気まぐれ翻訳帖

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チョムスキー氏の著作に対する奇妙な書評

2017年03月25日 | メディア、ジャーナリズム

お久しぶりです。
諸事情によりずっと時間がとれませんでした。

これからは元のペースに戻れれば幸いです。

いったん着手して中断していた記事をようやくかかげます。
(やや長いので2回に分けて掲載します)

書き手は Howard Friel(ハワード・フリール)氏。
掲載誌は『AlterNet』(オルターネット)誌。

原文のタイトルは、
The Supposedly Liberal NY Review of Books Published a Very Strange Review of Chomsky's Latest
(リベラルとされる『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌が、チョムスキー氏の最新作に関し、実に奇妙な評を掲載)

原文サイトはこちら↓
http://www.alternet.org/books/whats-wrong-review-noam-chomskys-new-book


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The Supposedly Liberal NY Review of Books Published a Very Strange Review of Chomsky's Latest
リベラルとされる『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌が、チョムスキー氏の最新作に関し、実に奇妙な評を掲載

この評には数々の問題点がある


By Howard Friel / AlterNet
ハワード・フリール 『オルターネット』誌
2016年6月6日


『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌で、ノーム・チョムスキー氏の最新作『Who Rules the World?』(2016年5月刊)を驚くほど的外れで、冷ややかに評価したケネス・ロス氏は、その第一段落の文章で、米国の2003年のイラク侵攻を「大失態」と表現している。
これは幸先のいいスタートではない。というのも、それは、国際関のふるまいにおいて国家の「武力による威嚇または武力の行使」を禁じた国連憲章について、ロス氏が無知であるか、もしくはそれを否認していることを示唆するからだ。
国連憲章のこの規定(第2条4項)は、国際法の碩学らによって現代国際法の「要石」であり「基本原則」であると説かれてきた(以下で論じる)。それはまた、チョムスキー氏が米国の外交政策を長年批判してきた際の中核的な拠りどころでもあった。ロス氏-----同氏は人権擁護団体『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』の代表を長年務めてきた-----は、この点についても、不案内であるように思われる。
この「大失態」なる表現(通常「愚かなもしくは不注意な過失」と定義される)は、これに続いてどんな文章が展開されるかを予想させる。そして、それはまさしく、チョムスキー氏のこの最新作を批評する中で、慢性的な錯誤の泥沼へと落ち込んでいったのである。


[チョムスキー氏と国連憲章第2条4項]

チョムスキー氏は、米国外交をめぐる氏の最初の著作『American Power and the New Mandarins』(1969年刊)(邦訳『アメリカン・パワーと新官僚』(太陽社))において、米国が軍事的または政治的にベトナムに介入した、その政治上・倫理上の権利に関して異議を唱えた。
同書の初めの方に以下の言葉がある(おそらく1968年に書かれたもの)。
「ベトナムの内戦への米国の介入が古典的な植民地戦争に変貌してから3年が経過した。それは米国のリベラル派の政権が選択したことであった。米国の意思をベトナムに押しつけようとした以前の試みと同様に、今回もそれは著名な政治家や知識人、学者らによって支持された。そして、彼らの多くは今や戦争に反対している。なぜなら、米国の強圧が功を奏するとは信じられなくなったからである。そこで、彼らは、今度は現実的な観点から、もっと有望な『立場を採用する』よう呼びかけている」(同書3ページ)
米国の外交政策に現実的・実利的な観点で臨んだ場合に、過失や大失態が-----成功や勝利に加えて-----取り沙汰されるのである。法的、倫理的観点とは話が別なのだ。
2003年のイラク侵攻を「大失態」と表現するロス氏は、チョムスキー氏が米国の外交政策をその著作の中で半世紀近くにわたり批判し続けてきた中で、これらを区別していたことを認識していないように思われる。

チョムスキー氏はまた、この『American Power and the New Mandarins』において、国際法を戦争反対の原則的根拠として持ち出している。
「国際法と国際法に実質を付与すべく設立された組織の非力さ、および、その数々の不当さは認めるにせよ、『対ベトナム政策法律家委員会』の結論には、なお多大な真実が含まれている。すなわち、ベトナムの悲劇が示しているのは、法の支配は、それがはなはだしくおろそかにされた場合、その形成の土台である「おだやかな叡智」を再び呼び起こしてしまうということである。もし国際法が遵守されていたならば、ベトナム、米国の両国民は、国連事務総長ウ・タント氏の言う『史上、傑出して野蛮な戦争』」から免除されていたであろう」(同書241ページ)
イラク侵攻を単なる「大失態」で片づけてしまうことによって、ロス氏は国際法の急所に関しても不案内だという印象を読者にあたえてしまう(以下であらためてふれる)。『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』の代表者であったならば、当然それについて通じていなければならないはずのところである。

