ハノーファーから東南東に走って約2時間、かつての東西ドイツ国境を超えると間もなくヴァンツレーベン町に入ります。この町の北の外れにヴァンツレーベン城塞は建っているのです。城に属する公園はそのまま広大な森につながっています。というか、城とヴァンツレーベンの町が森の中にぽつんとあるのです。
城門をくぐると真ん中に塔がある広い中庭で、そのまわりに円を描くように低層の城の建物が並んでいます。原型ではなく新築または修復した建造物ばかりのようです。
さて、最初にヴァンツレーベン城塞の存在が述べられているのは10世紀の古文書だそうです。当時二重の溝と城壁を備えた丸い城として建てられ、ヨーロッパ最大の低地に建つ城のひとつです。13世紀に建てられた高さ30メートルを超えるロマネスク様式の天守閣は、今日この地域の象徴(シンボル)になっています。その後、14世紀後半にヴァンツレーベンの領主は資金不足のためマクデブルクの大司教に城を売却し、大司教は16世紀の後半にかつての防御的な城を住宅の城に変えて増築しました。そして時の流れと共に傷んだ家屋と農場の建物は18世紀後半に再建拡張され、荘園を営むある家族が賃借しました。そして第二次世界大戦終了まで、領地の貴族の小作人によって管理されていたのです。
戦後ヴァンツレーベン城は赤軍に接収され、東ドイツ政府の時代には銀行、農業生産協同組合、幼稚園などのさまざまな施設として使用されていましたが、資金不足のため崩壊の危機に瀕していました。しかしながら東西ドイツ再統一後、城は地所の最後のテナントの子孫によって取得そして長年にわたって徐々に修復され、今世紀初頭の大規模改修工事終了後は独特の雰囲気を持つホテルの複合施設に生まれ変わりました。
城門 ・ 城門の内壁にある扉の装飾
中庭の様子 1 & 2
中庭の様子 3 ・ 城門の中庭側
チェックインの後、おばさんスタッフがレセプションの真反対側にある別の棟の私の部屋を指差して示してくれました。スイートのシングルユースを予約しておいたので広いのですが、少し寒々感があります。ベットルームが少し高いところにあって雰囲気が良いし、家具調度および天井の梁と柱が古くて趣はあるのですが、スイートルームなのに次のものがありません。ホテルに関する情報冊子(電話はあるけどレセプションが何番であるか、さらにWi-Fiのパスワードが分からない。)、近くの観光案内冊子、冷蔵庫、お茶セット、電気ケトル、スリッパ、バスロープ、タンスは2つもあるのにハンガーなし、アメニティーグッズは液体せっけん一つだけ。つまり、広さと雰囲気が良いけれど住みにくい部屋なのです。
さらに苦言を呈すると、ハウスキーピングがおそらくチェックアウト時間前(チェックアウト時間はどこにも明記されていないのですが、、、、)の9時半に来ました。連泊するので、と言って追い返しましたが、その日は部屋を片付けてもらえないことになりました。
私の部屋 1 & 2
夕食はホテルのレストランでとりました。夕食としては珍しくも、ビュッフェ形式です。雰囲気の良い夕食場で中年のおじさんと若い女性がサーヴィス係です。サーヴィスと言ってもビュッフェなので食器を下げるだけですが、、、、。
レストラン ・ サラダとデザートの一角
いろんな料理が提供されていますが、その一部だけ示します。
ビュッフェのほぼ全貌 ・ 煮野菜 と ラザーネ
舌平目の料理 ・ コック・オ・ヴァン
他にも数種類あり、前菜盛り合わせとラザーネとパンナコッタはイタリア、カルパッチョはスペイン、ドイツの甘味デザート、フランスのコック・オ・ヴァン(雄鶏の赤ワイン煮込み料理)、ドイツ-スイスのレシュティ(主にジャガイモから作られる)。あとはインターナショナルかな?
私は飲み物をノンアルコールのヴァイツェンビールにして、定番通りスープ、前菜、主菜、デザートと進めて行きました。
ヴァイツェンビール ・ ズッキーニのスープ
スープが少し塩辛すぎました。サラダはバルサミコソースで食べました。メインのコック・オ・ヴァンは味が濃すぎて肉が硬いのが残念でした。ただ野菜の細切りを舌平目で巻いて煮てある料理だけが、何だか繊細な味がして美味しかったのです。
サラダ ・ メインディッシュ
パンナコッタ と 甘味デザート
私の経験および独断と偏見で言うと、ビュッフェ形式の食事で感心するほど美味しい料理が出されることはありません。今回も舌平目の料理を除いて同様のことが言えそうです。
朝食場 ・ 私の朝食
朝食場も感じの良い部屋でした。ごく普通の朝食ビュッフェですが、数種類の、午後のお茶で食べるような小さな四角いケーキがあるのが珍しかったのです。私は食べませんでしたが、、、、。
〔2024年6月〕
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