■【きょうの人】 0625 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖
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■ 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖
がんじん、旧字体: 鑑眞
688年〈持統天皇2年〉- 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉
奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖。俗姓は淳于です。
唐の揚州江陽県の生まれ、14歳で智満について得度し、大雲寺に住むことになりました。
18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入り、翌年、弘景について登壇受具し律宗・天台宗を学びました。
鑑真が学んだ律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派です。
鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。
揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡った僧・栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されました。
鑑真は、荒天などで六回の渡海を試み、ようやく日本にたどり着きました。
最初の渡海は、743年夏のことで、このときは、渡海を嫌った弟子が、港の役人へ「日本僧は実は海賊だ」と偽の密告をしたため、日本僧は追放されました。その後は、荒天などに阻まれました。
天平勝宝5年12月26日(754年1月23日)、ようやく大宰府に到着しました。
鑑真は大宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、天平勝宝6年2月4日に、平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受けました。
孝謙天皇の勅により、戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。
聖武天皇より伝法大法師位を賜り、常設の東大寺戒壇院が、大仏殿のそばに建立されました。
その後、天平宝字5年には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていくことになりました。
その後、伽藍を建立し、唐律招提案を賜い、日本の戒律宗の祖師となりました。76歳でこの世を去りました。
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