気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

アサンジ氏逮捕で再確認するメディアの歪曲報道と印象操作

2019年04月18日 | メディア、ジャーナリズム

もう一つのブログの方を更新するばかりで、こちらのサイトにはご無沙汰しております。

しかし、今回のアサンジ氏逮捕の報を知り、急遽予定を変更して、ウィキリークス関連の文章に目を通し、ジョナサン・クック氏の簡潔ですぐれたコラムを見つけました。
大手メディアの御用機関ぶりがよくまとめられていると思います。


原題は
Media Rendition
(メディアの演出)
(この原題の含みについては、末尾の「その他の訳注・補足など」を参照)

書き手は Jonathan Cook(ジョナサン・クック)氏。

原文のサイトはこちら↓
https://zcomm.org/znetarticle/media-rendition/

(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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Media Rendition
メディアの演出

By Jonathan Cook
ジョナサン・クック

2019年4月12日


ジュリアン・アサンジ氏がロンドンのエクアドル大使館に亡命を求めて身を寄せてから7年の間、われわれはメディアからこう言われ続けてきた。「君たちはまちがっている」、「君たちは偏執的な陰謀論者だ」と。あるいはまた、アサンジ氏がアメリカに送還される恐れなどまったくない、そんな恐れは君たちの度を越した想像力のたまものだ、と。

7年の間、われわれはジャーナリストや政治家やいわゆる「専門家」たちの唱和につき合わされてきた。アサンジ氏は「公正な裁きからの逃亡者」にすぎない、英国とスウェーデンの司法体制は信頼に値し、アサンジ氏の案件を法に厳格にのっとって処理するはずだ……等々。
この7年の間、いわゆる「主流派」メディアで、同氏を擁護する声はまったくと言っていいほど聞かれなかった。

亡命を求めた瞬間からアサンジ氏は無法者として描写されてきた。
歴史上初めて「ディープ・ステート」(訳注1)の最深奥部に置かれた堅牢きわまる保管庫の、そのまた奥暗い一隅を一般の人々にかいま見させたデジタル・プラットフォームである『ウィキリークス』、その『ウィキリークス』の創設者としての氏の業績は記録から削除された。

(訳注1: 『週刊ダイヤモンド』誌では、「日本語では『影の政府』、『闇の政府』などと呼ばれ、選挙によって正当に選ばれた政府とは別の次元で動く『国家の中の国家(state within a state)』のこと」、また、ウェブ・メディアの『JBpress』では、「国家の内部に潜んでいる国家に従わない官僚」、「時の大統領や首相に反旗を翻す官僚軍団」などと表現されています)

アサンジ氏はわれわれの時代の少数の傑出した人物の一人、将来の歴史書において中核的位置を占めるであろう人物(もっとも、われわれがこのような歴史書を書けるほど生物種として生き長らえられればの話であるが)の一人というステータスから、単なる「セクハラ人間」、むさ苦しい「保釈中の逃亡者」へとおとしめられた。

政界とメディア界の人間たちは、スウェーデンで捜査が進行中のアサンジ氏の性犯罪容疑について、「半端な真実」の物語をつむいだ。
彼らは、アサンジ氏のスウェーデン離脱はそもそも最初の検察官が許可したものだという事実を素通りした。当該の検察官は、結局、起訴を取り下げた。ところが、政治的思わく(これには十分な裏付けがある)を有する別の検察官によってまたぞろ追及が始まったのである。

彼らはまた、アサンジ氏がロンドンでスウェーデン検事の取り調べを受けることにつねに前向きであった事実にもふれようとしない。この手法は、スウェーデンへの送還手続きがからむ他の案件で何度か用いられていた。
ロンドンでの取り調べが拒絶されたことは、スウェーデン当局が自分たちが握っていると称する証拠の当否を確かめたくないかのようである。

メディア界や政界の太鼓持ちたちは、あくことなくアサンジ氏の英国での保釈法違反について言挙げする。
ところが、彼らは、法的・政治的迫害を逃れようとする亡命希望者はそもそもその迫害する側の国家当局が課す保釈条件には通例したがわないという事実をかえりみない。

彼らが同様に無視したのは、アサンジ氏に対する告発を検討しているのが米国バージニア州の非公開の大陪審であることを示す数々の証拠である。
そして、スウェーデンの件は、アサンジ氏を米国に移送し厳重な牢獄に閉じ込めておくための、米国のより邪悪な企ての口実ではないかというウィキリークス側の懸念を一笑に付した。この牢獄への封じ込めは、まさに内部告発者のチェルシー・マニング氏の身に起こったことだった。

