■【きょうの人】 0622 ■ 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母 ■ 相馬哲平 旧宅写真
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 相馬 哲平(そうま てっぺい)
初代相馬哲平は、1833年6月22日(天保4年5月5日に生まれ、1921年(大正10年)6月6日)に歿しています。
日本の実業家、政治家、貴族院多額納税者議員で、北海道の多額納税者のひとりです。
函館貯蓄銀行頭取、相馬合名代表社員等、北海道屈指の豪商で、箱館の発展に寄与しました。
相馬哲平旧宅 【カシャリ! ひとり旅】
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-hakodate-motomachi2.htm
■ 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母
けいしょういん
永4年(1627年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日)
江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母で、通称は玉といいます。
父は、北小路(本庄)太郎兵衛宗正、母は鍋田氏で、兄に、北小路道芳(後に本庄姓を賜り本庄道芳)、弟に本庄宗資がいます。
寛永16年(1639年)に、部屋子として家光の側室・お万の方に仕え、後に春日局の目にとまり、「秋野」という候名で、局の指導を受けるようになりました。
長じて将軍付き御中臈となり、家光に見初められて側室となり、正保3年(1646年)1月に綱吉を産みました。
慶安4年(1651年)に家光が死ぬと大奥を離れ、筑波山知足院に入ります。
4代将軍・家綱の死後、綱吉が将軍職に就き、江戸城三の丸へ入りました。
従三位を経て、元禄15年(1702年)2月には、女性最高位の従一位の官位と、藤原光子(または宗子)という名前を賜わりました。
宝永2年(1705年)6月に79歳で没し、墓所は、東京都港区の増上寺にあります。
遺髪塚が寺の復興に貢献した京都府京都市西京区の善峯寺に「桂昌院廟」として存在します。
また、東京都文京区にあります護国寺は、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建されました。開山は亮賢です。
本尊は如意輪観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所です。
近代以降は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られ、1873年(明治6年)、明治天皇の皇子(稚瑞照彦尊)の薨去を機に、護国寺境内の東半分が皇族墓地とされ、また、桂昌院という建物も建てられました。
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【 注 】
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