私の悪い癖か、ふと気を抜くと、旦那ともうやり直せるような気がしてくる。
何故だかわからないけれど、旦那の顔を思い浮かべると、思い浮かぶのは、争いの後、手を差し伸べる優しい笑顔。
なのに、恐いという感情が浮かび上がってくる。
怒っている顔は思い浮かばない。浮かべようとするとドキドキする。苦しくなる。
だけど、わけもなく始まる罵声は聞こえる。
旦那とやり直されるような気持ちになった時、私はブログを読み直す。
あくまでも客観的に。
自分の感情やその時の気持ちをあまり書かなかったので、今の時点での自分の感情を持つことが出来る。
もし、これが私ではなく、他の人のブログだったら、どうだろうかと考えながら読む。
今まで、何度も同じことを繰り返し、繰り返すたびに、学ぶのではなく、度が過ぎていくような旦那の態度。
それは、私も同じであったのだろう。
旦那が、自分から子供と遊びたいなんて言った事は、今までなかったし、そういう意味では、旦那も考えているのだとは思う。
それを認めないわけではない。
だけど、もし子ども達が、旦那と遊び、帰ってきて、旦那の話をするとき、私は絶えられないと思う。
楽しそうに話す子ども達を許せない気持ちになってしまうのが恐い。
親として、母として、それではいけないのかもしれない。
だけど、お母さんが一緒じゃないなら行かないという子ども達の言葉に、今は甘えようと思う。
例え、それが本心ではなく、私を気遣っての言葉だとしても、子ども達の思いやりに身を任せよう。
私は、私なりに努力しているんだと言うことを、自分で認めて行こう。
別居している状態が、決して何もない状態ではない。
別居しているからこそ、見つめなおすことが出来るのだと、今の状態が悪いことではなく、むしろいいことなのだと、今の状態を否定するのではなく、肯定していこう。
今、一番大切なこと。自分の存在を認め、愛すること。
簡単なようで、難しい。
でも、一つ一つ、何かあるたびに、自分の行動を見つめ、なりたい自分になれるよう見つめていこう。
何故だかわからないけれど、旦那の顔を思い浮かべると、思い浮かぶのは、争いの後、手を差し伸べる優しい笑顔。
なのに、恐いという感情が浮かび上がってくる。
怒っている顔は思い浮かばない。浮かべようとするとドキドキする。苦しくなる。
だけど、わけもなく始まる罵声は聞こえる。
旦那とやり直されるような気持ちになった時、私はブログを読み直す。
あくまでも客観的に。
自分の感情やその時の気持ちをあまり書かなかったので、今の時点での自分の感情を持つことが出来る。
もし、これが私ではなく、他の人のブログだったら、どうだろうかと考えながら読む。
今まで、何度も同じことを繰り返し、繰り返すたびに、学ぶのではなく、度が過ぎていくような旦那の態度。
それは、私も同じであったのだろう。
旦那が、自分から子供と遊びたいなんて言った事は、今までなかったし、そういう意味では、旦那も考えているのだとは思う。
それを認めないわけではない。
だけど、もし子ども達が、旦那と遊び、帰ってきて、旦那の話をするとき、私は絶えられないと思う。
楽しそうに話す子ども達を許せない気持ちになってしまうのが恐い。
親として、母として、それではいけないのかもしれない。
だけど、お母さんが一緒じゃないなら行かないという子ども達の言葉に、今は甘えようと思う。
例え、それが本心ではなく、私を気遣っての言葉だとしても、子ども達の思いやりに身を任せよう。
私は、私なりに努力しているんだと言うことを、自分で認めて行こう。
別居している状態が、決して何もない状態ではない。
別居しているからこそ、見つめなおすことが出来るのだと、今の状態が悪いことではなく、むしろいいことなのだと、今の状態を否定するのではなく、肯定していこう。
今、一番大切なこと。自分の存在を認め、愛すること。
簡単なようで、難しい。
でも、一つ一つ、何かあるたびに、自分の行動を見つめ、なりたい自分になれるよう見つめていこう。
ノーコメントさせてください。
今度は、お名前教えてくださいね。