気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

一ジャーナリストの孤独な闘い

2014年08月11日 | メディア、ジャーナリズム

今回は、メディアやジャーナリズムをめぐる論考、考察ではなくて、あるひとりのジャーナリストによる心にしみるエッセイです。

筆者は Andre Vltchek(アンドレ・ヴルチェク)氏。
日本ではほとんど無名の存在のようですが、チョムスキー氏と共著の形で『Indonesia: Archipelago of Fear』などを出しています。

タイトルは
The Loneliness of Anti-Imperialist Fighters
(反帝国主義戦士の孤独)

原文はこちら
http://truth-out.org/opinion/item/24747-the-loneliness-of-anti-imperialist-fighters

(なお、原文の掲載期日は7月3日でした)


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The Loneliness of Anti-Imperialist Fighters
反帝国主義戦士の孤独


2014年7月3日(木)

By Andre Vltchek, Counterpunch | Op-Ed
アンドレ・ヴルチェク 
初出: 『カウンターパンチ誌』


夜はもうふけている。が、君は眠ることができない。ホテルの窓のすぐ向こうにはエブリエ潟が横たわっている。しかし、こんな時間だから形はさだかには見きわめられない。君のいるのはアビジャン。西アフリカ、コートジボアール共和国の旧首都だ。

君がここに来たのは、「チョコレート王」とも称されるウクライナの大統領ペトロ・ポロシェンコ氏が、この国からカカオ豆を手配していると聞いたからだ。君はさらに、世界各地の複数の取材源から確信を得た。ポロシェンコ氏の所有するウクライナ最大の製菓企業ロシェン社が、そのカカオ豆を一部、コートジボアールのもっとも悪辣な農園から入手していることを。これらの農園では依然児童就労を利用している。そういう次第で、君はコートジボアールに行かねばならぬと決めた。事情を深く探るために。

君は気分がすぐれない。本当に体調が悪いのだ。腸にウイルスが取りつき、ひどい感染症にかかっている。インドネシアの都市スラバヤにひと月ほど滞在していた間に罹患したのだ。治すひまはなかった。それどころか、医者にきちんと診てもらうことさえできなかった。インドネシアからこのアフリカでの活動に移る前には、ヨルダンの、シリアとの国境に近い辺りで仕事をしなければならなかった。

こんな夜には、君は孤独を感じる。まったくのひとりぼっちだ …… 。自分の書籍が刊行されるたび、あるいは、戦場やその他世界の悲惨な土地に取材したドキュメンタリー映画を公開したり、その地で執筆したエッセイを発表したりするたびに、君はたくさんのメールを受け取る。読者は君に感謝し、もっと書くようにすすめる。もっと書いてくれ、もっと読みたいと言う。これら支援のメールを君はありがたいと思う。しかし、現実的に君はこれ以上書く量を増やすことができない。

君の後ろにいて君を支えてくれる者は誰もいない。政府の支援もなければ組織、制度の後ろ盾もない。君はある大層な団体の「上級研究員」だ。しかし、当の団体は君のために何をしてくれるというわけでもない。近況を尋ねてくれることさえ、もしくは、存命かどうかの確認さえない。君の名前はちゃんとその団体のウェブサイトに掲げられている。彼らにとってはそれがメリットになる。それだけだ ……。

君にはよくわかっている。胃の調子が悪化しても頼れる人間はいないことを。君にはよくわかっている。自分が逮捕されそうになっても、もしくは、突然「消息が不明」となっても、頼れる人間は自分ひとりしかいないことを。

スラバヤで、君は体調をくずし、衰弱して、ひとりぼっちだった。シンプルなチキンスープさえ用意してくれる人間はいなかった。夜、ベッドのかたわらに控えてくれる人間もいなかった。電話やスカイプを利用することはインドネシアではためらわれた。そこでは、君の存在は具合が悪いのだ。

誰もが皆、君に書くようすすめる。もっともっと書けと言う。メールの文面からは、それが君の使命だとする気配がただよってくる。君はそれを受け入れたのだ、と …… 。けっこう。その通りだ。客観報道を追求する人間、闘士としての役割を君はひき受けた。