上の『対ベトナム政策法律家委員会』はリチャード・フォーク氏(プリンストン大学)を議長とし、メンバーにはリチャード・バーネット氏(政策研究所)、ジョン・H・E・フリード氏(ニューヨーク市立大学)、スタンレー・ホフマン氏(ハーバード大学)、ソウル・メンドロヴィッツ氏(ラトガーズ大学)、ハンス・モーゲンソー氏(シカゴ大学)、バーンズ・ウェストン氏(アイオワ大学)、クインシー・ライト氏(シカゴ大学)、等々を擁する。
この委員会は1967年に『ベトナムと国際法』を上梓した。国際法および国家の武力行使について考察した、一時代を画する名著である。
同書では以下のように論じられている。
「ベトナムに対する米国の軍事介入は国際連合憲章に反する」。「米国は国際連合に対する債務を果たしていない。[すなわち]国連安全保障理事会は、ベトナムにおける米国の軍事行動に暗黙の了解をあたえてはいない」。
「米国は国際連合憲章が指示するような平和的解決を追求していない」。
そして、とりわけ重要な点は、
「ベトナムにおける米国の軍事行動が[国際連合憲章を含む]国際的な条約に反しているからには、それはまた合衆国憲法にも反している」。

チョムスキー氏は、1971年に『イェール・ロー・ジャーナル』誌に寄せた文章において、ベトナム戦争に関する批判を国際法の枠組みの中で展開していた。他の初期の著作においても、氏は国連憲章第2条4項を主柱として米国の外交政策を読み解いている。たとえば、2000年の著作『Rogue States: The Rule of Force in World Affairs』(仮訳: 『ならず者国家: 国際問題における武力の支配』)では、次のように述べている。
「国連憲章およびその後の国連決議と国際司法裁判所の裁定に基づいた、すべての国に法的拘束力を発揮する、国際的な『法と秩序』の枠組みが存在する。要するに[国家の]「武力による威嚇または武力の行使」は禁じられている-----安全保障理事会によって平和的な手段が失敗したと認定され、それが明示的に許諾されない限り。もしくは、安全保障理事会が対処するまでの、「武力攻撃」に対する自己防衛(狭い概念である)でない限り」。
上記の『対ベトナム政策法律家委員会』も同様に次のように述べている。
「国連憲章第2条4項は[国家による武力の行使]を『制限するもの』ではないが、現代国際法の要石となっている」。すなわち、「武力による威嚇または行使は『制限』されてはいないが、原則的に違法と見なされている」。また、当該の国連憲章は「武力行使の権限を安全保障理事会に付与している。すなわち、武力を、個々の国ではなく国際社会の方途としている」。

同委員会はまた、国連憲章のもう一つの規定(第39条)に関して、
「国際法のこの規定における本質的な意味合いは、武力行使に関しては、いかなる国もその一国のみで決定できないということである」と述べている。
さらに、「自衛」の規定(第51条)については、「国連憲章における自衛権は『武力攻撃』がおこなわれた場合にのみ生じる」。そして、「『武力攻撃』という言葉は、国際法において明確な意味を有している。それは、国連憲章中で、許される自衛の範囲を当事国みずからが決定できる裁量の余地をごく狭く制限するべく、慎重に用いられている」と記している。

武力行使にうったえることは、上で短くふれたように、国連憲章にそむいているが、それはまた「ニュルンベルク諸原則」(1950年)における「侵略戦争」に相当する。それは、したがって、「平和に対する罪」でもある。同「原則」では、「平和に対する罪」を「侵略戦争または国際的な条約、協定、誓約等に違反する戦争の計画、準備、開始、遂行」と表現している。
「ニュルンベルク憲章」(1945年)においても、「平和に対する罪」には同様の定義があたえられていた。この憲章は、「欧州枢軸国の主要戦争犯罪人に対する公正かつ迅速な審理と処罰」を念頭に、米国、ソ連、英国、フランスが草案作成に関与した。
この同じ4強国による「ニュルンベルク裁判の判決」(1946年)では、侵略戦争を遂行した複数のナチス高官に有罪を宣告するにあたり、以下のように述べられていた。
「被告が侵略戦争を計画、遂行したとの起訴状記載の罪科は深刻きわまるものである。戦争は本質的に邪悪な行為であり、その影響は好戦的な国々のみにとどまらず、世界全体におよぶ。侵略戦争に着手することは、したがって、国際的な犯罪であるにとどまらない。それは国際的な犯罪の究極形であり、世界全体の悪を集積した形で内包しているという点で他の戦争犯罪と截然と区別される」。

