現在苦しんでいるアフガニスタンの国民は自立に向けて支援を受けられることになろう、もし相応の長期的な軍事力と技術力が同国に提供されるならば。

ニューヨーク・タイムズ紙の記事で、欧米企業が何を知っているのか、いつそれを知ったのかについてぜひともくわしく読みたいものだ。代わりに読者が目にするのは、アフガニスタンの事業をめぐってJPモルガン・チェースにふれたそっけない一文である。しかも、中国企業の同様のふるまいを報じた文に差し挟まれた形で。


すでにこの夏には、中国石油天然ガス有限公司が、カルザイ大統領の一族がからむ企業と提携し、同国北部のアムダリヤ川流域で油田開発を始めた。JPモルガン・チェースが設立を手がけた投資グループは金の採掘を進めている。別の中国企業は巨大な銅山の開発に取り組んでいる。銅と金の採掘権は4つ入札がおこなわれている。レアアースメタルの入札もまもなく開始される見込みだ。


実のところ、中国やロシアが事業に参加できるのならば、軍事行動-----どこの国であれ、これによって少数の資本家が利益を得ることになる-----に対する彼らの反対の声は弱まるだろう。

帝国の軍隊の主な存在理由は、帝国を維持するために不可欠な資源を確保することである。そして、故国にとどまっている彼らの雇い主たちがその果実をふところにする。われわれもまた、その一員である。われわれは、こうしたやり方がもたらす国家の安寧と快適な生活を、それが必然的にまねく死や破壊と天秤にかける必要がある。そして、倫理的判断を下す前に、われわれの名において世界で何がおこなわれているか、なにゆえそれがおこなわれているかを認識しなければならない。


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[訳注と補足など]

全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。


■ 訳文中の
「ウェズリー・クラーク元陸軍大将は、あの同時多発テロの頃に合衆国政府が7つの国(イラクとアフガニスタンを含む)に侵攻する計画を準備していたと聞かされた」
については、このブログの以前の回でも取り上げています。

・米国の進路を決定しているのはネオコンか?(2011年12月18日 (日))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/index.html


■ ここで注意しておきたいのは、筆者のラス・ベイカー氏はアフガン侵攻の真の動機が鉱物資源であるとは断定していないことです。あくまでその可能性を提示しているだけ。断定を注意深く避けています(根拠なしに断定すると、いわゆる「陰謀論」になってしまう)。
ただ、その可能性を考慮することはきわめて重要との主張であり、また、その可能性についてつっこもうとしない大手メディアやジャーナリズムの在り方を問題視しています。


■アメリカの大手メディア、ジャーナリズムの腐敗、劣化については、これまでも何度かこのブログで取り上げました(ココログの方に掲載)。前回のブログもそうでしたが。

まだお読みになっていない方はぜひ参照してください。
主なものは以下の通りです。

・ウィキリークスに関連して(2010年12月18日 (土))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/index.html

・メディアと政府の癒着(2011年1月 2日 (日))
・マスコミの偏向報道(2011年1月14日 (金))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/index.html

・米国ジャーナリストの腑抜けぶり(2011年3月 9日 (水))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/index.html

・ジャーナリズムについて(2011年4月 1日 (金))
・日本のジャーナリズム、アメリカのジャーナリズム(2011年4月 7日 (木))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/index.html

・米国メディアの現状(2011年6月13日 (月))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/index.html

・忘れられた労働者階級と現代ジャーナリズムの変質(2011年9月12日 (月))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/index.html

・対イラン戦をあおる米国メディア(2012年3月17日 (土))
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/index.html


気まぐれ翻訳帖・人権をめぐる英米メディアの欺瞞

2012年10月08日 | メディア、ジャーナリズム
はじめまして。
吉田秀(ペンネーム)と申します。
こちらのブログでは、初めての書き込みです。ココログから移ってきました。
「気まぐれ翻訳帖」の続きです。ネットでみつけた興味深い文章を翻訳し、紹介します。

今回は、これまで何度も訳出してきたおなじみの Glenn Greenwald(グレン・グリーンウォルド)氏のブログから。

内容は、同氏お得意の英米大手メディア批判です。

ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏のエクアドル亡命、それと同時期に起こったロシアの音楽バンドの実刑判決にからんで書かれたもので、例によって訳をアップするのが遅くなりましたが、論の中身は、今後も英米の大手メディアが他国の人権侵害や報道抑圧を問題にするたびに思い出すに値する文章です。

タイトルは
Human rights critics of Russia and Ecuador parade their own hypocrisy
(ロシア、エクアドルの人権問題を取り上げる評家の偽善があらわに)

原文はこちら↓
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/aug/21/human-rights-critics-russia-ecuador