スラバヤでは動物の大量殺戮があった。君は体調が思わしくない。しかし、取材に出かけ、事情を文章にまとめた。どこからかお金が支払われるわけではない。まるまる一週間のボランティア仕事だ。動物のこの大量殺戮を、君は、1965年のクーデター以降インドネシア政府が国民に対しておこなった3度の大量虐殺と関連づけた。読者のひとりは、ひどく感銘を受けて、君に金銭的支援を申し出た。彼には感謝の言葉を伝えたが、実際にはほとんど気にとめなかった。しかし、彼は銀行の口座番号その他の詳細をしつこく聞いてきた。それで、教えざるを得なかった。そして、一週間後に君は知らされる。実はもう、別の(資金の潤沢な)動物保護団体にお金を送ってしまった、手続きが簡単だったもので、と。

スラバヤを拠点にして、このおぞましいひと月ほどをすごす間に、君はまた、タイとフィリピンにも足を運んだ。そこでも取材すべき出来事があったからだ。それぞれの取材の行き来のたびに、君は向こう2、3ヶ月をどうやりくりしようかと頭を悩ませる。君の活動の資金源と言えば、みずから額に汗して獲得したものだけ、2、3冊の本とたくさんのドキュメンタリー映画からの実入りだけだ。

君は不満をぶちまけようとしているわけではない。全然そんなことはない。ただ人々に知ってもらいたいだけなのだ。君にしょっちゅうメールを送りつけてくる人々、君のような活動家になるにはどうすればよいのか、君のようにタフで勇敢な人間にはどうしたらなれるのかと再々尋ねてくる人々。そんな人々に実際のありようを知ってもらいたいのだ。夜をどんな風にすごすのか。この孤独のありさまの一切を。この暗鬱のことごとくを。君は彼らにもう一度考え直してもらいたい。自分と同じ道を歩む前に。


***

そう、今語っているのはほかならぬ私自身のことだ。皆さんとっくにご承知のことと思う。だから、人称は変えた方がいいかもしれない。

私は協力者に給与さえ支払った。高額ではないが、この地域の水準、スラバヤの水準からすれば、決して悪くはない額だ。私は確実を期したかった。最低限でも、ウクライナや沖縄、フィリピンなどでおこなったインタビューのもようが形を整えられ、ユーチューブにアップロードされることが私の願いだった。一般市民が命を落としていたし、いろいろな国が欧米の帝国主義によってズタズタにされていた …… 。私は各地をまわり、その闘争と惨禍をつぶさに記録にとどめた。

けれども、これらのインタビューは何ひとつ編集作業やアップロードがおこなわれていない。編集者は自分の小さな世界や個人的問題で手がいっぱいだ。

私を担当する日本の編集者も、国内向け長編映画にかかりきりで、チョムスキー氏と私が出演する映画-----討論のドキュメンタリー-----の編集作業は、すでに予定より2年ほど遅れている。この内容は、書籍の形でロンドンのプルートー・プレスから刊行されている(『西洋のテロリズム―ヒロシマから無人機戦争まで』)。しかし、映画の完成ははるかに先の話だ。それどころか、完成する見込みがないとさえほのめかされる始末。この映画でチョムスキー氏と私が口頭で表現したものを映像によって具体的に補強すべく、私は2012年、戦闘地域におもむき、さまざまな映像素材を収集した。これまた外部からの資金拠出はなしだ。エルサルバドルでは銃撃を受けた。ボリビアでは搭乗していた軍用機があやうく墜落するところだった。貯金は底をついた …… 。編集者は、会うたびに、チョムスキー氏と私による「この討論の重要性は承知している」とくり返す。また、製作者のひとりとして名を連ねたいと強くせがむ。しかし、映画は完成するどころの話ではない。つまり、まあ、そんな具合だ。納得のいく説明など一切ない。ただただ「最近めっぽう忙しくて」と言われるだけ。

『ルワンダ・ギャンビット』は、ルワンダの虐殺にからむ事情全体を欧米がいかに歪曲したか、そして、コンゴ民主共和国の富を略奪するためにルワンダとウガンダのファシスト政権をいかに利用したかをめぐる映画である。しかし、この映画は現在、『プレスTV』で予定より公開が大幅に遅れたまま放置されている。フィルムは、ロンドンとテヘランの事務所の間のどこかでしょっちゅう行方がわからなくなっている。これまで1000万人が命を落とした。契約は署名済みである。だが、この映画の公開を急ごうとする空気はみじんも感じられない。

