今月分の記事も一応、この入院生活を記した記事のバックナンバーはこちらに目次形式で記してあるので、ご希望の方はどうぞ。
■再び所沢の国リハ病院へ
04年4月15日頃、『飲み込みの機能回復の手術』を無事終えた自分は再び所沢の国リハ病院へ戻って(転院して)きました。
ちなみに、今後自分は退院をするまでずっとこの国リハ病院にいることになるわけなのですが
どうやら同じ時期にここに入院した患者の中で、半年以上も同じ病院(つまりこの病院)に居座った患者は自分だけだったみたいですね。
自分はこの時、病棟の3階に入院していたのですが、まさに3階の主でしたね、主(苦笑)。
でも、これだけ長い期間(04年1月まで入院していた私大病院時代も含めて)同じ病院に入院していると色々な患者に出会いましたよ。それにしても今そのことを思い出せば楽しい思い出(話のネタ)にはなっていますが
入院当時は『その方たち』には真面目に悩まされました、ホント。だっていきなり夜中に叫び出すおじいちゃんや壁に立ちしょんをし始めるおじいちゃんがいたり(看護士というものは普段、めったなことでは動じないものなのですが、この時ばかりはさすがにそれを見て悲鳴を上げていた)
夜中にいきなりどこかに徘徊していってしまう人もいたし……入院中の病室は基本的にはこれらの人との相部屋だったし、鬱屈した入院生活ともあいまって、この頃の自分は常にストレスでイライラしているような状態でしたね。ハッキリ言って、入院していた頃は夜ぐっすり眠れた記憶はほとんどないです。
そのことを思えば現在(2011年9月)の生活の何と幸せなことか-。今『あの頃』の忌まわしい時代を思い返しながらこれを書いていて、改めてそう感じる次第です。
■きうっち、ノートパソコンを買ってもらうの巻(忍者ハットリ君風に(笑))
ところで今の20台はもう、アニメ『忍者ハットリ君』なんて知らないんだろうなぁ。ハットリ君といえばSMAPの香取慎吾がやっていた実写版なんだろうなぁ-。上の小見出しをつけながら、そんな年寄りくさいことを思ってしまった今日この頃。
この時期(04年4月頃)、自分は今後のことも考えて新しくノートパソコンを買ってもらいました。もちろん自分一人で操作できるように、音声読み上げソフトが初めからインストールされているものをです。
先月まではリハビリの先生についてもらって、あくまで『正規のリハビリメニュー』という形でパソコンに触らせてもらっていたのですが、
この国リハ病院にきて以来、2ヶ月週2回のペースで触らせてもらっていたので、正直音声の案内でパソコンを操作することにもだいぶ慣れてきていましたし
これくらい慣れることができれば後は自身で自習しても大丈夫かな?-。退院した後の暇つぶしの手段を確保することも含めて、ノートパソコンを買ってもらうことにしました。
でもまぁ、せっかくノートパソコンを買ってもらっても最初の内は大したことはしていませんでしたね。
メモ帳でファイルを作って、数ヶ月後退院した後に購入したりレンタルしようと思っていた楽曲を書き出したりだとか、観たい映画(つまりDVDをレンタルする)のリストを書き出してみたりだとか-。ま、最初の頃はそんな程度のことしかしていませんでしたね。自分のいた病棟内ではインターネットに繋げることもできませんでしたし。
それが8年後の今じゃ、excelはバンバン使いこなしているし、DVDから動画ファイルは作り出しているし、他にも色々とやっていて-。ま~あ人間変われば変わるもんだなぁと我ながら感心してしまいますよ。
…まぁでも実は、この頃から数えるとその間に新品で買ったノートパソコンを2台ぶっ壊しているのも事実なんですけど(苦笑)。
■いよいよ口から食べ物が食べられる!!
先月末に『飲み込みの機能を回復させる手術』を受けて以来、ついに待ちに待ったこの日がやってきました!
