気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

チョムスキー氏語る・3-----金持ちや権力者にとっては上首尾です

2014年02月28日 | 国際政治

諸事情により多忙で、遅くなりました。

このブログではこれで3回目となる、現代を代表する知識人ノーム・チョムスキー氏の語りです。

内容はネオリベラリズム(新自由主義)批判が中心ですが、そのほかにパレスチナの将来展望、エリート知識人批判、自身がテーマである近作のアニメ・ドキュメンタリーについての感想、等々が述べられています。

タイトルは
Chomsky: It Is All Working Quite Well for the Rich, Powerful
(チョムスキー: 金持ちや権力者にとっては実にうまく機能しています)

なお、簡単な訳注は訳文中にはさみ込みましたが、長くなるものは末尾にまとめました。とりあえず最後まで目を通してくださるようお願いいたします。


原文はこちら
http://www.truth-out.org/news/item/20467-noam-chomsky-interview
(原文の掲載期日は昨年の12月8日です)


-----------------------------------------------------------------


Chomsky: It Is All Working Quite Well for the Rich, Powerful
金持ちや権力者にとっては実にうまく機能しています


2013年12月8日(日)

By CJ Polychroniou and Anastasia Giamali, Truthout | Interview


本インタビューは、12月8日(日曜)にギリシアの SYRIZA(急進左派連合)を支持する『アヴギ』紙に掲載されたインタビューを基にし、それに多少の修正と削除をほどこしたものである。


C・J・Polychroniou、Anastasia Giamali
ネオリベラリズム(新自由主義)の考え方によりますと、問題なのは政府自身であり、社会は存在せず、個人は自らの運命に責任を持つべしということになっています。ところが、大企業や金持ち連はかつてないほど国家の介入に頼っていて、経済に関する自分たちの支配力を維持し、そのパイの分け前を以前より増やしています。ネオリベラリズム(新自由主義)は神話、空理空論にすぎないのでしょうか。

ノーム・チョムスキー
ネオリベラルという言葉はいささか誤解をまねくものです。この考え方はネオ(新)でもありませんし、リベラル(自由)でもありません。あなたのおっしゃる通り、大企業や金持ち連は、経済学者のディーン・ベイカー氏の言う「保守的な乳母の国」に大いに頼るとともに、それを育んでもいます。これはとりわけ金融機関に当てはまります。最近のIMFの研究によりますと、大銀行の収益のほとんどすべては、政府の暗黙の保証-----いわゆる「大きすぎてつぶせない」というやつですね-----のおかげなのです。よく話題になる救済措置のためばかりではなく、国家の後ろ盾などによる低い金利、高い社会的信用のおかげです。生産的な経済についても同様です。現在経済の牽引役をはたしているIT革命は、やはり国が拠出する研究・開発資金や政府機関の買い入れなどの枠組みにかなりの程度依存しています。この流儀は英国の産業近代化の初期にまでさかのぼることができます。

けれども、「ネオリベラリズム(新自由主義)」にしろ、その前の段階の「リベラリズム」にしろ、いずれにせよ、それは神話や空理空論というわけではありませんでした-----その犠牲者にとっては。まったくそれどころの話ではなかった。経済史学者のポール・ベロック氏を初めとする大勢の人々が示してくれたことですが、19世紀に発展途上国に押しつけられた「リベラリズム」経済は、それらの国々の産業化を遅らせる大きな要因となったのです。実際のところ、それは「産業の空洞化」をまねきました。このような事情は現在に至るまでさまざまな装いの下に進行しています。

要するに、これらの経済思潮は、金持ちや権力者にとってはかなりの程度「神話」、「空理空論」に等しくなっています。彼らは市場原理から自分たちを守るさまざまなやり口を案出しています。しかし、貧しい人々、弱者にとっては、これらの経済は厳しい現実でした。その威力のおかげでズタズタにされました。