また、あるテレビ局は、私にとって実に貴重な存在と感じられるが(だからこそ、ここでその名前を明かすのはためらわれる)、沖縄をめぐる私の映画の編集作業を、サッカーのワールド・カップのために先延ばしにした。映画の内容は、容易に第3次世界大戦のひき金ともなり得る米空軍基地をあつかったものだったけれども。


***

本エッセイを読者にせっぱつまった嘆き節のごとく提示するつもりはない。率直な、憂うべき状況説明にすぎない。読者にはっきりと伝えたいのはこういうことだ。「帝国」を厳しく追及する調査報道に今でも深くたずさわり、それを世界に向けて発信するわれわれジャーナリストのうちのごく少数の人間は、実際のところ、まったくの孤立無援状態で、しかも、ほとんど絶滅の危機に瀕している。私は最近、同僚の幾人かと会った。話の結論はまことに簡潔明快であった。われわれは綱渡りをしているというものだ-----安全の保障も命綱もなく。われわれの仕事の大半はもはや報いられない。もし綱から落ちるならそれっきりだ。それは「われわれの問題」にすぎない。多くのジャーナリストが脱落した。われわれの大半が脱落した。

大抵の場合、体制側はわざわざわれわれを打倒しようとはしない。われわれは「動かないカモ」だ。完全に標的として身をさらしている。いついかなる時にも「対処」されるかわからない。

われわれの糧となるのは、せいぜいのところ、支援のメールが間断なく寄せられることだ。むろん、中傷のメールも決して少なくない。

このエッセイで私が伝えたいのは、夜にしばしば味わう極度の不安感だ。

われわれのほとんどはこの感覚を常に持ち運んでいる。心の奥深くに堅く秘めて。私もそのひとりだ。この感覚についておおっぴらに語ることはいささかおもはゆい気がする。けれども、私の元にはひと月に何百通ものメールが届き、その中には、しばしば「どうしたらそんな風に活動できるのか」とか「活動のエネルギーは何に由来するのか」といった質問がまじる。そんなわけで、私は幾年かごとに自分の感覚を読者と分かち合うことにした。実際にどんなおもむきなのか、内面深くで何が進行しているのか、等々について。


***

話を最初の方にもどそう。「夜はもうふけている。が、君は眠ることができない」。私は信じているが、リシャルト・カプシチンスキも似たような経験をしたはずだ。彼がアフリカや中米でひとりになった時に。同様に私は信じている。ウィルフレッド・バーチェットも似たような思いをいだいた、と。朝鮮戦争の間に、あるいは、壊滅したヒロシマに向かう道すがら、鉄道のあの暗いトンネルを歩んでいる時に。

夜は一番やっかいだ。というのも、あれやこれやのすべてが君に襲いかかる。誰の咎であるかとはかかわりなく、君は不安を感じ、自分に罪があると感じ、しばしばひどい鬱屈をおぼえる。

実際のところ、大事なのは自分自身のことではない。映画や著書の方だ、それに例の作品のすべて-----君が制作したが、他の人間が形を整え世に送り出すことを拒否した作品だ。問題は事態が急を要することだ。君はよく承知している、自分がたくさんの命をたやすく救える活動をおこなったことを。ところが、君のパートナーときたら、ひどくなまけ者であるか、ひどく自己中心的なために、これらの仕事にほんの数日さえ割くことをしない。それに対して報酬が支払われることになっているにもかかわらず …… 。もっとも、それはたいした額ではない。君の著作の印税や映画のロイヤルティからのささやかな収入が源泉なのだから。君の差し出せるものとては、ほかにはない …… 。しかし、これらの書籍や映画は君の汗と血でひき替えたもの。途方もない危険とひき替えだったこともめずらしくない …… 。

そして、もちろん、技術を要する作品の場合、君は超一流の人々と仕事ができるわけではない。そんな人々を雇えるほどの金銭的余裕はない。君は君あてにメールを寄こした人間と仕事をする。「貴殿の作品に感銘を受けました。貴殿の元で人類のために闘いたい」。たとえば、こんな文面だ。彼らは君の元に来て、多少のスリルをあじわう。君は彼らに仕事をまかす …… 。こんなことが何度も何度もくり返される。君は人を信頼したい。それで、人に仕事をまかす。ささやかとは言え、定期的に報酬を支払い始めたりする。そして、どうなるか。彼らは君の作品の世界を堪能し、「パートタイムの革命家である甘美を少しばかり賞味」した後に、あっさりと君の元を去ってしまう。