そうです!ようやく口から食べ物が食べられる日がやってきたのです!待ちに待ったこの瞬間!いっぱい『!』マークを使っているように、自分のテンションも上がりまくりです(笑)。
ただ、以前にも少し触れた通り『最初から』普通のご飯が思いっきり食べられるというわけではありませんでした。
最初はゼリーから、それをクリアできたらプリンやヨーグルト-。のようにあくまで段階を踏んで、という形だったので普通の、いわゆる『ご飯』が食べられるようになるにはまだまだ遠い道のりというわけです。
それでもこの頃の自分にはその『ゼリー』が口から食べられるだけで本当に感動でしたね。忘れもしませんよ。
小さい小鉢の上に乗せられた市販のゼリー。久しぶりに手にした小スプーンの感覚。それを15分もかけて食べ終わったあの時の感触(別に味わって食べたからこの時間がかかったというわけではなく、この頃の自分は『普通』に食べて本当にこのくらい時間がかかった)。
確かにまだまだ第一歩ではありましたが、ようやくごく普通のおまんまが食べられるようになるための第一歩でもありましたから。
これでやっと、流動食ともオサラバできる日がやってくるかと思うとせいせいしてきますよ(笑)。…まぁただ、しばらくは口から一日三食を食べることは無理なので、基本は流動食で栄養を摂取し、口から食べるゼリーやヨーグルトはあくまで3時のおやつを兼ねたリハビリ、という生活がもう少し続いてしまうのですが。
でも3時のおやつにプリンやヨーグルトを食べながらリハビリも兼ねられるって物凄い幸せな気分でしたよ。この入院生活をし始めて以来、自分の辞書には『我慢する』とか『耐える』とかそんな言葉しかありませんでしたから…。
■今月のその他のリハビリメニュー
また、この頃には他にこんなリハビリメニューをこなしていました。
1.先月に引き続き、背もたれのない椅子になるべく長い間座る練習
2.先月に引き続きのリハビリ。手でニギニギするグリップを用いて、握力を鍛える訓練。
3.これも先月に引き続きのリハビリ。自分の片方の太腿を両手で持ち上げて、それをもう片方の太腿の上に持っていくリハビリ
4.車椅子に座った状態から肘かけに両手を添え、そこから自分の体を持ち上げる、いわゆる『プッシュアップ』をして両腕の腕力を鍛えるリハビリ
…正直、半年も入院生活をしているとそんなに目新しいリハビリのメニューもそうそうないです(苦笑)。ただ、この時期にはそれぞれのリハビリメニューをこなすのもだいぶ楽になっていたのは事実でしたね。
1.のリハビリはだいぶ普通に座れるようになっていましたし、2.のリハビリは03年末くらいから根気強く続けていたおかげで握力がこの頃には20近くまで戻っていました。
3.のリハビリで先月の時点では自身の太腿を持ち上げるのに四苦八苦していたのがだいぶ楽に持ち上げられるようになっていましたし、4.のリハビリも言わずもがなってところです。
この時期はそれぞれのリハビリメニューでしてきたことが、目に見えて自分の体に現れてきていたので、苦しいはずのリハビリをこなすのも本当に楽しい時期でしたね。
何しろ自分の体をいじめればいじめるほど自身の体がみるみるたくましくなっていくのが分かりましたから。そりゃあマゾにもなるってもんですよ(笑)。
■この頃の自分の体の状態
そういえば03年12月の入院生活に触れている記事で、その時の『自分の体の状態』を紹介していました。
あれから4ヶ月。その頃から自分の体の状態はいったいどれくらい変わったのか?どれくらい回復したのか?-。ここではそれを
03年12月頃と、04年4月頃との体の状態を比較する形で紹介していこうと思います。
スクリーンリーダーを使用してこのページを閲覧している人に少し補足説明しておくと、記事の以下の部分は
一番上に表題(自分の体の状態)があって、そのすぐ下に2行2列のテーブルで