現在は、あの大恐慌以来、資本主義のもっとも破滅的な危機を経たわけですが、どうしてまた市場中心主義や「略奪的金融」がこれほど幅をきかせているのでしょうか。

基本的にはありふれた説明になります。つまり、金持ちや権力者たちにとってはきわめてうまく機能しているからです。アメリカを見てごらんなさい。何千万人もの人々が職をうしなっています。何百万人もの人々が絶望して職を求めることをあきらめています。暮らしぶりも収入額も大方は停滞しているか低下しています。ところが、大銀行は、今般の金融危機に責任があるにもかかわらず、以前よりも強大になり豊かになっています。企業の収益は記録やぶりの好調さです。「どんな強欲な人間の夢想をも超えた」富が、高名な人々のふところに積み上がっています(下の訳注を参照)。一方で、労働者は、「組合つぶし」や「雇用の不確実性の増大」によって立場がひどく弱められました。「雇用の不確実性の増大」という言葉は、当時FRB議長のアラン・グリーンスパン氏が自らの差配した好調な経済を説明する際に使ったものです。グリーンスパン氏はあの当時は「聖アラン」と呼ばれていました。そしておそらくはアダム・スミス以来のもっとも偉大なエコノミストでしょう(もっとも、あれから同氏の主導した体制は、理論的土台ともども、崩壊してしまいましたが)。
そういうわけで、何をブツブツ不平をとなえる理由があるのか。こういう具合です。

(訳注: 「どんな強欲な人間の夢想をも超えた」は英国の文人サミュエル・ジョンスンの発言に由来する表現)

金融資本の隆盛は、産業界の収益率の低下、そして、生産の現場をよその地域に広く求めることができる機会の増大などと関係があります。よその地域とは、労働の搾取がより容易で、資本に関する規制がもっともゆるいところです。一方、収益はもっとも低い[税]率を設定している国に計上されます。いわゆる「グローバリゼーション」というやつですね。こうしたやり口はテクノロジーの進歩によっておおいに助けられ、「制御不能な金融セクター」の成長に手を貸しました。そして、その「制御不能な金融セクター」は、「近代の市場経済[つまり、生産的な経済]を内側からむしばんでいます。ちょうどベッコウ蜂の幼虫が、卵として植えつけられた宿主の身体を内側から食いやぶるように」。この目の覚めるような表現は、英『フィナンシャル・タイムズ』紙に載った、マーティン・ウォルフ氏のものです。同氏はおそらく英語圏でもっとも信頼を寄せられている経済コラムニストです。

いずれにせよ、先ほども言いましたように、「市場中心主義」は多くの人々にとって厳しい規律を課すものとなりました。一方で、少数の大立て者たちは実質的にその影響をまぬがれています。


「国籍に縛られないエリートの台頭」、「国民国家の終焉」などをめぐり議論がかまびすしい昨今ですが、これらの話題についてはどうお考えでしょうか。これらの論を持ち出す人々によると、この「新世界秩序」なるものはすでに現実であるとのことですが。

そういう見方には一理あります。ですが、過大な見積もりは避けるべきでしょう。多国籍企業は依然として自分を守るのに故国をあてにしています-----経済的にも、軍事的にも。技術革新の上でも相当の程度頼っています。国際的な組織も大方は少数の強国によって仕切られています。全体的に見て、国民国家に基づく世界の秩序はかなり安定したものです。


ヨーロッパはますます「社会契約」の廃棄に向けて歩を進めています(下の訳注を参照)。これは、あなたにとって予想外の展開だったでしょうか。

(訳注: 原文が social contract なので、その通り訳しましたが、この文脈でよく用いられる表現は「福祉国家モデル」、「福祉国家」でしょう。その具体的な中身は「雇用の確保」、「福祉制度や社会保障制度の充実」などです。以下の文章の「社会契約」は「福祉国家モデル」または「雇用の確保と福祉・社会保障制度」に置き換えると理解が容易です)

欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギ氏は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙でのインタビューで、こう述べています。「欧州の伝統的な社会契約」-----それはたぶん欧州が現代文明に大きく寄与したもののひとつですが-----は「時代遅れになった」、であるから、撤回しなければならぬ、と。ドラギ氏は、そのなごりを維持しようと精一杯努めてきた国際官僚のひとりであるにもかかわらず、です。企業側は「社会契約」を常にきらってきました。「共産主義」の崩壊によってあらたな労働力が見込めるとなった際の経済紙の喜びようを思い出してください。教育や訓練を受け、健康で、しかも金髪碧眼でさえある労働者たちです。西側の労働者の「ぜいたくなライフ・スタイル」をおさえ込むために利用できる労働者たちです。この「社会契約」の廃棄は、必然的な力が作用した結果というわけではありません-----経済的な力であれそれ以外の力であれ。そうではなくて、政策意図の結果です。政策策定者の利に基づいたものです。その策定者はおそらくおおむね銀行家やCEOの面々であって、彼らのオフィスの床をきれいにする用務員ではありません。


今日、先進的な資本主義圏で多くの国々が直面しているきわめて大きな問題のひとつは、政府、個人を問わず、債務の重荷の問題です。とりわけユーロ圏の周縁諸国では、この問題が社会に破滅的な影響をもたらしています。あなたが過去に特に強調して言われたように、「代価を払うのは常に国民」だからです。今の運動家のために説明していただけませんでしょうか、債務がどのような意味で「社会やイデオロギーに由来する産物」であるかについて。

それにはたくさんの理由があります。そのうちのひとつは、IMFの米人理事であるカレン・リサカーズ氏の言葉にうまく言い表されています。同氏はIMFを「債権者集団の用心棒」と表現しました。普通の資本主義経済では、もしあなたが私にお金を貸し、私が返せないとなったら、それはあなたの問題です。私の隣人に対してその債務の返済を求めることはできません。ところが、金持ち連や権力者たちは市場の規律から自分の身を守っており、事態はこんな具合には展開しません。大銀行がリスクをかかえた相手にお金を融通します。リスクがあるので当然金利は高く、収益も高く見込めます。けれども、ある時点で返済がむずかしくなる。そこで、「債権者集団の用心棒」の登場となるわけです。彼らが返済を確実にしてくれます-----「構造調整計画」や緊縮財政その他の手段で責任を一般国民に転嫁することによって。一方、金持ちの側がこのような債務の返済をきらう場合は、それを「不当な債務」と宣言することができます。不当であるがゆえに無効である、アンフェアなやり方で弱い立場の者に課されたのだと主張されます。このような意味では大概の債務は「不当」でしょうに。しかし、かかる資本主義の苛烈さからまぬがれるべく強力な機関に訴えることのできる人間はわずかしかいません」

そのほかにもいろいろな仕掛けがあります。JP・モルガン・チェースはつい最近130億ドル(訳注: 約1兆2700億円)の罰金を科せられました(その半分ほどは損金あつかいにできますが)。これは、詐欺的な担保融資制度を用いた、犯罪行為と見なされるべきふるまいの結果です。この制度を利用した場合、犠牲者は通常、絶望的に重い債務のために苦しむことになります。

政府による不良資産救済プログラムの特別監察官ニール・バロフスキー氏は指摘しています。このプログラムは公的、法律的な「取り引き」である、と。実行犯たる銀行は救済措置を提供される。犠牲者-----すなわち自分の家をうしなった人々-----にも、ある程度の限定的な保護措置や支援措置が差し出される。しかし、バロフスキー氏が述べているように、真剣に取り組まれたのはこの取り引きの前半の部分だけにすぎません。このプログラムは「ウォール街の幹部連への大盤ぶるまい」と化しました。もっとも、「現行のありのままの資本主義」を理解している人間にとってはちっとも驚くべきことではないでしょう。

こうした例は枚挙にいとまがありません。


危機が進行する中で、ギリシャの人々は世界中で、デモだけがお気に入りの、なまけ者で、税金を払おうとしない堕落した国民として描かれてきました。こういった見方が広く定着しています。一般人の意見を左右するためにどのようなからくりが用いられているのでしょうか。これにはどういった対応が可能でしょうか。