君はまたひとりになる。手元には映像素材がそのまま、配給されるはずの映画が未完成のままだ。これらは、世界が-----さまざまな国の人々が-----生き延びるのを手助けする作品のはずだった …… 。

君はもはや多くのことを求めない。インタビュー一本の編集は、たとえ精一杯努めたとしても、丸一日かかるかもしれない。君はとっくの昔に人に多くを期待するのをあきらめてしまった。自分のためにもはや何かを期待することなどきれいさっぱりやめてしまった。

「どうか、この作品を未完成のままほったらかしにしないでください」。そう、君は相手に乞う。君が誰かにいささかでも何かを乞うなんてことは考えられない-----人々の命を救うかもしれない作品が問題でないかぎりは。

夜に君はたまらなく不安になる。「また同じことが起こったら …… 。またインタビューが編集されずじまいになったら …… 。映画が未完成のまま放置されたら …… 。もし …… 、ひょっとして …… 」等々等々。そして、それは現実に起こるのだ。決まって、自身の見る最悪の夢そのままに起こる。

そして、君は、毎晩、夢想する。誰かが君にやさしくこう語りかけてくれるのを。「僕がはせ参じよう …… 。君はソファで休んでいたまえ。僕のすぐそばで。僕がキーボードをたたく音が聞こえるだろう。少し眠ったらいい。君はよく闘った。今は休むことだ。これらの素材少々は僕が代わりに手を入れよう。君のため、人々のために。なに、ほんの2、3日あれば十分さ」。


***

また夜が来た。コートジボアールの政府当局は、私を毎日、数時間拘束する。ビザに何らかの問題があったとやら …… 。インターネットのあるサイトには、ビザは不要と書いてあったが。別のサイトには入国時に得られるとあった。また別のサイトにはこうある。フランス人とアメリカ人は同じあつかいだった。逮捕され、本国送還を示唆され、脅されたが、結局のところ、ほどなく解放された、と。

地元の案内役は、関係当局に私について密告していた。米大使館とコートジボアール政府の双方に、である。この国の大抵のエリートと同様、彼もまた、コートジボアールの真の支配者に自分の名前を記憶してもらいたいがために、そうする。真の支配者とは、すなわち、フランスおよびアメリカの大使館にいる人々のことである。密告する理由のもうひとつは、自分をひとかどの人物であると思いたいためだ。

警察当局は、私のじゃま立てをしようとあらゆる手をつくす。ビザには生体認証機能が必要だと彼らは言い張る。そんな高度なものは、目下所持している分厚いパスポートにさえついていないのであるが。とにかく、ビザを発行してもらうために、私はさまざまな書類に必要事項を記入しなければならない、けんか腰の女性の係官にあれこれ文句をつけられたりいやがらせを言われたりしながら。次には写真撮影と指紋採取が待っている。

それは別段かまわないが、指紋採取の機械とカメラは普段通りに作動してくれない。それは当然のことだっだ。君は機械のプラグがひっこ抜かれているのに気づく。彼らはブースの中のカメラの前に君を立たせ、10分間じっとしているように言う。失敗するたびにそれをくり返す-----たぶん20回ほども。指示はどなり声だ。そして、ようやく「指紋採取の完了」。ここまでで何時間かかったことか。そのあげくに「君の指には異常が認められる」と彼らは告げる。

私はすでにここ2週間、ヨルダンとタイ、それにケニヤで指紋を採取されていた。何の問題もなかった。

「君には異常がある。病院で診てもらわなければならない。皮膚科の医者に診てもらい、指に異常が認められるとの証明が必要だ」

しかし、指には異常などつゆほどもないのだ。

彼らはビザの発行のために100ドル相当の金をふんだくったあげく、パスポートを返そうとしない。

地元の私の案内者が米大使館に連絡をとった。すると、職員を乗せた車がやって来た。彼の目の前で指紋を採取してくれるよう私は求めた。が、警察当局は応じなかった。「貴殿の件は手続きが確定している」とのたまうばかり。この言い回しは明らかにフランス語の直訳だ。大使館の職員ははっきりと警察側の味方だった。「われわれはこの国の手続きを尊重し遵守しなければなりません」。こういう次第で、手続きには何日もかかる。