その表題のことについて1行目に03年12月頃のこと、2行目に04年4月頃のことが記してあります。
・腕力や腕の動きについて
・足を中心とした下半身
・腹筋など、その他の体の状態
・毎日の食事やトイレの方法
・この時点で体に取り付けられていた医療器具
・それ以外の体の状態
~来週へ続く
■再び所沢の国リハ病院へ
04年4月15日頃、『飲み込みの機能回復の手術』を無事終えた自分は再び所沢の国リハ病院へ戻って(転院して)きました。
ちなみに、今後自分は退院をするまでずっとこの国リハ病院にいることになるわけなのですが
どうやら同じ時期にここに入院した患者の中で、半年以上も同じ病院(つまりこの病院)に居座った患者は自分だけだったみたいですね。
自分はこの時、病棟の3階に入院していたのですが、まさに3階の主でしたね、主(苦笑)。
でも、これだけ長い期間(04年1月まで入院していた私大病院時代も含めて)同じ病院に入院していると色々な患者に出会いましたよ。それにしても今そのことを思い出せば楽しい思い出(話のネタ)にはなっていますが
入院当時は『その方たち』には真面目に悩まされました、ホント。だっていきなり夜中に叫び出すおじいちゃんや壁に立ちしょんをし始めるおじいちゃんがいたり(看護士というものは普段、めったなことでは動じないものなのですが、この時ばかりはさすがにそれを見て悲鳴を上げていた)
夜中にいきなりどこかに徘徊していってしまう人もいたし……入院中の病室は基本的にはこれらの人との相部屋だったし、鬱屈した入院生活ともあいまって、この頃の自分は常にストレスでイライラしているような状態でしたね。ハッキリ言って、入院していた頃は夜ぐっすり眠れた記憶はほとんどないです。
そのことを思えば現在(2011年9月)の生活の何と幸せなことか-。今『あの頃』の忌まわしい時代を思い返しながらこれを書いていて、改めてそう感じる次第です。
■きうっち、ノートパソコンを買ってもらうの巻(忍者ハットリ君風に(笑))
ところで今の20台はもう、アニメ『忍者ハットリ君』なんて知らないんだろうなぁ。ハットリ君といえばSMAPの香取慎吾がやっていた実写版なんだろうなぁ-。上の小見出しをつけながら、そんな年寄りくさいことを思ってしまった今日この頃。
この時期(04年4月頃)、自分は今後のことも考えて新しくノートパソコンを買ってもらいました。もちろん自分一人で操作できるように、音声読み上げソフトが初めからインストールされているものをです。
先月まではリハビリの先生についてもらって、あくまで『正規のリハビリメニュー』という形でパソコンに触らせてもらっていたのですが、
この国リハ病院にきて以来、2ヶ月週2回のペースで触らせてもらっていたので、正直音声の案内でパソコンを操作することにもだいぶ慣れてきていましたし
これくらい慣れることができれば後は自身で自習しても大丈夫かな?-。退院した後の暇つぶしの手段を確保することも含めて、ノートパソコンを買ってもらうことにしました。
でもまぁ、せっかくノートパソコンを買ってもらっても最初の内は大したことはしていませんでしたね。
メモ帳でファイルを作って、数ヶ月後退院した後に購入したりレンタルしようと思っていた楽曲を書き出したりだとか、観たい映画(つまりDVDをレンタルする)のリストを書き出してみたりだとか-。ま、最初の頃はそんな程度のことしかしていませんでしたね。自分のいた病棟内ではインターネットに繋げることもできませんでしたし。
それが8年後の今じゃ、excelはバンバン使いこなしているし、DVDから動画ファイルは作り出しているし、他にも色々とやっていて-。ま~あ人間変われば変わるもんだなぁと我ながら感心してしまいますよ。
…まぁでも実は、この頃から数えるとその間に新品で買ったノートパソコンを2台ぶっ壊しているのも事実なんですけど(苦笑)。
■いよいよ口から食べ物が食べられる!!