彼らはさらに、国連の法律専門家たちによる2016年の裁決を大きく取り上げようとはしなかった。裁決では、英国はアサンジ氏を「恣意的に拘束している」と判断されたのであるが(訳注2)。
メディアがより多く関心を示したのはアサンジ氏の飼い猫の近況であった。

(訳注2: この裁決については、本ブログの
「国連機関がアサンジ氏の幽閉状態を違法と認定」
https://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/9fe066569c1677fc548c5804c6f3c931
を参照)

無視された事実はまだある。エクアドルで大統領が交代し、米国政府の好意を得たがっている大統領が就任して以降、アサンジ氏がますます厳しい独房監禁状態に置かれたことである。
訪問者との面会や基本的な通信手段が封じられた。これは、同氏の亡命者としての資格と基本的人権の双方に反するとともに、同氏の精神面と物理面の福利をおびやかすものである。

同様に、アサンジ氏がエクアドルの市民権だけでなく「外交上の地位」も付与されていた事実も言及されなかった。同氏が自身の外交特権を行使し、エクアドル大使館を離れ、同国になんら支障なくおもむくことを英国政府は認めるよう義務付けられていた。この点を重大と見なす「主流派」ジャーナリストや政治家も一人としていなかった。

見て見ぬふりをされた事実は、そのほかにもたとえばスウェーデン当局がアサンジ氏の英国での取り調べを拒絶したまま、2015年にひっそりと不起訴を決めたことがある。スウェーデンはこの決定を3年以上も公表しなかった。

スウェーデン当局が起訴の取り下げをすでに2013年の時点で望んでいたことを示す文書が明らかになったが、それは、報道機関ではなくアサンジ氏の支持者による情報公開請求のおかげであった。
英国政府は、しかし、アサンジ氏を幽閉状態に据え置くために、スウェーデン当局に猿芝居を続けるよう強く求めた。英国当局のある職員はスウェーデン側にこう電子メールを送っている。「絶対にひるむな!!!」と。

上のやり取りに関連する他の文書の大部分はもはや明らかにならない。英国検察庁が規則に反してそれらを破棄してしまったからだ。むろん、政界とメディア界のお偉方はこんなことなどどこ吹く風である。

彼らは、アサンジ氏がスウェーデンの案件が取り下げられたにもかかわらず、何年も大使館にこもること-----自宅軟禁に等しいもっとも過酷な状態で-----を強いられているという事実にもやはり頓着しない。
彼らはおごそかにのたまう、どこまでもまじめな顔つきで。アサンジ氏の逮捕やむなきに至ったのは保釈法に違反したからだ、と。通常、それは罰金で処理される類いの罪なのであるが。

そしておそらくもっとも言語道断なことは、メディアの大半が、アサンジ氏をジャーナリスト、情報の公開・普及者に相当すると認めないことである。
彼らは、しかしながら、それを認めないことによって、万一、自分たち自身かあるいはその公開情報等が将来、弾圧・抑圧の対象に選ばれた時、アサンジ氏と同様の過酷な制裁措置を適用される可能性にみずからをさらすことになった。米国当局が外国のジャーナリストを、世界のどこにいようと捕らえ、牢獄に幽閉する権利を彼らはうべなったのである。ジャーナリストの「身柄の拘束・移送」に関する新しい、特異なやり方への道を彼らは拓いたのだ。

問題の核心は決してスウェーデンでの事件や保釈法違反ではない。今では信憑性をうしなったいわゆる「ロシア疑惑」の話ですらない。それはいくらかでも関心を払ってきた人であれば容易にわかったことであろう。
つき詰めれば、米国の「ディープ・ステート」がウィキリークスをつぶすため、その創設者のアサンジ氏を見せしめにするためにあらゆる手を使うということなのだ。

あるいはまた、それは、「米軍攻撃ヘリ民間人殺害ビデオ」の漏洩・暴露のような事態が二度と起こらないようにすることだった。2007年にウィキリークスが公開した米軍の映像記録で、米軍兵士が嬉々として複数のイラク民間人を機銃掃射する様子が映っている例のビデオである。
さらにまた、米国の外交公電の大量漏洩などを今後絶対に許さないことだった。たとえば2010年にウィキリークスによって公開された類いのもので、これにより、人権侵害の代価がいかに高くつこうと帝国アメリカが世界に君臨しようとする、そのための秘密の計略が浮き彫りになったのだ。

今や体裁は消滅した。英国警察はエクアドルの管轄領域に突入した。エクアドル政府がアサンジ氏の亡命資格を破棄し、彼らに連絡したのである。アサンジ氏は拘置所に急送された。2つの属国が帝国アメリカの仰せにしたがい、手をたずさえて事におよんだ。逮捕のねらいはスウェーデンの2人の女性の名誉救済ではないし、ちっぽけな保釈法違反をとがめることでもない。