私は毎日お忍びで農園に車で出かけ、いろいろな人に事情を聞き、調べを進めた-----西欧のこのいまわしい新植民地、この警察国家の元で。

私はフランス軍の広大な第43ビマ基地を写真におさめた。スラム街をいくつかまわり、取材をおこなった。田舎からアビジャンに連れてこられた人間に話を聞いた。それは主にカカオ豆の農園でけがをした子供たちである。全体の状況が徐々に鮮明になってきた。

「みんなフランス人が好きですよ」。そう、私は聞かされた。

「それはまたどうして」

「新大統領のおかげです …… 。彼はフランスの支援を受けています …… 。それで、目下、欧米寄りのプロパガンダを国民に浸透させようと大わらわです …… 」

私は観念して皮膚科に診てもらいに行った。診療には丸半日かかった。国営の診療所は惨憺たるものだ。そこではたくさんの人が命を落としていると噂されていた。では、民間の診療所はどうかと言えば、こちらは惨憺が遺憾に変わる程度にすぎない。私はまず60ドル相当の金額を払わなければならなかった。この国の大多数の人間にとってひと月分の給与に等しい額である。ただし、それには「公共料金」、つまり、水道代や電気料金は含まれていない。これらはすべて民営化されている。一切はフランス人の手に入るのだ。以前の植民地支配者であり、現在の事実上の植民地支配者であるフランス人の手に。

セネガルでもそうであったが、この国のスーパーマーケットにはフランスの食品があふれている。ただし、パリでの価格の2倍から4倍もする。給与水準はパリの30分の1ほどなのであるが。

「一体どうなるんでしょう、病気になってもここの診察代が払えないとしたら」
私は隣にすわっていた女性にたずねてみた。

「死ぬわね」と彼女。

私は一時間ほど待った。それから、一室にみちびかれ、高齢で、気品のある顔立ちをした女医に対面した。これまでの経緯を詳細に説明し、女医は注意して話を聞いてくれた。

「そうすると、あなたの指をきちんと診る必要はないということね」

「その通りです」と私。「これは、つまり、帝国主義に抗してものを書いている報いというわけです」

「帝国主義ね …… 」。女医は顔を曇らせながら言う。「帝国主義、新植民地主義 …… 。ご承知でしょうが、この国では一切希望が持てません。人々の心が支配されているからです。国民は西洋に仕えています、祖国にではなくて」

女医は一枚の紙切れに何か記入し、何箇所かに押印してから署名した。私の指は指紋採取に不適との旨が記されている。女医は診察代を受け取ろうとしなかった。「ごめんなさい。私にはこれぐらいのことしかできないのです」

私と運転手は診療所を出た。運転手の持ち物である古いプジョーに身体をすべり込ませ、いざ出発という段になって、女医が高齢にもかかわらず玄関の階段を駆け下りてきた。

「本当にごめんなさい」と彼女。「診療所に言われたんです。もう60ドル請求しなければならないって。書類作成代ということです」

警察本部にもどった。そこでは、前と同じ粗野で巨怪な女性係官が待っていた。書類の封を切る前から残酷な笑みを浮かべる。

「あなたのパスポートはお渡しすることができないようです …… とにかく今日のところは。書類を審査しなければなりませんので」


***

すべてがうまくいかないのであれば、やるべきことがたくさんある。そして、すべてはうまくいかない。この国は一切希望が持てない。一切が「売却済み」だ。

上述したように、コートジボアールの私の案内役は、当局に私のことを知らせていた。一方、今回の仕事の段取りを細かい部分まで準備するはずの、ロンドンとガーナに拠点を置く担当者は、最後までものの見事に何もしてくれなかった(祖国に力を貸してくれることに最初、感謝の意を表してくれたけれども)。

中途で私には2つの選択肢しかなくなった。私の任務-----今回は、カカオ豆取引きの実態、および、それと新植民地主義との結びつきを明らかにすること-----を断念する道。もしくは、ゼロから、最初の出発点から、独力で出直す道。そして、私の採る道は決まって後の方だった。

まずは、自分の宿泊先のプルマン・ホテルでフロント係をしている若い女性にめくばせした。彼女は-----少なくともこれまでのところは-----私に快く接したくれた唯一の人間だった。カフェに彼女をさそって、自分の勘だけを頼みの綱にし、これまでの経緯を洗いざらい話した。自分の身に起きたこと、この国で自分が企てていること、等々。「車が必要なんだ」と私は最後に言った。