先月末に『飲み込みの機能を回復させる手術』を受けて以来、ついに待ちに待ったこの日がやってきました!
そうです!ようやく口から食べ物が食べられる日がやってきたのです!待ちに待ったこの瞬間!いっぱい『!』マークを使っているように、自分のテンションも上がりまくりです(笑)。
ただ、以前にも少し触れた通り『最初から』普通のご飯が思いっきり食べられるというわけではありませんでした。
最初はゼリーから、それをクリアできたらプリンやヨーグルト-。のようにあくまで段階を踏んで、という形だったので普通の、いわゆる『ご飯』が食べられるようになるにはまだまだ遠い道のりというわけです。
それでもこの頃の自分にはその『ゼリー』が口から食べられるだけで本当に感動でしたね。忘れもしませんよ。
小さい小鉢の上に乗せられた市販のゼリー。久しぶりに手にした小スプーンの感覚。それを15分もかけて食べ終わったあの時の感触(別に味わって食べたからこの時間がかかったというわけではなく、この頃の自分は『普通』に食べて本当にこのくらい時間がかかった)。
確かにまだまだ第一歩ではありましたが、ようやくごく普通のおまんまが食べられるようになるための第一歩でもありましたから。
これでやっと、流動食ともオサラバできる日がやってくるかと思うとせいせいしてきますよ(笑)。…まぁただ、しばらくは口から一日三食を食べることは無理なので、基本は流動食で栄養を摂取し、口から食べるゼリーやヨーグルトはあくまで3時のおやつを兼ねたリハビリ、という生活がもう少し続いてしまうのですが。
でも3時のおやつにプリンやヨーグルトを食べながらリハビリも兼ねられるって物凄い幸せな気分でしたよ。この入院生活をし始めて以来、自分の辞書には『我慢する』とか『耐える』とかそんな言葉しかありませんでしたから…。
■今月のその他のリハビリメニュー
また、この頃には他にこんなリハビリメニューをこなしていました。
1.先月に引き続き、背もたれのない椅子になるべく長い間座る練習
2.先月に引き続きのリハビリ。手でニギニギするグリップを用いて、握力を鍛える訓練。
3.これも先月に引き続きのリハビリ。自分の片方の太腿を両手で持ち上げて、それをもう片方の太腿の上に持っていくリハビリ
4.車椅子に座った状態から肘かけに両手を添え、そこから自分の体を持ち上げる、いわゆる『プッシュアップ』をして両腕の腕力を鍛えるリハビリ
…正直、半年も入院生活をしているとそんなに目新しいリハビリのメニューもそうそうないです(苦笑)。ただ、この時期にはそれぞれのリハビリメニューをこなすのもだいぶ楽になっていたのは事実でしたね。
1.のリハビリはだいぶ普通に座れるようになっていましたし、2.のリハビリは03年末くらいから根気強く続けていたおかげで握力がこの頃には20近くまで戻っていました。
3.のリハビリで先月の時点では自身の太腿を持ち上げるのに四苦八苦していたのがだいぶ楽に持ち上げられるようになっていましたし、4.のリハビリも言わずもがなってところです。
この時期はそれぞれのリハビリメニューでしてきたことが、目に見えて自分の体に現れてきていたので、苦しいはずのリハビリをこなすのも本当に楽しい時期でしたね。
何しろ自分の体をいじめればいじめるほど自身の体がみるみるたくましくなっていくのが分かりましたから。そりゃあマゾにもなるってもんですよ(笑)。
■この頃の自分の体の状態
そういえば03年12月の入院生活に触れている記事で、その時の『自分の体の状態』を紹介していました。
あれから4ヶ月。その頃から自分の体の状態はいったいどれくらい変わったのか?どれくらい回復したのか?-。ここではそれを