(なお、原文の掲載期日は8月21日です)


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Human rights critics of Russia and Ecuador parade their own hypocrisy
ロシア、エクアドルの人権問題を取り上げる評家の偽善があらわに

プッシー・ライオット、アサンジの亡命をめぐり市民の自由をあらためて訴えるメディアの識者らがさらす、アメリカの専横に目をつぶる狭量な愛国主義

グレン・グリーンウォルド

ガーディアン紙 2012年8月21日(火曜日)


ここ1ヶ月ほど、アメリカとイギリスの新聞、雑誌の読者らは、報道の自由をめぐるエクアドルのかんばしからぬ履歴を格調高く批判する文章をいやというほど読まされた。欧米の報道機関は南米諸国における市民の自由を擁護しようという熱意にあらためてとりつかれたのだろうか。いやいや、やめてくれ。こんな疑問を呈すること自体バカげたことだ。

エクアドルの報道抑圧をめぐる懸念のポーズは、同国を卑しめ罰するための都合のいい手段にすぎない。同国はアメリカとその同盟国に楯つくという大罪を犯した。ラファエル・コレア大統領のひきいるエクアドル政府は、欧米の体制派がもっともいみ嫌う人物-----ジュリアン・アサンジ-----に亡命を許可した。おまけに、大使館に強行突入するという英国政府の遠まわしの脅しを声高に非難した。かかるがゆえに、エクアドルはその無礼なふるまいの代価として盛大に叩かれねばならない。報道の自由に関するその実績はお手軽なムチとなる。ありがたいことには、それは、アサンジの偽善者ぶりをあげつらって嘲笑することをも容易にするのである。

(どうやら活動家、運動家は亡命を求める際、いかなる国であれ、人権に関して汚点のまったくない国だけを選ぶべきだということらしい。これは新しく成立した基準であり、中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏がアメリカ大使館に逃げ込んだ際には明らかに適用されていなかった。同氏の偽善を糾弾した欧米の報道機関を私はひとつとして思い出すことができない。しかし、同氏が亡命を求めた国は、審理も経ずして人を無期限に勾留し、イラクを攻撃し、大統領の極秘の指令によりしかるべき法的手続きなしで米国市民を殺害し、パキスタンで会葬者や救助者を銃撃した国、平和的な「占拠デモ」運動をつぶそうとして大規模、強硬な手段を用い、大量の逮捕者を出した国、内部告発者に対してかつてない摘発と追及をする国、米国の外交政策に批判的なビデオをユーチューブで公開したイスラム系市民を告訴する国、世界でもっとも圧制的な国家を擁護し、それに武器を供与する国、いかなる罪状も明らかでないのにグアンタナモその他の施設にイスラム系のジャーナリストを何年間も勾留し続けた国、なのである)

しかし、上記のふるまいは鮮明に示している-----いわゆる人権に関する懸念が、欧米の各国政府、そして許しがたいことに、保守愛国的で狭量な報道機関によって、いかに恣意的に武器として利用されるかを。他国の人権抑圧や侵害に関する懸念は、これらの国が米国のご託宣に忠実である場合は、低声であり、口にされないことさえしばしばである。ところが、このご託宣をはねつけたり、とりわけ米国がこれらの国と一戦を交えようとしているときなどは、この懸念の声は耳を聾せんばかりに大きくなるのだ。こういうわけで、アメリカの支持するバハレーンやサウジアラビア等の政権が抗議勢力を攻撃した場合、欧米の報道機関はそれを無難で喧嘩両成敗的な「反乱分子との衝突」と表現するのが一般であるのに対して、「目下の敵」であるイラン、シリア、リビアなどの場合は「自国民を虐殺している」と書かれる。また、現政権の弾圧に対抗すべくシリアの反抗勢力に武器を供与するのは常識とされる一方で、イスラエルの暴力に対抗すべくパレスチナの反抗勢力に武器供与するのは犯罪とされるのも、同じメカニズムである。

このような事情の代表例は、2003年に澎湃とわき起こった、サダム・フセインが-----皆さん、さあご一緒に-----「自国民に毒ガスを使用した!」-----ことに対する憤りである。フセインのこの所業はそれより15年前、すなわち1988年のことであり、当時アメリカはフセインに武器と資金を提供していた。イラクとの交友関係はアメリカの国益にとって複数の利点があった。かくして、毒ガスの件が取り沙汰されることはほとんどなかった。欧米の各国政府や報道機関は、イラク攻撃を正当化するためにフセインを卑しめる必要が生じてから、急に過去をふりかえってこれらの非道を糾弾しはじめたのである。

