バーとホテルと農業と…           ほんまはテレビ

東京から徳島の山奥へ移住したテレビディレクターの田舎暮らしドキュメント。毎日なんやかんややっとることの記録です。

「夢」

2009年12月01日 13時07分59秒 | 日記
「夢」

胸に大きな夢抱き
猪突猛進 暗中模索
都会の人波かき分けて
満身創痍の泥仕合
上へ上へとをよじ登る

気づいてみれば黄泉の国
ポカポカ陽気の縁側で
昔の友が笑ってる
鳥の歌声野山に響き
焚き火の炎が心をとかす

夢破れて山河あり
涙が溢れて川となる
希望は燃え尽き灰となる
君は独りでバスを待つ
夢の国へのバスを待つ

涙が涸れて日が暮れて
夜空の星が輝く頃に
優しく風が囁いた

「ただその時を待てばいい」



最近、こんな気持ちです。
今夜は中島みゆきさんの「夜会」に行ってきます。

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2 コメント

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のっとってごめんなさい(笑) (こーちゃん)
2009-12-02 17:49:37
写真は、プリントしたら傑作からどんどん破いて捨てていくというのが反写真作法の常識である。傑作にうっとりしている間があれば、駄作にこそ写真の可能性を探るべきであり、いい写真を断ち切りで使おうとか、見開きで使うとか言っている段階では職業編集者の亡霊に侵犯されたままである。
写真を見ること、それを自ら裏切ること、自身の写真を疑うことを怠っているようでは、到底既成の文法でしか写真を撮り続けるしか脳がないであろう。
写真は何ものかを暗がりに閉じ込め、露光し、巻いて、外へ一度取り出し、ベロを出して、また暗闇に閉じ込め、それを巻き巻きし、シェイカーに封じ、現像液に浸して、揺すって出して、停止液に浸して出して、定着液を投じ、揺すって、シェイカーを振りつつご機嫌に自らも腰を振りつつともに踊り…と随分滑稽なことを行うわけだが、それもこれも愛しいことやもの、人が写っているからであろう。と、あるいは信じているからだろう。もしくは世界に対して怒りや憎悪、恨みがあるからであろう。写真家はもっと自らの内なる声を現像し、写真を世間に晒すべきである。
写真家は、確かに大方において使われ身であるが、しかし写真家自身がそもそもメデイアの発信源であることを忘れてはならない。写真の需要はさまざまにあり、編集者が存在し、目利きとしても存在するが、そうした機構そのものは、欲望もしくは生活の糊しろとしてのメディアの歴史と重なることも残念ながら多い。ゆえに写真家はもっと自らの目を鍛えるべきであり、たとえそれが大きな勘違いであったとしても、自身で引き受ける覚悟さえあればいいのである。よって自ら露光した印画紙を粗末にしてはならない。文章の句読点やてにをはを変えられるように、トリミングされれば写真も整理されるが、編集されることによって、印画紙に真っ赤な血が流れ、涙がこぼれることを写真家はもっと切に編集者やデザイナーに伝えるべきだ。トリミングよ、さらば。

中野晃治「反写真作法・ぼくの写真家宣言 序文」より
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>こーちゃんへ (けーちゃん)
2009-12-03 09:26:37
のっとるね!
僕の書いた本文より長いコメントって…。

こーちゃんの写真家宣言しっかり心に刻み付けます。
ありがとう。
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