こうした見方は、富と権力をそなえている人間が一般大衆の意見を主導するために差し出すものです。その歪曲と欺瞞に立ち向かうには彼らの力を弱めること、一般市民の力を結集する組織を構築することによるほかありません。それはどんな弾圧や支配の場合でも同様です。


目下ギリシャで進行中の事態についてどうお考えですか。とりわけ、いわゆる「トロイカ」(訳注: 欧州連合(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)の3機関で構成する国際支援体制)が執拗に要求している施策、また、ドイツが緊縮政策という大義を強硬に推し進めていることについて。

債務危機の克服という名目でドイツはギリシャにさまざまな要求をしていますが、その究極的なねらいは、ギリシャの所有する価値あるものはいかなるものであれそれを差し押さえることであるらしく思われます。ギリシャの人々を実質上、経済的奴隷の境遇に置くことをドイツの一部の人間は熱心に追求している、そういう風に見えますね。


ギリシャの次回の政権は急進左派を加えた連立政権になりそうな雲行きです。この政権はEUや同国の債権者たちにどのような対応をすべきでしょうか。また、左派の政権は、資本家階級のうちでもっとも生産性の高い部門(訳注: おそらく金融部門の意)に対して安心感をあたえるような姿勢を示すべきでしょうか。それとも、伝統的な労働者主義や人民主義の中核的概念を従来通り採用すべきでしょうか。

現実的に非常にむずかしい問題ですね。自分が望む事態の概略を披露するのはたやすいことですが、厳しい現実を考慮すると、今後の展開はいかなるものであれリスクと犠牲をともないます。それらを正確に計量できる能力がたとえ自分にあったとしても-----いや、それは自分にはありませんが-----厳格な分析と論拠なしでなんらかの施策を推奨するなどというのは無責任なふるまいと言えるでしょう。


資本主義の破壊への志向は疑う余地がありません。ですが、あなたの最近の文章では、環境をめぐる破壊に一層の注意が向けられています。人類の文明が危機に瀕していると実際にお考えですか。

人間のまともな暮らしの存続が脅かされていると思います。最初の犠牲者は、例によって、もっとも弱い人間、もっとも脆弱な立場の人々です。このことは、ちょうどワルシャワで閉会したばかりの国連気候変動会議でもはっきりと認識されていました。しかし、会議は事態の改善に大した役割ははたせませんでした。今後もまず間違いなくこういう具合でしょう。将来、歴史家は-----将来が人類にあるとしたらの話ですが-----今の状況を驚きの目でながめることになるでしょう。起こり得る破滅を回避しようと先頭に立っているのはいわゆる「原始的な社会」で暮らす人々なのです。カナダの「ファースト・ネーション」と呼ばれる人々、南米の先住民に属する人々、等々、世界の各所に散らばっています。目下、ギリシャでも環境回復や環境保護をめざす闘争が繰り広げられています。ハルキディキ県 Skouries に住む人々が果敢な抵抗を示しています。エルドラド・ゴールド社の貪欲な利益追求に対して、そしてまた、この多国籍企業を支援するギリシャ政府によって派遣された警官隊に対して。

一方、断崖から奈落に落ちる競争の先頭をわき目もふらず走っているのはずば抜けて豊かで強大な国、突出した優位性をほこっている国、-----たとえば、アメリカやカナダなどです。これらの国は、理性が予測するであろうことの正反対をいっている国です。その理性が、「現行のありのままの資本主義制民主主義」が要求する、狂気的な理性であれば話は別ですが。


米国は依然世界に大きな影響力を有する帝国であり、あなたのご説明によりますと「マフィアの掟」にしたがって動いています。「マフィアの掟」とは、つまり、ゴッドファーザー(ボス)は「反抗の成就」を許さないということです。はたしてアメリカ帝国は衰退しているのでしょうか。また、もしそうだとすると、それは世界の平和と安全にとってより深刻な脅威を意味するでしょうか。

