これは、通りすがりに撮った名も無い木です。
美瑛町、通称『哲学の木』が倒されました。
土地の持ち主である農家さんが、わざわざお金をかけて倒したのです。
有名な撮影スポットでした。
有名すぎて、たくさんの観光客やカメラマンが押し寄せて、畑を荒らし、農機をいじり、土地の持ち主である農家さんを苦しめて来ました。
どんなに立て看板を立てても、写真を撮るために入り込んでしまうのです。
私は、一度も哲学の木を撮ったことがありません。その場に行ったこともありません。
美瑛の丘の有名どころは、それなりにお邪魔していますが、私がカメラを手にした時点で、哲学の木は、
持ち主さんが押し寄せる人々に困惑していると噂を耳にして、足を運ぶ気になれなかったのです。
哲学の木の美しさと、その困った状況は、『哲学の木』で検索したら、存分に見ることが出来るでしょう。
悲しいことです。
私もカメラを持って走り回っている時は、気を付けるようにしているのです。
気に入ったアングルを求めて、つい足を進めてしまいそうなところをグッと堪えて、
敷地に入らないようにして、急にトラクターが来ても大丈夫なように車の停める場所に配慮して、、
とにかく作業の邪魔にならないように、目障りにならないように、びくびくしながら撮影していました。。
農作業をする人の姿がある時は、なるべくレンズを向けないようにしています。
だって、黙って人の姿を撮るのは失礼な気がするから。
本当は、そんな姿こそ、撮りたい被写体なのですが・・・
大変な作業をしている時に、近くでお気楽に写真を撮るのも、失礼な気がするし・・・。
観光客がたくさん来るのは良いことなのでしょう。
でも、その代償を考えると心が苦しくなります。
美瑛の丘の美しさは、農家の作業によって作られた生活の中の造形美です。
その生活を脅かす観光客。その場限りの楽しみのために、恥をかき捨てて行く。
カメラマンにも罪がある。
美しい風景を紹介して、それを撮りたくて、また、新しいカメラマンが来る。
今の時代、世の中にカメラマンはわんさか居ます。
私もその一人。カメラを構えているだけで、カメラマンだから。
美しい風景は、本当の写真家さんにお任せするべきなのかな?
わたしも、わたしも!って、風景に入り込んで行くのは、図々しいような気がしてきます。
クリスマスツリーの木
この時も、たくさんのカメラマンがレンズを構えていた。農地に入り込む人は居なかったけれど、とても賑やかだった。
ここも、土地の持ち主は迷惑しているそうです。
近付こうと畑の中に入る人が居るらしいのです。
どうしてそんな図々しいことが出来るのか、まったく理解出来ません。
これからは、人が集まる場所には、なるべく行かないようにしよう。
写真さえ撮れればいい!という、傲慢なカメラマンと同じ穴のむじなにならないように・・・
早朝の森
遠い林
寝ぼけた風景
白ひげの滝・・・あれ?観光スポットだ!(笑)
滝の氷
雪もチラつく曇り空。
朝日も見えない。
せっかく早朝から出かけても、良い写真なんて撮れやしない。
なのに、どうして出かけるのだろう?
なんだか、イヤになっちゃうな。
久しぶりに、永山新川にも行ってみた。
越冬組の白鳥が増えている!
野鳥の会のおじさんによると、50羽くらい居るって!
子供の白鳥も結構いるし、オオハクチョウだけではなくて、コハクチョウも居た。
あ!チーズだ!右羽を傷めて10年以上この川に住み続けている。
わ~い!クーも見つけた!
みんな元気に生きている。
与えられた『生』を、自然に任せて全うする。
それを思えば、やはり切ない。
老木だったとはいえ、倒木の危険があったとはいえ、守りたいという思いもあったのに・・・
折られたのは、木ではなく、気だ。
経済効果は、いつだって、たくさんの心を蝕んで行く・・・・
雪の早朝。
誰も居ない丘の上。
光を追いかけて、立ち位置を求める必要は無い。
ただ、雪原と降る雪を見つめるだけ。
これが私に似合いの撮影だ。
でもきっと、ここへは二度と行かない。
木を折る罪人に、なりたくないから・・・
きっと書き込みが有ると思ってのぞいてみました。
「ここには二度と来ない」
この言葉の重みに気付く人がどれだけいるだろう。それでこそ、僕の敬愛するしっぽなさんです。
敬愛って・・・照れます!!!
木が倒されて苦しくなったのは、2回目。
石狩川の堤防のポプラが最初です。
あの時は、倒される前の姿をあまり撮って居なくて後悔しました。
今回は、写真を撮って居なくて良かった。
切り倒される原因の一人にならずに済んだから。