とんでもない。英国当局は米国の引渡し令状に沿って動いていた。
また、米国側がでっち上げた犯罪容疑はウィキリークスのごく初期の実績-----イラクにおける米軍の戦争犯罪を白日の下にさらしたこと-----にかかわっている。しかし、それは、公共の利益に資すると広く見なされたことであるし、英米双方のメディアが(ウィキリークスからの提供を受けて)自分たち自身が暴露したと誇っていた行為だった。

にもかかわらず、メディア界と政界の人間たちは依然として目をつむっている。
いったいどこにわれわれがここ7年間も供されてきた嘘に対する憤りが見られるだろうか。いったいどこにこれほど長い間欺かれ続けてきたことに対する悔悟の念が見つかるだろうか。いったいどこにもっとも基本的な報道の自由-----すなわち、情報を公開・流布する権利-----がアサンジ氏を黙らせるために踏みにじられたことに対する怒りがあるだろうか。アサンジ氏を擁護するために決然と立ち上がる姿勢はいったいどこに見出せるだろうか。

それはメディア界や政界には見当たらない。BBCや『ガーディアン』紙、あるいはCNNで義憤の声が上がることはまずあるまい。ただただアサンジ氏の運命について物見高い、すました、やや嘲りを含みさえする報道が見られるだけであろう。

そして、それもこれも、これらのジャーナリストや政治家、専門家たちがおのれの言っていることを何一つ本気で信じていないからである。アメリカがアサンジ氏の口を封じ、ウィキリークスをつぶしたがっていることを彼らは当初からずっと承知していた。はなから承知していて気にかけなかった。それどころか、今回のアサンジ氏拉致への道筋を整えることによろこんで手を貸したのである。

彼らがそうしたのは、彼らの眼目が真実を示すこと、一般市民の側に立って行動すること、報道の自由を守ること、あるいは法による秩序を強く求めることでさえないからである。こんなことには彼らはいっこうに頓着しない。
自分の経歴に傷をつけないこと、自分の稼ぎと影響力を増やしてくれる体制を守ること、これが彼らの営為である。彼らは、アサンジ氏のようななまいきな新参者に自分たちの営々と築いた秩序をひっくり返されるのがいやなのだ。

さて、彼らは今後、またもやアサンジ氏に関する嘘や注意をそらすための些末事をあれこれあらたに繰り出してくるであろう。
それはわれわれの意識を麻痺させるため、権利が徐々に削り取られるなりゆきへのわれわれの怒りを燃え立たせないため、また、アサンジ氏の権利とわれわれ自身のそれが不可分であることをわれわれに悟らせないためである。
われわれは共に立つか共に倒れるかしかない。


(ジョナサン・クック氏は「マーサ・ゲルホーン・ジャーナリズム特別賞」の受賞経験を有するジャーナリスト。著書には、『イスラエルと「文明の衝突」: イラク、イラン、中東再編計画』(プルートー・プレス社)、『消えつつあるパレスチナ: 人間の絶望に関するイスラエルの実験』(ゼド・ブックス社)などがある。
氏自身のウェブサイトは
www.jonathan-cook.net.


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[その他の訳注・補足など]

原題の Media Rendition について。

取りあえず、表面的・第一義的な意味は「メディアの演出」ぐらいで、要するに「メディアがどのようにアサンジ氏逮捕を報道しているか」ということでしょう。
しかし、この rendition には明らかにもう一つの意味が込められています。

オンライン辞書の「英辞郎」を引用すると、

rendition 【名】
・演奏、翻訳、演出、公演
・〔州・国をまたがる逃亡者などの〕引き渡し
〔通常の法的手続きによらずに行われる容疑者などの〕他国への移送[引き渡し]
◆特に2001年以降急増したとされる、CIAによるテロ関係容疑者の他国への移送。移送先の国に委ねる形で、米国内では許されない非人道的な取り調べが行われたのではないかと問題視された。広義では、移送のための身柄の拘束・移送後の拷問を含めて言う。

と出ています。

つまり、Media Rendition は、この定義の2番目の意味で解釈すれば、「メディアによる(アサンジ氏の)(米国政府への)引き渡し」ということになります。

そして、ここで「英辞郎」が実に適切に言及しているように、この場合の rendition には「(移送後の)拷問」の含みがあります。
とすると、この原題は
「メディアによる(アサンジ氏に対する)拷問」というニュアンスが生じます。
本文でもふれられている、チェルシー・マニング氏の運命を読者に想起させるタイトルと言っていいでしょう。


今回は拙速の訳出なので、誤訳その他の不備があるかもしれませんが(ご指摘はコメント欄にどうぞ)、なにとぞご寛容のほどを。

ひょっとすると「その他の訳注・補足など」の項目を、また後日、追加することになるかもしれません。