「ちょうどいい車を用意してあげられます」と彼女。「それに立派な運転手も。これは本当にたいしたことだわ。あなたがやろうとしているのは」

けっこうな額が必要だったが、それに見合う価値はあった。彼女ははるかリベリアとの国境付近の出自である農園主の息子を紹介してくれた。カカオ豆の事情についてはすべて承知している男だった。児童就労についても同様だった。英語が話せ、まじめなイスラム教徒であり、世界のあれこれについて意見を交換するのを愉快に思える人間だった。われわれは10分後にはいっしょに車に乗っていた。こうして事態は向きを変え始めた。

その時、私は世界から完全に切り離されていた。ただ自分と運転手兼通訳の2人だけがこの行動にかかわっていた。私がどこに向かっているかを知る者はほかに誰ひとりいなかった。

ほどなくして私を迎えたのはマチェテ(山刃)。労働者たち。それに、両端にカミソリのように鋭い刃をつけた風変わりな木の棒であった。カカオ豆の農園で数多くの悲惨な外傷をもたらしたのはこの刃である。じきに私はカカオ豆の甘美を賞味しつつ、人々の顔に涙がこぼれるのを見るであろう。これらの人々は私にさまざまな話を語ってくれるであろう …… 。

これからも、大抵の場合、私は無防備、孤立無援のままだろう。しかし、チリのことわざにあるように「へたな連れがいるよりはひとりの方がましだ」。


***

私はこの問題について複数の論考を書けるほどの情報を手に入れた。おまけに、どうにか無事だった。まだ命はある。

コートジボアールにいる間に、自分の最新の著作『西洋の帝国主義に抗して』が世に出た。

今、この文章を書いているのはエチオピア航空機の座席だ。機は、アビジャンからアクラを経由してアディスアベバに向かうことになっている。

私はアフリカ大陸を横切ろうとしている。西から東へと。今こうしていることに感謝したい。自分が生きていることに感謝したい。

自分が現におこなっていることを顧みて、私は幸せだ。この人生を他の誰かのそれとひき替えにしようなどとは決して思わない。

とは言いながら、また夜はやって来る。そして、夜といっしょに、あまりにたくさんの破れた夢や希望、果たされなかった約束の思い出もまたやって来る。しかし、渇望も訪れる。永続的で堅固な何かをこいねがう思いも。その何かとはあらゆる闘士、あらゆる革命家が狂おしいほど必要とするもの-----拠点、より所、そして無条件の支援だ。


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[補足と余談など]

筆者の Andre Vltchek(アンドレ・ヴルチェクまたはアンドレ・ブルチェク)氏は、日本ではほとんど無名で、ネットで検索してもヒット数は多くありません。

下記のサイトで、別の文章が訳出されていました。

『私の闇の奥』
アメリカがはっきり見える場所
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2014/02/post_25ce.html


■訳文中で

「この内容は、書籍の形でロンドンのプルートー・プレスから刊行されている(『西洋のテロリズム―ヒロシマから無人機戦争まで』)」

としたヴルチェク氏のこの著書の原題は、

On Western Terrorism: From Hiroshima to Drone Warfare

で、こちらもチョムスキー氏との共著の形での出版です。

アマゾンのサイトに日本人の方が書評を書いています↓

http://www.amazon.co.jp/On-Western-Terrorism-Hiroshima-Warfare/dp/0745333877/ref=la_B00JAKU290_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1406864660&sr=1-1


■訳文中の

「コートジボアールにいる間に、自分の最新の著作『西洋の帝国主義に抗して』が世に出た。」。

こちらの『西洋の帝国主義に抗して』の原題は、

Fighting Against Western Imperialism 

です。

http://www.amazon.com/Fighting-Against-Western-Imperialism-Vltchek/dp/6027005823


■訳文中の

「そして、君は、毎晩、夢想する。誰かが君にやさしくこう語りかけてくれるのを。『僕がはせ参じよう ……

以下の文章が特に泣かせます。

しかし、極東の島国に私のような物好きがいて、この文章をこつこつと日本語に訳している。私のキーボードをたたく音がヴルチェク氏に聞こえればいいな。
もっとも、「私にはこれぐらいのことしかできないのです」が。