03年12月頃と、04年4月頃との体の状態を比較する形で紹介していこうと思います。
スクリーンリーダーを使用してこのページを閲覧している人に少し補足説明しておくと、記事の以下の部分は
一番上に表題(自分の体の状態)があって、そのすぐ下に2行2列のテーブルで
その表題のことについて1行目に03年12月頃のこと、2行目に04年4月頃のことが記してあります。
・腕力や腕の動きについて
03年12月頃の状態 | まだまだ腕力は頼りなく、パッド型のナースコールを押すのがやっと、数グラムの超軽い積み木を持ち上げるのがやっとの状態。腕も左右とも肩の高さより少し高いくらいまでしか上がらず、とても背中に腕を回したりすることは無理。でも左腕の方が入院生活を通じてやや回復が早かったような… |
04年4月頃の状態 | 腕の力は4ヶ月でだいぶ回復し、車椅子の肘かけに両手をかけて自分の体を持ち上げられるぐらいに力が戻る。また、まだややぎこちなさは残るが腕は両腕とも二の腕が耳につくぐらいまで回復し、左右の腕とも背中に回して背中をかけるくらいにはなった |
・足を中心とした下半身
03年12月頃の状態 | 足は入院当初から変わらずピクリとも動かない。それどころか膝から下は触られている感覚さえほとんど無い |
04年4月頃の状態 | 4ヶ月経っても足がピクリとも動かせないのは相変わらず(泣)。ただし、4ヶ月前は膝から下の感覚は無かったが、それはほぼ戻ったような気がする。この頃くらいから、足についてもかすかに希望を持てるようになっていたかな |
・腹筋など、その他の体の状態
03年12月頃の状態 | 腹筋、拝金ともにほとんど無く、自分の体の力だけではあお向けに寝転がった体を起こすことは不可能。もし、腹筋運動をしようとしても首から上の部分だけで『腹筋運動をしようとしている』動きをかすかにするだけ |
04年4月頃の状態 | まだ腹筋、拝金の力は物足りないが、4ヶ月前よりはだいぶマシになってきたかな。同時に鍛えていた腕力がだいぶ強くなったからなのか、両手を使えばあお向けの状態からでも起き上がれるようにはなった |
・毎日の食事やトイレの方法
03年12月頃の状態 | 小便、大便ともに自分の意思で排泄することはできず。小便は膀胱にねじ込んでいた『バルーンカテーテル』で尿を取り出し、大便は自然と出てくる便を紙オムツで受けることで対応。また、毎日のお食事は1食1時間程度かけ、お腹のあたりにつけた胃瘻から流動食を摂ることでカロリーを決まった分だけ補給。何とも味気なし(涙) |
04年4月頃の状態 | 小便、大便を排泄する方法は4ヶ月前とほぼ変わらず。ただし、手術をしてやっと物が口から食べられるようになる。ただ、まだその訓練を始めたばかりであり、口から物を食べる時はあくまで『訓練』の一環。毎日のお食事は相変わらず、お腹につけた胃瘻から流動食を摂ってカロリーを摂取 |
・この時点で体に取り付けられていた医療器具
03年12月頃の状態 | 膀胱に繋げられたバルーンカテーテル、お腹につけられた胃瘻、ノドの気管切開した穴に挿入されたカテーテル |
04年4月頃の状態 | 基本的には4ヶ月前と同じ |
・それ以外の体の状態
03年12月頃の状態 | この頃の握力は左右とも5から7といった程度。また、せっかくスピーチカニューレは取り付けてもらっても、ベッドに寝た状態でしかつけられなかったのでほとんど『宝の持ち腐れ状態』(涙) |
04年4月頃の状態 | この頃の握力は左右とも20程度。また、相変わらずスピーチカニューレはベッドの上に寝た状態でしか付けることができず。 |
~来週へ続く