米国の覇権が前代未聞の頂点に達したのは1945年でした。以来、着実にその力は下降線をたどっています。とはいえ、依然、強大な力を維持しており、多極化しつつある現代においても、肩を並べられる国はやはり見当たりません。ただし、昔ながらの「マフィアの掟」はあいかわらず唱えられますが、これを遵守させる力は制約を受けています。世界の平和と安寧に対する米国の脅威は虚構でも何でもありません。ひとつだけ例を挙げると、オバマ大統領の進める無人航空機による攻撃です。これは、当代のずば抜けて大規模で、破壊的なテロ作戦です。アメリカとその従属国家イスラエルは国際法を踏みにじっており、しかもそれでいながら何のおとがめもありません。たとえば、イランに対する武力攻撃の脅しです(「すべての選択肢を考慮する」と米国政府は宣言しました)。これは国連憲章の基本条項にそむくものです。また、米国の最近の『核戦略見直し報告書』(2010年)では、以前のものより攻撃的な口吻が増しています。この危険な兆候は無視されてはなりません。力の一極集中は概して危険を引き寄せます。経済に限った話ではありません。


イスラエルとパレスチナの紛争については、あなたはこれまでずっと「一国家・二国家論争」には大して意味がないとおっしゃってきました。

その通りです。なぜなら、一国家という選択肢はそもそもの初めから選択肢になっていないからです。大して意味がないどころじゃありません。現実から目をそむけることに等しい。

実際の選択肢は2国家共存か、さもなければ、イスラエルが米国の支援を得て現在おこなっていることの継続のいずれかしかありません。後者は、すなわち、ガザ地区をヨルダン川西岸地区から分断し、強圧的な包囲の下に置き続けること、そして、西岸地区で価値があると見なせるものを着々と分捕りつつ、そのイスラエルへの統合を進展させること、パレスチナ住民の少ない土地に入植するとともに彼らを静かに追い出すこと、等々です。これらのもくろみは、彼らの開発計画やパレスチナ人追放計画から鮮明に浮かび上がってきます。

後者の選択肢が存在するからには、イスラエルや米国が一国家構想に同意するなどとは考えられません。また、それにはイスラエルと米国以外の国際的な支持も得られていません。目下進展している現実の状況がしっかりと認識されない限り、一国家についてあれこれ論じる-----公民権闘争や人種隔離政策反対運動、「人口問題」、等々-----のは単なる気散じにすぎず、それは暗黙の内に後者の選択肢を支持することになります。これが現状から導かれる必然的な道筋です-----それを望むかどうかは別として。


あなたは以前こうおっしゃいました、自分をイライラさせるのは大抵の場合エリート知識人だ、と。これは、あなたが政治と倫理を区別なくあつかうことに由来するのではありませんか。

エリート知識人は、その定義から言って、かなりの特権を有しています。それはさまざまな選択肢を提供するとともに、責任をも付与します。特権に恵まれた人間は情報を入手しやすい立場にあり、また、政策決定に影響をおよぼす行動が採れる立場の存在でもあります。当然、彼らがはたした役割を評価する作業がともなわなければなりません。

人々は基本的な道徳上の責任をはたしながら生きるべきだ、確かに私はそう考えています。こういう考えについて釈明する必要があるとは思いません。そして、より自由でオープンな社会で暮らす人間の責任は、率直、誠実な言動に犠牲をともなうおそれのある社会に生きる人間よりも大きい。これについても説明の要はないでしょう。仮にソビエト時代のロシアの人民委員が国家権力の前にひれ伏したとしても、少なくとも彼らは恐怖を理由に情状酌量を求めることができます。より自由でオープンな社会に暮らす人間が同様なふるまいをした場合、彼らが口にできる理由は怯懦しかありません。


ミシェル・ゴンドリー監督によるアニメ・ドキュメンタリー『背が高い男は幸せか?』がニューヨークその他の主要都市で封切られました。すでにそれ以前からかなりの評判でしたが。ご自分でご覧になられましたか。出来はいかがだったでしょうか。