このように、人権に関する懸念をダシに使うやり方は、一見きわめてもっともらしい事例にさえひそんでいる。たとえば、ロシア当局が音楽バンドのプッシー・ライオットにあからさまに不当な罰をあたえた件で、世界中の「良識人」全員が非難の声をあげた。プッシー・ライオットは、反資本主義を標榜する、かなり左寄りのパンクロック・バンドである。ロシアのジャーナリスト、ワディム・ニキチン氏が、ニューヨーク・タイムズ紙の火曜の論説コーナーで指摘したように、言論の自由を尊重しないロシアに対する欧米の非難の声は、真実の心の声というよりむしろはるかにご都合主義によって牽引されている。

プッシー・ライオットやゲリラ・アーティスト集団ボイナの在り方をバラバラにして一部だけをお持ち帰りにすることはできない。彼らの痛快で、民主化支持、反プーチン的なフェミニズムをお望みなら、同時に彼らの扇情的なアナーキズムや過激な性的挑発、意図的なわいせつ行為、極左的政治観をも抱きしめねばならない。もし諸君がこういったものに心穏やかでいられないなら(主流メディアにおけるプッシー・ライオット支持者の99パーセントまでが、心穏やかではあるまいと私はほとんど確信している)、今になって-----当該の行為が罰に値せず、当局側に非があるのは明らかであるにしても-----プッシー・ライオットを支持することは、純然たるご都合主義以外の何物でもない。ロシアの反体制分子に対するこのような無思慮で恣意的な支持、その思想を十分に考量しないままの支持は、かつての古き悪しき時代にそうであったように、偽善であるだけにとどまらず、彼らの主張にとっても大きな妨げとなってしまう。

以前ソビエト時代の反体制派で、現在は反プーチンを旗印にする野党連合の幹部であるエドワルド・リモノフ氏は、かかるご都合主義をよくご存知だ。同氏は、ソビエトから追放処分を受け、ニューヨークでは、冷戦の戦果のひとつに数えられて歓迎された。しかし、同氏はまもなく知ることになる、アメリカがソビエトの反体制派を歓迎するのは、反体制ではなく反共産主義という側面であることを。激しやすくて挑発的な反ソビエト体制派の左翼である氏は、自分の一番お得意の営みにとりかかった。すなわち、体制を批判することである。そして、ただちに自分が面倒な状況に陥っていることに気づく。ただし、今回は米国当局との間で、である。リモノフ氏はこう結論する。「米国のFBIが自国の過激派を取り締まるのに熱心なありさまは、ソビエトのKGBが国内の過激派や反体制派を取り締まる際のそれと寸分違わない」と。


ニキチン氏はまた、プッシー・ライオットをめぐり欧米のメディアの大半が目をつぶっている事実について言及している。同バンドのリード・ボーカルの女性が、2008年、モスクワの博物館での過激なパフォーマンスに、妊娠9ヶ月の身体で仲間といっしょに全裸になって参加したことである。また、このパフォーマンスを後援した過激なアート集団は「警察の車に火をつけたり、ペテルブルグの吊り橋に卑猥な絵を描いたりした」前歴を有する。ニキチン氏がいみじくも指摘したように、これらのふるまいは「専制的なロシアだけでなく、世界中のほぼどんな国でも、逮捕されて不思議ではない所業である」。

これよりはるかに穏便な「占拠デモ」運動に対して過剰な武力と大量の逮捕が適用されるのをクールに傍観していたアメリカのメディア、まさに言論の自由を行使する活動に対してイスラム系米国人が次々と告訴されることに口をつぐんでいるアメリカのメディア-----彼らが、ロシアの言論の自由や集会の自由をめぐり心の底から懸念を抱いているなどと誰が思うだろうか。ニキチン氏は修辞疑問の形で次のように問うている。

冷戦が終了して20年が経った今、反体制的知識人は、またもや欧米の反露プロパガンダの道具に化そうとしているのだろうか?

これこそ、欧米の体制派メディアによる人権擁護の典型的な活用法である。すなわち、国益を推進するための見えすいた道具であり、より隠微な形では、自分個人と自国民の自己肯定のための手段である。アメリカでは、政治や外交政策をうんぬんするコメンテーターらの巨大産業が成立している。彼らはいっせいに他国政府の人権侵害を嬉々として取り上げる一方で、自国政府のそれに時間と精力を費やすことはほとんどない。

このいびつな実態をもっとも鮮明に表している例のひとつは、ジャーナリストが自国政府ではなく「悪しき外国政府」によって拘束されている場合における、米国のコメンテーターたちの極端に対照的な反応である。アメリカの当局は、アルジャジーラのカメラマン、サミ・ハジ氏をなんの審理もおこなわないままグアンタナモ収容所に7年間封じこめた。そして、その時間の大半をアルカイダではなくアルジャジーラについて尋問することに費やした。きわめてわずかの例外を除いて、米国メディアの識者たちは、自国政府によるこのジャーナリストの正当な法的手続きなしの勾留について、非難するどころか言及することさえしなかった。ここ10年の間に米国政府が他のイスラム系ジャーナリストを勾留した事例についても、やはり同様の沈黙が見られた。

