変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

般若心経は語る

2012-04-08 16:23:49 | Weblog

 東京の桜は、今が満開で見ごろです。
 が、風は冷たく…叔母を車いすに乗せての花見はもう少し後にしました。

 明日は、きららの相棒と浅草寺の伝法院へ花見へ行ってきます。
 伝法院の庭園は、日頃公開されてい無いようで、期間限定の公開なので、
 混雑が見込まれますが…
 浅草生まれの江戸っ子の相棒も庭園に入ったことが無いというので…
 じゃー行こう! と速決です。


  
 浅草寺五重塔と桜とスカイツリーの「浅草の春の三役」と新聞に写真入りで載っていました。
 昨年は、東日本巨大地震のため、花見は自粛しましたから…楽しみです。


 今日は、明日浅草寺へ行き、お参りのときに般若心経をお唱えいたしますので…
 私の愛読誌「高野山教報」からご紹介します。


              『般若心経は語る』
                          岡本哲雅 (兵庫県 西光寺住職)

 仏教の悟りへの道は、お釈迦さまの教えをよく聞くこと、お経を読むことから始めます。
 仏教は八万四千(はちまんしせん)の法門といわれ、お釈迦さまがお説きになられた
 お経は八万四千あります。その膨大な経典のなかで最も長いお経が「大般若経」です。
 巻物にして六百巻あり、文字の数は六十億四十万時にもなるのです。
 その精髄を抽出して組み立てられたのが「般若心経」であるといわれています。

 現在、広く読誦されている般若心経は、「西遊記」の三蔵法師で知られる玄奘三蔵が
 訳されたもので、本文はわずか二百六十六文字です。
 最も長い大般若経のエッセンスですので、一文字一文字に仏さまの命の躍動が秘められて
 います。名は体を表すと言われるように、般若心経の経題「仏説摩訶般若波羅密多心経」
 の十二文字にはその真髄がまとめられています。

 「仏説」は字のとおり、仏さまが説かれたものということです。
 「摩訶」とは、大いなる、また大きい様ということです。
 「般若」は智恵のことであり最高の真理、不滅・不動の悟りということです。
 「波羅密多」は到彼岸と訳されています。彼の岸に到達する、すなわち仏道修行を
  表すものです。
 「心経」とは中心となる般若の心のお経です。つまりこの経題を要約すれば心のお経と
  なり、心経と縮めて呼ばれる所以です。

 般若心経の中に「空」という字が七回出てきます。
 「そら」と読み、また「から」とか「むなしい」とか「何もない」というように読んだり解釈
 したりします。
 広辞苑には「拠り所のないこと」とあります。お釈迦さまの悟りは「諸行無常」ということです。
 すべてのものが移り変わり、実態として何もなく、同じ状態であるものはないということで、
 「とらわれるな」という教えです。

 私たちは日頃、親に子に夫に妻に頼り、人に物に財産に薬に頼り、聞いたり見たりする
 すべてのことに頼り、当てが外れて怒ったり悲しんだり苦しんだりします。
 また人の命ははかないもの、生者必滅で、自分もやがては死を迎えると理解はしている
 ものの、いざとなると、慌てふためき苦しむのです。
 当てにしているものを外して「空」になると、自由自在のとらわれのない伸び伸びした
 安心が生まれてきます。それを般若の智恵というのです。

 こんな話があります。
 「大きな池で母親と妻が溺れています。二人とも泳げません。こんな時、どちらを先に
 助けますか?」
 と、お坊さんが法話で聴衆に尋ねました。親に育てていただいたことを思えば母が先だ、
 これからの人生を考えれば妻が先だ、と、意見が一致しません。
 「早くしないと二人とも溺れてしまいますよ」と答えを促した時、聴衆の一人が、では、
 導師はどちらを先にしますか、と尋ねました。

 お坊さんの答えは、「近くにいる方から助けます」というものでした。
 この考え方が般若心経でいう「空」であり、執着を離れた見方なのです。
 人は自分にとってどちらが大事かという物差しで測り、こだわりによって母が先だ、
 妻が先だと議論するのです。ものごとに対して自分に都合のよいレッテルを貼り、その
 レッテルにこだわっています。人が二人溺れているのです。とにかく一刻を争いますから、
 まず、近くにいる方から手を差し伸べるのが自然でしょう。

 自分本位の考え方やこだわりは迷いを生み、判断の過ちは、こだわりから生じると
 いえましょう。ものごとにこだわらない素直な心が仏さまの見方であり、働きなのです。

 お大師さまは「般若心経秘鍵(ひけん)」のなかで、
 「夫(そ)れ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を捨てて何か求めん」
 と教え、お導きくださっています。
 仏さまの教えは遠く離れたところにあるのではなく、自身の心の奥にあるのだから、
 自身をじっくりと見つめ、こだわりやとらわれの心を捨てて仏さまの道を歩むことを諭され
 ています。

 仏さまやご先祖さまに手を合わせ、自らの心を見つめながら般若心経をお唱えしましょう。
 幾重にも重なっている心の扉が開かれ、こだわりの杭が見えてきます。
 そしてあなたの心のゲンテイに自由平等の慈愛の精神が扉を開いてくれるはずです。
  南無大師遍照金剛


 明日、しっかりとお参りして来ます。楽しみながら…へへ。

 
 

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