拝見しましたよ。ゴンドリー氏は本当にすばらしい芸術家です。映画の出来は巧妙、繊細で、重要な観念をきわめて簡潔明瞭にとらえています(専門家の間でも理解されないことがめずらしくないのですが)。しかも、個人的な感触をそなえています。それは非常に細やかで示唆に富むと私には感じられました。


-----------------------------------------------------------------


[その他の訳注と補足など]


■経済の専門家ではないし、パレスチナ紛争などについても詳しくは知らないので、誤訳や不適切な訳についての指摘を歓迎します。


■このブログの以前のチョムスキー氏の回もぜひご一読を。

・チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/a554e4c629f391e59807ee8286fed27f

・チョムスキー氏語る-----思い出、国境、人類の共有財産
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/f864b77fb9c6f848477645fec54edc82


■ミシェル・ゴンドリー監督によるアニメ・ドキュメンタリー『背が高い男は幸せか?』
については以下のサイトなどが参考になります。

M.ゴンドリー新作はチョムスキーのドキュメント
http://www.webdice.jp/topics/detail/4010/


■訳文中の「構造調整計画」や「ファースト・ネーション」などは、ネットで検索すれば容易に概要がつかめるので、これらについては訳注を省略しました。
情報が多すぎて適当なサイトが見つけにくいものなどは以下で紹介しています。


--------------------------------------------------

■もう少し深く掘り下げたい方のために参考サイトを掲げておきます。

・訳文中の

「経済史学者のポール・ベロック氏を初めとする大勢の人々が示してくれたことですが、19世紀に発展途上国に押しつけられた『リベラリズム』経済は、それらの国々の産業化を遅らせる大きな要因となったのです」

における、ポール・ベロック氏、および、自由貿易に関する疑問については、ウィキペディアの「保護貿易」の文章が参考になります。↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E8%B2%BF%E6%98%93


・訳文中の
「現行のありのままの資本主義制民主主義」
(原文は really existing capitalist democracy)
については、下記のサイトでもふれられています。

ノーム・チョムスキー - 芳ちゃんのブログ - Blogger
http://yocchan31.blogspot.jp/2013/11/blog-post_6078.html


・訳文中の

「アメリカとその従属国家イスラエルは国際法を踏みにじっており、しかもそれでいながら何のおとがめもありません。たとえば、イランに対する武力攻撃の脅しです(『すべての選択肢を考慮する』と米国政府は宣言しました)。これは国連憲章の基本条項にそむくものです」

については、以下のサイトが参考になります。

法律および人権グループ、アメリカの対イラン軍事行動は違法とする公開書簡を発表
http://homepage3.nifty.com/jalisa/opinion/backnumber/op20070201.html


・イスラエル・パレスチナの
「一国家・二国家論争」
については、たとえば、以下のサイトなど↓

国際ワークショップ「オスロ合意再考―パレスチナとイスラエルに与えた影響と代理案―」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/meeting/2013/20131013/index.htm


・訳文中の

「ガザ地区をヨルダン川西岸地区から分断し、強圧的な包囲の下に置き続けること、そして、西岸地区で価値があると見なせるものを着々と分捕りつつ、そのイスラエルへの統合を進展させること、パレスチナ住民の少ない土地に入植するとともに彼らを静かに追い出すこと、等々です」

については、

日刊ベリタ : 記事 : 米国、西岸のヨルダン合体とガザ分離を構想か
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200510221206306


また、
「パレスチナ人追放計画」
については、

エルサレムから17万のパレスチナ人を追放する計画を発表 - 日刊ベリタ
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200406102122244


・その他、パレスチナ関連で特に参考になると思われるサイトはこちら↓

パレスチナ問題の中のイスラム
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/60/nag/main.html

アパルトヘイト・ウォールがめざす《最終解決》
ジャマル・ジュマ インタビュー
http://palestine-heiwa.org/wall/doc/pengon_int.html