ニュルンベルク裁判の主席検事はロバート・ジャクソン氏で、当時、米最高裁判所の判事を務めていた人物である。
チョムスキー氏は、2006年の著作『Failed States: The Abuse of Power and the Assault on Democracy』(仮訳: 『失敗国家: 権力の濫用と民主制への攻撃』)の中で、ジャクソン判事の「『普遍性の原則』に関する朗々たる言葉」を引用している。それは実質上、チョムスキー氏が米国の外交政策を検証する際に用いた原則でもある。
すなわち、
「もし条約に違反するある行為が犯罪であるとするならば、それをおこなったのが米国であろうとあるいはドイツであろうと、それはやはり犯罪なのです。われわれは、犯罪行為に関して、自分に対して向けられることを好まないような規則を他人に押しつけるつもりはありません。…… われわれが被告を審理する根拠とした行跡は、歴史が明日われわれを審理する根拠となる行跡であることを、われわれは肝に銘じなければなりません。これらの被告人たちに毒杯を手渡すことは、われわれ自身の唇にこの毒杯を押しあてることに他なりません」。


[ロス氏と国際人道法]

ニューヨークに本拠をかまえる『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』(以下、HRWと表記)は、他の国に対するのと同様に、米国が犯した国際人道法の違反、人権侵害などの行為に関しても、事実を明らかにしてきた。その米国に対する使命は以下のように表現されている。
「HRWの『ユナイテッド・ステーツ・プログラム』は、米国政府の権限のおよぶすべての人間の基本的権利と尊厳を守り、促進します。われわれは米国の連邦政府、州政府、地方政府が犯した人権侵害の例を調査し、事実を明らかにします。特に重点を置く分野は3つ、すなわち、刑事司法、移民、国家安全保障です。われわれは社会的弱者に影響をおよぼす問題に優先的に取り組みます。その弱者とは、とりわけ、政治的プロセスまたは裁判によって自らの権利を守ることがむずかしいと見られる人々-----貧者、人種・民族・宗教上の少数派、囚人、移民、児童、など-----です。われわれの調査は、権力の座にある人々に、基本的な権利を尊重し、法や政策を改めるよう強くうながす戦略的な支援運動の土台となるものです」。
たしかにHRWは米国政府およびその職員による権力濫用や不法行為に関して数多くの報告書を発表し、プレス・リリースをおこなってきた。HRWが上の3つの優先的分野のうちの2つ、刑事司法と移民に関して、米国のふるまいに対し「普遍性の原則」を適用してきたと言っても、いかにも当然と考えられるであろう。

ところが、ロス氏は、このチョムスキー氏の著作を批評する際に、HRWの3番目の優先的分野たる米国の安全保障政策に関して、「普遍性の原則」を適用していない。たとえば、イスラエル・パレスチナの紛争にかかわる安全保障政策などに対して。この点が、国連憲章やニュルンベルク諸原則に不案内であるらしいことと同様に、ロス氏の書評の瑕瑾である。
事情をさらに悪化させているのは、この著作に対する氏のささいなあげ足取りであり(以下でふれる)、チョムスキー氏の長年の著作に対する認識不足の様相である。チョムスキー氏のこれまでの著作は、並々ならぬ重みを、「普遍性の原則」と国連憲章の諸規定に置いていた。ロス氏は、対照的に、この書評において、これらの価値をおとしめてしまった。


[イスラエル・パレスチナ問題]

ここで、中東の問題(中でもイスラエル・パレスチナ問題)、および、国際人道法(特にジュネーブ第4条約)について取り上げてみたい(ジュネーブ第4条約はロス氏のなじみの分野に属する)。
チョムスキー氏は、イスラエル・パレスチナ問題に国際人道法を適用することにおいて、ロス氏をはるかに引き離している。
『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌がチョムスキー氏のこの著作の書評をロス氏に依頼した際、著作の少なからぬページがイスラエル・パレスチナ問題にあてられていたので、ロス氏には国際人道法に関する自分の知見を生かす機会があたえられたわけであった。この紛争にかかわる重要な問題を法的にいかにあつかうかに関して、明確な指針を提供できておかしくなかった。ところが、ロス氏はこの問題にほとんど取り組もうとはしないし、取り組んだ場合でも、その流儀は珍妙なものであった。