これらとはきわめて対照的なのが、イラン系米国人ジャーナリスト、ロクサナ・サベリ氏をイランがスパイ容疑で逮捕し、5ヶ月間勾留した事件である。このとき、数えきれぬほどの米国人ジャーナリストやメディア界の自称「人権擁護派」が、遠く離れたイランの体制を得意満面で堂々と非難した。そして、この出来事はいちやく世間の関心事となった。北朝鮮が2009年に米国人のユナ・リーとローラ・リン記者に有罪判決を下し、勾留した事件のときもまったく同様だった。アメリカのジャーナリストたちは、北朝鮮の暴政を遠慮会釈なく指弾した。

外国政府の人権侵害に関心を集中し、自国政府によるそれには大方目をつぶるというふるまいは、自分の公言する信念にひどく不誠実であることを証するだけではない。はるかに問題なのは、ジャーナリストとして、市民としての基本的な務め-----すなわち、何よりもまず自国政府の悪しきふるまいに反対すること-----を放棄することになる点だ。ノーム・チョムスキー氏がこの問題を非常にみごとに表現している。アメリカの敵国よりむしろ自国政府(およびその従属国)の犯罪行為に同氏がかなりの時間を費やしているわけを問われて、同氏は以下のように述べている。

私自身の関心は主に自国政府によるテロ行為と暴力に向けられています。それは2つの理由によります。ひとつには、アメリカが世界の暴力の中でより大きな割合を占めているからです。しかし、これよりもはるかに重要なわけがあります。すなわち、母国に関しては、自分がなにがしかのことができるということです。ですから、たとえアメリカが世界の暴力のうちの大部分ではなく、ほんの2パーセントしか責めを負うべきでないとしても、その2パーセントに私はまずもって責任を負うべきでしょう。そして、これは単純な倫理的判断です。つまり、おのれの行動の倫理的価値は、その行動から予想される影響、結果にかかっています。他国の非道なふるまいを非難することはきわめて簡単です。しかし、それは、18世紀に起こった残虐行為を非難するのと同じ程度の倫理的価値しかありません。

自国政府による人権侵害をほとんど無視して外国政府のそれをあげつらうことに熱心なのは、ただ単に怯懦なふるまいというにとどまらない-----まさしくそうに違いないけれども。また、ジャーナリストの第一の務めを放棄することになるだけでもない-----これまた、まさしくそうに違いないけれども。なにより問題なのは、メディアのこうしたふるまいこそが政府のプロパガンダをもっとも効果的に支えるからである。それは、一般市民に向かってこう語りかけるのだ。人権侵害や市民の自由の蹂躙は「悪しき外国政府」のふるまいであって、われわれの国の問題ではない、と。

エクアドルの報道の自由やロシアの言論の自由の権利をめぐって欧米の識者らがあらためて示した、これらきわめて興味深い懸念の一切を、私はもう少しマジメに受け取るだろう-----もし彼らが自分の国やその同盟国による人権侵害、抑圧に同じような関心を示したならば。しかし、こちらの方は異議を唱えるのがはるかに厄介だ。はるかに大きな影響をもたらすけれども。


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[訳注と余談など]
全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。


■ 訳文中の「ゲリラ・アーティスト集団ボイナ」とその活動については、以下のサイトなどが参考になります。
今回訳出した文章の中では、文脈上(英米メディアの偽善を糾弾するという趣旨から)、この団体についてマイナスのイメージが強調される結果になっていますが、芸術団体としてはなかなかおもしろいグループのようです。

・VOINA、大晦日に護送車を焼き討ち
http://irregularrhythmasylum.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html

・ワタリウム美術館に行って思ったこと
http://revym92fs.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html


■ 訳文中の「アメリカの当局は、アルジャジーラのカメラマン、サミ・ハジ氏をなんの審理もおこなわないままグアンタナモ収容所に7年間封じこめた」件については、以下の記事を参考に貼っておきます。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2386258/2890618


■ アメリカきっての知識人ノーム・チョムスキー氏については、私は以前から、同氏がなぜ自国、自国政府をあんなに激烈に批判するのか不思議に思っていました(氏の著作はあんまり読んでないもので)。
今回訳出した中に引用されている同氏の発言を読んで、その理由の一端が理解できました。
このくだりは、あえて言えば「美しい」という形容詞を冠することさえできそうです。