たとえば、ジュネーブ第4条約の49条は、イスラエルによるパレスチナの占領地域に適用される条文であるが、それにはこうある。
「占領国側は、自国市民を占領地域に送還または移住させてはならない」。
西岸地区への入植に適用され得る、この明確な法の指示は、国連加盟国の間で、イスラエルの入植を禁じ、それを違法とするものとして、広く認められている。これを認めないのはイスラエルと米国その他少数の国々だけである。
それどころか、このイスラエル占領地域に対するジュネーブ第4条約の適用可能性を認めないのは、世界でただイスラエルと米国(クリントン、ブッシュ、オバマのいずれの政権においても)を除いてほかにない(これについては、ハワード・フリール著『Chomsky and Dershowitz: On Endless War and the End of Civil Liberties』(仮訳: 『チョムスキーとダーショウィッツ: 終わりなき戦争、市民的自由の終わり』)の第6章「ジュネーブ第4条約」、107~122ページを参照)。

HRWで長い間、中東・北アフリカ地域の責任者であったサラ・リーチ・ウィットソン氏は、イスラエル入植の法的あつかいについて、以下のように述べていた(ロサンジェルス・タイムズ紙の2009年の論説)。

「パレスチナ占領地域へのイスラエル入植をめぐる議論は、多くの場合、それが「凍結」されるべきかそれとも「自然な展開」にまかされるべきかという枠組みで語られる。しかし、これは、盗っ人に不法に得た物をそのまま持たせ続けるか、それとも、さらに盗みを続けさせるかと問うことに等しい。もっとも本質的な点を閑却している。つまり、国際法においては、占領地区への入植はいかなる形であれ違法であるということだ。そして、解決策は一つしかない。すなわち、イスラエルは、入植地から撤退し、広く認められている1967年当時の境界の内側に入植者を移動させ、入植に由来する損失の補償金をパレスチナの人々に支払うべきなのである」。

「入植の停止・入植地からの撤退は、ジュネーブ条約の規定によって義務づけられている。すなわち、規定は、軍事占領を一時的な状態と見なし、占領政権側が自国民を占領地域に移動させることを禁じている。その意図するところは、占領国側が将来、自国民の存在を「既成事実」化し、占領地域を自国領土として主張するのをあらかじめ封じることにある。この手口は、イスラエルが東エルサレムでおこなってきたことであり、また、西岸地区の多くで今後推進したいと考えているらしき施策である」。

「上の法的原則は、2004年に国際司法裁判所によってあらためて確認された。すなわち、同裁判所は、入植が「ジュネーブ第4条約に対するはなはだしい違反」とする国連安全保障理事会の声明に再度言及した。赤十字国際委員会、および、国際人道法の遵守を推進する団体の圧倒的多数もこの見方を支持している」。

ウィットソン氏は、ここで、ジュネーブ第4条約におけるイスラエル入植の法的あつかいと政治的意味合いを明確に示しつつ、力強く語っている。これと対照的に、ロス氏は、アメリカが後ろ盾となっているイスラエルの西岸地区入植のはなはだしい違法性に国際人道法を適用する機会をめぐまれながら、そうすることをいかなる有用な意味においても拒絶した。そして、それによって、この点および関連する他の点においても、米国が国際人道法を遵守しているという展望をいよいよほころびさせてしまった。

かくして、ロス氏は、国際人道法がHRWの看板分野でさえあるにもかかわらず、イスラエル・パレスチナの入植その他の問題に関しては、身内の主張にふれずに、以下にように、他人の言説を引き合いに出す。
「中東に関して、チョムスキー氏はとりわけイスラエルに対する米国の偽善に注目する。それは西岸地区の入植に関する米国政府の姿勢によく表れている。カーター政権は、この入植が占領国側の市民を占領地域に移動させることを禁じたジュネーブ第4条約に違反している点を、世界の大半の国々と同様に、認めた」。
そして、ロス氏は次のように-----不正確に-----書く。
「米国政府はこの見方を決して拒絶したことはない」、と。
どうやらロス氏はご存知ないらしい。1996年以降、国連総会において、イスラエル占領地域に対するジュネーブ第4条約の適用性を再確認することを主眼とした、簡潔な、単独の決議が複数回なされていることを。
それぞれの決議において、米国は-----クリントン、ブッシュ、オバマ各政権の下で-----、ほぼ完全な国際的合意にさからって、当該条約の適用を拒否した。また、同様に、1996年以来、米国は、ジュネーブ第4条約に基づきイスラエル入植が違法であることを確認する国連総会決議に反対している。
(上掲のハワード・フリール著『チョムスキーとダーショウィッツ: 終わりなき戦争、市民的自由の終わり』の110~112ページを参照)


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(取りあえず、ここまで。次の見出し以降の訳文は来月上旬にかかげます)